(2024/4/30)

 

 

 

日本怪異妖怪事典 東北

寺西政洋、佐々木剛一 佐藤卓、戦狐 

朝里樹(監修)  笠間書店  2022/4/27

 

 

 

キャトルミューティレーション

・Cattle mutilation――牛などの家畜が血を抜かれたり体の一部を切除されたりして変死する怪現象。アメリカでは1970年代に報告が増加した。UFO(未確認飛行物体)やその乗組員たる宇宙人の仕業と主張される際にこの語が使われる。

 日本では1989年に青森県三戸郡田子町の牧場で発生した牛の変死事件が、この現象の事例として扱われる。早瀬の牧場で黒毛和牛が乳房などを切られて死亡、長野平でも同様の雌牛の死体が発見されたもので、変死事件自体は『読売新聞』青森版でも取り上げられたという。同じ時期、青森では奇妙な発光体の目撃が相次いでいたという。

 

羅刹鬼(らせつき)

・岩手県盛岡市に伝わる。昔、羅刹鬼という鬼が、盛岡辺りの里を荒らしており、人々は三ツ石神社に願を掛け、これを捕らえてもらった。羅刹鬼は二度とこの地を踏まないと約束をし、三ツ石の神様はその証文として、三ツ石に手形を押させた。岩手県の県名はこの岩に残った手形に由来するという

 

離魂病(りこんびょう)

・岩手県二戸市浄法寺町に伝わる話である。ある男が夜道を歩いていると、前方から自分とそっくりな者が歩いて来てすれ違った。その男はそれから病に伏し、行者に看てもらうと離魂病だと告げられた。そしてその男は、しばらくして亡くなった。この地域では離魂病は、古くから遊離魂とも影患いとも呼ばれていた。

 

・犬飼公之『影の古代』によれば、人の姿を形成しているのは魂であると考えられていたようだ。つまり、自らの肉体から魂が分離すれば、その魂が同じ姿を形成する。男が夜道で自分とそっくりな者に出合ったのは、自らの肉体から分離した魂であったのだろう。俗説ではドッペルゲンガーに出合うと死ぬと言われる。

 

御出山(おいでやま)の大男

・宮城県仙台市太白区茂庭に伝わる天狗。その昔、御出山(現・太白山)には巨大な天狗が住んでおり、その頭は雲より高く、片方の足が名取の高館山にある時に、もう片方の足を吉田集落の泥田の中まで伸ばすことができた。

 

キリスト

・青森県三戸郡新郷村の戸来(へらい)に「キリストの墓」と称する遺跡があることは現在よく知られているが、これは天津教教祖の竹内巨麿が、所蔵する古文書(竹内文書)に基づき主張した説に由来する。曰く、キリストは処刑されておらず、ゴルゴダの丘で死んだのは身代わりの弟イスキリであった。難を逃れたキリストは八戸に上陸し、戸来で女性と結婚、娘をもうけて晩年を過ごしたという。「イスキリスクリスマス遺言書」ほか、数百億年に亘る知られざる超古代史を明らかにした竹内文書はある意味魅力的だが、偽書として学問的評価は定まっている

 竹内文書の影響を強く受けた山根キク(菊子)は『光りは東方より』を昭和12年(1937)に上梓、キリスト日本渡来説を世に広めた。さらに山根は天狗=キリスト説も主張している。「天狗とはキリストの事なり」というのは絶対的事実で、全国各地で祭祀され、伝説に残る天狗とは、渡来したキリストが日本中を巡った痕跡であるらしい。赤ら顔、高い鼻、鋭い眼光といった天狗の特徴は、当時のキリストの風貌を伝えるものだとか

 

猿の経立(ふったち)

柳田國男『遠野物語』第45話には、「猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂を毛に塗り砂を其上に附けてをる故、毛皮は鎧の如く鉄砲の弾も通らず」と書かれている。

『捜神記』の中の「豭国(かこく)」に、女性をさらい交わってしまう玃猿(かくえん)の話があることから、この猿の経立の性格は、中国から輸入されたものが結び付けられたのだろうか。李時珍『本草綱目』にも、この玃猿が紹介されている。

