(2024/3/17)

 

 

『増補 聖別された肉体』   オカルト人種論とナチズム

横山茂雄  創元社     2020/8/27

 

 

 

鉤十字の城

ランツの「神聖動物学」

・『神聖動物学、もしくは、ソドムの猿と神々の電子についての学問』は、1905年に『オースタラ』の発刊に先立って上梓された。題名からして奇怪かつ面妖なものだが、実際の内容は、遥かにそれを凌駕する。

 同時代の老古学、人類学における知見を引証して、ランツはまず古代、そして現代においても醜悪な獣人、猿人、小人が存在することを「証明」する。聖書、聖書外典、タルムード、エッダ、ギルガメッシュ叙事詩、ストラボンの『地誌』、プリウスの『博物誌』など夥しい数の古代の文献が用いられて、この「事実」がさらに敷衍されていく。彼によれば、古代にあっては、人間はこういった獣人、猿人、小人を高価で買い入れて快楽のために交接したのであり、こういった「獣姦」のほうが人間同士の性交より一般的であったというそして、こういった交接の結果、人間と獣の雑種が生じるのだ、とランツは主張する。夥しい数の文献を用いて、と述べたが、「古代の学術文献は秘密言語で書かれており、支離滅裂な話や作り話は一切含まれていない」とするランツが、あらかじめ脳裡に存在した命題に従って、それらを強引に読み替えていることは言うまでもあるまい。

 

古代におけるこういった人間と人間より低次の存在である獣人(ランツは、それを「ソドムの賤民」とか「ソドムの毛むくじゃらの怪物」と呼ぶ)の交接、混合に対するオブセッションをランツに与えたものとしては、間接的には、既に記したハイリゲンクロイツで発見されたレリーフが存在するが、しかし、いまひとつの考古学的遺物が彼に天啓ともいえるものを授けていた。すなわち、それは、19世紀中葉に発掘された紀元前9世紀のアッシリアのレリーフとオベリスクであった。そこには奇妙な二本足の獣をまるで犬のように連れているアッシリア人の姿が描かれており、碑文によれば、これらの獣――パグトゥ、バツィアティ、ウドゥミと呼ばれる――は他国からの貢ぎ物で、アッシリアの王はそれらを繁殖させたという。

 

・『神聖動物学』において、ランツは、アダムとは実は獣人ウドゥミに他ならないとする。そう、エデンの園とは「ソドムの喜悦の庭」なのだ。

 

・すなわち、さすがの彼も「私の研究の最も困難な部分」と認める、「人間に似た、翼をもった生き物がかつて実在したことの証明」である。やはりアッシリアから出土した翼のある直立した獣(これはイシュリと呼ばれる)の絵を手掛かりに、古代の文献のみならず、古生物学、進化論、地質学などの知見を援用して、古代における翼人ないし鳥人の実在が主張されるのだ。

 この高次の原人類とされる翼人をめぐる議論は、当然ともいえるごとく、天使とはすなわち翼人であるという議論へとやがて移行し、そしてランツの思想の核心へと到達する――すなわち、天使サタンは「猿人を、つまり、ウドゥミを好み、それらと交わった」ために堕落したのだと。ランツは語る。

 

・原罪神話の何という驚くべき顚倒! ランツの考えに従えば、かつて神にも等しかった高次の人種は、人間より以下の存在たる猿人、獣人との交合によって、その地位から転落してしまったのであり、逆に、獣人たちはその交合の恩恵にあずかって本来あるべきところより高い場所へと昇ってきたのだ。そして、失墜する高等人種と上昇する劣等人種という両者の描く双曲線的関係は、現在も続いている。したがって、こういった「獣姦」を根絶し、猿人などの劣等人種を地上から一掃することによって、高等人種は元の地位を回復することが可能になる。キリストが説いたのは、このことに他ならぬとランツは考える。キリスト教の排斥した異教、偶像崇拝とは、すなわちゾドミーなのであって、「イエスの教え全体は種の混合を拒否すること」で、「現代の聖書解釈学者はこのイエスの根本思想を完全に忘却して」いるとされる。教会とは、本来は「神聖で英雄的な人種の育成のための」機関に他ならなかった。「キリストを通して、我々の中の獣人は絶やされねばならぬ」と、彼は主張する。

 以上に続く「神の知識」と題された章では、古代の神々とは原人類のことであり、現在の人類より遥かに勝った能力をもっていたというテーゼが提出される。

 

・今日でも、彼ら(神々)は人間の中に生き続けている。神々は猿と化した人間の肉体の中に眠っているが、しかし、彼らがふたたび蘇る日がやってくる。我々はかつて電気的な存在であった。そして、我々は電気的になるであろう。電気的であることと神的であることは同一なのだ! 電気の眼によって原人類は全知であり、その電力により全能であった。全知全能の存在であるものは、神を自称する権利を持つのだ!

