ナチ出現前夜

「トゥーレ協会」の影

・1919年1月5日、ミュンヒェンの酒場「フェルステンフェルダー・ホーフ」において、反ユダヤ主義者の鉄道金具工、アントン・ドレクスラーを中心にして、「ドイツ労働者党」という政治結社が設立された。参加者はドレクスラーの同僚たち僅か25名、この時点でのドイツ労働者党は、第1次世界大戦後の混乱のなかでドイツ各地に設立された有象無象の泡沫的右翼組織のひとつにすぎなかった。しかし、ひとりの人物の存在が、この党の――そして、この党を通してドイツの――命運を大きく変化させた。同年9月12日、国防軍に在籍していたアドルフ・ヒトラーは、上司の命令で、ドイツ労働者党の動向を探るべく、その集会に出席、さらに16日の集会にも出掛けていった。「ひどい、ひどい。これはたしかに最もひどいインチキな団体マニアだ。とにもかくにもこんなクラブに加入しなければならないのか」というのがヒトラーの印象だったが、それにもかかわらず彼は、ドレクスラーの勧誘に応えて55番目の党員として加入することとなる。

 

「20世紀の神話」

弾圧されるオカルティズム

・リスト及びランツを鼻祖とするフェルキッシュなオカルティズムないしはオカルティズムに傾斜したフェルキッシュ思想は、私たちが追跡してきたように、20世紀初頭のウィーンに胚胎し、以降、決して雲散霧消することなく、新たな信奉者を獲得、補充しつつ、第3帝国の成立前後まで、オーストリア、ドイツにおいて一定の影響力を保持していた。しかし、ゲルマン教団=トゥーレ協会のような例外を除けば、その思想が現実の政治運動と明瞭な関係を結んだことはほとんどなく、基本的にはあくまでも限られた数の人々の夢想にとどまった点は繰り返し強調されねばならない。国民社会主義体制がフェルキッシュなオカルティズムを公認していたというような主張は、幻想の領域に属すべきものである。

 

・とりわけナチ・ドイツのようなファシズム国家にあっては、オカルティズムは厳しく弾圧される運命にあった。

 

・1910年にリガ工科大学に入学して建築学を学ぶが、15年、ドイツ軍のバルト地方に向かっての進攻のため、大学はモスクワに移転、ローゼンベルクもそれに伴いモスクワに移った。1917年の2月革命を彼は身をもって体験するが、同年の夏に奇妙な出来事が起こった。彼が部屋で本を読んでいると、「見知らぬ人物が入ってきて、机の上に1冊の本を置くと、音もなく消えた」。こうして置き去りにされた書物とは、ロシアの神秘主義者セルゲイ・ニルスの『卑小なもののなかの大いなるもの』――そう、そこには付録として、あの悪名高い反ユダヤ主義文書『シオン長老の議定書』が収録されていたのである。かくて、この書との奇怪な遭遇を通して、ローゼンベルクはユダヤ=フリーメーソン=コミュニスト世界支配陰謀説の世界にのめりこんでいった。

 

ローゼンベルクと「北方」のアトランティス

・このあたりで、ローゼンベルクの主著『20世紀の神話』の解剖に取りかかることにしたい。この書物は、徹頭徹尾、人種理論で貫かれている。

 

・『20世紀の神話』において、アーリア人種が世界史の舞台でこれまで如何に大きな役割を果たしてきたかを、彼らが常に支配人種であったことを、ローゼンベルクは力説する。そして、金髪白皙碧眼のアーリア=ゲルマン人種とその北方的文化の絶対的優位性を証明するために、彼が導入したのは、アトランティス北方説及びアトランティス本地説に他ならない。

 

・ローゼンベルクによれば、これらアトランティス=アーリア人たちは、「白鳥の船及び龍頭の船に乗って」、地中海からアフリカへと渡り、また陸路を通って中央アジアを経て中国へ、また南北アメリカへと大移動を行った。

 

・もうこれで十分であろう。ローゼンベルクの所説は、「北極、つまり、アルクトゲーアから、アーリア人たちは放射状に広がって、古代世界を進んでいき[中略]世界の全民族にアルマニスムスをもたらした」と述べ、ルーン文字が世界の諸文字の起源であることを主張したリストのそれと全く同一であると言ってよい。

