(2024/5/8)

 

 

 

日本怪異妖怪事典 近畿

御田鍬、木下昌美(著)、朝里樹(監修) 笠間書院 2022/5/26

 

 

 

一目連(いちもくれん)

・三重県桑名市の多度(たど)大社別宮の一目連神社に祀られているもので、暴風雨の際に大きな音とともに現れ、これを制するという。片目の龍とも言われ、『勢陽五鈴遺響』などでは天目一筒神(あまのひとつのかみ)と同一視される。

 『多度町史 民俗』によると、海で時化(しけ)にあった時に祈ると、ドーンと大きな音がして白馬に乗った一目連が現れ、助けてくれるという。また日清・日露戦争の際、大きな音を残し、白馬に乗って戦場に行くことがあったとされる。多度大社にある白い木馬の右足が欠けているのはこの時に負傷したものだという。

 

おさだ狐

・三重県南勢町(現・南伊勢町)神津佐(こんさ)に伝わる。昔、おさだ狐という狐がいて、体の弱い人によく取り憑いた。これに取り憑かれた人は、わめいたり歌いだしたり奇妙な仕草をしたりするという。また、これに取り憑かれた人が死ぬと、狐がそのはらわたを食べるとされ恐れられた

 ある時、徳重という僧がやってきて、「南無阿弥陀仏」と書かれた石碑を建て、墓参りのたびにお参りさせ、各組ごとに、毎月旧暦の15日の晩に南無阿弥陀仏の掛図をかけ、線香一本が燃える間念仏を唱えさせるようにすると、狐はいなくなったという。この石碑は現在も残っている。

 

河童の夫婦

・三重県紀宝町に伝わる。昔、相野谷川に河童の夫婦がおり、畑の瓜や茄子や西瓜を盗むので、村人は作物を芋に切り替えた。食料に困った河童は村で一番たくましい酒屋の栗毛の馬を川へ引き込もうとするも、村人に見つかり、西照寺の本堂の前にある黒松と赤松にそれぞれ縛り上げられ、火あぶりにされることになった。

 河童が涙を流して詫びるので住職が村人を諭し助けてやると、河童は「うまく騙してやった。寺の松が枯れたらこの村を泥の海にしてやるからそう思え」と言って川に入った。なお現在、この二本の松はすでに枯れているようである。

 

五ヶ所浦の牛鬼

・昔、現在の三重県南伊勢町にある切間の谷の岩の洞穴に牛鬼という怪物が住んでいた。これは首から上は牛で、人の言葉を話し、一日に千里(約3927キロ)を駆け回る強い鬼で、毎月牛を一匹ずつ食べていたという

 ある時、五ヶ所城の城主の愛洲重明(あいすしげあき)が弓の稽古をしていると、脇の岸壁の上に牛鬼が現れそれを見ていた。重明が牛鬼に弓を放つと、胸に命中し、牛鬼は叫び声をあげて転げ落ちた。

 

少女郎狐(こじょろうきつね)

・三重県伊賀市上野徳居町の広禅寺にいたという狐。

 大和(奈良県)の「源五郎狐」と同じく延宝年間(1673~1681)にいたとされ、源五郎狐の妻だと誰ともなく言われていたという。12、3ほどの少女の姿で、庫裏(くり)で手伝いをしたり、野菜を求めて門前に来たりしており、昼間に豆腐などを買って帰るのを見て、子どもたちが「こじょろ、こじょろ」と囃すと振り向いて微笑み、相手はしなかった。そうして4、5年ほど暮らしていたが、その後の行方は知れないという。

 

コボシ

三重県志摩市では河童のようなものを「コボシ」、「シリコボシ」、「カワコボシ」などと言う。

 岩田準一『志摩の海女』によると、天王祭の日に海に入るとシリコボシに生き胆を抜かれ、その死体の肛門は必ず開いているという。また、もしその日が口開け(海藻をとる定められた日)の場合、海女はシリコボシよけとして山椒の枝を糸で胸にかけて行ったという。

 

