(2024/5/26)

 

 

『<怪異>とナショナリズム』

怪異怪談研究会 監修    青弓社   2021/11/29

 

 

 

出征する<異類>と<異端>のナショナリズム――「軍隊狸」を中心に 乾英治郎

・本章は、日清・日露戦争と日中・太平洋戦争に参戦したとされる妖怪変化に関する世間話や目撃談を考察の対象とする。特に、「軍隊狸」のイメージ形成についての検討を通じ、戦時下のナショナリズムの高揚が、世間話や怪談に与えた影響について論じる。

 

・本文中、戦時下の<神>の動向についても触れることになる。そのため、本章では聖俗あわせた<超自然的なるもの>を包括する概念として、便宜上<異類>という言葉を用いることにする。

 

「軍隊狸」と<不気味なもの>

・日本でも、「祖国の出征軍に一臂(いっぴ)の労を貸し」た神霊の類は少なくない。

 

しかし、戦場での活躍が最も知られた<異類>といえば、「軍隊狸」だろう。富田狸通『たぬきざんまい』の「狸と戦争」という章に、次のような記述がある。

 

近く明治27、8年の日清戦争と同37年の日露戦争には全国各地の有名たぬき族が海を渡って大陸に馳せ参じ仮装部隊となったり、或いは弾薬、糧秣の運搬を手伝って日本軍を援けた話が残っていてその中に伊予の狸族も壬生川町の喜の宮宮社の喜左衛門狸をはじめ眷属が讃岐、阿波の狸族と連合して華々しい戦火を挙げたことになっている。

 

日清・日露戦争に出征したとされる狸は、以下のような顔ぶれである。

(徳島県)

①  板野郡藍住町観音院の狸

日清・日露両戦争に出征し、帰国後に戦争の様子を住職に語った。

 

(香川県)

②  高松市浄願寺の「禿狸」(白禿大明神)

・「千年以上の齢を経た古狸」「讃岐では知らない者がない位い有名で、日露戦争のときなども禿狸が戦争に出かけたなどと噂された程である

・幻術で日本軍を多く見せるなどして露軍を翻弄した。

・兵隊に化けて山を作り、ロシア兵が登ってきたら山をひっくり返した。凱旋式には狸たちも提灯行列に参加した。

・高松地方では郷土民芸玩具「軍装狸」(二等兵の軍装をした張子狸)が、1960年代の時点でもおみやげ品として売られていた。

 

③  高松市覚善寺の「久五郎狸」

「禿狸」とともに日露戦争に赤たすきで参戦したが、戦死した。

 

④  高松市屋島寺の「屋島の太三郎」(蓑山大明神)

淡路の芝右衛門、佐渡の団三郎に並ぶ三大狸の一匹。眷属を率いて日清・日露戦争に参戦し、体毛(あるいは小豆)から兵隊を作り出した。

 

⑤  三豊郡箱浦の「金八狸」

日清戦争で活躍した。いまもその子孫が六ヶ峰に住んでいる。

 

(愛媛県)

⑥  四条市大気味神社の「喜左衛門狸」(喜野明神)

眷属を率いて日露戦争に参加。小豆に化けて大陸を渡り、〇に喜の字の印がついた赤い服を着て戦った。「赤い服を着た兵隊」の話は、敵の将軍アレクセイ・クロパトキンの手記にも書いてあるという。

 

⑦  今治市波止波町の「梅の木狸」(梅の木檀十郎)

眷属を率いて日清・日露戦争に参加。日露戦争では赤い軍服の兵士姿になった。射撃の腕は百発百中で、軍功により梅の木檀十郎の名をたまわる。太平洋戦争中、「梅の木さん」が出征しなかったので、今度の戦争には敗れるかもしれないという噂があった。

 

⑧  松山市高井町八幡神社の「おさん狸」(三光姫狸)

雌の白狸。日清・日露・欧州大戦に兵隊の姿で参加。高井町出身の兵士に戦死者が少なかったのは、「おさん狸」の加護という。

 

『たぬきざんまい』には「全国各地の有名たぬき族」が日清・日露戦争に終結したとあるが、伝承としては、化け狸の本場ともいうべき四国地方に限定されている。

 

・ただし、日露戦時中の「軍隊狸」について書かれた文献資料は、湯本豪一『明治期怪異妖怪記事資料集成』(2009年)などからは確認できない。

 

