(2024/5/11)

 

 

 

『キャンセルカルチャー』

アメリカ、貶めあう社会

前嶋和弘    小学館    2022/10/23

 

 

 

はじめに

・世界の歴史のなかで、これだけ人々の平等や公平性に敏感になっている時代はこれまでなかったのではないか。多様性を求める声は常識として世界的に広がり、人種問題やジェンダー平等などへの感受性も飛躍的に高まっている。差別反対や平等性・公平性の確保は歴史的な必然のようにすらみえる。

 2020年夏から秋にかけて広がったブラクライブズマター(BLM)運動に対する共感の声は、ほぼ瞬時にアメリカの主要都市で爆発的に広がった。

 

さらに特筆されるのが、BLM運動は差別反対の観点からさまざまな歴史の見直し運動につながっていった点だ。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソンら「アメリカ建国の父祖」たちが、こぞって黒人奴隷を所有していた事実が一気に注目されるようになった。

 とくに奴隷の女性と懇意になったジェファーソンに対しては、独立宣言を中心でまとめた「民主主義の英雄」という、これまでのイメージが失墜し、全米各地で銅像の引き倒し運動が広がっていく。

 差別反対や平等性・公平性の確保のために、これまでの歴史や文化、習慣などを見直す行為――この行為こそ、本書で論じる「キャンセルカルチャー」である。

 

・社会改革の動きが顕著になれば、保守派のキャンセルカルチャー批判もより鮮明になる。作用と反作用の動きがどんどん増幅しているのが、いまのアメリカだ。「キャンセルカルチャー」という、このことばを取り巻く動きの根幹にあるのは、多様性という価値観をめぐるアメリカ国内の分断にほかならない。

 

キャンセルカルチャーとは何か

・アメリカで使われ始めた「キャンセルカルチャー」ということばが、世界に一気に広がりつつある。「キャンセルカルチャー」ということばが発せられるとき、「キャンセル」には、これまで使われてきた意味とは大きく異なり、怒りや侮辱的な意味が含まれるようになる。

 

・予約のキャンセルのように「これまでの見方や、やり方を見直す」という意味で使われていた「キャンセルする」ということば、その意味が大きく変わりつつある。

 40年ほど前にこの使い方が出た当時はジョークのようなニュアンスだった。しかし時代は変わり、「キャンセル」には、重く侮辱的な意味が含まれるようになった。

 

「偉大」であったはずの大統領

・サウスダコダ州にラシュモア山という有名な場所がある。4人の大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルト)の巨大な胸像が彫られている山といえば、目にしたことがある読者も多いのではないだろうか。

 

・この4人はいずれもアメリカという国家の発展には欠かせない偉大な大統領として広く信じられている。

 

・ワシントンはイギリスとの独立戦争を率いた将軍であり、アメリカの初代大統領だった。

 ワシントンと同じく「建国の父祖」であるジェファーソンは独立戦争中の1776年、独立宣言を中心となって起草した。

 

・リンカーンは、南北戦争で国家の統一を死守した。

 セオドア・ルーズベルトは42歳という史上最年少で大統領に就任し、独占禁止法制定や自然保護政策に代表されるように、改革志向の強いリーダーシップで知られている。

 

・たとえば、ジェファーソンは人権や民主主義の代名詞である。「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている」という独立宣言の序文のことばは、明治維新の時代に福沢諭吉の『西洋事情』によって日本にも広く紹介された。

 

堕ちた「英雄」たち

・このようにジェファーソンは「民主主義の英雄」として広く知られてきた。

 しかし、ここ数年、同じくラシュモア山に胸像が彫られているワシントンとともに、ジャファーソンに対する見方が大きく変わりつつある。なぜなら、二人とも大地主であり、奴隷を所有していたためである

 ただ、ジェファーソンに対する批判のほうがかなり厳しい。「すべての人間は平等につくられている」ということばと、実際の行動との差があまりにも大きいためだ。

 農園主であったジェファーソンは、自らも奴隷を所有し取引しながら、大統領として「奴隷輸入禁止法」に署名したことで知られている。さらに、妻マーサと6人の子どもとの家庭生活のほかに、所有していた奴隷サリー・ヘミングズと懇意になり、不倫で7人の子どもを産ませた事実にもメスが入っている。そのうえ、大統領在任中の先住民に対する厳しい同化政策にも非難の対象になっている