 猿の経立が女色を好むというのは、中国経由で伝わった猿のイメージであった。

 

山中の不思議な家

・昭和61年(1986)6月、初夏の穏やかな日に、岩手県大船渡市三陸町綾里田浜に住む山下トリさんは、いつも慣れ親しんだ山へと蕗(ふき)採りへ行った。ところがいつもの道を歩いていたはずが今まで見たことのない場所に辿り着いた。そこには見たこともない立派な女性が布団を干していたという。山で迷ったので電話を借りようと思ったが、何故かそのまま通り過ぎ、急に体が動かなくなってしまった。目が覚めると、目の前には、いつも見知った道があり、先ほどの立派な家に続く道は消えていたそうである。家に帰ってそのことを話すと、狐に騙されたんだろうと皆が言ったそうである。

 

小本の狒々(おもとのひひ)

・岩手県下閉伊郡岩泉町小本地区に伝わる。遠い昔のこと。小本地区ではヒヒが人を攫って喰うため、地域の人々は恐れていた。それから村人たちは、毎年若い娘を裸にしてヒヒに供えた。後に、娘たちの魂を鎮めるために殺人(とがくし)神社が建立されたが、明治時代以前に廃社になったという。

 岩手県内で、猅々の話は岩泉町にしかない。猅々の正体は、赤坂憲雄『異人論序説』に指摘されるような、異人の漂白と定住が根底にあるのかもしれない。

 

お利和(おりわ)

・岩手県遠野市に伝わる話。大下の万次郎という、村きっての美男であり乱暴者がいた。ある時、境木峠の大沢の根ッ子立というところに笹刈りに来ている時のこと。奥からさらさらと音をさせながら、こちらへ来る女がいる。はて誰だろうと思っていると、それが同じ村で3年前に死んだはずの「お利和」という女だった。その女が、生きていた頃の若く美しい姿のまま、万次郎の前をいそいそと通って、死動峠(しするぎとうげ)の方へ行く山道へ向かって行った。万次郎は、今声をかけよう、今声をかけようと思いつつ、ついに声をかけることができなかった。万次郎は、それから家に帰ってから、病みついて寝込み、亡くなってしまったそうである。

 恐らく万次郎は生前、このお利和という女との関係が深かったのだろう。

 

下戸沢の天狗様

・宮城県白石市小原下戸沢に、明治から大正の初めにかけて実在したとされる人物。不思議な術を使ったため「天狗様」もしくは「ガマ仙人」と呼ばれたという。刃を挽いて切れないようにした刀を腰に差し、足駄を履いて「大天狗、小天狗、山越え、谷超え、沢の石はゴーロ、ゴロ」といって歩き回っていたとされる。

 

・また同書にはこの天狗様の甥であるという高橋十蔵氏の語る話が載っている。彼が23歳の頃、おじ(叔父か伯父かは不明)である天狗様とともに大阪、神戸、岡山、四国、東京の浅草などで興行を行ったという。

 

蛇が崎の長左衛門狐

・宮城県宮城郡松島町に伝わる。葉山沢には「蛇が崎の長左衛門キツネ」という狐がいて、月の良い晩に、頭巾で頭を隠した美しい小姓に化けて、横笛を吹きながら蛇が崎の辺りをさまよい歩いた。これに心を奪われた女が付いていくと、葉山沢の奥に連れ込まれ魂を吸われて正気を失ってしまうという。

 

そでさま

・秋田県八峰町に伝わる。峰浜石川の南の村はずれに位置する魔所である林。

 

・この話には昔から化け狐が住んでいて、足を踏み入れた人は時折、神隠しになると云われている。今から30年ほど前、石川に住むお婆さんが、この林に山菜採りに入ったきり行方不明になった。周りを田畑に囲まれた広くもない林なので、集落の人たちは隈なく探したが、どうしても見つからない。3日後、お婆さんは石川から30キロメートル離れた北秋田市鷹巣の国道沿いで保護された。消えた時の格好のままで汚れてもおらず、行方不明になっている間の記憶はなかったという。

 