・日露戦争終結の約2年後にあたる1907年に出版された教員用指導書『国定準拠 複式修身教授日案 乙篇 1、2学年用』には「第八 迷信を避けよ」という章が置かれ、「化物などがあると思うな」「幽霊があると思うな」という立場から児童を指導する方法が書いてある。ここでは、狐や狸が人を化かすという話を、幽霊や天狗の存在とともに否定している

 

・<化け狸>たちは、「国家」が提示する「規範的秩序」からは「迷信」として排除されているにもかかわらず、四国の「土地」に不可視の文化圏をもち、対外戦争という国家行為に参加することで自分たちも「国家」の一員であると主張する。まさに「<うち>なる他者」なのである。

 日清・日露戦争に参戦したとされる狸の多くは、四国地方の寺社とのつながりが強く、地元では神仏の眷属神「神使」として信仰の対象になっている。日清戦争以降、対外的な事変や戦争があるごとに、地方神や神使(狐狸や鳥類)の出征が日本各地で噂になるが、「軍隊狸」もそうした「神々の出征」譚に含めることが可能だろう。「神々の出征」については、「ムラ社会の郷党意識が天皇を頂点とする神国へすり寄る」ことで成立する「郷党ナショナリズムと神国ナショナリズムの結合」といった見方がある。

 

・「故郷の獣」が「国家」を救う「軍隊狸」の話からは、<異類>=「普通の道理以外の者」の力を借りて「国家」と「郷土」とのパワーバランスを取ろうとする、民衆の不敵で不気味な「ナショナリズム」のあり方を認めることができるのである。

 

赤い<狸>と白い<神>

・松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』によれば、ロシア満州軍総司令クロパトキンの手記に「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現われて、この兵隊はいくら射撃してもいっこう平気で進んで来るこの兵隊を撃つと目がくらむ」と書かれているとのことである。また、狸が化けた「赤い軍服をつけた一隊」は、「露軍が赤い軍服を射っても当たらず、赤い軍服が射った弾丸は百発百中」だったという。

 

これらとよく似た話が、柳田國男「遠野物語拾遺」のなかにみえる。「戦場の幻」という小題が付された、次のようなエピソードである

 

・(153)日露戦争の当時は、満州の戦場では不思議なことばかりがあった。露西亜の俘虜に、日本兵のうち黒服を着ている者は射れば倒れたが、白服の兵隊はいくら射っても倒れなかったということを言っていたそうであるが、当時白服を着た日本兵はおらぬ筈であると、土淵村の似田貝福松という人は語っていた。

 

・満州の戦場に出現した敵軍の銃弾をものともしない異装の日本兵というイメージは「軍隊狸」と共通するが、正体が狸であるとは明示されていない。本章では便宜上、この種の戦場の<異類>を<幻の軍勢>と呼ぶことにする。

 西国(四国地方)の「狸」が戦場で赤い衣類を身に着けているのに対し、東国(岩手県)に伝わるのは「白服の兵隊」である。赤白いずれも、日本では神事と関わる神聖な色である。しかし「白」の場合は、より直接的に<神>のイメージが投影されていたのではないかと考えられる。

 

・柳田に「遠野物語拾遺」の材源を提供したのは、『遠野物語』同様、佐々木喜善である。「遠野物語拾遺」編纂中の1933年に他界するが、最晩年に「御神立の話」という文章を発表している。「この度の満州事変に際して、岩手県下に起こった一の社会現象があります。それは去年の春から今春にかけて、村の神々、家々の氏神達が、戦地へ出征している日本軍を守護するために満州へ御神立するという奇妙な噂が、飛んでもない勢いで県下の村々を風靡したということであります」という書き出しで、「神の出征」の事例を報告した後に、次のように述べている。

 

 こうして多くの神々が、戦地へ神立なされて、しからば戦地に行かれてから、どんなことをなされたか、又なされつつあられるか、それは戦地においての軍人のみ感ずる多くの奇瑞に徹して分ると言われております。例えば日露戦争の場合などには、敵軍の報告によると、どうも日本軍の前には、いくら討っても倒れない無数の兵隊が居て、それらが邪魔になってどうもよく標準がつかなかったとか。

 