サンキジン

三重県伊勢市の大山祇(おおやまつみ)神社が社宮司社と呼ばれ、山の上にあった頃、境内にサンキジンという祠があった。明治の初め頃までは

大山祇神社の右側に碁石を積んだような跡があり、宮守であろうと触ると瘧(おこり)をふるうと恐れられていた。

 サンキジンは三鬼神のことだともいわれ、生贄を要求する神だった。ある人が生贄の娘に付き添ってみると、その正体は大猅々(ひひ)(あるいは大蛇、三つの顔を持った鬼などともう)だったので斬り殺した。それ以来、生贄の習慣はなくなったが、毎年正月三日には藁で30センチほどの人形を作り、女性の髪の毛を添えて社宮司社に供え、海に流すようになったという。

 

鈴鹿御前(すずかごぜん)

鈴鹿山(三重県亀山市)に現れたとされる鬼女。「鈴鹿姫」、「立烏帽子」とも。

 坂上田村麻呂が勅命で退治に立烏帽子の御殿へ行ったが、立烏帽子は様々な神通力で田村麻呂と戦い、また「三明の剣」という特別な剣を持っていると語る。そして二人は結ばれ、協力して近江国の「明石の高丸」や奥州の「大嶽丸」といった鬼を退治する。その後、立烏帽子は25で死ぬ運命だったと語り死ぬが、田村麻呂が閻魔王の前で暴れたため、閻魔王は最近死んだ同じ年の娘を生き返らせ田村麻呂はその娘を妻とした。

 

曾根(そね)の牛鬼

・三重県尾鷲市曽根に伝わる牛鬼に次のような話がある。

 室町時代の末期、牛鬼が毎夜現れ人間の尿を飲みに来たので、村人は

恐れ早くから戸を閉めていた。ある時、戸締りを忘れた家に牛鬼が入ったが、どうしたはずみか熱い灰の中に落ち、奇怪な叫び声をあげて逃げた。家人が恐々起きてみると、灰に一本足の足跡が残っていた。村は大騒動になり、地蔵灯籠を建てて祀ったという。

 

高法師さん(たかぼっさん)

・三重県紀伊長島町(現・紀北町)に伝わる。大島や佐波留(さばる)の沖の海底に眠っている大男で、普段は寝ているが嵐が吹くと沖を歩き回り、波切(志摩市)から潮岬(和歌山県串本町)まで七またぎで届くほどだという。

 

ダンダラボシ

三重県各地で巨人のことを指す言葉。これの足跡とされる場所が多く残っている。

 三重県志摩市大王町波切では一つ目の巨人として伝わる。

 

天狗になった子

・三重県東員町に伝わる。中上の遍崇寺の住職の大住という人には五人の男の子がいたが、そのうちの一人がある日、鞍馬山に行って天狗の修行をしたいと言い出した。皆が止めたがその子は聞かず、いつの間にか村からいなくなった。

 それから長い年月が経ち、その子から「立派な天狗になったので、一度故郷の中上に帰りたい。癸亥(みずのとい)の中秋の夜、遍崇寺の本堂の戸を全部閉め切って、縁側にうどんを作って並べておいてくれ」と便りがあった。村人は怖くなって隠れていたが、翌朝見ると縁側に置いたうどんは消えていた。

 それから毎年、寺では中秋に村中でうどんを作り本堂の縁側に並べ天狗を待っていた。その際、戸の隙間から覗くとたくさんの天狗が踊っていたという。

 

鳥羽の鬼女

・鳥羽城(三重県鳥羽市)の築城伝説として伝わる。九鬼嘉隆が夢のお告げで鳥羽に城を構えようとしてやって来た時、山の上に小さな茅葺きの寺があり、寺の中には千手観音があった。堂守がいないのをいぶかしんで見回してみると、琵琶のような声をした鬼女がいた。汝はいかなるものかと鬼女に聞くと、鬼女は面目を怒らせ飛びかかってきたので、これと戦い首を落としそのまま谷に投げ落とした。以来この地は琵琶の首と呼ばれるようになり、その後、観音像は堀の上というところに建立した観音堂に移され、現在も残っている。

 

ともかづき

志摩(三重県)の海女(あま)に伝わる。海中に潜っていると、他に誰もいないはずなのに自分と同じような姿の海女を見ることがある。海上に上がっても見知らぬ船はないが、海中に潜るとやはりいる。これは海女の亡霊で、魔よけの糸が縫い付けられていない、鉢巻が長い、あるいは足がないことで見分けがつくとされる。

 