 

・引き倒されたのはジェファーソン像や同じく奴隷所有者のワシントンの像だけではない。ラシュモア山に刻まれた顔で、残りのリンカーンもセオドア・ルーズベルトも引き倒し運動の対象となった。

 二人とも奴隷を所有していたわけではない。とくにリンカーンは長い間、アメリカの奴隷制度を終わらせた大統領として讃えられてきた。

 しかし、BLM運動が黒人だけの運動ではなく、参加者が増え、広く平等や人種マイノリティの権利確保の運動になるなか、リンカーンやルーズベルトの大統領時代の先住民に対する権利確保も問題視された。

 

さらにコロンブスも

・この4人の大統領に加え、アメリカ大陸を「発見」し、ヨーロッパからの白人流入のきっかけをつくったコロンブスの像や肖像も全米で撤去の対象となっている。

 

奴隷制度という「暗黒の歴史」

・アメリカにとって奴隷制度は原罪ともいえる暗黒の歴史にほかならない。

 このような歴史の見直しのなか、南北戦争で奴隷制度維持を唱えた南軍のリーダーであるリー将軍像は真っ先に引き倒しの対象となっている。

 

・南軍については連邦政府レベルでも動きがある。リー将軍のような南軍のリーダーたちや、現在の基準から黒人に対する差別的な言動をしたとされる人物の胸像を、議会議事堂などから撤去する法案が連邦議会で提出されている。

 

「キャンセルカルチャー」に対する総攻撃が開始された日

・BLM運動を機に、一気に広がった歴史の見直しに強く異議を唱えたのがドナルド・トランプ前大統領だ。

 トランプは2020年7月4日、前述のラシュモア山で集会を開き、演説のなかで、ワシントンやジェファーソンら「建国の父祖」たちの記念碑の撤去は、これまでの文化を否定する「キャンセルカルチャー」であるとした。

 

「キャンセル」の語源

「キャンセルカルチャー」は文字どおり、これまでの文化や伝統を否定し、「キャンセル」し、消していくことである。人種やジェンダー平等などの観点から、なんらかの好ましくない行動を是正し、「ボイコット」することを意味する。「キャンセル」ということばの語源にも注目が集まっている。

 

ポリティカル・コレクトネスに対する逆襲

・怒りの前提にあるのが、リベラル派が進めてきた「ポリティカル・コレクトネス(政治的公平さ)」に対する保守派叩きへのいらだちである。つまり、保守派の逆襲がキャンセルカルチャーということばの隆盛にあり、「ポリティカル・コレクトネスがこれまでの文化を潰す」と主張するのである。

 

強い反作用と的外れな「キャンセルカルチャー批判」

・ポリティカル・コレクトネスが「キャンセルカルチャー」ということばに置き換わって人口に膾炙するようになったのは、先述したラシュモア山でのトランプ演説からだ。1990年代なかばの「ポリコレ批判」はまだ生ぬるかった。

 

・現状を変えたいという作用が大きくなれば、それを戻そうとする反作用も大きくなる。そして、現状を改革しようとする動きもさらに強くなる。

 

ラシュモア山という不当な差別の象徴

・国立記念公園に指定されているこのラシュモア山の周辺は、古くからネイティブアメリカン(先住民)の聖地だった。19世紀なかばにはこの地に攻め込んだ白人と先住民が激しい戦闘を繰り返したことでも知られている。合衆国政府は先住民のラコタ・スー族と、この地を先住民に戻す条約を一度はつくったが、その後、金が発見されると結局、力づくで奪い取ることになった、いわくつきの場所だ。

 

・さらには直接行動に出る先住民もいた。1971年、先住民の権利拡大を訴えた「アメリカ・インディアン運動(AIM)」のメンバーたちが数日間ラシュモア山を占拠した。その際、ラシュモア山を「クレイジー・ホース山」と改名すると宣言した。

 

