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NHKFM「ベートーベン250」第五夜/サイモン・ラトルの第9

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NHKFM『ベートーベン250 第五夜「交響曲“第九”&声楽作品を大解剖!」』
2020年12月18日(金) 午後7:30~午後11:00(210分)
 ベートーベンの生誕250年を記念した特集番組。作曲家の宮川彬良が交響曲「第九」を独自の視点で分析。そのほか歌曲や劇音楽、宗教作品など声楽作品の魅力をご紹介。
【出演】作曲家・舞台音楽家…宮川彬良,テノール…望月哲也,音楽評論家…奥田佳道,【司会】ふかわりょう,大林奈津子


 全部ではありませんが聴くことができました。
 宮川彬良さんの解説のあと、第9の第4楽章ということで、「ソプラノ、バーバラ・ボニー、.....、バーミンガム市、...、ウィーンフィル」ときたので、「指揮サイモン・ラトル」だろうと思ったらやはりそうでした。以前、NHKFMでサイモン・ラトル指揮による第9を聴いたことがあり、「ユニークな解釈の演奏」ということだけは強く印象に残っていたので(具体的にどこがどうまでは覚えていませんでしたが)、「それがきましたか」と声が出そうになりました。以前Eテレ「クラシック音楽館」でサイモン・ラトルさんの声を聞き、外見のイメージと違う低い声が意外でした。カラヤンが外見とイメージが違うお婆さんのような声だったのと意外性は似ていて内容は対照的でした。音楽もそのとおりで、カラヤンが、時代的にも大指揮者による重厚路線の系統のようであり、レガートによる「粘る」演奏の傾向があるのに対して、サイモン・ラトルさんの演奏では、今回聴いて思い出しましたが、非常にメリハリがあり明朗、明るく軽やかで、生活のすぐ隣にあって手に届くような、フォークソングのような演奏だと思いました。荘厳さはあまりない感じもします。おそらく好き嫌いが分かれるでしょうし、楽譜に忠実というより独自の解釈があるようで、そういう意味でピリオド系の演奏とは全く違います。この演奏を何回も聴くと食傷気味になるのか、それともますます好きになるかは人それぞれでしょう。私はもう少し何回か聴いてみたいと思いました。宮川さんが、「「歓喜の歌」が5音だけしか使わず、音域が狭くシンプルな歌なのは町のおばちゃんでも歌えるものにしたかったのでは」とおっしゃっていましたが、それに通じているような演奏だったと思います。でも、宮川さんご自身が「ベートーベンが(に限らず「作曲家は」だったか忘れましたが)極小のモチーフを使って音楽を構成していること」を指摘されていましたし、私も交響曲第5番の記事でベートーベンがドミソなど単純なモチーフを生かしていると書きましたが、ベートーベンはもともと特にそういうのが好きなのでしょうか。



【サイモン・ラトル、ウィーンフィル、バーミンガム市交響楽団の第9第4楽章の感想】
 きっと、(特に器楽部分について)詳しい方がお聴きになれば、もっともっとたくさん気付かれるのだろうと思いますが、私が聴いてパッと気が付いたのは次のような点です。