長太(なご)のわたり

・三重県鈴鹿市に伝わる。昔、長太の浜に、背が高く目のぱっちりした美しい女がやってきた。漁師たちが「こんなに美しい人は竜宮様に違いない」と、自分の家に泊まってくれるよう口々に頼んだため、女は北長太の村と南長太の村に交互に泊まることになった。すると、その通った道筋がピカピカと輝いた。

 これを聞いた漁師の一人が「そんなことあるもんか」と言うと、それを聞いた女は海の上を渡って遠くへ行った。その後、長太の浜には神輿に乗って槍、高張提灯、馬を従えて海の上を渡っていく竜宮様の行列が見られるようになった。一説には、これは東海道の大名行列が蜃気楼になって映るためだという。

 

猅々(ひひ)女王

・神島(三重県鳥羽市)に伝わる。ある船が大時化(おおしけ)のため難破し、船員の一人がかろうじて無人島に漂着した。その島の洞窟にはたくさんの狒々が住んでおり、一匹の雌が女王となっていた。船員は女王と仲睦まじくなり、女王は船員を洞窟に住まわせて世話を焼いた。やがて女王は船員の子を産むほどになったが、船員は故郷を思う気持ちが絶えず、その心を計りかねてか、女王は留守の間必ず手下を監視につけていた。

 長い年月の後、船員は沖を通る船を見つけ救いを求めた。女王は幸い留守であり、船員は監視の者を殺して伝馬船に乗って島を離れた。女王は悲しげな声をふり絞って船を呼び止めたが止まる様子がないので、形相を変えて洞窟に引き返し、子どもを連れて再び岸辺に行き高く掲げると、怒声を発し子供の両足をつかんで股裂きに引き裂いたという

 

蛇池の大蛇

・三重県上野市(現・伊賀市)の上野城下の蛇池は、城ができる前から大蛇が出たという伝説がいくつかのバリエーションで伝わっている。そのうちの一つに以下のようなものがある。

 丸ノ内に大きな手のある蛇が住んでおり、一年に一度町にやってきて若い娘をさらい、食べて若さを保っていた。それを聞いた明神尊という旅人が、生贄の娘の赤い着物を着て娘になりすまし、用意しておいた樽酒を飲ませた隙に大蛇の手を切り落とした。その夜、娘の家に左手の不自由なおとなしそうな娘が一晩泊めてくれとやってきた。明神尊がその首を切ると、その娘は大蛇だった。

 

伊吹弥三郎(いぶきやさぶろう)

伊吹山(滋賀県米原市)に住むとされる怪人。

 古くは『三国伝記』にあるが、ここでは盗賊の名前となっている。源頼綱は住処を移す弥三郎を捕らえられず長年が経っていたが、摩利支天の隠形の術を習得し高塒川の中でこれを倒す。しかし弥三郎の怨霊は毒蛇となり川に落ちたので、田は枯れ水は飲めず九年間飢饉となった。そのため弥三郎を井明神とし井口の守護神として祀ったという。また、年に一度真夏の頃、空が曇り雷が鳴り霰が降り、人々は弥三郎が伊吹禅定に行くのだと恐れるという

 

・御伽草子の『伊吹童子』では、伊吹弥三郎は伊吹山中で獣や村人の牛馬を食い、恐れられた人物とされている。大野木殿という裕福な家の娘のもとに毎夜通う者があり、母親が娘に苧環(おだまき)をその者の衣につけさせ跡を追うと、その正体は弥三郎であった。弥三郎はその後もてなさせた大酒がもとで死ぬが、33か月を経て子どもが生まれ、伊吹童子と呼ばれた。伊吹童子は伊吹山の谷底に捨てられ、後に大江山に向かう

 

特に『酒呑童子異聞』では弥三郎について、近江国柏原荘の地頭であり数々の無法を行い佐々木定綱に討たれた柏原弥三郎との関連を指摘している。

 

弥三郎は巨人だともされ、弥三郎の足跡、弥三郎の小便が染みこんで薬となる泉など、弥三郎にまつわる伝説の地が多くある。また、ある時弥三郎は琵琶湖の水を飲み干してしまったが、泳げなくなった魚たちを見て申し訳なく思い泣き、その涙が姉川、妹川となりまた琵琶湖に水が戻ったという話もある。

 