竹島の天女

・宮城県本吉郡南三陸町志津川沖の竹島に現れた天女。

 作兵衛という漁師が竹島の洞窟で天女の群が唄ったり踊ったりしているのを見つけた。天女たちは作兵衛を見るなり空へ飛んで逃げていったが、白い子犬を連れた一人の天女が逃げ遅れてしまい、作兵衛は気の毒に思って彼女らを家に連れ帰った。天女は何も語らず、豆柿を少し食べただけで他には何も口にしなかったため、ついに死んでしまい、連れていた子犬も後を追うように死んだ。

 

貪多利魔王(どんたりまおう)

・『船形山手引草』に記述された、船形山(山形県と宮城県の間に跨がる山)に祀られる神の縁起に登場する魔王。

 神代の頃、数万の悪魔邪神を眷属として従えていた「貪多利魔王」という魔王が、金剛山を根城にして日本を魔国にしようと、暴風雨による洪水や疫病の流行を引き起こした。これに気付いた浄土の阿弥陀如来は魔王を退治すべく、鳳凰をかたどった船に乗って、無数の仏神や唐土の文昌帝、文宣王といった聖なるものたち、高天ヶ原の天照大神らを引き連れて金剛山へと向かった。

 初めに阿弥陀如来の守護神である三宝荒神が落雷により火炎を巻き起こすと、悪魔たちは雨や霧を呼んで消そうとした。しかし火の勢いが強すぎて消えず魔王の館は燃え尽き、更に四方の川を塞き止められ、天の川の水が流し込まれると、魔王は逃げ場がなくなり山頂に取り残された。後がなくなった魔王は自ら宝剣を抜いて三宝荒神に挑んだが、眷属である烈風魔王、荒ラ獅子魔王、天龍魔王らが、次々と不動明王や毘沙門天や摩利支天にらに敗れると逃げ出し、最後には1000斤の神弓による無数の矢に射たれて降参した。降参した「貪多利魔王」は改心して、自らが裸身になってでも、信心の深い行者に富貴福徳を授ける「源元貧乏神」という存在になったという。

 

田代岳の翁

・田代岳周辺に伝わる。田代岳に現れる不思議な老人で、山内に存在するといわれる隠れ里「武陵桃源」への案内人年をとらず、薬学に通じ、縮地法(瞬間移動)や時間移動のような不可思議な術を用いるため、神とも仙人だともいわれる。隠れ里へ案内する人の基準は不明だが、『秋田に伝わる土地々々の物語』に載る話では、信心深い農夫を隠れ里に引き込み、美女に誘惑させて試すような真似をしている。一説には、この老人の正体は津軽の猟師彦之丞という者が田代岳に登った際に目撃し、山頂に祀った「白髭明神」だという。

 

血と涙を流すマリア像

・彫刻家若狭一郎によって作成された秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会に現存する聖母マリア像。1975年1月4日から1981年9月15日に掛けて計101回の涙を流す奇跡を起こした。この現象は500人以上が目撃しており、涙を拭き取った脱脂綿を秋田大学医学部で調べたところ血液型ABのヒト体液が検出された。また、涙を流す約1年半前の1973年7月には、この像の右掌に鋭利な刃物で削ったような十字型の傷が出現し、ここから血が噴き出す奇跡も起きた。秋田大学医学部で調査すたところ、こちらは涙と違って血液型はBのヒト体液であった。

 また、このマリア像を写真に撮ろうとすると、なぜか写らないという現象も報告されている。作家の遠藤周作も聖体奉仕会を訪れマリア像を写真に撮ったが、周囲の物は写っているのになぜかマリア像その物は写らなかったという。

 海外では「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母)と呼ばれており、日本より知名度があるらしい。

 

天狗の再生術

・昔、雄猿部(北秋田市鷹巣七日市)の深山に大きな楠木があり、その梢に死骸が引っ掛かっていた。この死骸の身元は比内(大館市)に住んでいた作之丞という男だとされていて、天狗に攫われてこうなったのだといわれていた。作之丞が失踪してから80年経ち、比内に残っていた作之丞の子孫の家に作之丞を名乗る男が訪ねてきた。自称作之丞は次のようなことを述べたという。「自分は40歳の頃に、山で知り合った大男に未来を占ってもらおうとしたところ、大男が「お前をこの場で殺し、80年後に目覚めさせた上で30年の寿命をくれてやる」と言うなり自分は首を絞められて気絶し、目を覚ましたら大男に按摩にされていた。山を降りてみると、村の様子は変わっていたが、間違いなく雄猿部の集落で、ここまで帰って来た」。家人は訝しんだが、更に聞いてみると昔のこの辺りの様子を詳細に語るし、雄猿部にあった梢の死骸も消えていたので、最後には本当に本人だろうと納得したという。この人はその後、大男との約束通りに30年ほど生き、正徳年間(1711~16)末に病死した。

