ハリウッド映画で有名なグレイは、人類に比べ科学力で優に5万年を先んじている

・Tシャツのプリントになるほど、スター化した地球外生命体の「グレイ」のルーツは、琴座である。約50年前、かって琴座領域にあったアペックスと呼ばれる惑星で核戦争が起き、生き残ったアペックスの人々は地下生活を余儀なくされた。核戦争を引き起こした2つの勢力は、ポジティブ派が、主として、レチクル座の2重星(ゼータ)付近を拠点としているが、ネガティブ派のほうは、その多くがオリオン座のペテルギウス領域や大犬座のシリウス領域に移住した。

 

・ネガティブ派の中で特にオリオンに拠点を置く者たちは、リゲリアンという種族だが、地球でグレイと呼ばれる存在は、このリゲリアンを指している。リゲリアンという呼称そのものは、ケンタウルス座のα星であるリギル・ケンタウルスにも隠れたつながりがあるが、彼らのルーツには、判然としない部分がある。現在、地球には、惑星アペックスに出自を持つ地球外生命体が、時空を超え、過去、現在、未来の次元から同時に訪れている。

 

 ウォーク・インとワンダラー(スターピープル、スターシード、スターライト)

・ 地球人に生まれ変わったワンダラーや、人生の途中で地球外の魂と劇的なソウル・チェンジ(魂の変換)を起こしたウォーク・インなどを地球外生命体(ET)の魂を持つという意味で、ETソウルと呼んでいる。ウォーク・インやワンダラーは、白色同胞団でも活躍している。白色同胞団(ホワイト・ブラザーズ・フッド)のルーツは、プレアデスと同じ牡牛座のアルデバランという説と、火星でアルデバランの人々と共存していたさそり座のアンタレスからの人々だという説がある。

 

・また、チャネリングは、日常ではない、別次元の意識やいわゆる地球外生命体と意識のレベルで交信することを言います。シリウス経由のチャネリングによりますと、地球に介入した2種類の生命体があると語ります。約2600万年前、地球に2種類の非人間的生命体が入植した。それらは、射手座星系からやって来た爬虫類的存在とオリオンのベラトリックス星系からの恐竜的存在だったという。(ここで言う爬虫類と恐竜は生物学的に分類されるそれらの意味とは異なる)そして、地球ではこの2種類の生命体が入り込んだ後に、人間の祖となる哺乳類的生命体が現れる。

 

地球と多数の銀河系を持つその可視宇宙は、中域VR3(第3密度)

・自分の故郷の次元の他にもたくさんの次元がある。こうした次元は隣接して存在しているか、あるいは部分的に重なり合っていることすらある。どの次元も物理的には似通っているがお互いに探知できない。それは、周波数『域』が異なっているからだ。低周波数『バンド(帯)』や高周波数『バンド』にも次元は存在している。

 

・どの知覚型生物形態にとっても、周波数の『高バンド化』や『低バンド化』は非常に難しく、専用宇宙船かブースター支援、あるいはその双方を必要とすることが多い。こうした『バンド』は、実際には、異なる世界秩序であり、宇宙の進化スケール上にある各種の存在レベルで構成されているからだ。つまり、密度が異なる別々の振動界(VR)ということだ。

 

・地球と多数の銀河系を持つその可視宇宙は、中域VR3(第3密度)だし、サイキアンと連盟世界の多くは、高域VR3ないし低域VR4だ。このような振動界は玉葱の皮のように球体の中に球体があるようなものだが、周波数界の高低差が非常に大きいので、それぞれ十分に隔絶されている。振動界の主体も居住者も、別の振動界のものとは(固体対エーテル、火と水のように)相容れない。お互いの技術を利用することも出来ないし、物や道具を別の振動界に持ち込むことも出来ない。精々できることといえば、相互影響力を僅かに働かせることぐらいだが、それとて、間接的にしか出来ない。したがって、別の振動界に旅する者は全く自分の力しか頼るものはなく、現地と融合し、現地の方法しか使えない。

 

