<不気味な声>
・岡山県の北部、鳥取との県境に蒜山高原は位置する。ここは名峰大山を望む高原リゾートとして有名で、夏場は大勢の観光客で賑わう場所である。
・そんな蒜山で長年農林業に従事してきた筒井蒸さんが狐の話をしてくれた。「昔ね、夕方まで野良仕事をしとったんですよ。山のほうの畑で大根を収穫しよった。だいぶ辺りが薄暗うなってきよったんやけど、そいでも荷車に大根を積んでおったら、すぐそばで気持ちの悪い変な声がしよるんですわ」
その気持ちの悪い声を再現してもらったが、どう表記してよいか見当もつかない不思議な音である。
「“:¥~%#><$∄∓∢”(表記不能)って山の中からね、聞こえてくるんです。それが気持ち悪くてね」
「それは何ですか?」
「狐なんですよ。あれはよう人の話を聞いとるもんなんですよ。それで話が分かるようになっとるんでしょうねえ。昼間は近くには出てこんですよ。でも夕方になるともう自分たちの時間じゃ、天下じゃ思うんでしょうねえ。そいで“お前ら人間はもう帰れ”言うちょるんや思いますよ」
その表記不能の不気味な声を出す狐の姿は確認したのだろうか?
「狐を見たか?いや見とらんですよ。もう暗くて姿は見えませんから。ええ、でもそれは狐に間違いありませんね」
<拝み屋と憑きもの封じ>
・体の不調が続いたり家族に不幸が重なると拝み屋の出番となる。以前は各地区に存在した拝み屋も、今ではほとんどいなくなった。とはいえ絶滅した訳ではないのである。東城地区で最高齢の猟師黒川始さんに聞いた。
「災いが続くと拝み屋さんを呼んだもんですわ。大体言うことは同じなんですけえね。家の周りをぐるっと回って水神さんを直せ、竈のろっくうさんを直せ言うくらいですかねえ」
この場合の水神さんとは家への水の取り口に祀ってある神のこと。ろっくうさんとは水の神のことである。その他には“墓が汚れている”が定番の台詞だったようだ。
・「いや、真っ暗の山の中ですけんなあ、何も見えはしませんよ。でもあれは狐なんです。狐はこうやって人を威かすんですよ。それで驚いて本当は右に行くべき所を左に行ったりして迷うんですなあ。それが狐に化かされたということなんじゃないでしょうか」
狐の姿は見えないが狐に違いないと思う理由はよく分からない。筒井さんの祖父の時代にはもっと多くの狐話があったそうだが、今はほとんど聞かないようである。
<ヒバゴンの里>
・広島県庄原市の西城地区は、ヒバゴンの里として知られている。地区にはヒバゴン饅頭、ヒバゴン煎餅とあらゆる所にヒバゴンが溢れている。ヒバゴン騒動が起こったのは40年以上前の話なので、元祖ご当地ゆるキャラと言えるかもしれない。
・「小学校6年生の時でしたかねえ、ヒバゴンを見たことがありますよ」
西条支所に勤める加藤隆さんは、地区猟友会の若手である。加藤さんが生まれた頃はちょうどヒバゴン騒動の全盛期である。
「家の近所の川にゴギ釣りに行っとったんです。あれは夏休みの午後でしたね」
真夏の日差しの中で釣り糸を垂れながら輝く水面を見ていると、上流部に何か動く気配を感じた。加藤さんは顔をゆっくりとそちらのほうに向けて息が止まる。
「猿のでかいのがいたんです。こう立ち上がってね、かなり長い毛で全身を覆われとるんですよ。ちょうど、そう、そんな頭の感じでね」
加藤さんが指したのは私の頭である。少し長めの白髪頭はよく似ているそうだ。
・この頃には新たなヒバゴンの目撃談もほとんど無く、話題にもならなくなっている。しかし加藤少年は、これがヒバゴンじゃないのかとすぐに思ったそうだ。ただ話を詳しく聞くと、ヒバゴンとはかなり形態が違うようでもある。もしかしたら、最初の頃に目撃されたヒバゴンが歳を取って老人(老猿?)となった姿だったのかも知れない。
<神船>
・島根県の奥出雲町は旧横田町と旧仁田町が合併して出来た町である。その名の通り出雲地方の奥座敷のような佇まいで、有名な奥出雲おろちループを超えると広島県に通ずる。
御年取って80歳になる恩田愛吉さんの話。