(1)合唱のない器楽の部分で、1~3楽章の回想が終わり、再び(冒頭にもありましたので「再び」)バリトンソロのレチタティーヴォの部分と同じメロディーが奏されて、バン、、バン、、で一旦締め括られ、そのあと低弦による「有名な歓喜の歌のメロディー」が静かに厳かに奏され始めますが(あとから次第に大きくなっていきます)、「バン、、バン、、」の部分が物凄く大音量で溜めがあった感じがしました。ほかでは聴いたことのない演奏でした。回想部分を「明確に」締め括り、歓喜の歌が静かに聞こえてくるという形は理解できます。
(2)バリトンソロのレチタティーヴォ「~und freu-den vollere」の途中、アドリブみたいな聴いたことのない節回しが入りました。
(3)合唱「~und der Cherub~」のところが「ウォス、デン、ケ、ルブ」と聞こえるくらい、明確に切ってシャウトっぽく、スタッカートが非常に強調されていました。これもほかでは聴いたことのない演奏でした。
(4)Allegro assai(きわめて速く) vivace(生き生き) alla Marcia(マーチのように)~のテノールソロのマーチの前奏部分がやけに明るく楽しげで(昔の一般的な演奏より遅いというか緩い)、まるで(昔あった)近所に移動販売車(ロバのパン屋さんみたいな)が来て音楽を鳴らしているような雰囲気でした。ピリオド系の演奏では、Allegro assaiに忠実にということなのか凄く速い演奏もありますが、それとは異なるvivaceが重視された解釈のようです。これに続きテノールのソロがあり、さらにコーラスが入ると急にはっきり加速し始めますが、ここからAllegro assaiが重視されたということなのでしょうか。これもほかでは聴いたことのない演奏でした。でも、楽しげなのは良かったですし、加速のメリハリも中途半端よりいいような気がします。
(5)有名な歓喜の歌の前で静かになる部分、昔は「パパーン、パパーン、パパーン、パパン」でしたが、最近は「パパーン、パーン、パーン、パーン」(のように聞こえる)しか聞かなくなりました。ベーレンライター版でなくても自筆譜の研究から確定的に改訂されたのでしょうか。
(6)Solo「Freude Tochter aus Elisium~」の少し前の部分の合唱「Bruder!Bruder!(uはウムラウト付き)」の部分が、スタッカート気味に(2回目をBru・der「ブリュ、デル」とはっきり切って)大音量でシャウトする感じで、歓喜の歌の部分より印象に残るくらい(つまり曲中で最も)強調されている感じさえしました。全く聴いたことのない演奏です。「兄弟よ」という呼びかけですが、「Millionen!(諸人よ)」よりも身近な人への語りかけとして強調されているのでしょう。身近な感じのする演奏ということと通じているような気がします。
(7)Solo四重唱「Alle Menschen~」は普通と言えば普通ですが、何となくですが明るく、涼しい風が吹き抜けるような、フォークソングのような軽やかさを感じました。こってりした歌い方でないからかもしれません。
(8)Soloが終わり、最後の合唱、例えば「Welt der ganzen Welt der ganzen」の「 Welt」が極端に強調されるような、ほかの演奏で聴いたことのない非常に強いリズムの表拍裏拍のメリハリ(やはりシャウト的)があり、Maestoso(荘厳に)の「Elisium~」のあとすぐの「Freuden schoner~funken(oはウムラウト付き)」では、やけにアップテンポになったかと思うと、prestissimo~の最後の器楽演奏ではあまり煽らないテンポになり明瞭な終結となりました。でも、ちゃんと感動はありました。非常に新鮮でした。よく聴く演奏はここで煽りまくりますし、ピリオド系の演奏でも速かったような気がします。この最後のあたりは拍子が変わったりして、テンポの捉え方が難しそうに感じます。

(9)(歌を通した感想)スタッカート(音を短く切って)、大音量でシャウトするかの如く強調する第9の歌い方は、私は聴いたことがなかったと思います。アンチ・カラヤン的とも言えるかもしれません。
以上

番組後半はベートーベンの声楽曲
望月さん、奥田さんの解説によるとドイツ人の気質として
ドイツ人は同じことを何回も繰り返し言う
「私はあなたを愛していますが、あなたは同じように私を愛していますか」と言う
ということでした。
奥田さん
ニ長調はヴァイオリンがよく鳴る調性でもあり(たぶん開放弦の音ですから)、宗教曲でニ長調がよく使われる(ミサ・ソレムニス)とのこと。
(番組前半の宮川彬良さんも第9の第4楽章に使われているニ長調は特別で金色に輝いて見え、ホ長調は緑、ヘ長調は水色で...と言っていました)
私も共感覚の色聴(音を聴いて色が見える感覚がある)は少しあります。ニ長調は華やかな赤~橙色、ホ長調は水色~緑、ヘ長調は緑、ト長調は茶色、イ長調は紫... 宮川さんとちょっと似ています。