・「ガーディアン評議会」が私に会ってみたい、と興味を示しているのだと言う。彼ら“ガーディアン”は肉と血のある生物ではなく、時空を超越した非物質的領域に住む純粋エネルギーの存在だという。天国の主人役のように彼らは『兄』であり、広大な秩序ある体系としての宇宙全体を通じて、ありとあらゆる次元と宇宙に存在する人類の運命を導いている。もし、私が行くと決めたなら、体ごと、存在の非物質的な次元へ移送され、その間、最終移転地点で変質を遂げなければならないのだという。

 

延命者・最延命者

連盟の半分以上の場所では、人間の平均寿命は地球年の2百歳で、半分以下のところのいわゆる『長命』の寿命は8百歳だ。子供時代と青春期は地球のと同様で、18歳から521歳で成年に達する。壮年期は35歳から50歳の間だが、長命の場合の壮年期は安定した『最盛期』の状態で5百歳まで続き、その後に2百年間の中年期が来る。年齢による衰退期は、7百歳ぐらいを大分超えてから始まる。

 

非常に優れた功績のある個人に対して、連盟は寿命を5千年まで伸ばすことができる。延命処理は極秘のクリニックで行われ、(「延命者」と呼ばれる)寿命の延長を受けた者は100年位に一度クリニックに戻って追加処置を受ける必要がある。これは生物学的処置というよりも、本質はサイ粒子にかかわり、オーラを徹底的にいろいろと調整をする。

 

また、極めて希有な場合、代替の交代がない不可欠の一握りの個人については、ガーディアン評議会が、3万5千年から4万年まで肉体面で第二の延命を与えることがある。(こうした寿命)延長者は『最延命者』と呼ばれる。)最初の処置とその後の追加処置はガーディアン達が超次元的に行うが、そのプロセスは不明だ。

 

 グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成するガーディアン達

・ありとあらゆる系に存在し、人類の長老である彼らガーディアン達は、二度とあのような宇宙規模の破壊行為が生じるのを防ぐことと、暗黙の勢力から守ることに献身するようになった。グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成する彼らガーディアン達は、多宇宙の構造の『外側』に、つまり時空を超越した完全に非物質的な次元の最上階域に存在し機能している。彼らは霊的存在であり、時としてその在住場所に光の存在として出現することがある。私達の故郷がどのような宇宙界であろうとも、彼らは、この世のものでない在住場所から私達人間世界が適切に機能し進化するよう導いてくれている。

 

・このように数十万年前の昔に私達の多宇宙の遠い所でさまざまな人間世界系の諸問題を管理するために大連盟が誕生した。第11部門もそうして誕生し、その中核であるサイキアン諸世界が大連盟の中心部門となった。その統治惑星をザンシウスという、連盟の33部門を構成しているのは総計5千の主な世界センター惑星だが、それに加えて手付かずで未開発の惑星がその数の百倍はある。

 一部門として参加しているのが銀河系連合で、その代表はアシュター司令部だが、もしかしたら連盟加盟につながるかも知れないので、惑星地球の進化に関心を払っている。)」

 

 太古の昔、『光の勢力』と『暗黒の勢力』との間に宇宙大戦争が起こった>

・時たま、『暗黒の主』が肉体を持って具現化することもある。(たとえば、かって『ダーズ・ヴェイダー』がそうだ。この宇宙人は実在していたのだ!)『暗黒の勢力』の『帝国同盟』UFO飛行士は、地球任務では大体三角形をしたコウモリ型の偵察機や戦闘機を使う。昼間は鈍い黒色で、夜間は消防車みたいな赤色に輝き、いみじくも『悪魔機』という名で呼ばれている。『暗黒の勢力』は残忍な破壊行為を行ったり、人間に危害を与えたり、誘拐したり、動物をばらばらに切断したりするので悪名が高い。

 

・まず、『連盟』とその始まりについて全般的な説明を簡単にしましょう。太古の昔、『光の勢力』と『暗黒の勢力』との間に宇宙大戦争が起こった。その結果、巨大なエネルギーが放たれ、私達の多宇宙の何百万という多数の世界が破棄されてしまった。

 

・全領域の構造自体も粉砕され、多数の次元へと細分化されてしまい、新たに形成された亀裂線が恒久的な障壁となってしまったのだ。即時とも言える宇宙旅行とコミュニケーションが以前は自然に行えたのだが、それももはや不可能となってしまった。

 