右の文章には<幻の軍勢>が「白い服」だったという記述はないものの、「村の神々、家々の氏神達」と同一視されている。満州事変を契機に、「神の出征」の噂が東北地方で流行したことは、金田一京助「鹿鳴だち」、高根一郎「郷土雑爼 神々の出征」にも報告がある。佐々木が「社会的ヒステリエーツア・フェノメーナ」と呼ぶ「御神立」現象がこの時期に局所的に発生した原因については、満州に派遣された旅団が東北出身の兵士によって構成されていたことが背景にあると、丸山泰明は指摘している。

 

一方、「赤」と「白」の兵隊が一度に出現したという報告もある。1921年に刊行された『霊界消息――神秘の扉』所収の「白い服紅い服の兵隊さん」という記事である。

 

 日本の兵隊は劫々強いが、その中で白い服や赤い服の兵隊は殊の外強い。この兵隊に出られてはとても勝つことは出来ない。鉄砲を打ってもたおれず、剣を突いても死なぬ兵隊達です。この兵隊が一番恐ろしいものでした。一体如何なる兵隊か、ちょっと見せて戴きたい――という奇聞は日露戦争の当時露西亜の俘虜から度々発せられた言葉でした。ところが御存知の通り日本の兵隊は皆カーキー色の軍服をつけています。白い服や赤い服の兵隊がいるはずがない。そこでこの奇聞は日本の軍人仲間に取っては、一種の解けぬ謎として残されているのであります

 

・1920年代初頭に、日露戦争にまつわる「奇聞」が「軍人仲間」の間では流通していたことと、不死身で異装の日本兵というイメージがこの時点で確立していたことが、この記事からわかる。

 『霊界消息』は、大本教の機関紙「大正日日新聞」に連載された記事をまとめたもので、超常現象や奇跡を大本霊学に沿って解釈したものである。同書が説くところによれば、「兵隊さん」の正体は「神様の親兵です。その神様の親兵の多くは例の天狗さんです」、「そしてそういう天狗さんには、矢張り国家社会のために努力した人々の霊魂が化すっているのであります」とのことである。「護国の鬼」あるいは「祖霊神」に近いイメージだろうか。

 

日本軍を援護した「天狗さん」もまた、「天祐」「神の手伝」の一様態というわけである。過去の戦勝体験を参照しながら「神国ナショナリズム」を教化/強化する言説は、限りなく体制翼賛的にみえる。しかし、講演者である夏山が所属する大本教は、神道系新宗教でありながら天皇(天照大神)を最上位に置かない、国家神道からすれば<異端>の存在だった。

 

・「白い服紅い服の兵隊さん」は、「体制」に回収しきることのできない<異端のナショナリズム>に支えられた物語なのである。

 

・また、日本兵が<異類>たちの活躍を直接目撃するのではなく、ロシア兵の証言を通じて間接的にそれを知る、という話型が共通することも注目に値する。

 

・ここで引き合いに出されるのが、「敵の将軍クロパトキンの手記」である。佐々木喜善が「敵軍の報告」について言及している。「俗間に伝われる説」とも述べているので、戦場の「奇聞」の根拠になる何らかの文書がロシア側にあるという噂は、1930年代初頭の時点で、人口に膾炙していたようだ。クロパトキンに日記を書く習慣があったのは事実である。しかし、今回の調査では残念ながら「赤い服を着た兵隊」に関する記述の真偽を明らかにできなかった。

 

・戦場に出現した<異類>がロシア兵を震撼させた、という流言が一定の説得力をもったのは、戦闘を通じて敵兵の<迷信深さ>を日本人が知ったせいかもしれない。

 

・ロシア兵が一方的に<異類>を目撃し、日本人側がその目撃談を半信半疑で聞くといった物語構造は、<超自然的なるもの>の加護を享受しながらも、神秘体験から一定の距離を取ることで<文明人>たる資格も失わないという、絶妙な均衡のうえに成立している。このように、<不死身の日本兵>にまつわる奇聞からは、「軍隊狸」のどこかほほ笑ましいイメージも含め、戦勝国の余裕と、敗戦国に対する優越感が感じられるのである

 

日中戦争の開戦と同時に、「氏神」が「氏子」に随行して出征するといった話が日本各地で流行する。国家総動員法が施行され、戦地に召集される国民が増加するのに伴い、出征兵士の無事が民衆にとっての切迫した願望になった。結果、兵士個々人の延命救助が神仏に求められるようになる

 