 

・『ウラ=リンダ年代記』をめぐる挿話は、私たちにとってふたつの点で興味深い。第一に、現実を拒否して幻想の体系を構築する際に、その幻想体系を支えるため、逆に「現実」の書物を捏造しようとする人間精神の奇怪さを示す一典型として。

 

・第二に、本邦のいわゆる偽史との対照において、たとえば、竹内巨麿の主宰する皇祖皇太神宮(天津教)から出現した通称「竹内文献」は、超古代の歴史を記述し、天皇に率いられた大和民族が古代の全世界を征服し、すべての文明の基礎を築いたとしていたため、一部の狂信的な皇国思想家によって歓声をもって迎え入れられた。その限りでは、『ウラ=リンダ年代記』と「竹内文献」は極めてパラレルな関係にあったといえよう。自民族至上主義の妄想に取り憑かれた人々は、ドイツにあっても日本にあっても、その根拠を偽史に求めようとした。そして、実際、藤沢親雄のようなナチの賛美者、紹介者でもある体制側知識人も「竹内文献」への傾斜を示したのであり、そこまではドイツと日本は全く同じ軌跡を描いている。

 

人種論と性的妄想>

・ヘルマン・ヴィルトやエドガール・ダケのような人物に依拠し、アーリア=ゲルマン人種の北方アトランティス起源説を導入したことによって、ローゼンベルクは疑いなくチェンバレンなどの「正統的」アーリア人種優位説の枠を大きく超えている。彼の背後には紛れもなくオカルティズムの一角で育まれてきた奇怪な人種理論の影がちらついているといえよう。しかし、オカルティストたちとの精神的類似性が露わになるのは、むしろ古代エトルリア人に対するローゼンベルクの偏執狂的な攻撃においてであろう

 

ローゼンベルクによれば、古代エトルリア文化は忌わしい魔術と甚だしい性的放縦に彩られていた。彼にとっては、そもそもアーリア=ゲルマン的北方文化と魔術が断じて相容れないものであったことをまず理解しなければならないだろう。たとえば、彼は「北方人種の魔法一切に対する率直な拒否」について語り、それと対比されるのが、非北方人種の魔術、妖術、鬼神への耽溺、すなわち、「前部亜細亜的、亜弗利加的幽界」である。太陽の神アポロンは、彼の言葉に従えば、「非北方的魔術傾向の絶滅者」なのだ。さて、ローゼンベルクはローマ教会を激しく非難するのだが、その論拠となったのは、教会にはエトルリア的要素が夥しく流入しており、法王はローマ人とエトルリア人口の混血であるというものであった。

  

・古代エトルリア文字の「解釈」を通じて、晩年のグリューンヴェーデルは、エトルリア人たちが如何に性的、宗教的に堕落していた人種であったかを、『トスカナ』や『アヴェスタの悪魔』といった著書において力説した。グリューンヴェーデルによれば、たとえば、山羊の頭を持った悪魔の起源はエトルリアにあり、エトルリア人は邪悪に満ちた魔術、妖術、占術、ゾドミー、自涜、公衆の面前での性交、少年殺し、スカトロジーに耽溺したのだという。ちなみに、彼の著作の書誌は、アーネンエルベによって後に作成されることになる。この学者の説に全面的に依拠したローゼンベルクのエトルリア人および「古代エトルリア的、前部亜細亜的異端外道」への弾劾は熾烈を極め、オブセッションの域にまで達している。

 

・ここでもういちど復誦しておけば、『神聖動物学』において基礎が構築されたランツのアリオゾフィの基本的テーゼは以下の如くになろう。古代このかた世界には好色放蕩の劣等人種、すなわち獣人が存在しており、逸脱した放縦な性の快楽、ゾドミーという罠によって、彼らはゲルマン民族に代表される神人を退化させつつある。そして、かつては高等人種の育成機関であった教会も、「ソドムの猿」たち獣人が内部に入り込んだためにゲルマン民族=神人的要素を失ってしまった、と。既に誰の目にも明らかであろうが、ランツのいう獣人は、ローゼンベルクにあってはエトルリア人に置換されているにすぎない。「歪んだ」セックス、そして、それに彩られた黒魔術こそ劣等人種を特徴づけるものであり、彼らは高潔無比なアーリア=ゲルマン人種を汚さんものと常に虎視眈々と画策してきたのだ――基本的には、ランツもローゼンベルクも狂的なまでにこう主張して歇(や)まない。

