『奇跡を起こす 見えないものを見る力』

木村秋則  扶桑社    2011/9/30

 

 

 

私たちが知っていることは、ほんのわずかでしかない。大切なことは目に見えない

・そう気づけたのは、私がこれまで、「普段は見えないもの」と何度も出会ってきたからかもしれません。私が出会ってきたのは、龍、UFO、宇宙人など、人に話せば「何を言っているの?」と笑われるような存在です。

 

3・11東日本大震災前

・龍について話したり本に書いたりするようになり、全国にいる龍の研究者や研究会からさまざまな資料や情報をいただきます。それによると、龍は動物のような肉体を持つ存在ではなく、ガス体だと考える説もあるようです。強いエネルギーが凝縮して「気(ガス)」となり、そのエネルギーが象徴する「龍」という存在として、人間の目に映るというのです。

 

 もしそうであれば、17歳のときに見た龍が細い松に乗っても枝ひとつ揺れなかったことが納得できます。また、私や友人が見たように、龍が水蒸気の集まりである雲に姿を変えて現れることもあるのではないかと考えられます。

 

津軽という土地が持つ力

・津軽に住む人々の「心のふるさと」とも言えるのが、我が家の西に位置する岩木山、別名「津軽富士」です。

 

・また岩木山では、先祖の霊と交信する「仏おろし」や、神と交信する「神おろし」も古くから行われてきました。津軽で「カミサマ」と呼ばれている中年女性の霊能者を通して、肉親の霊と話したり、神からの言葉を聞いたりする風習です。青森には、全国的にも有名な「イタコ」と呼ばれる女性たちがいますが、イタコは、青森県東部の下北半島、特に恐山で活動しています。主に故人の霊を降ろすイタコとは違い、津軽の「カミサマ」は、故人の霊のほかに、神からのご神託を伝えるという役目を持っています。

 

 こういった伝統や信仰は、津軽人の心に深く根ざしています。その要とも言える岩木山には、「龍がすむ」という言い伝えがあるのです。

 

・境内の右手には、龍神様が祀られています。白地に紺で「白雲大龍神」と染め抜かれた幟に導かれて進むと、岩木山の湧き水でできたという池があり、そのなかに龍神様の祠が立っています。荘厳な拝殿とはまた違った趣のある、神秘的な空間です。

 

畑に現れる不思議なものたち

・しばしば自宅近くや畑の上空に訪れていたのが、UFOです。

 

 無農薬栽培を始めた前後から、時々見かけるようになったのですが、最初に発見したときは家族や隣の人も呼んできて、みんなで確認しました。ですから、私の勘違いではありません。初めは、UFOは月が回転しているように見えました。

 

<地元で話題になり、「岩木山上空にUFO出現」と新聞記事が出たほどです。>

・UFOが現れ始めた頃は、私も家族も興奮しました。しかし、もう数えきれないくらい見ていますから、今見ても驚くことはありません。

 

そんな宇宙からの客人が、私の畑に降り立ったことが2度あります。>

・2度とも彼らは2人組でした。身長は130センチほど、目が異様に大きく光っていたことを憶えています。

 

 初めて見たとき、彼らはリンゴの木の間をものすごいスピ―ドでビュンビュン動き回っていました。

 

「何だ!?」と思って目を凝らすと、人のような形をしています。でも、もし人だとすれば、横に貼り出したリンゴの枝にぶつかるはずです。ふたつの物体はぶつかりもせず、右へ左へ素早く動いています。

 走っているのではありません。わずかに浮いていて、横にササッと移動しています。体全体がクロ-ムメッキされた車体のように鈍く光っています。「これは、人間ではないな」と直感的に思いました。動くこともできず、見守っているうちに、しばらくして2人は消えました。どんな目的があったのでしょうか。UFOには慣れていた私も、さすがにこのときは驚きました。

 