 

ナマハゲ

・秋田県男鹿市に伝わる。ナマハゲは、元々は漢の武帝が連れて来た五匹のコウモリだったとされる。五匹は親子で、両親は「眉間鬼(みけんき)」と「逆頬鬼(さかつらき)」、子供は三兄弟で「眼光鬼」「首人鬼」「押領鬼」と言う名前であった。五匹の鬼たちは、白鹿が引く飛車に乗った武帝に伴われて大陸から男鹿へやって来て、武帝に散々こき使われた。疲労した鬼達が休日を懇願したところ、武帝は「正月十五日は好きにして良い」という許可を出した。こうして鬼たちは、正月十五日になると里に降りて来て悪さをするようになったので、今度は村人達が困って武帝に直訴した。相談の結果「鬼たちは一晩で五社堂の石段を1000段積む。できたら毎年一人、娘を生贄に捧げる。できなければ二度と村には降りてこない」という賭けをすることになった。勝負当日、鬼たちは日が暮れると早速石段を積み上げ始めた。村人たちは「一晩で1000段は無理だろう」と油断していたが、石段は積み上がって行き、夜明け前に完成してしまう勢いだった。焦った村人たちは物真似上手な天邪鬼を呼んでくると、一番鶏の鳴き真似をしてもらった。これを聞いた鬼たちは勝負に負けたと怒り狂い、腹立ち紛れに千年杉を引き抜き、梢を地面に突き刺すと、山へ去っていった

 

二面合鬼(にめんがっき)

・秋田県男鹿市に伝わる。昔、二面合鬼というモノが女米木(めめき)(雄和)の高尾山に住んでいた。ある時、田村麻呂将軍に攻められた二面合鬼は男鹿に遁走、真山に隠れたが、迫って来た将軍に討ち取られ斬首された。浦田村に石を敷いた場所があるが、二面合鬼の首を埋めた場所だという。一説には、埋まっているのは大武丸の首だとも言う。

 

飛行人

・宝暦七年(1757)に秋田市広小路上土橋の上空に現れた人型の存在。これを実見した医師の稲見氏曰く、「年齢は定かではないが、羽織り大小して形付きの袴に、白い足袋を履いているように見えた。風を御して空中歩行しているように見えたが、しばらくすると見えなくなった」という。筆者命名。

 

ヒヒ憑き

・秋田県横手市に伝わる。昔、田代沢から筏(いかだ)に嫁に来た女が娘を産んだが、女は産後の肥立ちが悪く死んでしまい、生まれた赤ん坊は田代沢の母親の実家へ帰された。7、8歳になった頃、この娘は夜になると、見えない何者かと会話している様子で独り言を言うようになった。更に時を同じくし、台所に覚えのない魚の塩引きが置かれているのが発見される事が続いた。同居していた婆さんが「お前がどこからか盗んだのではないか?」と叱ったが、娘は否定した。叱ったその日は魚が台所に置かれることはなかったが、代わりに火棚にいつの間にか木屑が置かれる悪戯がされていて、危うく火事になるところであった。それからは娘を褒めればいつの間にか食い物が台所に出現し、叱れば酷い悪戯がされるようになった。ある日、娘を酷く叱ったら、鍋にどっさりウンチがされていた。激怒した婆さんが娘を詰問すると、娘は「私ではない。ヒヒがやったのだ」と言う。詳しく問い質すと、娘にはヒヒの姿が見えていて、独り言と思ったのはヒヒと会話しているためらしい。その日の夜、娘を叱ったからか、またもや火事が起きかけたので、婆さんは「ヒヒが憑いている子供など置いておけん」と、筏にある父親の実家へ娘を突っ返したという。