・先住民は法廷闘争も続けた。1980年の判決で連邦最高裁判所は、ラコタ・スー族はラシュモア山を含むブラックヒルズの土地に対して正当な補償を受けていなかったと裁定した。最高裁はブラックヒルズの損失に対する補償を提案しているが、先住民は「土地の完全返還がなければ和解を受け入れない」としている。

 

 

大きく変わったアメリカ社会

・ところで、なぜ、平等を求める動きが「キャンセルカルチャーだ」と保守派に目の敵にされるのだろうか。それはアメリカ社会が、確実に以前から大きく変化しているからにほかならない。

 アメリカ社会の価値観は大きく変化し、多様化が実現されつつある。

 

・この2015年という年は、同性愛が全米で合法になった年だ。2015年6月、連邦最高裁判所は、同性婚に対するすべての州の禁止を違憲とし、50州すべてで同性婚を合法化させた。2004年にマサチューセッツ州で初めて同性婚が認められて以来、11年たって全米でも認められるようになったのだ。

 

人種間の「エクイティ」の確保を目ざして

・BLM運動が求めたのも、この人種間の「エクイティ」の確保である。

 犯罪は黒人が犯すという長年のステレオタイプもあり、警官による職務質問の対象になるのは、圧倒的に黒人などの人種マイノリティが多い。

 

「エクイティ」と過去の歴史の「清算」

・この人種間の「エクイティ」を求める叫びはアメリカ国内だけでなく、日本を含む世界的なうねりになっていった。とくに「エクイティ」の再検討は、過去の歴史そのものの見直しにもつながっている。この見直しこそ、キャンセルカルチャーそのものである。

 

保守派のいらだち

・移民の急増、ジェンダー平等、人種平等を求めるさまざまな動きに対して、価値観の急変と多様性の包摂に保守派は取り残され、その怒りが「キャンセルカルチャー批判」につながっていく。

 

南北戦争への二つの見方

・そもそも南北戦争の見方は、保守派とリベラル派で大きく異なっている。

 

・しかし、南部では別の物語がある。南部各州に行くと、ところどころでリー将軍の像に出くわすことに驚く。リー将軍の像だけではない。ここ数年間でだいぶ減ったものの、南北戦争の象徴だった南軍の旗も市庁舎などの公的な場所に、いまだに掲げられているのを目にする。

 

黒人からみた南北戦争の「遺産」

・ただ、繰り返しになるが、抑圧された側にとっては、リー将軍像はとんでもない遺産である。「キャンセルカルチャーの行き過ぎ」「ポリコレ疲れ」というのは、これまでの歴史を考えると不当というしかない。黒人からみれば、南軍の旗もリー将軍像も、人権を無視した白人側の抑圧の記憶である。それが将軍像の撤去につながる。人種問題に対して社会が成熟した結果、撤去は必然とみているはずである。

 

歴史の政治化が生む分断

・ここで疑問がわくかもしれない。「なぜいまなのか」。すでに150年以上前に終わっている奴隷制度が、なぜまだ問題となっているのか。奴隷制廃止後も南部では投票の際などに黒人差別があり、法的にそれが解消されたのは公民権運動を経た50年ほど前であった。アメリカの人種問題は根が深い。2020年のBLM運動が明らかにしたように、法ではなく、心の問題こそ、人種問題の根幹にある。

 

・均衡状態を保っているため、さまざまな議論が政治的に大きな争点となってしまい、顕在化する。リー将軍の銅像撤去のような奴隷制の遺産の見直しを強く望むリベラル派の動きが強くなるのに対して、その反作用である「銅像を守ろう」という動きも顕在化する。リー将軍の銅像撤去は、分断が「ますます目だつ」結果になってしまった。

 このような歴史や世界観についての対立を、アメリカでは「文化戦争」とよぶ。

 

銃とアメリカとキャンセルカルチャー

・アメリカ社会での生活に、銃の存在はどうしても切り離すことができない。

 

・銃をめぐる議論にも、保守とリベラルという二つの世界の分断の深さが垣間見える。銃を規制することはカルチャーをキャンセルすることなのか?