・この戦争からの復興は遅々として進まず、部分的にしか行えなかった。だが、例に違わず、生命は勝った。生き残った幾つかの世界は、人類も異星人も同様に新規蒔き直しを図った。救出された生き残りから、そのままのところまで復興した世界もあれば、完全にゼロの状態から原始的状態での再出発というところまで行った世界もある。

 

・そして何千年もの時間が経過し、戦争の影響を受けた諸世界の大半は、程度こそ違え、文明が繁栄するようになった。その大方は、たとえ、小規模であるにしてもまた宇宙を航行するようになった。貿易や交流が惑星間や星系間で始まった。地域間のリンクができている所もすでにあり、地域間同盟も出来上がっている。

 

・そうした地域のひとつが諸世界サイキアン連盟だった。この連盟は率先して大複合体の発展にも着手し独立した一部門を構成するようになった。これが後に連盟11部門に指定されることになる。それはまさにこの地域に33の広大な部門を持つ(正式名称を自由諸世界次元間連盟という)大連盟が最終的に形成されたからだ。これは、(光の勢力を支援する)ガーディアン評議会に派遣された宇宙派遣者達の提案と指導によってなされたことなのだ。

  

悪の帝国(正式名は『正義を任ずる諸世界帝国同盟』の本拠地は大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センター

・『暗黒の勢力』は、自分たちの基地はオリオン大星雲にある、と私達に思いこませようとするが、彼らは、単にそこからやって来たにすぎない『落ちた者』で、依然として周辺にまつわりついているだけなのだ。実際は、オリオン座は『光の主達』の故郷であり、『銀河系委員会』の故郷でもあるのだ。そして、アルクトゥルスを中継基地として使っている。

 

私達が、いる宇宙領域において、『暗黒の勢力』と彼らが支配する悪の帝国(正式名は『正義を任ずる諸世界帝国同盟』の本拠地は大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。私達の太陽系においては、冥王星を中継基地に使い、地球から見えない方の月面を地球への侵入基地に使っているが、両基地とも昔から存在している協定に違反している。地球ミッションの人員は『連盟』にしろ『帝国同盟』にしろ、比較的少なく、その役割も大半が「監視活動と互恵的平和維持活動」に限定されている。

 

・MIBすなわち『黒服の男達』は、嫌がらせや威嚇、テロや殺人を専門とする『暗黒の勢力』の手先だ。報酬を得ていたり強制されていたり、あるいはその両方の場合もある。

 手先となった人間が政府に雇われた人間傀儡か、あるいは洗脳されたバイオニック操作されている消耗品同様の人間ゾンビか、そのどちらかであろう。時には異星から来たまったくのロボットのこともある。(実在している人間の短命複製クローンである)の生霊のことも多い。さらには『ポルターガイスト』の悪霊やホログラフィーによる投影像のこともある。仕事の内容次第で何にでもなる。

 

・彼らMIBは、地球在住の主人たちに取り仕切られており、いろいろな基地(通常の地球基地は南極大陸のエレブス山中にあり、太陽系内の基地は地球から見えない月面やいろいろなアステロイドや冥王星)にあるから調整・統合を図られ活動についての指示は『反対勢力』の宇宙艦隊の知性に仰ぎ、背後では地球のような次元に住む『暗黒の主達』に支配されている。

  

自由な世界次元間連盟

・地球人類の起源は、プレイアデスの散らばった系に由来する。地球人類が地球に移住してきたのは『多数の千年期』の昔である。それ以来私達の『後に残された』人間の祖先たちは、銀河系と他の次元領域の至る所に広がった。

 

さまざまな次元に存在する何千という星系からなる彼らの緩やかな『共通利害団体』は、『自由な世界次元間連盟』と呼ばれ、多次元宇宙の33の広大な領域に及んでいる

 

・シリウスは、私達に向けた「連盟」の送信センターとして使われている。私達を高め、迫りくる宇宙的なコンタクトと、その結果として起こる変貌に対して、この世界を準備させるためなのだ。何千年にもわたってシリウス人は地球人とコンタクトしてきたが、その際、彼らとその仲間は『ホルスの目』という印(三角形の中に目を配したデザイン)を用いてきた。

 