 

夜叉鬼(やしゃおに)

・秋田県秋田市に伝わる。昔、秋田市の高尾山には夜叉鬼という鬼が住んでいた。また、その近くに住む豪族白石善五郎の娘に米子という者がいて、彼女は身の丈約二メートル近い美人であった。夜叉鬼は米子を妻とし、二人の間には大滝丸(大武丸)という子が生まれた。後に坂上田村麻呂率いる朝廷軍がやって来て、夜叉鬼は彼らと戦ったが敗北。夜叉丸は大滝丸を抱えると、男鹿の山へ一足飛びに逃げて行き、その時の足跡は沼地になった。米子は人間だったので夜叉鬼に付いて行くことができず、逃げ惑っている間に流れ矢に当たって死んでしまった。米子の流した血が山路を染めたので、この場所は赤坂と呼ばれる。

 

山人の道案内

・秋田県藤里町に伝わる。ある人が沢を下って行った際に道に迷ってしまった。そうしたら、大男が現れ、その人の前を歩き始めた。付いて行ったところ、無事に知っている道に抜けたという。山人が道案内してくれたのだと言われる。

 

宇宙人

・福島県福島市飯野町青木の千貫森はUFO(未確認飛行物体)の出現地として愛好家に知られ、1992年にはふるさと創生事業の一環で「UFOの里」が開園した。園内の施設ではUFOが宇宙人に関する展示等も行われる。UFOの里公式ウェブサイトによれば、千貫森は三角形のシルエットから古代のピラミッド説もあり、昔から発光物体が飛来する不思議な地だったとのこと。他にも千貫森はUFOの基地だとの説や、異星人と交流できる文明があったのではないかとの説もあるそうだ。

 

鬼五郎・幡五郎

・福島県田村郡大越町早稲川(現・田村市)に伝わる。中央政権から「鬼」と扱われた地方豪族として語られる。

 昔、早稲川に鬼五郎と幡五郎という仲の良い兄弟がいた。兄の鬼五郎は里長として土地を守り、阿武隈山系一帯に勢力を誇る豪族・大多鬼丸(大武丸)の部下頭としても活躍した。弟の幡五郎は争いを好まず、里人と豊作に励んでいた。しかし東北は高冷地のため、作物を満足に献納できない。朝廷はこれを反逆とみなし、征夷大将軍・坂上田村麻呂が派遣された。鬼五郎たちは勇敢に戦ったが敗退し、鬼穴で息絶えた。弟は兄の遺志を継ぎ、豊かな里を築いた。人々はいわれなく悪鬼として征伐された鬼五郎の死を深く嘆き、里を見守る善鬼として敬ったという

 

おまん狐

・福島県耶麻郡西会津町に伝わる化け狐。大船沢では深沢のおまん狐や、ハナタテのおしち狐が大変に人を化かしたという。このほか、小島三本松の赤狐、小島林の七色狐、下小屋の小梅狐たちの人を化かしたという。

 

さとり

・人の考えることをすべて読み取ってしまう妖怪。各地の昔話などに登場する。

 『続向燈吐話』には、奥州泉(現・福島県いわき市泉か)の者が語ったこととして、さとりの化物の話がある。身の丈四尺ほどの猿猴のようなもので、おりおり人家の食物を盗み食いするという。人の考えを読んで口真似をするが、あるとき桶を作っていた者の手から偶然はね飛んだ竹に顔を打たれてからは、桶に輪をかけているのを見ると恐れて逃げだしたという。

 

・福島県東白川郡塙町真名畑では、外記沢という地名の由来譚にサトリが登場する。

 これは鳥の一種と解されていた。某家の先祖は外記さん、外記殿と呼ばれる人で、山へ入れば必ず獲物を持って帰るので人々から妬まれるほどだった。実はその獲物は山のサトリから塩一升と引き換えにもらっていたもので、外記さんはある酒席でその秘密をつい喋ってしまった。彼は次に山へ行ったきり行方不明となり、3年3月後に白骨となって発見された。これはサトリの祟りか、サトリに血を吸われたためだといわれた。

 