 

・「銃はあまりにも危険。徹底的に規制すべきだ」という声が、あのアメリカでも多数派となっている。その一方、銃規制反対派は銃をもつ権利を徹底して主張する。「銃規制派≒リベラル派、規制反対派≒保守派」であり、まったく意見がかみ合わない。同じアメリカという国のなかで二つの世界が併存する。

 

増え続ける銃

・アメリカにおける銃による凶悪犯罪のニュースは、ほぼ毎週のように日本にも流れてくる。「またか」という反応しかない。銃犯罪のニュースが日常茶飯事であることから、アメリカでは抜本的な銃規制が進んでいないことがわかる。

 そもそもアメリカ国内の銃の数は急激に増えている。

 

・2009年のデータで推定3憶1000万丁以上あり、生産数は伸び続けている。アメリカの人口は3億2千万人だから、アメリカ人が所有する銃は人口並みである。数では、一般市民が法執行機関の400倍近くの銃器を所有していることになる。

 

さらに特筆されるのは、銃乱射事件が起こると、自衛のために銃販売数が急伸することだ

 

・銃は比較的小さめの銃火器店で販売されるが、近年では総合型の大型小売チェーンでの販売が目だつ。最大手であるウォルマートは、いまや世界最大の銃火器小売店である。クリスマスプレゼントを購入する感覚でライフルを買う人も多い。

 

銃保有の地域差

・誤解を防ぐために伝えたいことがある。銃は所有する数からいえば全米規模では飽和状態にあるものの、各種調査によると、長い間、銃を所有するのはアメリカの成人の10人に4人にすぎないということだ。6割以上の多数派が銃を所有していないにもかかわらず、銃の総数がアメリカの人口並みということは、銃をもつ人は複数の銃をもっていることになる。

 

・銃の保有率は地域によって大きな差があり、デラウェア州の5.2%からアラスカ州の61.7%までの幅があることがわかった。

 

・銃の必要性は場所によって大きく異なる。「銃がどうしても必要」と感じる地域が多く存在することは事実である。そもそもアメリカは日本の国土の25倍もある。想像すればわかると思うが、都市部を除けば、警察などをよんでもすぐに駆けつけてはくれない。南部、中西部など、人口密度の低い州では、自衛のためにどうしてもライフルなどの所持は不可欠であるという意識が開拓時代から続いている。広大な土地で、狩猟文化が根づいていたところも多い。

 

・どこかでみた構図だ。妊娠中絶、ヘイトクライム規制などと同じであり、銃規制についても文化戦争の戦場であることがわかる。銃規制が厳しくなればなるほど、反作用のように銃所有の自由を訴える声も強くなる。

 

「銃規制」の現実

・では、なぜ銃が増え続けるのか。日本では「全米ライフル協会(NRA)が強いから」とかなり単純に説明されることが多いが、そんな単純なことではない。

 

・確かにアメリカでは銃をもつ権利を認めた憲法修正第2条があるため、日本人が考える「刀狩り」のような徹底した武装解除はありえない。アメリカ人にとって、銃を保有するのは「基本的な人権」でもある。憲法修正第1条が「表現の自由」であり、それに続き、並列されるのがこの第2条である。

 

・つまり、銃規制賛成派にとっても、銃のすべてを放棄するのではなく、強力な銃火器を放棄させるのがアメリカにおける規制派の主張の中心である。

 

三つの銃規制と規制が進むタイミング

・1980年代から1990年代のアメリカは治安が悪く、銃犯罪も頻繁に起こった。その対策として1993年に「包括的犯罪防止法」が成立し、そのなかでブレイディ法とアサルト・ウエポン規制法という二つの銃規制が導入された。ブレイディ法では過去の犯罪歴を確認するバックグラウンドチェックが導入された。また、拳銃の弾倉の装填数を10発以下へ制限するなどを入れて、殺傷能力の弱体化を盛り込んだアサルト・ウエポン規制法である。いずれも1994年からの10年間の時限立法として導入された。

 

銃規制の連邦主義

・アメリカの場合、法の執行は基本的には州政府に任されている。刑事的な摘発は圧倒的に州政府やその下の郡や市の警察が担当し、連邦政府の役割は限定的だ。そのため、法執行の部分で連邦政府と州政府の目ざす方向性が異なってしまう。ただし、銃の取引や銃をめぐる犯罪は州を超えることも多い。それもあってブレイディ法もアサルト・ウエポン規制法も連邦法として導入し、各州はこれに従わざるをえなかった。