 

<オカルト人種論とナチ人種論

・ランツの唱えた高等人種と猿人のゾドミー説、もしくは進化論の悪夢は、かくして、単なる狂信者の妄想の産物として片付けることのできない段階にまで突入したのである。よしんばそれが狂気であろうとも、それは現実への侵蝕を開始したのである。

 

・ナチにおいてその中核を成すイデオロギーである人種理論の宣布の役割を担ったのは、ヴァルター・グロース率いる人種政策庁で、この機関は人口・人種政策啓蒙局が1935年春に改組されて成立したものであった。

 

・ヘルマン・ラウシュニングによれば、ヒトラーは次のように語っていたという。

 

 人間の太陽期は終焉に向かいつつある。新しい種類の最初の偉大な人間群像の中に、今日でもすでに来るべきものが告知されている。古代北方民族の不滅の知恵によれば古きものが神々とともに没落することによって、世界は繰り返し若がえるはずであり、また、太陽の回帰点が、彼らにとって永遠の進歩という直線でなく、螺旋状の生のリズムの象徴とみなされているように、今や、人間は、みかけはあともどりしているが、これは、さらに一段高く登るためなのである

 

天地創造は終わっていない。少なくとも、人間という生物に関するかぎり終わっていない。[中略]新しい種類の人類はいまその輪郭を示し始めている。[中略]これまでの古い人類は、それによって、必然的に、生物学的に衰退の段階に入っている。古い人間は、衰退形態においてのみ、その生を生きながらえるのである。創造力は、すべて新しい種類の人間に集中することになろう。この二種類の人間は、急速に、相互に逆の方向へ発展している。一方は、人間の現界の下へ没落していき、他方は、今日の人間のはるか上まで上昇する。両者を神人および獣的大衆と呼ぶことにしたい。

 

・人間とは「生成途上の神である。人間は[中略]立ちどまり閉じこもれば、衰退して、人間の現界下に落ちてしまう、半獣となる。神々と獣達。世界の前途は今日、そのようなものとしてわれわれの行く手にあるのだ」と、ヒトラーは主張する。『我が闘争』のなかに唐突に出現する謎めいた一節、「ユダヤ人がマルクス主義的信条の助けをかりてこの世界の諸民族に勝つならば[中略]この遊星[地球]はふたたび何百万年前のように、住む人もなくエーテルの中を回転するだろう。永遠の自然はその命令の違反を仮借なく罰するであろう」という言葉は、この「天地創造」の過程が妨害された時についての黙示録的ヴィジョンと解釈することが可能かもしれない。

 ラウシュニングはこういったヒトラーの考えを「生物学的神秘主義、あるいは、神秘的生物学」と呼んでいるが、これが私たちがオカルト進化論と称してきたものとほとんど同一であるのは疑問の余地がない。ここで、ランツの言葉を引用してみよう。

 

 人種混合は進化において停滞や後退を意味し、一方、人種育成は真正の進歩である。世界の進化は未だ完結していない。無益なもの、有害なものを人間の身体から除去する人種育成は、我々を神により近付けるだろう。アサ人種(アーリア=ゲルマン高等人種)の育成を通して、道は幸せな天上のアスガルトへと通じるのだ

 