天女

・余呉湖(よごこ)(滋賀県長浜市)に関する伝説。『帝王編年記』に書かれているが、これは『近江国風土記』の転載であると考えられており、日本における羽衣伝説の中でも最も古いものとされる。

 昔、余呉の伊香の小江(余呉湖)に天女が白い鳥となって降り、水浴びをすることがあった。伊香刀美(いかとみ)という人がこれを見て、白い犬を使い、最も若い天女の天の羽衣を盗んで隠した。天女七人は天に帰ったが、羽衣を盗まれた天女は帰ることができず地上の人間となり、天女が水浴びをしていた所は神の浦と呼ばれた。

 天女と伊香刀美は夫婦となり、男二人、女二人の子どもが生まれた。この子どもたちが伊香を開拓した伊香連(いかごのむらじ)の先祖である。また、天女はのちに天の羽衣を捜し取り、天に帰ったという。

 

二十年を経て帰りし者

・寛延宝暦の頃(1748~1764)、近江八幡(滋賀県)の松前屋市兵衛という金持ちが妻を迎え、しばらくして行方不明になった。家中の者が金を惜しまずに探したが行方は知れなかった。跡継ぎがいなかったが、妻も一族から迎えた者であったため新しい夫を迎え跡継ぎとし、行方不明となった日を命日とした。

 行方不明となった日、市兵衛は夜に便所に行き外で下女を待たせていたが、いつまでも出てこず、妻が声をかけても返事がなく、戸を開けるとどこかへ消えていたのであった。

 20年後、便所で人を呼ぶ声がするので見てみると、市兵衛が行方不明となった当時の服を着て座っていた。人々が驚き事の次第を述べたが、はっきりと応えず、空腹のことなので食事を勧めると、しばらくして衣服は埃のように消え失せ裸になった。衣服を与え、薬などを飲ませたが、以前の出来事を覚えている様子はなく、その後は病気や痛い所の祈禱をしているという。

 

入道坊主

・見上げれば見上げるほど大きくなるものとして全国に伝わる。

 

人魚

・『日本書紀』には推古天皇27年(619)4月、近江国(滋賀県)の人が「蒲生河に物有り。その形人の如し」と言ったとある。蒲生河は日野川の下流とされる。『人魚の動物民俗誌』などによると、これは一般的な人魚像とは異なるものの、日本最古の人魚の記録だとされることもあるという。そのためか、滋賀県内には人魚に関する伝説や人魚のミイラが多くある。

 

目建解(めたてかい)と川獺(かわうそ)

・滋賀県長浜市に伝わる。昔、平方の神社に怪物が現れるため、この辺りでは人身御供の娘を差し出していた。ある夜、旅人がここを通りかかると、琵琶湖から上がってきた怪物が「平方のメッキに喋るな」とつぶやいていた。翌日旅人が村人に聞いてみると、浅井の野瀬の長者の飼っている目建解という犬であるということが判明し、その犬を借りて人身御供を供える夜に待ち伏せた。怪物は犬に噛み殺され、その正体は大きな川獺だったという。

 

鞍馬山僧正坊

・鞍馬山(京都市)に住む天狗であり、『太平記』などに見られる愛宕山の「愛宕山太郎坊」などと同様に日本の天狗の中でも名のあるもののひとつとして、能の『鞍馬天狗』、『花月』、御伽草子の『天狗の内裏』、『天狗経』などに挙げられている

 『平治物語』、『義経記』などでは、源義経は鞍馬の天狗に兵法を学んだとされるが、先述の芸能・物語ではその場面において僧正坊が登場することが多い。

 

・なお村上健司『京都妖怪紀行』などによると鞍馬寺の説明では、僧正坊は「護法魔王尊」と呼ばれ、650万年前に金星から人類救済のためにやってきた「サナートクマラ」の仮の姿だとしている

 

酒呑童子

・『大江山絵詞』『酒伝童子絵巻』、御伽草子の『酒呑童子』、能の『大江山』などにある。「酒顚童子」などとも表記される。

 一条天皇の時代、京の若君や姫君が行方不明になることがあり、安倍晴明の占いにより大江山の鬼王の仕業と判明した。

 

是害房(ぜがいぼう)