 

銃規制を阻む「マッチョ的文化」

・土地の広さから生まれる規制の差については、納得できないこともない。この自衛についての主張には合理的な面も確かにある。しかし、私がどうしてもついていけないと感じるのは、狩猟を楽しむための銃文化が郊外に行けばどこにでもある点である。

 アメリカでは、父親が息子を野生動物の狩りに連れ出し「男の生き方を教える」といった、マッチョ的な文化が南部や中西部など保守的な地域でいまも根づいている。

 

人権としての「銃をもつ権利」

・アメリカの銃文化にお墨付きを与えているのが、なんといっても、合衆国憲法である。日本でも知られるようになったが、銃保有の法的権利は憲法修正第2条の「武装権」に由来する。修正第2条は「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるため、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」と示している。個人が「規律ある民兵」にあたるかどうかはアメリカ国内でもさまざな議論があり、「規律ある民兵」とは各州が保持する州兵であるという解釈もある。

 

「悪の結社」か「人権団体」か

・その憲法修正第2条を徹底的に擁護する団体が、NRAである。

 銃規制に真っ向から反対するNRAは、日本からみれば、まるで「悪の結社」のようにすら思える。「殺すのは銃でなくて人だ」といい、各種ロビー活動を行い、銃規制を阻んできた。

 

・加えて、団体から「返礼品」を提供する団体もある。NRAがまさにそうだ。NRAの場合、同じく非営利団体でも、一般から広く寄付を集めるための「Friends of NRA」という団体をつくっている。この団体の場合、団体の雑誌やナイフに加え、日本の感覚では驚いてしまうが、寄付額に応じて本物のライフルやピストルの「返礼品」が贈られる。たとえば、750ドル寄付すれば、市価で200ドル前後とみられるピストルが贈られる仕組みだ。

 

会員数500万人という「数の力」

・NRAの公式ページにははっきりした記載はないが、2013年の

ラピエール氏の講演によると、会員は500万人に達している。

 

教員が児童、生徒を銃で守る時代

・この事件を経て、2022年6月にはオハイオ州で教師が学校で合法的に銃を所持することをより容易にする法案が成立した。この法案では、教師やそのたの職員が校内で銃を所持するために必要な訓練時間を、700時間から24時間以内に大幅に短縮した。

 

「銃が増えれば犯罪が減る」は「トンデモ論」ではない

・まず、前提としてアメリカ国内の銃の数はとてつもなく多い。3億2000万の人口並みに銃の数は多い。こんな国は世界にはない。しかし、驚くことに、増え続ける銃の数と殺人件数との相関はわかりにくい。むしろ逆相関している時期もある。

 

・一方、疾病対策予防センター(CDC)によると、アメリカの10万人中の殺人件数は1990年代なかばから2014年まで減り続けた。同年には4.5人と57年間でもっとも低い数字となった。(58年前の1957年は4.0人)

 

・NRAなどの銃規制反対派は「銃が増えれば安全になる」という論理をいつも展開しているが、その根拠となるのがこの銃の販売数増加と殺人率の低下である。

 

銃規制と銃犯罪の煮え切らない関係

・NRAの「銃で自衛する人が増えたため、殺人事件が減った」との指摘は、時期を限れば一理あるとする見方はあるが、釈然としないところもある。そもそも銃の数以上に治安や景気そのものの問題のほうが大きいのかもしれない。

 

長年、銃による死者よりも交通事故による死者のほうが多かったが、2017年以降は逆転し、銃による死者のほうが交通事故死によりも多くなっている

 現在、アメリカの銃による死者は4万人を優に超える。しかし、改めて指摘したい点がある。アメリカでは銃による殺人よりも銃による自殺の数が圧倒的に多いことだ。

 2020年、CDCの国立保健統計センターによれば、銃器による死亡者数(殺人と自殺、誤使用を含む)は4万5222人で、19歳以下の子どもの死因のトップとなった。問題なのは、そのうちの54%にあたる2万4942人が自殺である点だ。これまでも銃による自殺と殺人の割合はつねに自殺のほうが多く、5割強から6割を超えている。銃を使った意図しない事故や使い方の誤りによる死などは1割程度である。