 

ヒトラーと「オースタラ」

・死去する3年前の1951年に行われたインタヴューにおいて、ランツは、驚くべきことに、1909年のある日、ヒトラーが彼の事務所を訪れたと語ったのである。ランツの陳述によれば、ヒトラーは、自分はフェルバー通りに住んでいて、近所の煙草屋で『オースタラ』をほぼ定期的に購入していると告げた。彼の訪問の目的は、幾冊か欠けている『オースタラ』のバックナンバーを入手するためだった。アドルフ・ヒトラーと名乗るこの青年がひどく貧しそうに見えたので、ランツは、望みのバックナンバーを無料で頒けてやったばかりか、帰りの電車賃として2クローネを与えたという。

 さて、私たちは、この証言を信じることができるのだろうか。

 

根源人種の彼方に

ブラヴァツキーの「秘奥の教義」

・1884年に発表された『ユダヤ人の使命』ではドリヴェの人類史が出典を明記せずに全面的に援用され、また、出版後、彼自身の手によって破棄された『インドの使命』(1886年)では、神智学の教義でゴビ砂漠に存在するとされる聖地シャンバラと酷似する、ヒマラヤの地下帝国アガルタという概念がさらに付加された。東方的色彩の濃いサン=ティーヴ・ダルヴェードルのオカルティズムは、ブラヴァツキーの神智学とかなり共通する部分を持っており、実際、前者の信奉者ロカ師とブラヴァツキーの間ではその正当性をめぐって論争が繰り広げられた。

 

人と獣の交合

ブラヴァツキーの語る人類の歴史のなかで、とりわけ私たちの注目を惹くのは、人間と動物の交合である。既に述べたように、男女両性の性交による生殖は第三根源人種レムリア人の第四亜人種において始まったが、動物たちと最初に交わったのも、このレムリア人であった。

 

こういった人間と獣の交接、さらに、それによって生じる忌まわしい半獣半人といった過程は、アトランティス人においても、繰り返されるただし、アトランティス人の場合は、獣と直接にではなく、レムリア時代に生じた半人半獣と交わるというかたちをとることにある。誰の眼にも明らかであろう――人間と獣人との交接こそ原罪であるとするランツの理論と紛うべくもない類似が、ここには存在する

 しかも、ブラヴァツキーは、この堕罪に猿類の淵源を求めようとする。彼女の理論によれば、猿や類人猿は人間より遥か後に発生したものであり、前者は、「自らを動物の水準に置くことによって、人間の尊厳の神聖さを汚したこれらの未だ知性を備えていなかった人間から直接派生したもの」なのだ。

 

予言者たち

「神智学とアッシリアの獣人」

・古代の人間の視覚組織が異なっていたのなら、生殖機構が異なっていてもおかしくない、とランツは論を進める。古代の神たちは両性具有、半陰陽であったという考えは『神聖動物学』において既に表明されていたが、ここでも、ブラヴァツキーはその有力な「証拠」を提供する。すなわち、根源人種の歴史を概観したときに述べたように、第三根源人種の初期にあっては、彼らは「『卵生』の両性具有存在」であった。

 

・記憶を新たにして戴きたいが、パグトゥとは鱗を持った水棲人であった。ランツは、《ヅヤーンの詩行》2章6節の「忌わしく邪悪な水棲人たちを、それは他の物の残骸から創造した。第一、第二、第三の残滓と粘液から、それは水棲人を形作った」を引く。そう、この「水棲人」とはパクトゥ以外の何物でもない、と彼は結論するのだ。バツアティやウドゥミについても、同様の作業によって、ブラヴァツキーの進化論に登場した獣人や小人と同定される。

 

独墺における神智学の展開

・ドイツの図像学者でアビ・ヴァールブルクの協力者であったフリッツ・ザクスルは、中世、ルネッサンスにおける占星術に関する講演(1936年)において、第一次世界大戦の前に始まった大規模な占星術に対する関心の復活に触れ、「我々自身の時代を、その非科学的傾向に注意を払うことなしに、十全に理解することができないのは明らかである」と述べている。実際、19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツにおいては、英国やフランスと同じく、占星術のみならず魔術、ヨガ、錬金術、神智学といったオカルティズムは知識人を中心に大いに流行し、出版状況から判断すると、1910年前後に最盛期を迎えている。