UFOに乗せられて

・龍を見たと言うだけでも随分驚かれますが、宇宙人に拉致されてUFOに乗ったというと、ほとんどの人が信じられないという顔をします。私自身、もし自分が体験していなかったら、人から同じ話を聞いても「夢でも見たんじゃないか」と思うでしょう。

 

・ベンチから左右を見渡すと、どこに壁があるかわからないくらい空間が広がっています。この建物のなかには、いったい何百人が住んでいるのだろうと、私はそう思いました。

 

 やがて、他の2人が次々に連れていかれました。ひとりになった私は手持ちぶさたになり、ベンチに立って窓の外を見てみました。夜なのか全体は暗くて見えません。しかし、明かりが横に数列並んでいるのが見えます。ビルが横に倒れたような建物です。地球の建物ではないようです。ホテルか何かだろうかと思っていると、宇宙人がやってきたのであわててベンチから降りました。

 

・そのときもやってきたのは、2人です。子どもの背丈ほどの彼らが大人の私を両脇から抱えるのですが、力が強いのでされるがままになるしかありません。私が立つと、彼らは私の腕を抱えて宙を浮くかたちになります。私は歩き、両脇の2人は床から浮いた状態で移動しました。

 

 途中にいくつかの部屋がありましたが扉はなく、のぞいてみると先ほどの2人がそれぞれ別の部屋で裸にされ、台の上に寝かされていました。ベルトで固定されていて、まわりをかなりの数の宇宙人が取り囲んでいます。

 

 みんな目だけが異様に大きく黒っぽい体で、男女の差も顔つきの違いもわかりません。彼らは手術に立ち合う医師のように台のまわりを囲み、目でスキャンするようにじっと横になった2人を見ていました。

 

・彼らは、もうひとつ興味深いことを話してくれました。「我々は、子どもでも250の元素を使うことができる」と言うのです。地球人が知っているのは120ほどで、実際に使っているのは20~30にすぎないとも言いました。あとで調べてみると、確かに地球上で認識されているのは118。使われているのは20~30種類だそうです。

 

 250もの元素を使って、いったいどんなものを作っているのでしょう。いずれにしても、彼らが桁外れの頭脳を持った生き物だということが言えるのではないでしょうか。

 

・不思議だったのは、彼らが壁やテーブルなどに触るとすべて透明になったことです。たとえば、壁を触るとガラス張りのようになり、向こう側が透けて見えるのです。触らなければ、ただの金属のように見えます。私が触っても変化は起きません。そのことひとつとっても、彼らの科学や技術は、かなり進んでいると私は思ったのでした。

 

老人が見せた地球のカレンダー

・心の大切さを教えてくれたひとつの出来事があります。といっても、体験と呼ぶにはあまりにも突飛なので、「ある幻想を見た」と言ったほうが正確かもしれません。

 まだリンゴが実らず苦労していた頃のことです。

 

 私は、ある部屋でひとりの老人と出会いました。肩から白い衣をまとってあごひげを生やしています。古代ギリシャの哲学者ソクラテスのような風貌です。石の椅子に座ったその老人は、私に手伝ってほしいことがあると言いました。

 

・「これは何ですか?」と私が尋ねると、老人は、このパネルは地球のカレンダーで、1年が1枚分だと答えました。見ると、その数は多くありません。「これ以上はないのですか?」と私は尋ねました。老人は、「ありません」ときっぱり言いました。

 

 私は困惑しました。その枚数で言うと、カレンダーの終わりは、マヤの暦で地球が滅亡すると言われている2012年よりは多かったのですが、2桁しかなかったからです。

 

 枚数は今もはっきり憶えています。決して口外してはならないと老人に言われたので、誰にも教えることはできません。老人との約束を守って、私はそのときに見た枚数を妻にさえ話していないのですから。

 

自分がリンゴだったら、野菜だったらと考えてみる

・自然栽培には、マニュアルがありません。作物の特性を生かして、それぞれに合う土壌作りをするのが自然栽培の基本です。そのためには、作物を見て土を見て天候を見て、その場その場で自分自身が判断していくしかありません。