天狗の嫁っこ

・山形県最上郡最上町に伝わる。

 明治頃のある春、明神村の娘が大明神山で行方不明になり、山の神様の妻になったのだろうと囁かれた。しかし、娘は10年ほど後の秋のタカ祭(富沢観音祭)に不意に姿を現した。友達に問い質されると、山で天狗様に攫われて妻になったと語った。山での暮らしは不自由もないが、村へ帰ることは許されなかった。それでも祭囃子を聞くと望郷の念を抑え難く、晩までには帰るつもりで村まで下りてきたのだという。娘は年数を経てなお若々しく、そのわけを訊けば「天狗様が時々耳たぶから悪い血を吸い取ってくれる」と恥じらいながら答え、人混みの中に姿を消していったという。

 

大菅谷・佐賀野(おおすげや・さがの)

・宮城県仙台市泉区山の寺の洞雲寺の縁起に登場する。

 昔、この地には「大菅谷」と「佐賀野」という異人の夫婦が住んでいた。二人とも顔が美しく、また500~600年も前のことを話すくらい長く生きていたが、全く歳をとる様子がなかったという。慶雲年中(704~708)のこと、定恵という僧がこの地を訪れ、霊地開くのに適したこの土地に寺を建てることにした。定恵は二人を説得したが、彼らは長年住み慣れたこの地を離れたくないと語り、定恵はそれならば錫杖(しゃくじょう)の届くところまでではどうかと提案した。二人は承諾したが、定恵の錫杖はどこまでも伸びてこの地のあらゆるところまで届いてしまった。二人は約束通り別の地に移り住み、定恵はこれにちなんで円通寺(洞雲寺の前身)

という寺を建てたのだという。

 

七ツ森の雪男

・宮城県黒川郡大和町七ツ森に伝わる。宮床に住むおじんつぁん(お爺さん)が吹雪の夜に炭焼き小屋にいると、雪を被った狸が「くうくう くうくう」鳴きながら訪れてきて、中に入れと言うと嬉しそうに入ってきた。訳を聞くと、雪男が大きな音を立てて歩くから怖くて大森山から逃げてきたと語った。七ツ森には、「雪男」という頭も手も足も大変大きく真っ白な毛を生やした男がいて、吹雪の夜にはドッスンドッスンと音を立てながら大森山を揺らして歩き回るが、暖かくなるとどこかに行ってしまうという。

 冬の山中に現れる「雪男」という名前の妖怪は他の地域にも伝わっているが、その性質は一様ではない。

 

羽黒山三光坊(はぐろさんさんこうぼう)

・出羽国羽黒山(山形県)の天狗たちを統べる存在と目される大天狗。羽黒山の護符に姿と名があるが、詳細は定かでない。

 

神憑き(かみつき)

・神仏が人の身に憑依する現象。祭礼や山籠もりの修行のさなか神憑きが出ると、その者に来年の作柄や村の吉凶などを聞き出す。福島県の稲苗代地方では舟津の山籠もりや余郷新田の稲荷祭などで、神憑きになる者があらわれるという。

 

悪路王(あくろおう)

・東北各地の坂上田村麻呂伝説や田村語りに登場する蝦夷の長。鬼であるともされる。陸奥国胆沢で活躍した蝦夷の族長、アテルイと同一視する見方もある。

 

大武丸(おおたけまる)

・「おおたけまる」(大武丸、大嶽丸、大竹丸)という名の蝦夷、もしくは鬼の首領が、東北各地の坂上田村麻呂伝説や田村語りに登場する。

 

大人(おおひと)

・巨人。ダイダラボッチのような地形を作り変えるサイズの者を大人と呼称する場合と、鬼や山男の類を大人と呼ぶ場合の二例がある。前者はその大きさから地形の由来として語られる場合が多く、秋田県では鳥の海(伝説の海)を開拓したダイダラボッチが挙げられる。このダイダラボッチは三吉様の化身だともいう。

 

影の病

・魂が遊離してもう一人の自分が現れる病。大陸伝来の離魂病は、日本では影の病、影の煩いとも呼ばれ、物語や演劇の素材にもなった。

 

常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)