 さらに、2020年なら自殺総数4万5979人のうち、銃によるものが54%を占める。悲しい数字である

 

「銃規制」の日米の差

・前にも述べたように、そもそも日本人が考える「銃規制」とアメリカのリベラル派が考える「銃規制」とはかなりの差がある。

 

「銃もキャンセルされるのか」という批判

・一方で、銃規制も文化戦争の一つである。「アサルト・ウエポン規制法」や、「ブレイディ法」がどれだけの効果を示したかは断言しにくいと保守派は主張する。文化戦争であるため、規制反対派は「銃もキャンセルされるのか」と声高に主張する。

 

おわりに

・民主党支持者だけでなく共和党支持者のなかでも、中小企業経営者は比較的非合法移民に寛容といわれている。非合法移民は多くの産業の中核におり、なによりも長年の経済成長を支えてきた側面もある。カリフォルニア州ではサービス業の労働人口の1割以上が非合法移民によって成り立っている。アメリカ経済はつねに拡大基調であり、労働者不足から非合法移民を含む移民を不可欠としてきた。そして、アメリカはそもそもの国の境界線が緩く、「移民」の概念が他国と大きく異なる

 

・しかし、自分の雇用を奪ったのが実際には非合法移民でなくても、非合法移民たたきに共感する人たちは多い。それがティーパーティー運動やトランプの登場で目だつようになった。「怒れる白人たち」に共有されている。

 

・現実には、亜米利加のビジネスの拡大に、非合法を含む移民は欠かせないのである。

 最終章でも論じたように、移民がいずれアメリカ国民になっていくとしたら、そのことが分権化を乗り越えるための政党再編成の鍵になるかもしれない。あと二十数年後に白人がマイノリティとなるのが、アメリカの不可逆ともいえる変化である。いずれ、キャンセルカルチャーの議論も大きく変わっていくであろう。

 アメリカンドリームの揺らぎは、キャンセルカルチャーをめぐる議論とまったく同じように、よりよい変化のための生みの苦しみとなるだろう。

 

 

 

(2022/3/18)

 

  

『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』

前田日明  サイゾー  2021/6/9

 

 

 

国民に冷たい国

答えは簡単で日本に対して憤っていることがあるからだ。日本という国の考え方、やり方に怒りを抑えることができない。例えば、地震対策についてだ、

 南海トラフ地震は2000年代の最初の時点で30年の間に70%の確率で起こると言われていた。

 しかし、日本政府はいまだにしっかりした対策をとっていない。それどころか、地震対策予算、国土強靭化予算を削ってすらいる。

 

南海トラフでは30メートルを超える津波が2分でやってくるという確度の高い予測がある。50万人から100万人の犠牲者が出るかもしれないとも言われている。

 

それができる資格と立場と能力を持っているのは政治家と官僚たちだけだろう。なのになにもしないことに怒りが沸き上がるのだ。

 

・昨年(2020年)から続く、コロナ禍のことだってそうだ。

 政府の決定で多くの飲食店が営業自粛を強制されたが、その補償はどうだったのか?

 

・大企業ならば数ヶ月やそこら持ちこたえることは可能だろう。しかし、中小企業や街の商店はその数ヶ月が死活問題なのだ。従業員のクビを切るという苦渋の決断をした経営者だって少なくないだろう。

 

・事実、たびたび出されている緊急事態宣言によって、日本の中小企業はバタバタと倒れていった。今年2月16日に出された帝国データバンクの資料によれば、昨年2月から今年2月15日までの約1年間で倒産企業は1026社にものぼる。

 

日本が憎くて言っているわけではない。日本人一人ひとりの思いに応えてくれる国になってほしい

 

自虐史観

日本人がなぜ自虐史観になったのか、誰も理解していない

・日本はよく自虐史観だというが、そうなった理由をわかっていない人が多い。日教組や左翼が悪いというが、それだけで日本中がここまで自虐史観に染まるわけがない。染まるには染まるだけの土壌があったということだ。

 

国民は虫けら

・ところが、その祖国は国民のことなど虫けら扱いだった。だから、人々は怒ったのだ。「国のために戦った父や兄や弟になんてことをしてくれたんだ」「こんな日本なんて早く潰れたらいい」