 

 自然栽培は、畑に何も手を加えない「自然農法」とよく勘違いされます。

 自然農法は福岡正信さんが唱えた農法で、私がリンゴの無農薬栽培を思い立つきっかけとなりました。この農法は、耕さない、肥料や農薬を与えない、除草しないなど自然のままの状態で作物を育てます。

 しかし、私が実践する自然栽培は、ただ何もせず放っておくだけではありません。畑の様子を見極め、ときには草刈りをしたり、剪定をしたりして、作物が一番気持ちいい状態に調整していきます。リンゴを実らせようと試行錯誤するなかで、自然のままに放置するのではなく、「自然を生かす工夫」をすることが大切だと気づいたのです。

 また、自然栽培は、「有機農法」とも違います。

 

・いろいろな意見があるので、これはあくまでも私個人の考え方ですが、有機栽培は化学肥料の代わりに有機肥料(堆肥)を与え、無農薬で栽培する栽培法です。しかし、有機JAS法では、石灰ボルドー液と呼ばれる農薬など、昔から使われている農薬の使用を認めているので、完全な無農薬とは言えません。

 一方、自然栽培は農薬代わりに食酢を使うだけです。食酢は法律上、特殊農薬として指定されているので、厳密には、無農薬とは言えないかもしれませんが安全です。

 

人はヤドカリと同じ

・こんなふうに思うようになったのは、「あの世」に行く体験をしたからかもしれません。重いインフルエンザにかかり、高熱を出して家でひとり寝込んでいたときのことでした。

 

 思っていたよりも重症化していたようです。意識がもうろうとして、眠ったとも気を失ったともわからない状態になりました。ふと目を覚ますと大きなシャボン玉のようなものが降ってきて、私は自然とそのなかに入っていきました。

 フワフワと浮くシャボン玉のなかで、ふと下を見ると、知らない誰かが横たわっています。

 

 私自身なのですが、それが自分だという感覚はありません。上へ上へと昇っていくシャボン玉に身を委ねながら、自分は死んであの世へ行くのだなと思いました。

 

・外を見ると、私と同じようにシャボン玉に入って昇っていく女性が2人見えました。この人たちもあの世へ行くのだと漫然と思っていました。

 気がつくと、シャボン玉から出て、私は暗闇の中にひとり立っていました。怖いとも悲しいとも思いません。ただ、いつもの自分ではないような、普段とは変わった感覚がありました。何かに誘われるように、私は歩き始めました。

 どこへ向かっているのかわかりません。でも、目指す方角は知っているような気がしました。砂の上を歩いているような歩きにくい道を、ひたすら進んでいきました。

 

・ふと「死んだじさま(じいちゃん)とばさま(ばあちゃん)は、どうしているのだろう」と思った瞬間です。目の前に2人が現れました。

 「じさま!ばさま! わぁ(俺)だよ。秋則だよ」

生きているときそのままの姿で現れた2人に、呼びかけました。

返ってきた言葉は、「なぁ(お前は)誰だ」でした。

悲しくなって、自分の名前を繰り返し告げました。でも、2人は困惑して不機嫌な顔のまま立っているだけです。そのうち2人は、現れたときと同じようにパッと消えていなくなりました。

 よく。「あの世で会おう」「あの世で待っているから」と言います。でも、「あの世」では、生きているときの感情はないのだなと、そのとき思いました。

 

・2人が消えたあと、しばらく歩いていると少し明るい場所に着き、山や建物が見えてきました。そこで、案内人のような2人連れが現れました。その2人に促され、大きな建物の前に行くと、平屋建ての家がたくさんあり、その家に出入りを繰り返している人や、行列して山へ向かう人たちの姿が見えました。私以外はみんな同じ白い服を着て、性別もはっきりせず、似たような姿形、年齢でした。生まれ変わるために、人が川を下っていく様子も案内人が見せてくれました。