 今回の番組ではなく、何の番組だったか、テレビでしたが、どなたかがベートーベンの「休符についたフェルマータ」のことを身振りを交えて話題にしていました。休符という「間」の表情のことです。第9の第4楽章にも何箇所かあります。

 子供の頃、FMラジオで第9の演奏をカセットテープに録音しては、擦り切れるほど聴きました。大学で男声合唱団に入りましたが第9を歌う機会はありませんでした。一般合唱団で、何とシノポリの指揮によるマーラーの第8番(千人の交響曲)演奏に参加するチャンスがあったのですが、学生合唱団が忙しくなり練習途上で離脱してステージには乗れませんでした。当時はシノポリのことも知りませんでしたが、20年ほど前に亡くなられたので非常に貴重な機会でもありました(なんともったいないことであったか)。
 2年くらい前に近隣の市の第9演奏のための合唱団員募集のチラシを見ましたが、参加の前提としてチケット購入代を含む4、5万円くらいの費用負担が必要とありました。一般に、第9のための合唱団でなくても、定期演奏会などを開催する合唱団なら月何千円かの団費は必要です。今の私には無理です。大学の合唱団で定期演奏会をやるのにホールを借りたり運営のため1人何万円か出し合いましたので事情は理解します。超一流の演奏者でもない限り、ホールで歌声を披露する機会は相応の対価を払わなければ得られません。
 前にも書きましたが、第9の歌詞中の「伴侶も友も得られなかった者は泣きながらこの輪から立ち去れ」がいつも胸に突き刺さります。私は泣きながら立ち去らなくてはいけないのだろうかと。
 役人を辞めて15年、再起できず転げ落ちたままであることに加え、境遇が変わると「住んでいる世界が違う」になってしまい、どうも向こうの世界からは「見えない」ものがあるようで話が噛み合わず、昔は友人と思っていた人達との交流がもう何年も前に途絶えました。役人を途中で辞めて見ることができなかったもの、役人を辞めたから見えたものがあります。人生は選択です。
 ベートーベンさん、せめて音楽は聴かせてください!

【らららクラシック/オールドラングザイン】
 NHKFMを聴いていたら、Eテレ「らららクラシック」を半分以上見逃しました。今回は、「オールドラングザイン」。私の中ではロバート・ショウ合唱団の編曲演奏が定番です。番組内容によるとベートーベン編曲版があるということでした。誕生秘話もベートーベン編曲版も見逃しました。スコットランド方言による無伴奏独唱は大変味わいがあり良かったです。「Beethoven auld lang syne」で検索すればYouTubeで演奏例の音源が見つかり(日本語では出ませんでした。クラシック系ではよくあることです)、ベートーベン編曲版を聴くことができました。私はスコットランド方言による無伴奏独唱が良かったです。

 YouTubeによらずとも、なんと翌朝のNHKFMで聴くことができました。縁があるというのでしょうか。

『ビバ!合唱』12月19日土曜NHKFM 午前6時00分~ 午前6時55分 ▽ベートーベンの知られざるカンタータ「栄光の瞬間」を聴く
大谷研二
時間が残ったためおまけの曲として、
「「12のスコットランド民謡」から「過ぎ去りしなつかしき日々」」
スコットランド民謡:作曲
ベートーベン:編曲
(ソプラノ)フェリシティ・ロット、(テノール)ジョン・マーク・エインズリー、(バリトン)トマス・アレン、(バイオリン)エリザベス・レイトン、(チェロ)アーシュラ・スミス、(ピアノ)マルコム・マルティノー
(2分06秒)
<講談社 KCB67/8>

 今は小中学校の卒業式で「蛍の光」は歌わないのかもしれません。「オールドラングザイン」の歌詞は、古い友人と会い、親愛の情をもって一杯「a cup o' kindness 」をくみ交わし飲み干すという泣ける内容です。奇しくも第9の話の最後とつながってしまいました。

 とりとめのない話をお読みくださりありがとうございました。