・『暗黒の勢力』とその地球の『光明派』の召使達は、シリウスのセンターから来た『善玉』になりすましている。これは地球人を混乱させ利用せんがためで、本来のシリウスからの送信内容を歪めたものに変え、自分たちの悪の教えを植えつけようとしているのだ。そのために、シリウスの『ホルスの目』のデザインの印も使っている。『暗黒の勢力』に支配されているのはメン・イン・ブラック(MIB)たち、すなわち、あの恐ろしい『黒服の男達』は、一つの目ないし一条の稲妻を中に配した例の古典的な三角形を自分たちが使用する黒塗りのキャデラックのドアにつけている。

 

 金髪碧眼のクェンティン

・彼の話では私が見た円盤は地球と違う次元のもので、母船を伴いバミューダ三角海域のようないわゆる『窓の領域』を通って地球に来たのだという。円盤は意のままに物質化・非物質化できるという。

 

・クェンティンは、背が高く、年齢は30代と思える。髪の毛はブロンドで、射るような青い目をしており、レジャースーツを着て、対変奇妙なお守りを身に着け、今までに誰からも感じたことのないような不思議な魅力を醸し出していた。

 

・それから数分して、投げ出されたところは、惑星地球から何千キロも離れた深宇宙の中だった。(後で分かったのだが、円盤はゴビ砂漠の『シャンバラ』の移行窓をわざと使い、素早く深宇宙へと移動したのだ。)近くには大きな円盤型母船がいる。その母船に非常に奇妙な方法で乗船した。私を乗せた円盤は、すっかりと言っていいほど非物質化してから、母船の胴体を通過したのだ。母船内の七つの円盤駐機区画の一つに入ると、今度は物質化して以前の状態に完全に戻った。

 

・今乗っているのは連盟登録の宇宙研究室船で、長さは約2.4キロ、中規模の宇宙船です。本当に大規模な宇宙船は、この十倍から20倍はあります。超大型の大きさは言うとびっくりするでしょうから、言うのは遠慮しておきましょう。

  

都市の大きさはあるクリスタル宇宙船

・そうこうするに、白く輝くものが頭上に出現し、急速にその輝きを増していく。間もなく、明るく輝くオーロラがずっと強烈にきらきら輝く光に消されてしまった。巨大な形のものが降下して、視界に入ってくる。都市の大きさはある。だが、途方もないほど大きなボワーッとした塊のクリスタル・シャンデリアのようで、まるでクリスマスの飾り物みたいに様々な色の光を閃かせたり点滅させたりしている。

 「何・・・ 何だ それは?・・・・」

 私は吃ってしまった。天から現われたものが私達の視野一杯に広がるのに完全に飲まれてしまっていた。私達から2、3キロ離れたところだ。

 

・「感動するのも当然だ。このクリスタル宇宙船は現在『地上の平和』号と命名されていて、あなたがたの太陽系の惑星間ヒエラルキーの最高の旗艦なのだ

 

 

 

 

(2021/9/18)

 

 

 

『河童』

怪異の民俗学  3 

小松和彦  責任編集   河出書房新社 2000/8/1

 

 

 

千葉徳爾 座敷童子

私が主として説明を試みたのは、この信仰の基くところと、何故この地方のみに濃厚な伝承を留めているかである。この点については、最上孝敬氏の論考「家の盛衰」に啓発されるところが多かった

 ザシキワラシの伝承に付随して研究されるべき多くの興味ある話題については、単にその方向のみを注意することにとどめ、更に稿を改めて論じたいと思う。

(注) たとえば隠れ里に行ってもらって来た品物が、富の根源となるという話などがその一つである。

 

・こういっては失礼であるが、この研究を最も熱意をもって進められた佐々木氏などは、事例を追加しようとするあまりに、今から考えるとザシキワラシの本質から遠いものまで、資料として集積報告しておられたところがあるように見受けられる

 ザシキワラシの数多い呼びかた、ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、ノタバリコ、ウスツキコなどが、すべて童児を意味することから、それが童形のものと考えられていたことが確かである。また、これが居ると家が豊かで、それが居なくなると家が衰えるということも欠くことのできぬ性格である。憑物とちがって、一定の家系に永久的に附属しないこと、その家屋に居ていたずらなどはしても、決して「たたり」といった種類の行為をしないことなども注意してよい。