 そのうち、地響きのような大きな音が聞こえてきました。それは、何度も鳴り響きます。よく聞くと、自分の名前のようです。

 

・「誰かに呼ばれている。どうすればいいのだろう」と思った瞬間、私はまた大きなシャボン玉のなかに入っていました。

 気がつくと私はシャボン玉に入ったまま、自分の家の天井あたりで部屋を見下ろしていました。布団のなかに寝ているのは私ですが、そのときもそれが自分自身だとはわかりません。妻でさえも誰だかわかりません。

 

・魂が自分の肉体に戻るとき、どんなふうに戻るのかおわかりでしょうか?

 よく漫画などで魂が煙になって口や鼻から入る場面がありますが、実際には違っていました。寝ているときと同じ姿勢を取り、上から重なるようにして戻ります。そのようにして自分の体に戻り、一番先に見えたのが、妻の顔とヘルメットを被った救急隊員の顔でした。

 「この世」に戻って、私は思いました。肉体を抜け出し魂だけになった世界と、今の自分という肉体を借りて住んでいる世界とでは、まったく考え方が違うのだなと。「自分」はなく、何も感じない世界。家族同士の愛や絆もない世界。私が見た「あの世」は、そんな世界でした。それは、今でも鮮明な感覚として残っています。

 そこには、天国も地獄もありませんでした。「あの世」へ行ってみて、生きている「今」が、天国であり地獄だと感じます。

 

小さな改革から大きなうねりへ

・ソクラテス似の老人が教えてくれたカレンダー。その枚数は誰にも言わないと誓いました。しかし、その枚数が終わる日、地球が滅びるとか、大災害が起きるとは思いません。その日に始まるのは、心の革命、意識革命ではないかと考えています。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

<岩木山>

光り物、雲

 

■ 1571年1月21日夜、光り物が岩木山から出て、東の方へ飛び移った。雷のごとき大音がした。22日夜と23日夜も同じだった。

 

■ 1605年2月20日午後8時頃、岩木山の南の肩から大きな光り物が出て、空中に輝いたが、まもなく北の方へ飛んで、赤倉の沢へ入った。

このとき、周辺が昼のごとく明るくなって、草木の色まで見分けられ、

堀越城や近辺の村々からも見えた。

 

■ 1613年9月18日朝、光り物が西から東へ飛び、鳴り渡った。

 

■ 1624年4月29日夜、光り物が西から東へ飛んだ。

 

■ 1685年2月23日午後9時頃、雷のような音とともに、光り物が西から東へ飛んだ。3月1日まで毎夜続き、人々は安堵できなかった。

 

■ 1730年6月23日夜、西の方から東のかたへ光り物が飛んだ。

 

その形は雁のようで、色は白銀によく似ていた。

 

■ 1764年10月16日朝6時すぎ、西の方から南の方へ光り物が飛んだ。大きさは約2メートルほど。流星のごとく発して南の空へ入り、その後白い雲になった。

 

■ 1770年6月14日午後4時頃、岩木山の上空に、甲冑を着た人形のような雲が立った。また2日前の昼頃には、山頂の上に船に乗ったような人形の雲が見えた。

 

■ 1772年3月19日夜8時過ぎ、光り物が西から東へ飛び、花火を散らしたように御城西坂上の松林に落ちた。形は丸く火の色で、尾はカブの実の色のようだった。

 

■ 1787年2月2日夜、岩木山から光り物が2つ飛び出した。

大きな爆音がして、百沢付近に住む人々は家を捨てて戸外へ逃げ出した。

 

 

 

『輪廻転生を信じると人生が変わる』

 山川絋矢   ダイヤモンド社   2009/9/11

 

 

 

 実はすべてが計画されている

・こちら側では、多くの精霊や天使たちが一生懸命活動して、人々に覚醒をうながしています。

 

・私たちの導きによって、すべてがとり行われているのです。

 

