『ラジオ深夜便』「リチャード・ロジャーズ作品集」

 12月24日、NHKFMラジオ深夜便で「リチャード・ロジャーズ作品集」を聴きました。ラジオ深夜便は、他の番組と異なり、あらかじめ曲目がわかりません。つい先日たまたま、元アンカーの宇田川清江さんのトークショーの放送(深夜便4時台)を聴いていたら、「深夜便はリクエストを募らない形で始まった」「眠くなったらどうぞ寝てくださいという番組ですから」「リクエストを募集してしまうと寝ずに待っている方がいるといけないので」とおっしゃっていたことと関係あるかもしれません。
 それはともかく、ロジャーズ作品の終盤は、当然というか、サウンド・オブ・ミュージックのサウンドトラックからでした。大好きな音楽ばかりです。「サウンド・オブ・ミュージック」、「もうすぐ17歳」、「私のお気に入り」「ドレミの歌」「さよなら、ごきげんよう」「エーデルワイス」、「すべての山に登れ」、曲は大体知ってると思っていたのですが、不覚にも知らなかったというか、覚えていない曲がありました。

(サウンド・オブ・ミュージック、サウンドトラックから)
  「朝の賛美歌~ハレルヤ」

 です。これは、ジュリー・アンドリュース始め役者の方の演奏ではなく合唱団による純粋な合唱曲でした。とてもとても美しく、荷物の奥深くしまってあるサウンド・オブ・ミュージックのDVDを(時間がつくれたら)引っ張り出してもう一度聴いてみたい感じです。

NHK FMラジオ深夜便▽ロマンチックコンサート
2020年12月24日(木) 午前2:05~午前3:00(55分)
番組詳細
 石澤典夫 ▽ロマンチックコンサート 「思い出のスクリーン・ミュージック ~リチャード・ロジャース作品集」

2:44
「サウンド・オブ・ミュージック」から 朝の賛美歌 ~ ハレルヤ
オリジナル・サウンドトラックから 合唱団 (コーラス) 
BMGビクター
B23D-41071

 さて、Wikipedia「サウンド・オブ・ミュージック(映画)」(※1)を見てみると、モデルとなったトラップ・ファミリー合唱団があることはもちろん知ってはいましたが、豆知識や、史実との相違点がたくさん書かれいました。マリア・フォン・トラップ本人がジュリー・アンドリュースが初めてトラップ邸を訪れる場面の直前に通行人として出演していることは知りませんでした。
 しかし、特に歴史認識などについて、オーストラリアなどドイツ語圏での否定的な評価を見ると、やはり、勉強の必要性を感じました。

(史実との相違点)以下、抜粋です。

 「大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのであり、音楽指導を行ったのはマリアではない。」
 「映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えてフランスへ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、サウサンプトンから船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。」
 「ザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである。」
 「実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。」

(オーストラリア・ドイツ等における否定的な評価として)
 「地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではこの映画はヒットしなかった。西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている。そしてオーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。原因はこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する。」
 「(前略)ゲオルク・フォン・トラップがその(自由で民主的な国であったオーストリアの)自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、(中略)古い体制を支持して結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって、(中略)トラップ一家はたんなる権力争いに敗れて亡命を余儀なくされたもので、戦前の体制を擁護する映画であると見られている。」
 「この映画のナチスに走ったツェラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。ゆえに『サウンド・オブ・ミュージック』が日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている。」


また、Wikipedia「マリア・フォン・トラップ」(※2)によると

 

「1956年、ドイツの映画会社がマリアの著作の映画化権とそれに関連する権利を9,000ドルで買い取った。収入を必要としていたマリアは全ての権利を売ってしまったため、一家は以降の映画がもたらした莫大な収入の恩恵を受けられなかった。」
 「さらにアメリカのプロダクションがその権利を買い取ってミュージカルを作ろうと考えた。そこでリチャード・ロジャーズとオスカー・ハマースタイン2世の売れっ子コンビが作品化を引き受け、トラップファミリー合唱団の実際の演目を使うという当初のアイデアを捨てて、完全にオリジナル曲を作ってミュージカル化した。
 ミュージカルは大ヒットしたが、あまりに現実とかけ離れた物語やゲオルクの人物造形にマリアと子供たちはショックを受けた。やがて1965年にジュリー・アンドリュースの主演で映画化されると世界中で大ヒットした(ただし、本の映画化権を安く売ってしまったので、トラップ一家にはお金が入らなかった)。このときもマリアは脚本家に対して、夫ゲオルクの書き方を改めてくれるよう頼んだが、結局聞き入れられなかった。」

 とあります。

 

 

 

 「アメリカ合衆国のエージェントから公演の依頼を受けていたこともあり、一家と行動を共にすることに決めたヴァスナー神父とともに汽車を乗り継いでイタリア、スイス、フランス、イギリスへと渡り、サウサンプトンからアメリカへ向けて出航した。アメリカでのビザがきれると再び一家は北欧へ渡り、そこでもコンサートをおこなって、第二次世界大戦勃発直後の1939年10月にニューヨークへ渡った。」(※1)

 そして、ゲオルク・フォン・トラップは1947年にアメリカで亡くなっており、渡米後のトラップ・ファミリー合唱団の活動期間はそれほど長くなかったのではないかと思われます。

 実話のほんの一端を読むだけでも、実際のマリアのほうが波瀾万丈の人生だったのだろうとわかります。トラップ一家の人々の心情、歴史認識のことなども含めて考えると、映画が美しい、音楽が素晴らしいと、脳天気に鑑賞しているだけでいいのだろうかと、冷静な気持ちになりました。音楽を鑑賞する上でも、こうして冷静になり背景をなるべく正確に理解しておくことはとても大事だと思います。ただ、感情、感覚に溺れて真実を深く知るよりも快楽を求めるが如くなばかりでは、我ながら品性がない(若い頃はその傾向が強かったです)と思いました。
 映画の音楽は、文字通り、リチャード・ロジャーズとオスカー・ハマースタイン二世の創作物で、それはそれとして鑑賞するとしても、歴史はきちんと理解しておきたいものです。オーストリアの歴史については、よく勉強しないと簡単には理解できそうにないので、また改めて勉強したいと思います。
 ラジオ深夜便から出発して、思いもよらない着地となりました。

 映画『菩提樹』、『続・菩提樹』のほうを一度見てみたいものですが、DVDは出ていてAmazonなどでも販売されているようです。
 何しろ自由に使えるお金が少なく、なかなか手に入れられそうにありません。

※1:「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/1  21:26 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※2:「マリア・フォン・トラップ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/9/6  07:07 UTC 版)https://ja.wikipedia.org