不死身の<狸>と血を流す<神>

太平洋戦争期(1941―45年)になると、「軍隊狸」に代わって、九尾狐・河童・大男・「軍隊猫」などが出征したといった話が散見される。例えば、『太平洋戦争ミステリー――封印され闇に葬られた地獄の戦場の謎を暴く 最前線に咲いた93の奇談』所収の「特攻隊を守った天狗」は、天狗の大群が敵艦の集中砲火を引き付けてくれたおかげで基地に生還できたという元零戦パイロットの体験談である。この記事は、「太平洋戦争中よく怪我をした妖怪が目撃された」という印象深い一文から始まる。戦争体験者のなかに、妖怪が敵の弾から自分たちを守ってくれたと証言する者が数多くいるのだという。しかし、太平洋戦争に出征し、人間をかばって負傷したのは妖怪だけではない。<神>もまた血を流す

 太平洋戦争期には、官憲が各地で流言飛語を収集・分類していて、それらは「官憲司令部資料」「東京憲兵隊資料」としてまとめられている。そのなかには、戦勝と結び付けて語られた瑞祥譚や奇跡譚も数多く含まれるが、流布していたのは必ずしも瑞祥の噂ばかりではない。

 

この記録は、戦死した兵士の霊が遺族の前に出現し、目の前で姿を消すといった類いの、戦争にまつわる怪異譚の最も代表的な話型に近いように思われる。また、運転手が乗せた客から遠い目的地を指定される、目的地に着くと客の姿が消えている、座席に液体状の痕跡が残される……という構造において、戦後の「タクシー幽霊」の話によく似ていることも注目に値する。「神の出征」譚から瑞祥が失われたとき、話は血なまぐささを帯び、美談は一気に怪談に接近するのである。

 傷つき、血を流す身体性をもった「神様」――これは、日露戦争に従軍した「軍隊狸」が、「久五郎狸」の戦死を例外として、ロシア兵による攻撃を受けても無傷であったこととの対照性を示していて興味深い。

 

・日露戦争と日中・太平洋戦争での身体のあり方について、軍歌の考察を通じての興味深い指摘がある。細川周平によれば、日本で軍歌は生ける英雄に捧げるものではなく、「死せる英雄を讃える表現形式と暗に定められて」いて、「鎮魂と表裏一体」だったという。

 

・日露戦争期には<神>の軍勢として語られていた<幻の軍勢>も、太平洋戦争期に似た話を求めると、必然的に<幽霊部隊>に行き着いてしまう。黒沼健の実話怪談記「戦場の怪異」には、「B29爆撃部隊が東京方面を空襲して帰投する際、彼らが駿河湾の上空のへんまでくると、必ず一団の火の玉が彼らの後を追ってくる」という話がみえる。連合軍側の兵士たちは火の玉の正体を「連合軍にやっつけられた敵の飛行隊の亡霊」と考え、恐れたということである。

 

・「高田歩兵第58連隊史」所収の「まぼろしの突撃隊」は、インパール作戦にまつわる怪談である。

 

・太平洋戦争末期の悲惨な現実から生まれた、例えば「まぼろしの突撃隊」のようなエピソードに、「軍隊狸」の話がもっていた牧歌性が入り込む余地はもはや失われているのである。

 

おわりに――<異類>たちの戦争は終わらない

・1945年8月14日、「大日本帝国」は全面降伏を求める連合国側のポツダム宣言を受諾し、15日正午には、天皇がラジオを通じて日本の敗北宣言と戦争行為の停止を国民に訴える「玉音放送」を発表することで、戦争は終わった。

 

敗戦直後の<異類>のなかには、GHQにゲリラ戦を挑んだモノたちもいたようだ。有名なところでは、東京大手町にある平将門の首塚、羽田空港の敷地内に穴守稲荷大鳥居がある。いずれもGHQが撤去しようとしたが事故が相次いだため、工事を取りやめたという話が伝わっている。また、アメリカ軍政府統治下の奄美諸島では、ダグラス・マッカーサーに祟ったケンモンという<異類>の話がある。

 1947年3月、地元の日本人が軍政府の命令でガジュマルの木々を切り払ったところ、木に住むケンモンが軍政官マッカーサーについてアメリカに渡り、その死を見届けてから島に帰ってきた。島では「マッカーサーはケンモンの祟りで死んだかもしれない」と笑い合ったという。