・世の中の動きは、実はすべてが計画されているのです。

 

 自分に起こることは、全部自分が引き起こしているのです

 私たちの生は壮大な宇宙の計画の一環>

・あなたの人生のシナリオにそう書いてある。

 

・そこから何かを学ぼうとして、魂が事を引き寄せている。

 

・本当の「引き寄せの法則」は、エゴやお金や物を引き寄せるという技術ではありません。「自分のところに来たものは、すべて自分が引き寄せた」と知ることです。シンプルな宇宙の秘密。

 

・本当の自分は自分の運命を知っている人です。

 

・本気で思ったことは実現する。

 

 人生に間違いは一つもない

・あなたは、自分のすべきことを今この瞬間もしている。

 

・人はみんな、いつの時点でも、その時にしなければならないことをしています。

 

・あなたがそこにいるだけで、あなたの人生に起こって来ることが変わる。

 

・「引き寄せの法則」が意図することなく、自動的に働き始めます。宇宙が応援してくれます。

 

・「幸せであることを日々、感謝するだけ」なのです。あなたは、特に意図しなくても回りの人を自然に変えていきます。

 

 

 

『新 天使クラブへようこそ、天国はここにあり』

 山川紘矢    ダイヤモンド社   2010/6/18

 

 

 

 私たちが体験できる最も美しいものーぼくが「天界」に行ったときのこと

・さて、いよいよ夢の中で、ぼくが天界に行ったときのことをお話ししましょう。

 

・トイレの壁をぼんやりと見ていたのですが、そのトイレの壁がスーッと動いてゆくではありませんか!「あれって」と思っているうちに、ぼくの体をトイレからスーッと、どこかへ運ばれていったのです。

 

―そこはもう、広々とした別世界でした。全体が明るい水色の世界で、白いギリシャ風の柱が立っている大広間みたいなところに着きました。

  そして何人もの白いローブのようなものをまとった人たちが三々五々、楽しそうに談笑しているのです。中には竪琴を持った人もいて、天界のようでした。

 

・ぼくはズボンをおろしたままの姿ですから、すっかりあわててしまい、ひざを少しまげて前を隠していました。

 

そこにいる人たちは、おしり丸出しのぼくを見て、みんなして楽しそうに大笑いをしているのです。声は聞こえませんでした。テレパシーの世界のようでした。

  ぼくははずかしくて、やっとズボンをたくしあげたのです。ざわめきが一段落すると、向こうのほうから、とても威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性が現れました。ぼくに会いに来たようです。

  彼はぼくの顔をじっと見つめました。その目は、慈愛に満ちているという表現がぴったりです。しかし、なぜかぼくに同情するような顔つきでした。

  ほんの何十秒間のことだった気がします。ふと気がつくと、ぼくはベッドの上に座っていました。トイレに入っていたのも、現実のことではなかったのです。

 

・あのレオナルド・ダ・ヴィンチのような方は、誰だったのか、あれはいったい、何の体験だったのかー。今でも忘れることができません。

 

・それから、ぼくはひどい病気を3年間やりました。先ほども書きましたが、ゼンソクです。そのために、とうとう公務員を辞めなくてはならなかったほどでした。発作が起こると動けなくなるのです。いつもベッドの上でうめいていました。

 

 

 

『山怪   参 』   山人が語る不思議な話

田中康弘  山と渓谷社 2018/9/10

 

 

 

<山と人と怖いモノ>

・ただし、これが一人で山の中にいる女性となると話が変わってくる。奈良県の例のように普通の恰好をした女性が一人ぽつんと奥山に立っていれば、それはかなりの恐怖なのだ。

 

優しい狐と幻の椿

・「狐火いうのはこの辺では聞かねなあ。狐がよくいる場所はあるんだ。でもよ、この辺りの狐は絶対に命を取らねえもんなんだ

「騙して酷い目にも遭わせないんですか?」

「そんな話は聞いたことねえもんなあ。大体三日もすれば狐が無事に返すもんだ」

 