 

ナチ出現前夜

「トゥーレ協会」の影

・1919年1月5日、ミュンヒェンの酒場「フェルステンフェルダー・ホーフ」において、反ユダヤ主義者の鉄道金具工、アントン・ドレクスラーを中心にして、「ドイツ労働者党」という政治結社が設立された。参加者はドレクスラーの同僚たち僅か25名、この時点でのドイツ労働者党は、第1次世界大戦後の混乱のなかでドイツ各地に設立された有象無象の泡沫的右翼組織のひとつにすぎなかった。しかし、ひとりの人物の存在が、この党の――そして、この党を通してドイツの――命運を大きく変化させた。同年9月12日、国防軍に在籍していたアドルフ・ヒトラーは、上司の命令で、ドイツ労働者党の動向を探るべく、その集会に出席、さらに16日の集会にも出掛けていった。「ひどい、ひどい。これはたしかに最もひどいインチキな団体マニアだ。とにもかくにもこんなクラブに加入しなければならないのか」というのがヒトラーの印象だったが、それにもかかわらず彼は、ドレクスラーの勧誘に応えて55番目の党員として加入することとなる。

 

「20世紀の神話」

弾圧されるオカルティズム

・リスト及びランツを鼻祖とするフェルキッシュなオカルティズムないしはオカルティズムに傾斜したフェルキッシュ思想は、私たちが追跡してきたように、20世紀初頭のウィーンに胚胎し、以降、決して雲散霧消することなく、新たな信奉者を獲得、補充しつつ、第3帝国の成立前後まで、オーストリア、ドイツにおいて一定の影響力を保持していた。しかし、ゲルマン教団=トゥーレ協会のような例外を除けば、その思想が現実の政治運動と明瞭な関係を結んだことはほとんどなく、基本的にはあくまでも限られた数の人々の夢想にとどまった点は繰り返し強調されねばならない。国民社会主義体制がフェルキッシュなオカルティズムを公認していたというような主張は、幻想の領域に属すべきものである。

 

・とりわけナチ・ドイツのようなファシズム国家にあっては、オカルティズムは厳しく弾圧される運命にあった。

 

・1910年にリガ工科大学に入学して建築学を学ぶが、15年、ドイツ軍のバルト地方に向かっての進攻のため、大学はモスクワに移転、ローゼンベルクもそれに伴いモスクワに移った。1917年の2月革命を彼は身をもって体験するが、同年の夏に奇妙な出来事が起こった。彼が部屋で本を読んでいると、「見知らぬ人物が入ってきて、机の上に1冊の本を置くと、音もなく消えた」。こうして置き去りにされた書物とは、ロシアの神秘主義者セルゲイ・ニルスの『卑小なもののなかの大いなるもの』――そう、そこには付録として、あの悪名高い反ユダヤ主義文書『シオン長老の議定書』が収録されていたのである。かくて、この書との奇怪な遭遇を通して、ローゼンベルクはユダヤ=フリーメーソン=コミュニスト世界支配陰謀説の世界にのめりこんでいった。

 

ローゼンベルクと「北方」のアトランティス

・このあたりで、ローゼンベルクの主著『20世紀の神話』の解剖に取りかかることにしたい。この書物は、徹頭徹尾、人種理論で貫かれている。

 

・『20世紀の神話』において、アーリア人種が世界史の舞台でこれまで如何に大きな役割を果たしてきたかを、彼らが常に支配人種であったことを、ローゼンベルクは力説する。そして、金髪白皙碧眼のアーリア=ゲルマン人種とその北方的文化の絶対的優位性を証明するために、彼が導入したのは、アトランティス北方説及びアトランティス本地説に他ならない。

 

・ローゼンベルクによれば、これらアトランティス=アーリア人たちは、「白鳥の船及び龍頭の船に乗って」、地中海からアフリカへと渡り、また陸路を通って中央アジアを経て中国へ、また南北アメリカへと大移動を行った。

 

・もうこれで十分であろう。ローゼンベルクの所説は、「北極、つまり、アルクトゲーアから、アーリア人たちは放射状に広がって、古代世界を進んでいき[中略]世界の全民族にアルマニスムスをもたらした」と述べ、ルーン文字が世界の諸文字の起源であることを主張したリストのそれと全く同一であると言ってよい。

 

・『ウラ=リンダ年代記』をめぐる挿話は、私たちにとってふたつの点で興味深い。第一に、現実を拒否して幻想の体系を構築する際に、その幻想体系を支えるため、逆に「現実」の書物を捏造しようとする人間精神の奇怪さを示す一典型として。