・『是害房絵』にある。是害房を描いた絵巻は諸本によって細部が大きく異なるが、共通する大まかなあらすじは次の通りである

 康保三年(966)春、唐の天狗である是害房は、唐のあらゆる僧の法力を凌駕したため、次に日本にやってきて愛宕山の「日羅坊」に案内を頼んだ。日羅坊とともに比叡山に行った是害房は余慶律師らに返り討ちにあり、「平山聞是房(もんぜぼう)」ら日本の天狗の忠告も聞かず続けて良源座主滋恵(ざすじえ)大師を襲い、護法童子に打ちのめされる。

 傷ついた是害房を賀茂川で湯治させるため輿に乗せて運んでいると、小天狗たちが次々と是害房を囃し立てる。そして是害房は治療後、日羅坊らに名残を惜しまれつつ帰っていく。

 

宗旦狐(そうたんきつね)

相国寺(京都市)の伝説にある狐。お辰狐と並ぶ風流狐で、囲碁が上手く茶道にも造詣が深かったとされ、宗旦稲荷として祀られている。

 

・宗旦狐には他にも、僧に化けた宗旦狐が相国寺の会計係を命じられ、経営を立て直したという話や、碁をやっていると尻尾が出て、指摘されると「これは失礼」と言ってひっこめた話、源平合戦を詳しく語ったとする話などさまざまな伝承が伝わっている。

 

高入道

・天明年間(1781~1789)の末期、御幸町五条(京都市)の北に化け物が出るとされた。そこに住む銭屋九兵衛という者が深夜に外に出ると、月明かりで明るかったがにわかに空が曇り真っ暗闇となり、高さ一丈(約3メートル)あまりの高入道が九兵衛を睨んで立っていた。九兵衛が木の棒を投げつけると高入道は消え、もとの月夜となった。その後は化け物は出なくなったという。

 

土蜘蛛(つちくも)

・『平家物語』では次のように書かれる。昔、源頼光が瘧(おこり)の病になり、祈禱も効かず自宅(京都市)で30日余り臥せっていた。そしてある時まだ高熱が出たが、その後少し落ち着いたので、看病していた頼光四天王は部屋に戻っていった。その夜、丈七尺(約2.1メートル)ばかりの僧が現れ、頼光に縄をかけようとした。頼光が「何者だ」と枕元の名剣膝丸で切り付けると、騒ぎを聞きつけた四天王がやってきて、見ると灯台の下に血痕があった。その跡をたどると、血は北野社の塚に続いており、握ると中には四尺(約1.2メートル)ほどの「山蜘蛛」がいたので、鉄の串に刺し河原にさらした。これにより膝丸を蜘蛛切と称したという。この話は能の『土蜘蛛』や浄瑠璃、歌舞伎などの題材としても広まっている

 

橋立小女郎(はしだてこじょうろう)

・天橋立(京都府宮津市)に住むという化け狐で、人を騙したという話が多く残っている。

 ある農民が大根を小舟に一杯積んで夕方帰っていると、松の間から見知ら娘に「その舟に乗せてください」と言われた。これは小女郎狐に違いないと思い、乗せるやいなや縄で縛り、帰るとすぐに青松葉を燃やしその上に女を投げ込んだ。しかしそれは大根で、狐はすでに逃げていたという。

 また、成相寺の文海という小僧は、橋立明神のそばを通るたびに穴に油揚げを置いてやって長い時間かけて仲良くなり、ついに狐の玉を借りたという。

 

八九郎狸(はちくろうだぬき)>

・京都府京都市中京区高瀬川筋四条上ル東の路地に、「臼(うす)大明神」とされる臼が石祠に祀られており、願いをひとつだけ聞くと言われている。これは大津紺屋関(滋賀県)に住んでいた八九郎狸が住処を失って臼の中に移ったとされ、託宣によって一度に祠を営まず次第に築いていくのだという。

 

・一説には、臼大明神とはゼウスのことであり、キリスト教宣教師からもたらされた信仰だともいう。

 

羅刹鬼(らせつき)