 以上のようなエピソードは、戦勝国であるアメリカにも支配できない領域が日本にあることを示している。こうした話に触れて、留飲を下げた日本人も相当数いたのではないかと思われる。

 

 


『神仙道の本』

(秘教玄学と幽冥界への参入)(学研)2007/3

 

 

 

<山人界(天狗界)>

<多種多様な天狗らの仕事と生活の実際>

<高級山人が住まう壮麗な宮殿>

・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます。

 

・ひと口に山人界といっても階級は実に多い。そこで、空中の御殿に住む鬼類・境鳥まで、暮らし向きも千差万別なのである。

 

 仙童寅吉以降、山人界の情報はずいぶんと数多くもたらされてきたが、山人界の階級等についてもっともまとまった情報を伝えているのは島田幸安だ。

 

<山人界の天狗の風体とは>

・島田によると、山人界の階級は①神仙、②仙人、③山人、④異人、⑤休仙、⑥愚賓(ぐひん)に大別される。この愚賓というのがいわゆる天狗のことだが、天狗は人間が命名した俗称であって、山人界では使わないという。

 

・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。「人界にて云如き鼻高く翼ある者は無御座候」と、島田は断言している。

 愚賓は神仙から数えて6番目の下級官吏だが、そのなかにもまたこまかい階級がある。①山霊(大愚賓)、②山精(小愚賓)、③木仙、④鬼仙、⑤山鬼、⑥境鳥、⑦彩麟(ましか)がそれだ。

 

・⑥の境鳥が、いわゆる木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる類で、嘴と翼をもつ鳥類の化身である。

 

<戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち>

・ただし、人間のように肉を食うのではなく、気だけを食うのだと島田が注釈している。生きている魚を海などから招き寄せ、「味の気」だけを取って食べ、食後は生きたまま海に帰すというのだ。

 

仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する

 

加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。

 

<天狗が下す恐怖の冥罰>

・天狗の仕事で最も怖いのは、人間界に罰を下すという仕事だ。火事による処罰が多いようで、情け容赦がない。たとえば、杉山僧正が東京の平川町(平河町)を焼いたことがある。

 

<過酷をきわめる天狗界の修行>

・寅吉や才一郎は仙縁があって山に招かれたものだがら否応はないが、凡人が天狗の「神通自在」にあこがれて山中修行に入っても、ろくなことにはならないらしいから、注意が必要だ。

 最後に、天狗は日本独自のものとの説があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ

 

<神仙界の構造>

<神仙がすまう天の霊界と地の霊界>

<陽の身体を手にいれる>

・神道や古神道、それと血縁関係にある神仙道や道教では、世界には目に見える物質的な世界(顕界)と、目に見えない霊的な世界(幽冥界・幽界)があると説いている。物質的な世界といっても、そこには霊的な要素が必ず含まれているし、目に見えない霊的な世界といっても、物質的な要素を含まないという意味ではない。

 

・この「無形体の元素」が、目に見えない霊妙な物質のことで、これが凝結すると、「有体物」すなわちモノとなる。物質といい霊といっても、もとを遡れば天地が生成する以前の「一点真精の元気」にほかならない。顕界も幽冥界も、この元気から生まれてきた同胞なのである。

 

・幽冥界に出入りしていた古神道家で神仙家の友清歓真も、神仙界に行くと30歳くらいの自分に若返ると書いている。

 

・このように、陽の身体を手にいれると、すばらしい世界が開けてくる。神仙界の高みから、地の世界を見ると、そこは暗く濁った陰気や腐臭・俗臭が渦巻く穢れの世界に映る。そこで神仙道修行者は、少しでも穢れから離れるために、地の顕界(われわれが暮らしている現界)のなかでは清浄度が高く、強い陽気が流れている深山の霊区に入るのである。

 

・「魂魄図」。人の死後、たましいは魂と魄とに分かれ、魂は陽に従って天に昇り、魄は地に降り、陰に従うという。この霊界観念の基本を寓意的に描く。

 

<陽極と陰極の間のグラデーション>

・世界というのは、陽気の極みと陰気の極みの間の、すべての諧調(グラデーション)のことである。

 