 自虐史観はここから始まった。その根本には日本が国民に対してあまりにもひどいことをしていた事実があり、日本人が日本を恨む土壌があったからだ。左翼や共産主義はその土壌に乗っかったのだ。

 

日本人は誰も責任を取らない

・自虐史観は中共のスパイが暗躍したからだとかいう人もいるが、そうじゃない。その前に日本人が日本に幻滅したからだ。だから、これだけ日本に左翼思想が広まってしまった。「天皇制の実態はこういうものですよ。でも、うちは違いますからね。社会主義はみんな平等ですよ。これからは社会主義の時代ですよ」という言葉をみんな信じてしまったのだ。

 しかし日本の権力者のやり方を見ていたら信じるのもわかる。国が国民を虫けらだと思っていたとわかれば誰だって左翼になる。自虐史観になる。それが当たり前だろう。

 

戦争と反省

・これが自虐史観が日本に蔓延した理由だ。中共のせいでも、左翼のせいでもない。もともとの原因は日本にあったということ。日本の権力者たちが国民を死なせて平気だったところにある。

 

恩給を貰えるのは職業軍人だけ

鬼畜ルメイを叙勲する政府

戦争を伝えない

・こうなってしまったのは戦後の歴史教育の誤りにもあると思う。なぜ、戦争のことを伝えないのか?この国のために死んでいった人たちの姿や、思いを伝えようとしないのか?国が教えないのであれば、我々が自分で学ぶしかない。

 

超限戦

・超限戦とは1999年に中国人民解放軍の大佐が書いた21世紀の戦略論で、その内容は「すべての境界と限度を超えた戦争のことで、あらゆるものが手段となり、あらゆるところに情報が伝わり、あらゆるところが戦場となりうる。すべての兵器と技術が組み合わされ、戦争と非戦争、軍事と非軍事というまったく別の世界の間に横たわっていたすべての境界が打ち破られる」

 

日本の法律が日本を守っていない

本気で考えていない政治家たち

・はっきり言って敵基地攻撃が先制攻撃に当たるとか、当たらないとかを考えることにどんな意味があるというのだろうか。そんなことは枝葉の問題で本質は国防であり、自衛だろう。それを第一に考えれば、必要ならば叩くという結論しか出ないはずだ。

 

憲法を改正したら日本は戦争する ⁉

スパイ防止法がない国は日本だけ

・スパイ防止法についても同じことが言える。日本に憲法改正が必要なように、スパイ防止法も絶対に必要だ。

 スパイ天国と言われている日本では中国やロシア、欧米諸国のスパイたちが好きなように活動できる。スパイ防止法がないからだ。

 スパイ活動を禁止する法律がない国は世界中で日本しかない。これも国の形として歪んでいる。

 

日本はスパイ天国は本当のことだ

・さらに、1992年に旧ソ連からイギリスに亡命したKGBの幹部ワシリー・ミトロヒンが持ち出してきた機密文書ミトロヒン文書の中にも、「日本社会党以外でKGBに関与した政治家で、最も有力なのは石田博英=暗号名フーバーだった」と書かれている。

 ミトロヒン文書が興味深いのは、「KGBは日本社会党、日本共産党また外務省へ直接的支援を行ってきた」という記述があるだけでなく、「大手新聞社を使っての日本国内の世論誘導は極めて容易であった」と記されている点だろう。 

 同文書では、KGBは1970年代には大手新聞社内部に多数のエージェントを送り込んでおり、各新聞社に潜入させた暗号名も判明している。

 その暗号名と新聞社名を公開すると、朝日新聞には暗号名「BLYUM」というスパイが潜入し、読売新聞には暗号名「SEMYON」が、産経新聞には暗号名「KARL」が、東京新聞には暗号名「FUDZIE」がいたと明記されている。また同文書の最後には「朝日新聞にはKGBが大きな影響力を持っている」とはっきり書かれている。

 こういった事態の中で野党と主要メディアがスパイ防止法に反対するというのは本当に言論の自由のためなのか、日本が軍国主義や全体主義に傾倒しないためなのか、甚だ怪しく感じられる。

 外患罪が日本の刑法の中で一番重い罪だといわれるのは売国行為を働いたからだ。