祖先の遺産

ヴィリグート、親衛隊のラスプーチン

・ヴィリグートは、その透視的記憶によって、超古代のゲルマン民族の歴史、文化、宗教、風俗、政治制度を詳細に「再現」することができた。さらに、彼の構築した「偽史」に従うならば、ゲルマン民族の歴史は紀元前22万8千年(!)にまで遡り、その頃には、天には3つの太陽が存在し、地には巨人や小人などが住んでいた。彼の祖先ヴィリゴティスはいわゆる賢人王で、アサ神族とヴァナ神族との結合から生まれ、紀元前7万8千年には地上に平和をもたらした高度な文明を樹立する紀元前1万2千5百年頃、クリストを崇めるいわゆるイルミン教がゲルマン民族の宗教となるが、後にヴォータン教の前に敗退することとなる。ただし、ヴィリゴティスの子孫たちがその後も、過酷な迫害にもかかわらず、イルミン教に忠実であったことは言うまでもない。ヴィリグートの主張するところでは、聖書はドイツで書かれたのであり、当然のことながら、キリスト教とは古代ゲルマン民族のクリスト信仰を搾取歪曲したもの、アーリア=ゲルマン起源に他ならないのである。以上から明らかなように、ヴィリグートの思想とはアルマニスムスとアリオゾフィの混合であり、教義面でいかに相違、矛盾が存在しようと、アーリア=ゲルマン人種の至高性、太古からの連綿たる伝統を主張するという点においては、基本的には同工異曲のものである。実際、彼は、ツェブルに対して、「真正」のアーリア=キリスト教の解明宣布に尽力するランツの仕事を歓迎する意を伝えたのであった。

 

・ラーンは1935年に民間人としてヴィリグートの統括する部門に参加、翌年に伍長としてSSに正式に加入、1939年にSSを辞して35歳の若さで死亡した。大学で文学と文献学を学んだ後、中世の異端カタリ派と聖杯伝説に興味を抱いた彼は、プロヴァンス、カタロニア、イタリア、スイスなどを長期に亙って旅行し、その成果を一種の旅行記の体裁をとった『聖杯に対する十字軍』として公刊した。この書や『ルシファーの廷臣たち』において、ラーンは、カタリ派に対する弾圧や聖杯伝説、そしてトルバドゥールの伝統などを混ぜ合わせて、中世カトリック教会の手によって、古代ゲルマン民族本来の宗教が抑圧、破壊されたのだと主張していた。たとえば、アーリア=ゲルマン人種にとってまさしく「光をもたらす者」であったルシファーは、悪魔の地位にまでおとしめられたのである。『聖杯に対する十字軍』に強い感銘を受けたヒムラーは、早速ラーンにSSへの協力を依頼、それがヴィリグートとの共同作業として実現したのである。1936年には、ラーンはSSの援助でアイスランドに研究のために遠征している。ヒムラーのラーンの著作に対する打ち込みようは、彼が『ルシファーの廷臣たち』を広範囲に配布し、さらに、1944年という時点においてすら『聖杯に対する十字軍』の再刊を企んでいた事実からも明らかだろう。

 

・ラーンは20世紀初頭に発生したリストやランツたちのフェルキッシュ・オカルティズムの系譜に直接連なる人物では決してない。しかし、ゲルマン民族には本来崇高な宗教が存在し、それが教会によって迫害、抑圧、破壊されたのだと唱えた点においては、リストのアルマニスムスやランツのアリオゾフィ(もしくはアーリア=キリスト教)と著しい一致を見せており、明らかに同一の時代精神に浸されている。そして、こういったゲルマン民族の至高性の強調というフェルキッシュ思想の裏面に、強烈な反キリスト教精神が貼りついていることは見逃せない。彼らはキリスト教を完全に拒絶するか、もしくは、現存するキリスト教は虚偽で歪曲されたものであると断言する。

 

「聖杯の城」ヴェーヴェルスブルク

・ヒムラーが親衛隊の組織を構築するにあたって参考にしたのは、彼の憧憬の対象であるドイツ騎士団のみならず、彼が蛇蝎の如く嫌い、そして同時に畏れてもいたジェスイット派及びフリーメーソンであった。

 

付録

J・ランツ=リーベンフェルス博士『神智学とアッシリアの獣人』(抄)

・H・P・ブラヴァツキーがその天才的な「人類発生史」を著したとき、彼女は自分の時代と人類学におよそ一世代ばかり先行していた。

 

・たとえば、人類発生に関する著名な『ヅヤーンの書』第29節にいわく、「骨格を備えた獣、奈落の龍、空を飛ぶサルパ【蛇】が、地を這うものに付け加わった。地を這うものは翼を得た。長い首を備えた水中に棲むものは空中の禽の祖先となった」。

 私の思うに、この韻文に対して、「たとえ、その術語が我々の教科書と一致していないにせよ、現代の古生物学者はなんら異議を唱えぬばかりか、むしろ、最近になって初めて我々が獲得した知識を古代人たちは如何にして手に入れたのかと驚いて自問するであろう。なぜなら、鳥がサウロプシダから進化したことを、科学は近代になって初めて確証したからである……