・『今昔物語集』にある。

 昔、鞍馬寺(京都市)に一人の修行僧がいた。夜、この僧が焚火をしていると、女の姿となった羅刹鬼が現れ、火に当たっていた。僧はこの女が鬼であることに気づき、金杖の尻を焼いて鬼の胸に突き立てて、逃げて堂の西の朽木の下に隠れた。金杖を突き立てられた鬼は激怒し、僧の逃げた跡を追って走り、僧を見つけ大口を開け食おうとした。恐れた僧が毘沙門天に「我を助け給え」と祈ると、急に朽木が倒れ鬼を圧し潰した。僧はこれを見て泣いて毘沙門天を礼拝し、この寺を出て他所へ移ったという。また、これを見聞きした人々は毘沙門天の霊験の尊さを語り伝えたという

 

茨木童子

・酒呑童子の配下の鬼としてさまざまに伝わる。

 浄瑠璃の『傾城酒呑童子』や歌舞伎の『茨木』などでは次のような話が知られる。

 源頼光の四天王の一人である渡辺綱が羅生門で女に化けた茨木童子の腕を切り落とし、唐櫃(からびつ)に入れて物忌みをしていた。するとそこに伯母の真柴が現れ、綱は一度拒否するものの家に上げる。すると伯母は「これは私の腕だ」と言い、茨木童子となって腕を掴んで逃げる。

 

葛の葉(くずのは)

仮名草子『安倍晴明物語』、説教節『信太妻』、浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』をはじめとした浄瑠璃、古浄瑠璃、歌舞伎などに登場する。共通した大まかなあらすじは次のとおりである。

 村上天皇の時代、安倍保名がある女と夫婦となり、子どもをもうけた。しかし女は子どもに狐の正体を見られ、「恋しくば訪ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と障子に書き残し信太の森(大阪府和泉市)に去っていく。歌の通り森に訪ねてきた父子と出会った狐は、子どもに玉を与えるが再び姿を消す。この子供は後に安倍晴明となる。

 

刑部姫(おさかべひめ)

・姫路城(兵庫県姫路市)の天守閣にいるものとして広く伝わり、歌舞伎や、泉鏡花『天守物語』、岡本綺堂『小坂部姫』などの小説の題材にされている。

 『甲子夜話(かっしやわ)』によると、天守閣の上層にいるが人が入ることを嫌い、年に一度老婆の姿で城主に対面するという。また、姫路では「ハッテンドウ」と呼ぶとされている。

 『諸国百物語』では刑部の名前は出ないが、次のような話がある。姫路城主の秀勝が夜中に家々の者を集め「城の五重目に夜な夜な火を灯す者があるが、見てくる者はいないか」と言い、18歳の武士が上って証拠として提灯に火を灯してくることになった。すると17、8歳の十二単を着た女性がおり、「主の命ならば許そう」と提灯に火をともし、さらに証拠として櫛を与えた。この提灯の火は秀勝が消そうとしても消えなかったが、18歳の武士が消すと消えた。

 

鹿松峠(かのししまつとうげ)の鬼神

・兵庫県神戸市須磨区妙法寺・大手町に伝わる。永延年間(987~989)、高取山の北の鹿松峠に鬼人が出て旅人を苦しめていた。一条天皇は高野山で修行をしている藤原伊尹(これただ)の三男の英雄丸に鬼人を鎮めるよう命じ、英雄丸は名を証楽上人と改めて峠の近くに堂を建て日夜経を唱え、鬼人は姿を消した。高取山の西の鬼ヶ平はこの鬼人が住んでいた所だといい、堂は後の勝福寺だという。

 

神隠し

・子供が姿を消すこと。澤田四郎作「神隠しの事例」によれば奈良県香芝市ほか、県内各地で聞かれる話であるという。狐に入られた、または狐の悪戯であるなど、往々にして狐が原因とする。

 また御霊神社(奈良市)の狛犬は、神隠しにあわないように、家出人や悪所通いの足が止まるようにと願掛けするとよいと伝わっている。

 

源九郎狐(げんくろうぎつね)

・洞泉寺(奈良県大和郡山市)の源九郎稲荷に祀られる狐。郡山城の殿様の使いであり、徳川・豊臣の合戦の時諜報員として活躍したとする。徳川方に有利な情報をもたらしたが、ついに豊臣方のために毒殺された。殿様は不憫に思って寺に祀ったのだとする。

 

・なお現在(2022年3月)はコロナウイルスの影響で中止だが、同市の「春の大和郡山お城まつり」では、白狐面をつけた子供行列が練り歩く白狐渡御が行われる。

 

前鬼後鬼(ぜんきごき)