「もう60年くらい前の話ですね。私が仕事を終わって家に帰りよると途中でした。三所川の上のほうにある中村地区を歩いておったんです。夕方でね、まだ明るい空を見上げたら何か飛んどるんですわ。最初はあれは飛行機かいなと思いましたね」
・ところが行き過ぎたはずのその物体は、すぐに山蔭から姿を現し、戻るように移動する。
「あれ?これはやっぱり飛行機じゃねえの思いましたよ。今じゃUFOなんて言葉もありますけど、その頃は無いですけんねぇ」
奥出雲町には船通山という山がある。古事記によると、この麓にスサノオノミコトが降臨して八岐大蛇を退治した。古来より神の通り道だと信じる人も多い場所なのである。実際に船通山の頂上はほぼ平地で樹木も無い。恰好の離発着場のようにも見えるが、それが自然の姿なのか人為的なものなのかはよく分からない。
ちなみに、恩田さんが謎の飛行物体を見たのはこれ一度きりである。
<犬神家>
・四国で憑きモノといえば犬神が一般的だ。いわゆる狐憑きと同じような現象かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どこから来るのか分からない狐とは違い、その存在する場所(家)を誰もが知っているのだ。この点は秩父地方などのオサキ(オザキ、オサキ狐)と似ている。
『山怪』 山人が語る不思議な話
田中康弘 山と渓谷社 2015/6/16
<狐と神隠し>
・秋山郷は新潟県と長野県を跨ぐ古い集落だ。江戸末期から明治期にかけて阿仁マタギが数人住みついた山里でもある。中津川を挟んだ急峻な地形で、日本有数の豪雪地帯だ。それ故に稲作が始まったのは明治に入ってから。それもごくわずかな生産量で、つい近年まで焼き畑で雑穀類を作り、それと栃の実を混ぜ合わせた“あんぼ”を主食にしていた。そんな秋山郷で阿仁マタギの末裔という人に話を聞いた。
「私は特に不思議な体験をしたことなどねえすなあ……う〜ん子供がいなくなった話くらいかな」
それは今から50年ほど前のことだ。ある夫婦が農作業のために山へと入っていった。前述したように、この辺りは焼き畑農法で耕地は山の斜面である。
夫婦は4歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れて行った。
・今日中にここの畑を終わらせようと、午後はいつも以上に精を出して働いた。途中で娘の様子が気になり顔を上げたが、姿が見えない。辺りにいるはずだが、いくら名前を呼んでも返事はなかった。
集落が大騒ぎになったのは、血相変えて夫婦が山から降りてきて間もなくだった。母親は泣き叫び半狂乱状態、父親も顔色が失せていた。
「急にいなくなったか………神隠しでなきゃええが」
急遽捜索隊が組まれ、畑に近い山を中心に多くの人が探し回ったのである。しかし、いくら探してもどこにもその姿が無かった。少しずつ傾く太陽に誰もが焦り始めていた。夜になると危ない。みんながそう感じ始めた時である。
「帰ってきた、帰ってきたぞ」
その声に皆が駆け寄ってきた。真っ先に駆けつけた夫婦の喜びようは、それは凄いものだった。娘を見つけたのは奥山に木材の切り出しに入っていた男である。どこで娘を見つけたのかを話し始めると、全員が言葉を失った。
「いや、おらの作業場から帰る途中になあ、ちょっと開けた所があっただろう」
誰もが知っている場所だった。奥山の入口だが、なぜか平地があって、狐が出るとか天狗が出るとか言われている場所だ。
「そこの大岩の上にちょこんって座ってニコニコしてたんだぁ」
その大岩は大人でも登るのに骨が折れる大きさなのだ。その上に4歳の子が一人で上がれるとは思えない。いやそれ以前に、その平地まで子供が行ける訳がなかった。
<道の向こうに>
・マタギや猟師たちは、山を縦横無尽に動き回りながら獲物を追いつめる。地元の山を知り尽くした達人であるが、やはり不思議な空間に時々迷い込むことがあるようだ。
兵庫県朝来市の吉井あゆみさんは、確定申告の職業欄に猟師と書き込むくらいの実績の持ち主だ。小学生の頃から猟師である父と山に入り経験を積んできたベテランでもある。その吉井さんに聞いた話だ。