 以上の要素をそなえず、単に屋内に住む精霊(ホソテ、ナガテと呼ばれるもの)、そうしたものが示す

 

姿の有無に拘わらず、座敷に寝る者を安眠させず、枕返しをし、床の中に入り、押しつけ、押出すなどは、およそこの地方でザシキワラシの特性のように伝われている。寝ているときに、このような感覚を受ける場合は、他の地方では「もの」に憑かれる時に語られており、それには生理的原因があるらしい。例えば就床前に胃が満ちていたり、調子のよくないときがそれである。しかし、このような理由以外に、既に忘れられた潜在意識も作用しているのではあるまいか。

 

・ザシキワラシが童形にしてその存在が家の富貴繁昌をもたらす精霊とすれば、名は異なっても日本のフォクロアに類例の求められない存在ではない。「紫波郡昔話集」にのせられた福の神ヨゲナイなどが、最も近い場所の一例といえる。

 

 昔、南昌山(岩手県紫波郡煙山村)に門松迎えに行くと、笊淵に鴨が一羽浮いていた。門松を投げつけると鴨も門松も沈んでしまう。すると淵からアネサマが出て来て門松の礼を云い、自分の家にまねく。そして家で門松の礼に何か与えると云うから、ヨゲナイを欲しいといえと教えてくれる。行くと立派な座敷でもてなされ、ヨゲナイというみたくないカブクレワラシをもらう。それを家のでこに隠しておくと、よくかせいでくれるので、キシネビツに米があふれ、財布の銭がいつもあるようになった。夫が朝晩にでこに入って、にかっと笑って出てくるのをみた女房が、でこに入ってさがすと、みたくないワラシが居ったので箒で追出したところ、家は前のように貧しくなってしまった。

 

竜宮もしくは水神のおくりものとしての竜子ならば、天竜川の流域にも数多い話が伝えられている静岡県引佐郡鎮玉村のクルメキ淵から出て来た童児は、竜宮小僧といわれて、村の家々の田植の手伝いをしたり、夏のにわか雨にはすぐ出て来て干しものを片づけてくれた。長野県下伊那郡大下条村川田では、大家という家の後にある一坪ほどの井戸のような池から、カハランベが出て来て、田植の手伝いをしたり、膳椀鋤鍬の類を貸してくれたり、進んでは竈の火をも焚いてくれた。愛知県北設樂郡富山村市原の田辺家でも、屋敷の下の青淵について同じような話が伝えられる。ここから出て来た小僧は来客の時には必ずアメノウオを二尾ずつとってくれた。農業の手伝もしてくれるし、平日は竈の上もしくは釜の蓋の上に居て食事をしたとも伝え、その食事につかった御器は、欠けているが今も尚残っている。欠けた一方はこの家の親類の豊根村下黒川の荒川家にあるが、ここではこれを河童が竜宮から持って来てくれたのだといっている点は注意してよい。同郡振草村小林の大谷池という家もスミドン淵という淵に臨み、ここから出たカハランベが田植の手伝いをし、また膳椀の入用なときは貸してくれた。

 

・しかし、竜宮から来た子供の話が関東にもなかったわけではない。栃木県佐野市には俵藤太秀郷が竜宮からもらって来た童子、竜太、竜次の二人の子孫という家があり、水の神の使者だから水に手足をひたしても冷くないといって紙すきを家業としていた。そして家伝のひび薬を売っていたというのは、後にふれる河童相伝の医薬と考え合せるべきことなのである。

 

一般にザシキワラシが居るとか、家が衰えてワラシが他の家に移ったということはよくいうことであるが、元来これがどこからやって来たかを説くものは少ない。岩手県では上閉囲軍大槌町に、猿が山から下りて来て家の守神となった話があるが、これをザシキワラシと呼んでいるか否かは明らかではない。土淵村の阿部家のザシキワラシはフチサルというものだといわれるが、淵猿は河童の一名である。

 