・役小角(えんのおづぬ)(役行者)が従えていた鬼たち。

 

高坊主(たかぼうず)

背の大きな坊主の姿をした化け物。主に狸などが化けたものであるという。

 

土蜘蛛

・『古事記』や『日本書紀』などにもみられる。各風土記にもその名があり、各地土着の土蜘蛛の記述がみられる。朝廷に従わない者たちのことを、そう呼んでいた。『日本書紀』の「神武即位前紀」では、大和(奈良県)は葛城の土蜘蛛は身が短く手足が長いとしており、同「景行紀」では石窟に住み皇命に従わなかったと書かれている。

 

天狗

・天狗にまつわる話は、奈良県内各地にみられる。天狗はもともと凶事などを知らせる流星であると言われるが『大乗院寺社雑事記』の寛正六年(1465)九月十三日には、夜「天狗流星一」があり天下が振動した旨が記載される。

 また天狗杉と呼ばれ、天狗が棲んでいたとする杉の木も少なくない。

 

飛ぶ鉢(お椀)

・『信貴山縁起』にある。信濃(長野県)から出て東大寺で受戒した命蓮(みょうれん)が夢告で信貴山に上り修行し、鉢を飛ばすなどして供物を得るなどしていた。供物を怠っていた山崎の長者のもとにも鉢を飛ばし、その鉢に校倉(あぜくら)造りの倉が乗って、倉ごと信貴山にいる命蓮の所まで飛んで来たという。

 また奈良県十津川村の果無(はてなし)に飛ぶ椀の話がある。果無谷の果無滝から月に一回、昼過ぎくらいになると「ウウーン」という音をかすかに立ててお椀が飛んで来るという。同じ家に続けて飛んで来ることはない。椀はまるで目が付いているように、目当ての家の人が外で働いていても家の中にいても、必ずその人の目の前に止まる。お椀を受け取った人は、その中に麦飯や粟飯をてんこ盛りにつぐ。漬物があればそれも付ける。すると椀は「ウウーン」と果無滝へ帰っていく。

 

<蛇女房>

・蛇が美女に化けて男の妻になるも正体を見破られ、そのまま姿を消すという話が一般的。

 

<蛇婿>

蛇が男になって人間の娘に求婚するという内容の昔話群の総称。一般的に「苧環(おだまき)型」、「水乞(みずこい)型」、「蛙報恩型」に大別される。奈良県では「苧環型」が多いだろうか。これは、夜中に娘のもとに見知らぬ若い男が通ってくることを怪しんだ親が、男の着物に糸を通した針を刺すように娘に言う。男が帰ったあと糸をたどると蛇の住処に到り、蛇の親子の会話を聞き、娘に宿った蛇の子を堕ろす方法を知るといった内容。

 

<大人(おびと)>

和歌山県各地で巨人のことを指す言葉。各地に大人が作ったとされる山、川、湖などがある。

 

<猩々の女>

和歌山県田辺町(現・田辺市)に伝わる。昔、元町天神崎の立戸の浜で、ある笛の巧みな若者が笛を吹いていると、美しい娘が現れ聞きほれていた。女は「私は海の世界に住む猩々の女です。貴方の笛にあこがれて女に姿を変えてきました」と言った。若者は女の望みを聞いて演奏し、女はその礼に餌がなくても釣れる釣道具として、釣り針に髪の毛をつけたものを渡し姿を消した。その針を使うと鯖、鯛、鰹などが思うように釣れたという。

 男が初めに釣った釣り場が猩々という名前で現在も残っており、後に釣り針は西富田村堅田浦の八幡神社に寄進された。

 

奈良の河童の妙楽について

河童が持つという薬の話が、各地に伝わることはご存じだろう。奈良県の五條市(旧大塔村)などでも「辻堂錦草」「蒲生錦草祐玄湯」と呼ばれる河童ゆかりの薬の話が聞かれる。興味深い点は、実際に近年までその薬が売られていたという点だ。筆者が販売を請け負っていた方の親族に聞き取りをしたところ、紀伊半島大水害(2011年)までは流通していた記憶があるとのことだった。

 桂皮や丁子など数種類の生薬をブレンドしたもので、煎じて飲むタイプの薬だったという。外傷や神経痛、風邪など何でも効く万能薬扱いだったようだ。

 

騰黄(とうこう)

・京のある身分の高い家には騰黄という神獣の図がある。その神獣の形は狐のようだが狐とは異なる。一説に、この獣は神代から日本に2000年いて大陸に渡り、その際に黄帝がこれに乗って天下を巡り、それによって馬に乗ることをはじめて皆に教えたという。

 

 


『深宇宙探訪記』  

(オスカー・マゴッチ)(加速学園) (発売 星雲社)1991/8

 

 

 

 葉巻型の宇宙船は世界各地で目撃談が多い大型宇宙船だ!?

