人間は、生まれてきていないし、死んでいかない。




 

「あるとき生まれてきて、あるとき死んでいく」と、「切り取って見る」ことができるだけ。



 

 

母親の子宮の中で、母の卵子と父の精子が結合し、細胞分裂をくり返し、10ヶ月後誕生する。





誕生した瞬間を、「生まれてきた」と説明するのなら、子宮内の命は何なのか?




 

人間が勝手にこの瞬間(子宮から誕生した瞬間)にフォーカスして「生まれてきた」といっているだけなのに、誰も疑問に思わない。




 

「あるとき生まれてきて、あるとき死んでいく」と、切り取って見ているだけ。



 

どこからどこまでが自分なのか?




 

「ここからここまでが自分」という認識は、意識による単なる、意識が勝手に切り取った認識にすぎない。




 

全人類的にこの虚偽を盲信している段階のため、疑いにくく、たとえ疑いや目覚めが起きても、このコミュニティで生き延びるために、遅れた人たちの同調圧力を避けるために、真実の目覚めを隠す必要さえ起きる時代なのだ。




 

この世界に、「そもそも分離できる」ものなどないのだ。




 

意識が勝手に、バラバラなものと錯覚して遊んでいるのだ。




 

「あるとき生まれてきて、あるとき死んでいく」




 

意識が勝手に自分を永遠なるものから「取り出し」「分離させ」それと「完全一体化」する。




 

意識がそれを自分のすべてと錯覚しているから、死が大問題になる。




 

現代人は、こうやって自分で問題をつくって(実際には問題ではなく、そう騒いでいるだけ)、遊んでいる段階。









僕はずっと、すごい人にならなければいけなかった。





これは、親との関係でできていたことだった。





いつも支配されてきたからだ。





誕生した瞬間からずっと、母から(家族=自分の生きる環境から)「いうことを聞かなければ見捨てる=殺すぞ」というメッセージを受け取り続けたからだ。




つねにこれに支配されてきたため、生き延びるために、すごい人になる必要ができていたんだ。





そうしたら、愛してもらえる=生きていいと認めてもらえる、からだ。





すべてが解決したあとで、ようやく「ありのままで生きていい」と認められるようになった。





なんてことだろうか。





世界は、もとから僕を無条件で愛してくれていたのだ!






世界は、最初から、こんなにも美しく、慈愛に満ちた場所だったのだ!






生まれた瞬間から、目覚めまでの期間、まったく逆のウソの世界を見ていたのだ!





目覚めるまで、それが真実の世界だと錯覚されるのだ。





なんて、ユーモアなんだろう?! 笑笑。。。








現代の人類は、ほぼ全員がウソを盲信している段階なのだ。




ウソの盲信中にはどんなことが起こると思う?




ウソの盲信中なのだから、それを真実と盲信しているわけだ。





それを盲信している最中だから、それを他者にも強要するのだ。





ウソから目覚めたら、自分の信じることを、他者に強要する必要はなくなる。





ウソから目覚めると、それは盲信ではなく、盲信から目覚めて見つけた答えであり、この人はこの経験から、ウソからの目覚めは「自分の信じている(盲目的に真実だと信じている)ウソを「自分で見抜くこと」だとわかっているため、この後この人はそれを他者に強要することはなくなり(これが混乱の原因だとわかっているため)、必要に応じて他者がそのウソを疑えるよう示唆するようになるからだ。





人類が全員ウソを盲信していることを見抜こう!





現代人など、21世紀とはいえ、こんなにも幼稚で遅れた進化段階であることをキミは見抜けるか?





 

 

誰もが無自覚に、誤った幸福を求めて生きている。




誤った幸福を求め、そこに幸福がないため、疲弊する。




 

根本に無自覚の欠乏感があるのだが、これに気づかず、これに振り回されているのだ。




欠乏感がある。




この解決が幸福をもたらす。

 



だが、多くの場合、欠乏感の解決ではなく、その穴を代用品で埋め合わせようとする。




 

何かを手に入れたり、何かを達成しても、それは代用品にすぎないため、それで幸福は得られないのだ。



 

モノ、金、富、成功、名声・・・。




成功しているように見える芸能人が自殺を選ぶのは、どれだけ代用品を得ても根本の欠乏感が解決しないことに絶望してだ。




その方向では解決しない。




真の方向に目を向ければ、自殺は減るのだ。




 

幸福とは何か?




幸福はどこにあるか?




幸福になるには、どうすればいいか?




これらを考えたことがあるだろうか?




 

多くの人は、考えることなく無意識に代用品を追いかける。




 

そうして、堂々巡りを続けるのだ。




自分は欠乏感から行動していないかを問うのだ。




たとえ欠乏感を埋め合わせたとしても、解決しない。




欠乏感、それ自体の解決法を考えるのだ。





欠乏感の解決が、幸福の鍵だ。





「代用品で解決しようとする誤った幸福を盲信する時代を終わらせる」のは、これを知っている僕たちだ!









どうして、死は悪いものだというウソの中にいたのだろう?



人類全体が、死を悪いものと錯覚している。



生まれた瞬間から、死を悪いものと無自覚に盲信した両親に育てられ、その誤った考え方を取り込み、自分も同じように盲信する。



社会がそう盲信しているため、疑いさえ持てなくなる。




右も左も、社会全体から、「死を避けよ!」というメッセージがあふれ返っている世界。




その世界に生まれ、何十年もそのメッセージを自分に取り込み、盲信するようになっているのだ。




死を恐れるものは、この虚偽から目覚めるものを、破壊しようとさえする。




無自覚の同調圧力によって。





現代人の多くに、自分の盲信する虚偽を守るために、他者を破壊する必要が起こっている。




DV、パワハラ、あおり運転、ジョーカーどもの愚かさがこれを証明している。




疑い、目覚めるのは自分だ。




自分にしかできない!





目覚めに対する恐れから、他者を破壊しようとするのではなく、自分の誤りに目を向けるものが、この目覚めの扉を開く。