 

・かくて、こういった地域の周囲に、最も高貴な人種、つまり、アーリア人種が何故発達しえたかも、同様に明らかとなろう。これらの地塊の永続性が、一方では穏やかで緩やかな進化を可能にし、他方では、島嶼を成すこれらの地域に純粋交配と文化を恵んだのである。あらゆる神話において、光の善神と闇の悪神、たとえば、アサとヴァナが敵対しているように、神智学においてはアトランティス人とレムリア人が対立し、地質学は実際、南半球の動植物と北半球のそれとの闘争を記述している。

 

・古代及び原始において両性具有者が多数存在したという事実に我々はこだわるべきであり、そうすれば、現代の性病理学上の様々な現象は理解可能となる。

 

・伝説や昔話が小人、山の小人、一寸法師、家の精、山の精などについて語っている地域、地名が「シュラット」、「プッツ」、「フォール」、「ショイヒ」などの語から成り立っている地域においては、他の場所に較べて、より多くの劣等な人間のタイプが見出されることは注目に値する。

 

毛むくじゃらで、現在の類人猿にきわめて近似したウドゥミについて、『ヅヤーンの書』は以下のように述べている。

 

 彼らは人間のような姿をしていたが、下肢はほとんど毛で覆われていた。

 周知のように、エサウは聖書ではエドムとも呼ばれ、原人として記されているエドム人とホリテ人の祖先である。そのうえ、楔形文字碑文では、ウドゥムという語はエドムの地の名前として二度用いられている。我々はまた『聖書』からエサウ=エドムが毛深かったことを知っている。今や、[エドムの兄弟でユダヤ人の祖である]ヤコブの物語の意味は、我々には明らかであろう。なぜなら、エサウとその人種は獣的な人種として拒絶されたのであり、それゆえ、純血のヤコブが神との契約の相続者となったのである。同様にして、ヤコブのエドム人に対する憎悪も理解できよう……

 ウドゥム、つまり聖書にいうアダムは、聖書学上、キリスト教上の思弁においてもっとも重要な役割を果たしており、アダムはまさに聖書の神学の出発点にして終着点なのである。

 

・第三[根源人種]が分離し、獣人を産みだしたことによって罪に堕したとき、これら[動物]は狂暴になり、彼らと人間は互いにとって破壊的なものとなった。

 

これらの赤毛の、体毛に覆われた怪物、すなわち人間と動物の自然に反した結合の果実のなかには、「叡智の主たち」は受肉しなかった。自然に反した交配――自然に反した「性的選択」――に起因する長らく続いた変形を通して、時間の経過するうちに、最も低次な種類の人間が発生した。いっぽう、さらなる獣姦と、その獣的な生殖の努力の最初の結果が、後に哺乳動物の猿に進化する種を産み出した。

 

・いったい如何にしてオカルティズムは以下のことを主張できるのであろうか?すなわち、第四根源人種の一部の人類が、まったくの動物というわけではないにしても半人半獣である他の人種の雌と交わって子をもうけ、そして、この結合から生じた雑種が自由に繁殖したばかりでなく、今日の類人猿の祖先を造りだしたといううことを?

 

・ブラヴァツキーは彼女の時代においてかくのごとく問うことができた。しかしながら、ウドゥミ、バツィアティ、パグトゥの裡にレムリアの根源人種にそっくりの姿が認められ、さらに、拙著『神聖動物学』において、多くの箇所で、こういった人獣との混淆が繁殖力に富むものであることを私が証明した現在では、混血の可能性は、既にアッシリアの人間の外貌がそのことを明示しているがゆえに、いっそう否定しがたくなっている。なにしろ、アッシリアのバツィアティのような人間は今日においてもふんだんに存在し、彼らとの混淆は遺憾ながら既に証明されている通り繁殖力に富み絶え間ないものなのだから。

 

・……同様に、劣等人種が下方への進化の産物であることを現代科学は認めている! それは神的高みから堕落した聖書にいうルシファー、古高ドイツ語にいう「ニーダーリーゼ」ではなかろうか! なぜなら、我々ゲルマン人の祖先は最も過激な無神論者よりも迷蒙から免れていたのだから。彼らにとって、悪魔とは今日ひとを脅かすのに用いられる捉えどころのない幽霊のごとき怪物ではなかった。古高ドイツ語の呼び名から推測すると、彼らにとって悪魔とは堕落した人間だったのだ!