 

・第二に、本邦のいわゆる偽史との対照において、たとえば、竹内巨麿の主宰する皇祖皇太神宮(天津教)から出現した通称「竹内文献」は、超古代の歴史を記述し、天皇に率いられた大和民族が古代の全世界を征服し、すべての文明の基礎を築いたとしていたため、一部の狂信的な皇国思想家によって歓声をもって迎え入れられた。その限りでは、『ウラ=リンダ年代記』と「竹内文献」は極めてパラレルな関係にあったといえよう。自民族至上主義の妄想に取り憑かれた人々は、ドイツにあっても日本にあっても、その根拠を偽史に求めようとした。そして、実際、藤沢親雄のようなナチの賛美者、紹介者でもある体制側知識人も「竹内文献」への傾斜を示したのであり、そこまではドイツと日本は全く同じ軌跡を描いている。

 

人種論と性的妄想>

・ヘルマン・ヴィルトやエドガール・ダケのような人物に依拠し、アーリア=ゲルマン人種の北方アトランティス起源説を導入したことによって、ローゼンベルクは疑いなくチェンバレンなどの「正統的」アーリア人種優位説の枠を大きく超えている。彼の背後には紛れもなくオカルティズムの一角で育まれてきた奇怪な人種理論の影がちらついているといえよう。しかし、オカルティストたちとの精神的類似性が露わになるのは、むしろ古代エトルリア人に対するローゼンベルクの偏執狂的な攻撃においてであろう

 

ローゼンベルクによれば、古代エトルリア文化は忌わしい魔術と甚だしい性的放縦に彩られていた。彼にとっては、そもそもアーリア=ゲルマン的北方文化と魔術が断じて相容れないものであったことをまず理解しなければならないだろう。たとえば、彼は「北方人種の魔法一切に対する率直な拒否」について語り、それと対比されるのが、非北方人種の魔術、妖術、鬼神への耽溺、すなわち、「前部亜細亜的、亜弗利加的幽界」である。太陽の神アポロンは、彼の言葉に従えば、「非北方的魔術傾向の絶滅者」なのだ。さて、ローゼンベルクはローマ教会を激しく非難するのだが、その論拠となったのは、教会にはエトルリア的要素が夥しく流入しており、法王はローマ人とエトルリア人口の混血であるというものであった。

 

 

・古代エトルリア文字の「解釈」を通じて、晩年のグリューンヴェーデルは、エトルリア人たちが如何に性的、宗教的に堕落していた人種であったかを、『トスカナ』や『アヴェスタの悪魔』といった著書において力説した。グリューンヴェーデルによれば、たとえば、山羊の頭を持った悪魔の起源はエトルリアにあり、エトルリア人は邪悪に満ちた魔術、妖術、占術、ゾドミー、自涜、公衆の面前での性交、少年殺し、スカトロジーに耽溺したのだという。ちなみに、彼の著作の書誌は、アーネンエルベによって後に作成されることになる。この学者の説に全面的に依拠したローゼンベルクのエトルリア人および「古代エトルリア的、前部亜細亜的異端外道」への弾劾は熾烈を極め、オブセッションの域にまで達している。

 

 

・ここでもういちど復誦しておけば、『神聖動物学』において基礎が構築されたランツのアリオゾフィの基本的テーゼは以下の如くになろう。古代このかた世界には好色放蕩の劣等人種、すなわち獣人が存在しており、逸脱した放縦な性の快楽、ゾドミーという罠によって、彼らはゲルマン民族に代表される神人を退化させつつある。そして、かつては高等人種の育成機関であった教会も、「ソドムの猿」たち獣人が内部に入り込んだためにゲルマン民族=神人的要素を失ってしまった、と。既に誰の目にも明らかであろうが、ランツのいう獣人は、ローゼンベルクにあってはエトルリア人に置換されているにすぎない。「歪んだ」セックス、そして、それに彩られた黒魔術こそ劣等人種を特徴づけるものであり、彼らは高潔無比なアーリア=ゲルマン人種を汚さんものと常に虎視眈々と画策してきたのだ――基本的には、ランツもローゼンベルクも狂的なまでにこう主張して歇(や)まない。

 

<オカルト人種論とナチ人種論

・ランツの唱えた高等人種と猿人のゾドミー説、もしくは進化論の悪夢は、かくして、単なる狂信者の妄想の産物として片付けることのできない段階にまで突入したのである。よしんばそれが狂気であろうとも、それは現実への侵蝕を開始したのである。