・「どうも抜けた(逃げられた)みたいでマチ解除いうことになったんですわ。それで、いったん集合して次をどうするか話をしようと言うんで、みんな戻ることになったんです」
その時、山の上で待機していた一人の猟師が妙なことを言い出した。
「あれ?こんなところに道があるわ。こっちに行くと近いんちゃうか、俺こっちから行くわ」それを全員が無線で聞いていた。吉井さんもそれを聞いて首を捻った。
「道?あんな所に道なんかあったやろか」他の仲間も不審に思ったらしく尋ねる。
「道って?そこに道があんのか?」
「うん、あるよ。真っすぐで綺麗な道が出来とる。これ絶対近道や。白くて新しい道や」
これを聞いて全員が思った。それは変だ、そんな所に真っすぐな道などあるはずがない。「おい、その道、絶対行ったらあかんぞ。おい、おい」
無線はそこで途切れてしまった。それ以上どうすることも出来ず、仲間たちは集合場所へと降りていった。
・最初のうちは笑い話で片づけていたが、その彼は一向に集合場所に現れない。1時間ほど待ったが、さすがにおかしいと誰もが思い始めた。
・姿を見せた彼はボロボロだった。帽子は無くなり顔中傷だらけ。全身泥だらけで、藪漕ぎしながらも何度も滑り落ちたのは誰の目にも明らかだった。
「お前どこ行っとったんや」みんなは怒り気味で聞いたが、彼は少し惚けたような顔でいった。
「それがよう分からんのや。何でわしここにおるんやろ」
・吉井さんはかなり不思議な体験をする体質らしい。そんな吉井さんの話を続ける。
「山から帰る時のことなんです。ちょっと遅くなって、もう周りが暗くなっとったんですよ。そこで小人に遭ったんです」
「小人?ですか、白雪姫に出てくるみたいな?」「そうです、あんな感じです」それは吉井さんが暗くなった林道を走っていた時のことだ。ぐねぐねと曲がりくねった道は、車のライトがあたる所だけが闇に浮かび上がる。そんな状況下で急なカーブを曲がると、明るく照らされた山際に何かが立っていた。
「何やろ、思うてよう見たら小人なんです。5、60センチくらいでしたね。それがこっちをじーっと見てるんですわ」
思わずブレーキを踏むと運転席でしばらく小人と見つめ合った。ほんの数分か、はたまた数秒か定かではないが、睨めっこに飽きたのか小人はぴょいと山へ姿を消したのである。
・「いや凄いもんに遭ったなあ思うたんやけど、誰も信じひんのですよ」
小人に遭った話は、誰にしても馬鹿にされるだけである。悔しくてしょうがない吉井さんは、助手席にカメラを常に置くことにした。これで小人の写真を撮ればみんな信じるはずだと考えたのである。それからしばらくは、夜の山で何ごとも起きなかった。しかしついにその日がやってきた。
「また夜林道を走ってたら出たんですわ、あれが」
前回と同じく、暗闇の中にライトで照らされた小人の姿があった。吉井さんはかねての計画通りに車を止めると、静かに助手席のカメラに手を伸ばす。そしてドアを開けて外へ出ようとした瞬間、小人はぴょいと森へ姿を消したのである。残念がる吉井さん、しかしそれ以降、謎の小人が吉井さんの前に姿を現すことは無かった。
<山塊に蠢くもの>
・山形県は南に飯豊連峰、北に朝日連峰という山塊を持つ。それぞれに阿仁マタギの文化が残る集落がある。小国町の小玉川地区と鶴岡市の旧朝日村地区だ。
小玉川地区の前田俊治さんは最近Uターンで戻って来て、現在は地区のマタギ交流館などで働いている。前田さんのお父さんは地区を代表する名物マタギだった。
・小国の各集落は、飯豊連峰から流れ下る玉川に沿って点在する。藤田さんが住んでいる地区から下った所にある新田地区で、半世紀ほど前にあった話である。
その日、山仕事を終えて父親が帰ってくると家の近所が騒がしかった。何ごとかと集まった人たちに尋ねると、4歳になる我が娘がいなくなったと言うではないか。畑仕事をしている母親のすぐそばにいたはずなのに、それが忽然と姿を消したのだ。