・猿ガ石川に沿う多くの旧家で、家の子供が淵の主のたたりで育たぬとか、河童が娘のところに通って来て河童の子が生まれたとかを伝えるのは、やはり家と水の神との縁を語る神話の零落した姿であろう。橋野川、閉伊川に沿っても、家の娘が淵の主の妻になったという話は二、三に止まらない。有名なのは茂市村腹帯のハラタイ淵の主で、すでに三つの家がこの淵の代々の主と婚姻を結んだと伝えている。例えば釜石の板沢家では、娘がこの淵の主に嫁入りして、毎年一度帰って来るといい、その日玄関に水をたたえたたらいを置き、新しい草履をそろえておくと、翌朝必らず草履が濡れているのを、娘の帰ったしるしとしていた。更に上流の川井村でも、長者の娘が淵の中で機を織っているのを、その家の奉公人が落とした斧をとりに入って発見した話がある。この類話は小本川の流に沿っても岩泉町に語られており、それぞれ昔話のモティーフが、土地の旧家の淵や泉に臨むものと結びついて根をおろしたものである。

 

馬淵川にそっては、河童(メドツ)が旧家の事跡に関して淵ごとといってよいほどに語られている。或は馬を引き込もうとして捕えられ、詫証文や薬を残し、或は角力をとるなど、さまざまのいたずらをする点はザシキワラシとも似ている。やはり淵ごとに特定の家がその神を奉じて住んでいたためではなかろうか。

 

・腹帯淵にはまた、水神の文使いの話も結びついているが、同じ形は遠野郷の物見山の沼についても伝えられている。遠野の町の池ノ端という屋号の孫四郎という人、物見山の沼の主から大阪の姉神のところまで手紙をたのまれて往復し、その礼に使っても尽きぬ銭百文と、米一粒を1日に入れて一回転すれば、金の粒一つを挽出す臼とをもらった。そして長者になったが、その妻が「おれもホマツをすべえ」と思って、沢山の米を入れてがらがらと挽き廻したために、神棚から臼がころび落ちて庭の水溜りに入って消え失せてしまった。この臼が転び入った池は、明治23年の遠野大火の時に埋ってしまったというが、池ノ端の屋号はこのためにできたものであろう。「老媼夜譚」には同じモティーフの話が沼宮内にあったこととして黄金を生む子犬の形で語られており、気仙郡、胆沢郡でも黄金を挽出す臼の同じモティーフで採集され、この地方にひろく分布しているらしい。

 

・竜宮に門松や薪を奉ってその礼に小童をもらって家が栄えたというモティーフと、水の神の手紙をもって往復した礼として黄金の挽臼や尽きぬ銭をもらって富んだという語りかたとの関係をたずねる上に、参考となるのは、吉里吉里浜の善平長者の話である。

 

・ただこの一例ならばあった話が消え失せたとも考えられるが、私がこれまでに知り得た限りでは、北上地方の代表的豪家と考えられる地頭の家には、ザシキワラシが居た、または居るという家が極めて少ない。

 

・土淵村山口の孫左衛門長者はザシキワラシをもっていたが、その没落に先立ってワラシは泣きながら気仙郡日頃市村の稲子沢の長者のところに移った。

 

・このことは、遠野地方でも、九戸郡でも、ザシキワラシは旧家でしかも繁昌する家に出るもので、成上りの家にはどんなに豪家でも出ないのだといっていることが、単なる噂でなく、かなり根拠のある伝承であることを示すのである。

 

・当時、村の物持は村会議員か区長のような職をもつのが普通だったと思われるが、約80のうち17ばかりがそうした公職をもつだけだから、他の約60は財産がそれほどない家とみられる。つまり、ザシキワラシの居る家の富の程度は県内指折りというほど大きくなく、せいぜい近郷の物持として評判される程の家にすぎない。

 近世中期以後に急激に富を増加した豪家は、いろいろの事情から、ザシキワラシを水の神から与えられるような神に愛される性格をそなえているとはみなされぬことが多かった。江刺郡、胆沢郡地方でもモゲンといわれるのは一代分限であるが、呪詛や法術といった正道ならぬもので富を積んだ家のことで、かなり多くきく話である。モゲンは関西で無間筋といい、無間の鐘をついて得たゆえに、来世は地獄におちると評判される。北上地方の富豪の多くが関西出身の商人で、その蓄財法もかなり冷酷な手段のあったことが、このような噂の発生の源になっているのであろう。

 