・この極陽に近い部分が天の霊界(天の幽界・天の顕界)、極陰に近い世界が地の霊界(地の幽界・地の顕界)ということになる。

 われわれ地球人と深く関連するのはもちろん後者で、幽冥界に出入りした神仙家の見聞録というのは、たとえ本人が「これは宇宙の霊界まで行ったときの見聞だ」と主張しようとも、すべてがこの地球の霊界のことらしい。なぜそういえるかというと、霊魂の速度という問題がからむのである。

 

・霊魂の飛行速度はこれだけ遅いのだから、光の速度で何十、何百年もかかる太陽系外の天の幽界・天の霊界が手の届かない世界かというと、そうでもないらしい。

 

<地の霊界の首都「神集岳神界>

・とはいえ、おおまかな世界分けはある。神仙道の場合、まずトップにくるのが天の霊界筆頭の大都{紫微宮}で、天地宇宙の根源神の宮であるという。

 

・この紫微宮の次にくる大都は、天照大神の神界である「日界」(太陽神界)で、ここが太陽系全体の首都ということになる。神仙道では、この日界の次にくる大都以下を地球の霊界とし、その首都を「神集岳神界」と呼んでいる。

 神集岳は地の霊界全体を管理運営する神界で、地の霊界の立法府・行政府・司法府の最高官庁が、この都におかれているという。地の霊界の最高神イザナギ・イザナミ神だが、両神はいわば天皇のような別格の存在らしく、実際の幽政をつかさどる総理大臣は少彦名命であるという。

 

・首都・神集岳神界に対する副都を「万霊神岳神界」という。われわれ人類にとっては、この神界はとくに重要な意味をもつ。神界では、年に1回、現世の人間、霊界に入った人霊、および仙人など一切霊の“人事考課”を行い、寿命も含めた運命の書き換えが行われるという。この作業の中心が、まさに万霊神岳だそうなのである。

 

<異界交通者が赴く「山人界(天狗界)」>

・以上は地の霊界のなかの高級神界で、狭義の神仙界に相当する。しかし、神仙道でおなじみの、いかにも仙人世界めいた世界は、これよりランクの低い「山人界(天狗界)」で、平田篤胤に霊界情報を伝えた仙童寅吉や仙医の島田幸安、その他もろもろの山中成仙者は、ほぼ全員がこの山人界の情報を主としている。最もポピュラーな仙界がこの山人界なのである

 

・次に、僧侶や仏教信者など、仏教と深い因縁で結ばれた者が入る「仏仙界」がある。平田篤胤の“毒”にあてられた古い神仙家は、仏仙界を目の敵にし、聞くに堪えない罵詈雑言を投げつける者もいるが、そうした偏った見方は、今日ではかなり改まってきたようだ。

 

・このほか、一般の霊界、いわゆる魔界、地上世界のあちこちに開けている幽区等、数々の霊界がある。

 

・なお、スウェーデンボルグあたりから以降の欧米スピリチュアリズムでは、霊界の思いの世界で、念じたものは善悪吉凶にかかわらず、パッと現れると主張しているが、これは霊界の半面だということを指摘しておきたい。

 

・友清が喝破しているとおり、全霊界は「むすび」と「たま」の両界に大別される。むすびの世界とは「衣食住や山河草木や万般の調度品が、客観的実在として殆ど人間界のごとくに存在する」世界のことで、われわれの現界もここに属する。出口王仁三郎や友清らがいうように、現界もまた霊界の一種、むすびの霊界なのである。

 

・一方、たまの世界は「欲する品物が欲するままそこに現出する代りに、注意を怠って居ると消えたり、一瞬にして千里を往来したり、もやもやと雲のようなものが友人や知人の顔となり手となって遂に完全な姿としてそこに出て来たり、高い階級で美しい光の乱舞の中に自分も光の雲の如くに出没穏見したりする」世界をいう。欧米スピリチュアリズムのいう霊界はこれだが、霊界というのは、あくまで「むすび」と「たま」の総体を指すのである。

 

<高級神界の世界>

<神集岳神界・万霊神岳神界・紫府宮神界とは>

<すべての地の霊界を統制する大永宮>

・宮地水位によれば、脱魂して空に飛びあがり、2時間ほど飛んで西北方に降りたところに「神集岳神界」がある。中心は大永宮という巨大な宮城で、一辺が160キロもある高い壁に取り囲まれている。四方に大門があり、宮城を四方から囲む数十の宮殿群もある。

 