・斉藤さんの近所で一人の老人の姿が急に見えなくなったことがある。集落中総出で探したがなかなか見つからない。しかし誰も慌てる様子はなく………、「まあ、そのうち帰ってくるべ」

そして三日後、件の老人は発見された。

「山さ行ったみたいだったどもなあ、怪我もしてねえし汚れてもいなかったよ」

 彼がどこにいたのかは結局誰にも分らないままである。この方はいわゆる認知症ではなく、しっかりした人だったそうだ。

 

・「山さ入る時はかならず山神様に手を合せて入るんだ。いつも猟さ行く時、途中さ祠があるんだよ、山神様のな。そこを超えたらもう山言葉しか使ってはいけねえのさ」

 山言葉とはマタギたちが猟で山へ入った時に使う特殊な言葉で、マタギ以外には聞かせてはいけない。またうっかりマタギが山中で里言葉を使えば水垢離を取らされたという。つまりマタギたちは人の支配する世界と山神様の領域をはっきり区別していたのである。

 

<ミミズ素麵と小さな人>

・平田大六さんの大叔父は村の教育者でしっかりとした人だった。昭和の初めの頃、大叔父が婚礼に呼ばれた帰り、ふと気がつくとなぜか橋の下に佇んでいた。

「その人、七郎さんいうんやが、持っていたご馳走が何も無かったそうですわ。カワウソのせいかも知れん。この辺りじゃあ縞の着物を着た女はカワウソが化けとるいうんですよ。それがご馳走を盗ったんでしょうな

 

・やはり大六さんの親戚が山の中で忽然と姿を消したことがある。彼が二十歳の頃、仲間たちと山仕事をしている最中の出来事だ。つい今し方までそこで作業をしていたはずの人が突然行方不明になって、集落中が大騒ぎになったそうだ。

「消防団を中心に捜索したけどなかなか見つからん。あれは三日目やったなあ、考えられんような奥山におったんです。その人が後で言うには、

何でも山の中で立派な家があって、綺麗な女の人から素麺をご馳走になったと。でもそれはミミズやったいうことですなあ

 

・奈良県の川上村で行方不明になった女の子が見つかった時に大量のミミズを吐き出した話を聞いた。ミミズ素麺は山の中ではポピュラーなご馳走らしい。知らない人から素麺を勧められたら考え物である。

 

大六さんの奥さんは墓場で小人に遭遇した。それは親戚の女性と墓参りに行った時のことである。

「供えてあった古い花を捨てる場所があるんですよ。そこにゴミを持っていったらね、小さな人がね、歩き回ってるんですよ。

 真昼間に二人が見たのは、狐や狸ではなく、完全な人間である。ただ異常に体が小さかっただけだ。先述した胎内小屋でも小さな人が姿を現したように、これは山ではそう珍しくないのだろう。以前に兵庫県の女性猟師が二度山中で見ているから、日本各地にいるのかも知れない。

 

<浮き上がる人>

・成晃さんが高校生の頃、炬燵でうたた寝をしていると、金縛りにあったことがある。

「あれ、動かないなあって思っていたら、頭のほうから足音が聞こえてきたんです。それが段々近づいてくるんで、これはまずいと思いました」

 必死でもがきながら力を振り絞り、何とか金縛りから抜け出した瞬間………。

笑い声が聞こえたんです。小さい女の子でしたね、姿は見えません。三人くらいで笑いながら横を駆け抜けていくのが分かりました。この話も誰も信じてくれないんですよ。だからほとんど話しません」

 

<魂との遭遇>

・その話をそばで聞いていた弟が口を開いた。

「実は俺も見たんだよ、叔母ちゃんが歩いているのを。恰好も姉ちゃんの話と同じだった」

 姉弟は同時に亡くなったはずの叔母ちゃんの姿を見ていたのである。しかしあまりのことに二人とも言葉が出なかったのだ。それがあの時、突然の沈黙が訪れた理由である。

 