・前に述べた上閉伊郡土淵村山口の孫左衛門長者は没落の前に狐を飼って富を得ようとした話をもつ。九戸郡山形村の豪家清水家でも盛岡から迎えた嫁が持参したという狐の像をまつり、毎月八日をマメシトギをあげていた。狐が富を与えてくれるという信仰はこの地方では比較的新らしく入ってきた文化らしく、特に小さいイヅナという狐を使って他人の秘密を知り、または貨財をひそかに盗むといった方法で、一代に分限となるという話は北上山地北部、八戸、鹿角などにひろがっている。二、三の昔話集にみられる盗人人形の話も、越中地方のヒンナ神と同じく、イヅナ系統の憑物による富の形成を意味している。従ってザシキワラシは富豪の成立には結びつかず、その衰亡にあたって出現するに止まることが多くなった。

 

・「奥州のザシキワラシの話」で、さまざまの要素の混在する伝承を一括して居られた佐々木氏は、大正十三年の「人類学雑誌」の上告では、主としてザシキワラシが女性であるものに注意されたが、昭和4年の「東北文化研究」には河童との類似に関心を向けて居られた。氏の20年の成果からのこの方向は、私の、ザシキワラシが海神小童信仰の残留であろうという推定を裏づけるものと考える。

 

・このことは、ザシキワラシの伝承が完形のモティーフとしてその出自までを説くものとすれば、北上川平地や気仙地方ではそれが脱落していることを示したものといえる。また北上山地北部で、伝承例数が絶対的に乏しいことは、やはり統計的に意味あることとして注目される。

 

・再びいうなら、ザシキワラシの出自を説く例が、一例を除いてはことごとく水中から来たといい、その分布は最も古い生活様式が残存した猿ガ石川、小本川にそう地域である。

 

収納論文解題  丸山泰明

折口信夫「河童の話」1929年

・折口自身によれば、「河童が、海の彼岸から来る尊い水の神の信仰に、土地々々の水の精霊の要素を交えて来たこと」を論じたものである。しかし、本文を見てみるとその内容はそれだけにとどまらず、河童のさまざまな属性に言及している。さらに折口特有の論証抜きの解釈と想像が繰り広げられており、安易な要約を許さない論考である。おそらく、折口の文章を直線的にまとめてしまえば、その魅力は半減してしまうだろう。根拠がないからこそ豊かな想像力が発揮されるのであり、それにより生み出される発想から学ぶことも多いのではないだろうか。

 

柳田國男「河童の話」 1954年

・柳田は妖怪の発生を、かつて神とされていた存在が人々の信仰の衰退により零落したものだと考えていた。河童についても例にもれず、河童の諸特性に着目しながらも、水の神が零落したものが河童であると主張している。現在では、妖怪は信仰の衰退により零落した神であるとする仮説はすでに多くの人々によって批判されているが、柳田の説いた「河童=水神零落説」はその後の民俗学における河童研究を方向づけていくことになった。

 

千葉徳爾「座敷童子」1952年

・本論文では、家に住みついて富をもたらし悪戯をする、いわゆるザシキワラシにとどまらず、河童をはじめとしてウントクやヒョウトク・ヨゲナイ・ハナタレ小僧などの童形の神もしくは妖怪、さらにはイヅナ狐やモゲンなどの、家を富み栄えさせるさまざまな存在について論じられている。

 千葉はザシキワラシを「海神小童信仰の残留」と推定し、社会の生産段階・経済団塊から河童から小童への変化を説明している。すなわち、自給中心の経済社会では、人の労働力が最も重要な資本であり、よく働くことが家を繁昌させる要因であり、交換価値のみで使用価値の乏しい黄金は遠い空想に過ぎなかった。このような社会の農業段階では水利を得ることが重要であり、水の神の恩賜が家の歴史に結びつけられ、富貴の原因として河童が語られる。しかし、交通路が開かれると商品作物や手工業が流入し、ザシキワラシも河童に近い姿から色白く愛らしい小童の姿に美化され、水の神との関係が忘れられていったとしている。

 

・実際に河童からザシキワラシへと変わったかは検討を要するが、富貴譚のモチーフを生産段階・経済段階の変化と関連づけているのは興味深い。なお、千葉には本論文の他に、河童が農作業を手伝う話を分析した「田仕事と河童」(1958年)がある。

 