・『源平盛衰記』『義経記』『平家物語』などに名のみえる人物。もとは園城寺または比叡山の僧で、源義経の家来となり働いていたとされる。主の都落ちに同行し、衣川にて藤原氏の軍勢と戦った後に消息不明となる。その後、不老不死の身となり、各地で源平合戦や奥州落ちの様子を語り伝えたなどといわれ、天狗にも結びつけられた。

 青森県下北地方には仙人となった海尊の伝説が様々に残されている。

 

山男

・全国的に語られる山に住む異相の者たちのうち、見た目が人間の男に似た者を指す。山おじ、山爺、山人などの別名もある。大人(おおひと)と呼ばれる場合もあり区別が難しいが、ダイダラボッチタイプの巨人ではない者は、大人名義でも当項目で扱うこととする。

 秋田県では田代岳、森吉山、赤倉山、大平山などを中心に広く伝わる。秋田で一番有名な山男は大平山信仰において崇拝される三吉様で、江戸時代に書かれた人見蕉雨の随筆集『黒甜瑣語』にも「大平山には三吉という山男がいて、心が邪な者はこれに攫われ、川の淵に投げ込まれ溺死させられる」と当時囁かれた噂が載っている。このためか、大平山を行き来する山男の話は多く、秋田市から仙北刈和野へ超える峠では、毎晩のように山男たちが大声で話しながら大平山から女米木(めめき)へ行き来したので、峠の茶屋は我慢できずに店を畳んだという。

 

北秋田市にそびえる森吉山周辺は山男伝説の宝庫であり、数多くの伝説やそれに因む史跡が残されている。明治中頃までは、周辺で行方不明者が出ると「森吉山の山人に連れて行かれた」と言い表した。

 

・田代岳では、頂上付近にある神田は土用になると山人が耕すとされる。山人の見た目は腰が曲がり、頭には角のような瘤がある。人に見られるのを嫌がり、人気を感じると姿を隠してしまうという。

 

五城目町の伝承では、ある木樵が山男たちと相撲友達になった。しかし、山男達は木樵の家でご馳走になって以降、たびたびやって来ては厚かましくも飯を集るようになり、木樵は気を病んで病気になってしまった。

 

・少し変わった伝承としては、人間に使役される山男の話がある。戦国時代頃、五城目に三光坊という行者がいて、「式神使い」と呼ばれていた。この三光坊が使役した式神の正体は赤倉山に住む山男で、三光坊は山男に無形法(人に姿を見せないようにする術)を教授したという。三光坊が京都に出張した際、式神を秋田の実家へ送り出したところ、一昼夜で京都秋田間を往復したともいう。マタギの佐多六も皮投岳の山人を弟子にしていたとされる。

 

大槌町金澤の戸沢にある末田家は、代々のマタギの家系だった。数代前の仁吉という者が、ある夕方、妙沢山の裾のトウサナイ沢を更に奥に入り、「猿の一跳ね」と呼ばれる大岩の陰に潜んでいた。すると何かが近付いてきたので伸びあがって覗いて見ると、山男と山女が土坂峠を横切って行った。山男は、かなりの大男で、片手に何かを持っていた。そして、非常に長い髪の毛を邪魔なふうにして、何度もかき上げていたそうである。

 

他にも『遠野物語』第91話では、鳥御前という人が続石のある辺りで、山神と思われる男女に出会った話が載る。この男女は赭い顔をしていたとある。『遠野物語』第107話では、山神に占術を授けられた娘の話が載り、この山神も背の高さと朱を差したような真っ赤な顔色に言及されている。『遠野物語』第7話では、上郷村の娘が行方不明となり、2、3年後、五葉山の麓辺りで狩りをしていた猟師と遭遇した話が載る。この話の中で娘は「自分を拐(さら)った恐ろしき人は異様に背が高く、目の色が少し凄い」と瞳の色に言及しているのが印象的である。

 

山女(やまおんな)

・全国的に語られる山に住む異相の者たちのうち、見た目が人間の女に似た者を指す。異様に長く艶やかな黒髪を持つとされ、山男同様に常人より背丈が高い姿で語られる例も多く、山の女神と同一視される場合もある。秋田県では田代岳周辺に伝承が多い。

 