・ 宙型船内宇宙研究室(連盟登録番号 SLA8701)

 宇宙研究用の移動研究室。12の異なる世界を展示。多種族の乗組員と科学者が搭乗。総搭乗員数3000『人』

 全長2400m。直径約400m(厚さ約188mの単独航行可能モジュール18基で構成)

 

 <宇宙研究室の外観>

・各モジュールは、居住者の便宜を考え、それぞれの貫通路に沿って観測窓が、一つずつ付いている(実際には大型の展望用球体で、拡大機能および夜間赤外線利用暗視機能がある。)

 

 種々のUFO

・『帝国同盟』の三角形をした地球外の戦闘機。『悪魔機』として知られている。

 

・7機の円盤を収容できる中型円盤型母船。直径100m。高さ40m。

 

・偵察型の円盤(直径25m。高さ10m)

 

・幽霊船(およそ、長さ40m、幅10m)  本船が生きている存在で、固体の固い金属構造物ではない。準バイオニック船である。

 

・ダイヤモンド型エーテル船(高さ12m、幅12m)

 

 深宇宙探訪記に書かれてある中型船内宇宙研究室は、葉巻型UFOか

・宇宙研究用の移動研究室は、搭乗員が3000人で、全長2400メートル、直径400メートルで長さ122メートルの単独航行可能なモジュール18基で構成されているようです。そして、バミューダ三角海域の次元間移行ゾーンを利用しています。これが、有名な葉巻型のUFOのように思われますが、大きさから考えると世界中で見られているのとは違うかもしれません。

 

・オスカー・マゴッチの本によると「シリウスは連盟の送信センターである。暗黒の勢力とその地球の光明派の召使達はシリウスから来た善玉になりすましている。暗黒の勢力は、自分達の基地は、オリオン大星雲にあると、私達に思い込ませようとしている。しかし、彼らはそこからやって来たにすぎない。オリオン座は、光の主たちの故郷であり、銀河系委員会の故郷であるのだ。そしてアルクトゥルスを中継基地に使っている。暗黒の勢力と彼らが支配する悪の帝国の本拠地は、大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。宇宙連合の宇宙人は、友好的な善意の宇宙人であるが、惑星連合や地底連合の宇宙人は、邪悪な宇宙人である」

 

 アメリカ政府と宇宙人の契約

・1947年7月2日ニューメキシコ州ロズウェルでUFO墜落事件が起きた。だが、米軍は、気球の墜落だと発表し、事実を偽装した。奇妙なことに1949年1月30日同じロズゥエルで、UFO墜落事件がおき、その際、偶然にも地球外生命体が1名生存しており、ロスアラモス研究所に送られた。その地球外生命体は、「イーバ」と名づけられ、1952年6月18日まで生きた。その間の調査では、イーバは自らの母星が、地球から55光年離れたところにあると告げたという。

 

・彼の身体的外観は、現在多くの人に知られるところとなった「グレイ」に似ており、爬虫類と昆虫の特徴を持っていた。そして、1954年1月、アメリカは、後に「ラージ・ノーズ・グレイ」と呼ばれるようになる地球外生命体と初コンタクトを行なう。この地球外生命体の出自は、オリオン座のペテルギウスを巡る一つの惑星だった。これは、500光年離れた赤色巨星を巡る惑星からやってきた事になる。1954年2月

 

・ラージ・ノーズ・グレイの代理として、イーバそっくりの「クリル」と名づけられた地球外生命体が再度地球人とのコンタクトのため送り込まれ、この時、アイゼンハワー大統領が統括していたアメリカ政府は、この「クリル」を全権大使とした「オリオン座領域から来訪した」地球外生命体と何らかの契約を結んだと言われている。「それから50年、国家最高機密は、厳重に守られている」。