・「地球霊波圏内における神界は神集岳が中府であり万霊神岳がこれに亞ぐのである。神集岳大永宮の統制下に幾多の霊界があり、その中には支那や印度や西洋の種々の霊界が幾層にも存在する」

 

 世界のさまざまな霊界を藩に見立てるなら、大永宮は諸藩の上に君臨して政事(幽政という)の大権をつかさどる幕府にあたる。幽政の中府だけに、膨大な数の高級官僚が働いている。東洋・西洋、人種はさまざまだが、日本人もたくさん含まれている。

 

<紫府宮神界とその娘>

・この神集岳、後述する万霊神岳の双方と密接に連絡しあっている高貴な大神界に、事代主神がつかさどっているという「紫府宮神界」がある(宇宙神界の紫微宮神界ではないので注意)。

 

<天機漏らすべからず>

・そもそも、「天機漏らすべからず」といって、神仙界の機密は人間界には伝えないのが決まりになっている。

 

<現界人の生死・寿命を管掌する神>

・この紫府宮が重要なのは、ここが「太玄生符に関する幾多の重要なる神事」や「地上の大気から人間の呼吸にまで及ぶ神秘な幽政の行わるるところ」だからだ。

 

この改訂によって、各人の1年間の運命が定まるわけだが、現界人の生死・寿命および帰幽霊の身上を、じかに管掌しているのは国津三十二司令神という神で、この神は中国で東王父と呼ばれている大国主神の監督のもと、万霊神岳を拠点に活動している。

 

・大きな島嶼としてまとまっている神集岳とは異なり、この神界はさまざまな霊界幽区が集まってできた“連邦体”だという。この世界に属する霊界はきわめて広く、いわゆる極楽や地獄も内包しているし、仏仙界も含まれるというから、その巨大さは想像を絶する。

 

<宇宙の神仙界>

<大気圏の外にも広がる神仙の世界>

<北極紫微宮のレポート>

・まして直径が約10万光年といわれる銀河系の遊覧など、まったくの論外なのであるにもかかわらず、それらの世界に行ったという報告があるのは、「じつは遠方の星の世界の状況が、この地球の大気圏内の或るところに影を映したような状況になって、そこへ行ってきた」からだという。

 

・水位は、日界には入りがたいが、下に見たことはあるといい、城郭のようなものが数十あったといっている。

 

最後に、地球に最も近い月界だが、ここは「諸の穢の往留る」根の国、底の国にあたる。そのため、神仙から月球人にいたるまで、すべて地球より「遥かに卑しく劣る」(利仙君)そうで、かぐや姫のようなロマンチックな世界ではないらしい。

 

仏仙界  神仙界と対立する妖魔の巣窟か?

天狗を使役する僧侶らの棲まう仏仙界

 

<神仙家が敬遠する世界>

・仙界に出入りした神仙家は多いが、不思議なことに、仏仙界についてはだれも中に入って見聞しようとしない。敬遠しているのは明らかだが、それも道理で、彼らは筋金入りの仏教嫌い、仏仙嫌いなのだ。

 仏教に対する嫌悪感を最も露骨に示しているのは、『幽界物語』の著者で平田派国学者の参沢宗哲だ。

 

たとえば釈迦・空海は「妖魔遣い」といわれる。さらに空海は、法然とともに「仏仙境の山精(小愚賓)」となっているという。山人界でもないのに愚賓が出てきているのは、仏仙界にも僧侶のなりをした愚賓が住んでいるからだ。

 

<印相を駆使する山人たち>

・魔愚賓の空海・法然よりもっと悲惨なのは「異類」とされた日蓮で、もはや人霊ですらない。もっとひどいのが親鸞だ、親鸞は「卑き妖魔なりしが、魂分散して住処知れ難し」「妖魔の境に入りては、虫螻となりて非類の苦悩を受る事也」と、洒落にならない貶されようなのだ。

 高野山批判もきつい。神仙界では「仏仙山」と呼ばれている高野山は「魔境のひとつで、空海をはじめ仏魔どものいるところ」なのだそうだ。

 

・「誰彼が天狗界に居るとか仏仙界に居るとかいう所伝があっても、そうばかりも申されない事実がある。又た神仙界と仏仙界が対立したり敵対したりして居るというようなことは明治以来抜本的に何度も(霊界が)改革された今日では決してないのであり、人間界が19世紀の常識から甚だしく飛躍して居るごとく霊界も亦そうである」