野村純一「河童が火を乞う昔話」 1968年

・河童が火を乞う昔話を入口にして、水の精霊である河童と火のかかわりを考察した論考である。なぜ水の精霊である河童が人間に火種を貰いに来るのかという問いを野村は立てる。そして対照的に見える水と火の関係を、柳田國男の『山島民譚集』や他の伝説集の記述をひきながら考察し、「水をよく管掌するものにして、はじめて火をも管理する資格がある」とする論理が流れているのではないかと推測する。

 

・ところで、野村が河童が火を乞う昔話として引用しているふたつの話は、両方とも尻を求めてきた河童に火を与えて追い払った話であり、野村がいうように河童が火種を求めて人間に近寄ってきた話ではない。また、河童が火を嫌うことも不知火や出火の原因であることも一緒にして河童と火のかかわりについて論じようとしており、これらの点で野村の議論は錯綜しているといわざるを得ない。しかし、だからといって河童と火のモチーフのかかわり自体を考察する意味がなくなったわけではないだろう。

 

神野善治「建築儀礼と人形――河童起原譚と大工の女人犠牲譚をめぐって――」1983年

・本論文は「大工と人形」にかかわる河童の人形起源譚と大工の女人犠牲譚の二種類の説話を比較することにより、建築儀礼における人形の役割を考察したものである。寺社の建築に際して大工が人形を作り仕事を手伝わせ、仕事が終わったあと川や海に捨てられた人形が河童になったという説話の発生を、かつて大工が人形を作り祀った建築儀礼のなごりではないかと推測し、さらに棟上げのときに祀る人形と、その由来譚としての建築に際して女性が犠牲になった説話の構造の中で同等の位置をしめていることから、両方の説話の背景に大工が建築儀礼として人形を作ったことがあるのではないかと想像している

 本論文は、河童を主題にして考察した論考というわけではなく、建築儀礼における人形についての論文である。しかし、それまでの「河童=水神零落説」とは異なる河童の人形起源譚に注目したという点で画期的な論文であり、その後の河童研究に大きな影響を与えることになる。

 

川田牧人「妖怪の交響楽――奄美・加計呂麻島における妖怪譚の構造分析試論――」1987年

河童と似たような外見的・能力的特徴をもつ奄美地方の妖怪「ケンムン」を分析したものである。それまでになされた先行研究が、ケンムンと河童の相同性を見出しケンムンを山の神の系譜だとしているのに対し、川田はケンムン譚を奄美の民俗社会・文化の中に位置づけることにより、その論理構造をとらえることをこころみている。奄美の加計呂麻島において、生業や年中行事のサイクルなどの人間の生活・神観念・動物観の三者はそれぞれ、海-山・畏憚-招迎・恩益-害悪という対の構造があり、これらが組み合うことによって3次元の二項対立構造を形成している。そして個々のケンムン譚を集積することにより得られるケンムンの全体像は、この3次元の二項対立構造を一身に体現しているとされる。

 

若尾五雄「河童の荒魂」1972~1975年

・河童の属性のひとつである「尻子玉を抜かれる」ことを水死した状態であるとし、水死するような川の淵は渦を巻いていることから、渦巻きは河童の荒魂であり、河童は渦巻きの和魂であるとしている。そして渦巻きは水流が交叉して回転することから「河童は<交>である」というテーゼを引き出し、河童のあらゆる属性をこのテーゼにしたがって読み解く。のちの河童研究において議論されることになる河童と建築・土木事業との関係や、「河原者」との関係についてふれている部分もあり、この点では先駆的だったといえる。

 

小松和彦「河童――イメージの形成――」1987年

現在のような河童のイメージが近世に形成された歴史的過程について考察している論文である。後の研究にとって重要なのは、農民とは異なる生業を営み、賤視・差別されていた「川の民」「非人」「河原者」の役割に着目したことであろう。大工が仕事を手伝わせるために作った人形を川に捨てたところ河童になったという河童の人形起原譚と、近世の資料である「小林新助芝居公事扣」の記述にある「非人」の起原譚が非常に似ていること、「川の民」「河原者」に対する当時のゆがんだイメージに関連する諸属性が河童にも見られる。これらのことから、賤視された人々のイメージが核となり、カワウソやスッポン・猿などの動物のイメージが付与されて、河童のイメージが形成されたのではないかと推測している。