「そんな遠くに行ってねえ。空が明るいうちに探すべ」
涙に暮れる母親を待たせて集落の者が一斉に探し始めたが……。
・「それがなかなか見つからねえんだ。いなくなった時間からしても近くにはいるはずなんだ、川に流されでもしてなきゃ」
時間が経てば経つほどに最悪の事態が皆の頭をよぎる。すっかり暗くなった集落は重苦しい空気に覆われていた。
「そうしたらよ、川さ探しにいった連中が子供を見つけたんだ。それがな信じられない所にいたんだと」
彼女が見つかったのは向こう岸の森だった。そこに行くためには丸太を渡しただけの一本橋があるだけで、大人でも渡れない人がいたくらいの場所だ。そこへまだ足元のおぼつかない女の子が一人で行くとは到底考えられない。皆は口々にこう言った。
「ああ、こりゃあ狐に連れて行かれたんだべなあ」
・上流部でもほぼ同じ時期に同様の出来事があった。新田で行方不明になった子と歳も近いその女の子は、少し変わったことを言う子供だった。
「私の後ろには狐がいるんだよ」
それを口癖のように言う女の子は両親が仕事で毎日忙しく、自身は寂しい想いをしていたようである。
その子が突然集落から姿を消した。やはり集落中が大騒ぎになって山狩りまでしたが、女の子の姿はようとして見つからなかった。
「そこでな、法院様にお頼みして、その子の居場所を探してもらったんだぁ」
法院様とは山伏、修験者のことである。その法院様は印を結び呪文を唱え、女の子の行方を占った。
「法院様が言われたのは水辺だったんだ。その特徴から多分あそこだべって探しにいったら、いたんだよ、そこに」
暗い森の沢筋で、その子が恐がりもせずに佇んでいた。両親が留守がちで寂しがっていたその子のために、きっと狐が相手をしたのだろうと集落の人は思った。これは50年ほど前の出来事である。
・小国の小玉川で最も有名な狐話を一つ。
ある人がゼンマイ採りに山へ入ったが、夕方になっても帰ってこない。心配した集落の人が山へ探しに行くと、その人は集落からさほど離れていない場所ですぐ見つかった。
「それがなあ、葉っぱさ山ほど集めていたのよ。本人はそれを布団にして、もう寝るつもりだったらしいんだ」
狐に化かされてどこかの家で布団に入ろうとしていたのかと思いきや、
「いやそうではねえ、とんでもない所さ迷い込んで、諦めて野宿しようと葉っぱを集めてたんだぁ。すぐそこの山でな。やっぱり狐に化かされたんだべ」
<巨大すぎる狐火>
・福島県の只見町は、阿仁から移り住んだマタギたちが狩猟の技術を伝えた所である。そこで林業系の会社を経営する渡部民夫さんは、40年に及ぶ猟暦を誇るベテランである。その渡部さんに聞いた話。
「狐ですか?確かにそんな話はよく聞きますねえ。婆ちゃんがぐるぐる同じ所を歩き回って家に帰れなかった話はありますよ。山の中じゃないですよ、すぐそこです。集落の中でね。狐火は知らないなあ、見たこともないですねえ」
渡部さんも一人でかなりの奥山まで入る人だが、怖いとか不思議だと感じることはあまりないという。
・先に狐火は見たことがないと言った渡部さんだが、実はもっととんでもないものに遭遇している。
「あれは入広瀬のほうから真夜中に戻ってくる時でしたねえ。午前2時頃に田子倉ダムの上のほうの峠があるでしょ。あそこの所を通りかかった時なんです」
季節は真夏の頃である。すっかり帰りが遅くなって真っ黒な山道を走っていると、渡部さんは妙な光景に出くわした。
「ちょうど左に大きな山が見えるんですが、そこに光が見えたんですよ。狐火?いやそんなもんじゃないんです。山の斜面が光ってるんですよ。大きさは2百メートル以上あったでしょうねえ」
バレーボール大の狐火とは桁違いの大きさだ。季節は真夏で蛍もいるが、それほどの広さで山に群れるとは思えない。
「あれは何だったんでしょうねえ?やっぱりUFOなのかな」
さすがの渡部さんも、これはまったく分からないらしい。
只見町の猟師は現在危機的な状況にある。2011年の原発事故以降、熊肉の食用や流通が禁じられているからだ。