 

・我々の研究の結論を以下のようの要約できよう。すなわち、秘教文献から得た確証の結論として、ブラヴァツキーはこう述べている。

1、    人類は系統発生上の最初の存在である。

2、    人類は、その進化の過程において、多様な生殖能力を所有してきた。

3、    人類の進化の後で動物の進化が起こった――換言すれば、動物(哺乳類)は原哺乳類の退化したものである。

あとがき

本書の前提を成すのは、公認文化の背後に見え隠れする広義の意味でのオカルティズムの理解を欠いては、その文化の本質には到達できないという認識である

 

 


「宇宙連合の飛来」 

喜多要光  大陸書房  昭和50年/1975

 

 

 

<聖書の”御使い”は宇宙人>

イエス・キリストが誕生した時は宇宙人のブレインがキリストを補佐し援助し、その誕生を演出するためにも、巨大な宇宙船にてキリスト誕生の知らせをしている。「ベツレヘムの星」が、それである。 

 

・「太陽系には、12個の遊星があるがごとく、わが太陽系の周りにも12組の太陽系がある」このように宇宙人は言う。宇宙連合に加入して地球を救助するためにやって来ているのは、わが太陽系の12この星々のみではなく、いろいろの太陽系からやってきているのだ。たとえば、サガファリス太陽系、トレソトン太陽系、第22太陽系、サファニアン太陽系などである。コノサファニアン太陽系の人々を筆頭にして各々の太陽系の人達は多数の円盤と人員を投入しているのである。「サファニアン太陽系から200機、トレソトン太陽系から500機の円盤編隊が来ています。第二の月”フォウサー”の近くには1万4000機もいます」

こうして、宇宙の同胞は、この地球が一日も早く宇宙連合の仲間入りをするように働きかけてくださっているのである。

 

<地球文明と宇宙人>

シリウス星人の地球入学>

・地球独特の生物の進化がすすんでいる頃、神の子と呼ばれる霊魂の大群が地球に移住して来て、ある形の肉体に宿った物が人類である。人間が他の哺乳動物と根本的に違うのは、そのためである。類人達の一種が大気圏外からやって来た霊に利用されて、人間の原形となったことは、間違いない。

 

・人間はシリウス太陽系から集中された念波により、修養のため、苦しむ囚人として地球に送られて来た。人間の精神は神によって創られた聖なるものであるけれども、その肉体の重さという物理的な制約をうける。

 

・神の子達は、類人猿を妻としたのだ。そして、その子孫が洪水前の人類、すなわち先史原始人である。だからこそ、その肉体的な特徴は類人猿的、精神的な特徴はシリウス太陽系内の遊星から来た移住人達と同様なものとなったのだ。

 

・そして、シリウス星人は、思念を通じて物を創造する力を持っていたので、肉体を自分たちの思う通りに少しずつ変化させていき、長い年月の間に獣的な面が多くなって数々の怪物を作りだした。

 

ギリシア神話に出てくる蛇の髪を持つゴルゴン、半獣(ライオン)半鳥(ワシ)のグリフィン、半人半鳥のケンタウルス、蝶の羽根を持つ人間といってもほとんど獣と異なるところがなくなってしまった。この忌まわしいものを一掃するため、地球上に大変災を送る計画がたてられ、ついに大洪水が彼らに襲いかかり、純粋な肉体を持つものだけが、残されたのであった。

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

<プロのミディアム(霊媒)>

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

 

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

 

・私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

 

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

 

・イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

 

・プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

 

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

 

 <スピリチュアリスト教会> 死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

 

<英国スピリチュアリスト協会(SAGB)>

・SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

 

 <著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界>

 <カラフルなインディアンの訪問者>

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

 

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

 

<霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

 

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

 

 <あなたが人生を選ぶ>

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

 

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

 

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

 

 <霊界を思い出すことが重要>

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

 

 <前世は知らないほうがいい>

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

 

 <輪廻転生>

 <人生という舞台>

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

 

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

 

 <霊界で過ごす時間>

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

 

・ 私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

 

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

 

・ この世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による。