・『遠野物語』第3話には、栃内村の佐々木嘉兵衛が山奥で山女を撃ち取った話が載る。この山女は嘉兵衛よりも背が高く、背丈よりも長い艶やかな黒髪を持ち、抜けるように白く美しい顔立ちだったという。嘉兵衛は魔性を撃ち取った記念として山女の髪を切り取り、帰路に着いたが、突然の睡魔に襲われて仮眠した。すると、何処からか山男が現れ、山女の髪を取り返されてしまったという。

 

・『遠野物語』第6話でも青笹村の猟師が深山で山女に遭遇した話が載るが、この山女の正体は、猟師と同郷である長者の娘であった。娘が語るには「自分はある者に拐われた。そして、その者の妻となり子を幾人も産んだが、夫は食ってしまうのだ」という。

 

与次郎狐

・秋田県、山形県に伝わる。久保田城跡である千秋公園内には与次郎稲荷神社があるが、この祭神である与次郎は、初代秋田藩主である佐竹義宣(よしのぶ)に飛脚(御庭番ともされる)として仕えた霊狐であったという。与次郎は元々、この辺り一帯の狐たちを取り纏める齢300年にもなる古狐であったが、久保田城が作られた際に住処を追われてしまった。路頭に迷った与次郎は白髪白髭の老翁に化けると、城主である佐竹義宣の夢に現れて交渉した。その結果、秋田と江戸を六日で往復する飛脚として義宣に仕えることを条件に、城内にある茶園のそばに土地をもらった。「与次郎」という名前も、この際に義宣から付けられたのだという。以降、飛脚に化けた与次郎は、宣言通りに秋田と江戸を六日で往復して義宣から重宝された。

 

会津の怪獣

・江戸時代頃の「奥州會津怪獣の繪圕」と称する絵紙に描かれている妖怪。

天明二年(1782)に討ち取られたという怪獣で、背丈は四尺八寸、口は耳まで裂け、鼻は嘴のごとく長く地に着くほど、髪と尾も共に長く、体形は蟾蜍(ひきがえる)のようで体毛が生えている。前年夏頃より陸奥国会津(福島県)から出羽国象潟(きさかた)にかけて子供が行方不明となる事件が頻発し、南部藩領主と家臣が磐梯山周辺を捜索した際にこの怪獣を大筒で仕留めたという。

 

岩長姫(いわながひめ)

・記紀神話に登場する女神。各地に伝承される神楽の中では、悪神または怨霊のような存在として登場することがある

 陸中沿岸部に伝わる黒森神楽の演目「岩長姫」では、須佐之男命(すさのおのみこと)に退治された八岐大蛇の霊が岩長姫となり、熱田神宮に納めた草薙(くさなぎ)の剣を奪おうとしたため、大和武命(やまとたけるのみこと)が御幣を振るって退治する。この岩長姫を演じるときは鬼面を着ける。

 

荒吐(あらはばき)

・「アラハバキ」は東北や関東での祭祀が知られる神で、荒脛巾の字をあてて足や下半身の守護神とされる。宮城県の多賀城市の荒脛巾神社では旅の安全や身体の健康を祈り、脛巾(はばき)や脚絆(きゃはん)が奉納されてきた。

 

・東北に逃れてきたアビヒコ・ナガスネヒコの兄弟は津軽にて対立するアソベ・ツボケの二大民族を和解させ、新たな民族の基礎をなした。これを神の名をとってアラハバキ族と呼ぶ。アラハバキ族は古代の東北で栄え、中央政権さえ影響を及ぼすこともあったというが、後裔は南北朝時代の大津波を境に衰退し、やがて歴史から消し去られたという。

 

・遮光器土偶=アラハバキというビジュアルのこじつけが強烈だったためか、様々な創作物にもこの設定が流用されている。
 

イシカホノリ

・和田喜八郎が発見したと称されていた文書群に記されている神。文書では、はるか古の時代には大陸より荒覇吐(アラハバキ)神が伝来した際、東北の地ではイシカホノリガコカムイの名で語られたことになっている。ときおり掘り出される怪奇な土人形(土偶)こそ古代人が全能の神・アラハバキイシカカムイとして崇めた像であるなどの記述が多数ある。