<峠に立つ男>

・雨の山中は本当に暗い。走る車のライトは闇に吸い込まれ、自分が本当にいつもの道を走っているのかさえ時々自信が持てなくなる。そんな中でカーブを曲がると、降りしきる雨の中に何かが浮かび上がった。

「人なんだよ、それが。雨の中で凄い顔して両手を振ってるんだよ。もう背筋がぞーっとしたよ」

 あり得ない光景だった。真夜中の降りしきる雨の中で車を睨みつける一人の男は必死の形相である。

ひょっとしてそれが山で迷った人かも知れんと思ったけど、そいつが刃物でも持っておったらやられるからねえ

 兼子さんは迷わずにアクセルを踏むとその場から離れる。しばらくしてバックミラーで確認したが、ちょうどカーブに差しかかり、男の姿は見えなくなっていた。

「あの峠の所ではあるんですよ。誰かが立っていることが」

 その誰かを親切心から乗せるといつの間にか姿が消えているという定番の話である。実際それに体験した人が複数おり、そのことを知っている人は夜中の峠越えは絶対にしない。

 

<見つけてください――栗駒山>

・秋田・宮城・岩手の三県に跨る栗駒山は広葉樹の森が広がる気持ちの良い山だ。

 

・「小学校に入るまではここで過ごしましたよ。小さい頃は女の人を時々見ましたね。夜来るんですよ、ここへ」

 人里から遠く離れた山の中の一軒家に時々顔を出すその女性は、この世の者ではなかった。その昔から山越えで各地へと向かう人が通る場所でもある。何かがあったのかは分からないが、宿を目前にして行き倒れた人も少なからずいて、その人たちが顔を出すのだと三浦少年は感じていた。

 

不吉な笑い声

山の中でどうも嫌な感じがするというのは山人からよく聞く。その時には般若心経や“ふだらく”(ご詠歌)を唱えたりして難を逃れようとする。三浦さんも時々気持ちの悪い思いが急に込み上げることがあるそうだ。

「何か得体の知れないモノに見られているんでしょうねえ、凄く嫌な気持ちになって。少し前なんですが、沢で釣りをしていたら、笑い声が聞こえてきたんです、それも女性の」

 自分しか入っていないはずの沢で突然聞こえてきた女性の笑い声。辺りをよく確認するがそれらしき人はどこにもいない。もちろん鳥や獣、木々のこすれる音とは違う。山で生まれ育った人が間違う訳がなく、明らかに女性の笑い声なのだ。こういう場合、三浦さんは釣りをやめて帰ることにしている。

 

・感じる体質であり、かつベテラン山人の三浦さんでも、時としては奇妙な状況に入り込む。「呼ばれたことはありますよ。十年くらい前に山菜採りの時です」

 山人にとって山菜やキノコは貴重な食料であり収入源だ。特に宿を営む三浦さんにはお客さんに供する大切な食材でもある。いつものように籠を背負い、山菜を採りながら山の中を移動していると知らない女性に会った。

「その人がこっちのほうが良い山菜がたくさんありますよって教えてくれたんです」

 山菜やキノコのある場所を見ず知らずの人に積極的に教えることなど普通はない。

 

・「途中からどこにいるかがよく分からなくなって、結局15キロも離れた所まで行ってたんですよ。あれは呼ばれたんでしょうね」

 もちろん女性の姿などどこにもなかった。その女性がいつからいなくなったのかも定かではない。

 

<山で出会うモノ>

・克二郎さんも登山中に奇妙な人に出会ったことがある。山のなだらかな稜線を歩いていると、向うから一人の男が下りてくるのに気がついた。平日のことでもあり、すれ違う人は滅多にないが、別段不思議でもない。ただ何となく胸騒ぎがする、そんな相手だった。すれ違う時に軽く会釈をしたが相手は無反応。おかしな奴だなと気になり、後ろを振り向いたが誰もいなかった。