 

・ナチにおいてその中核を成すイデオロギーである人種理論の宣布の役割を担ったのは、ヴァルター・グロース率いる人種政策庁で、この機関は人口・人種政策啓蒙局が1935年春に改組されて成立したものであった。

 

・ヘルマン・ラウシュニングによれば、ヒトラーは次のように語っていたという。

 

 人間の太陽期は終焉に向かいつつある。新しい種類の最初の偉大な人間群像の中に、今日でもすでに来るべきものが告知されている。古代北方民族の不滅の知恵によれば古きものが神々とともに没落することによって、世界は繰り返し若がえるはずであり、また、太陽の回帰点が、彼らにとって永遠の進歩という直線でなく、螺旋状の生のリズムの象徴とみなされているように、今や、人間は、みかけはあともどりしているが、これは、さらに一段高く登るためなのである

 

天地創造は終わっていない。少なくとも、人間という生物に関するかぎり終わっていない。[中略]新しい種類の人類はいまその輪郭を示し始めている。[中略]これまでの古い人類は、それによって、必然的に、生物学的に衰退の段階に入っている。古い人間は、衰退形態においてのみ、その生を生きながらえるのである。創造力は、すべて新しい種類の人間に集中することになろう。この二種類の人間は、急速に、相互に逆の方向へ発展している。一方は、人間の現界の下へ没落していき、他方は、今日の人間のはるか上まで上昇する。両者を神人および獣的大衆と呼ぶことにしたい。

 

・人間とは「生成途上の神である。人間は[中略]立ちどまり閉じこもれば、衰退して、人間の現界下に落ちてしまう、半獣となる。神々と獣達。世界の前途は今日、そのようなものとしてわれわれの行く手にあるのだ」と、ヒトラーは主張する。『我が闘争』のなかに唐突に出現する謎めいた一節、「ユダヤ人がマルクス主義的信条の助けをかりてこの世界の諸民族に勝つならば[中略]この遊星[地球]はふたたび何百万年前のように、住む人もなくエーテルの中を回転するだろう。永遠の自然はその命令の違反を仮借なく罰するであろう」という言葉は、この「天地創造」の過程が妨害された時についての黙示録的ヴィジョンと解釈することが可能かもしれない。

 ラウシュニングはこういったヒトラーの考えを「生物学的神秘主義、あるいは、神秘的生物学」と呼んでいるが、これが私たちがオカルト進化論と称してきたものとほとんど同一であるのは疑問の余地がない。ここで、ランツの言葉を引用してみよう。

 

 人種混合は進化において停滞や後退を意味し、一方、人種育成は真正の進歩である。世界の進化は未だ完結していない。無益なもの、有害なものを人間の身体から除去する人種育成は、我々を神により近付けるだろう。アサ人種(アーリア=ゲルマン高等人種)の育成を通して、道は幸せな天上のアスガルトへと通じるのだ

 

祖先の遺産

ヴィリグート、親衛隊のラスプーチン

・ヴィリグートは、その透視的記憶によって、超古代のゲルマン民族の歴史、文化、宗教、風俗、政治制度を詳細に「再現」することができた。さらに、彼の構築した「偽史」に従うならば、ゲルマン民族の歴史は紀元前22万8千年(!)にまで遡り、その頃には、天には3つの太陽が存在し、地には巨人や小人などが住んでいた。彼の祖先ヴィリゴティスはいわゆる賢人王で、アサ神族とヴァナ神族との結合から生まれ、紀元前7万8千年には地上に平和をもたらした高度な文明を樹立する紀元前1万2千5百年頃、クリストを崇めるいわゆるイルミン教がゲルマン民族の宗教となるが、後にヴォータン教の前に敗退することとなる。ただし、ヴィリゴティスの子孫たちがその後も、過酷な迫害にもかかわらず、イルミン教に忠実であったことは言うまでもない。ヴィリグートの主張するところでは、聖書はドイツで書かれたのであり、当然のことながら、キリスト教とは古代ゲルマン民族のクリスト信仰を搾取歪曲したもの、アーリア=ゲルマン起源に他ならないのである。以上から明らかなように、ヴィリグートの思想とはアルマニスムスとアリオゾフィの混合であり、教義面でいかに相違、矛盾が存在しようと、アーリア=ゲルマン人種の至高性、太古からの連綿たる伝統を主張するという点においては、基本的には同工異曲のものである。実際、彼は、ツェブルに対して、「真正」のアーリア=キリスト教の解明宣布に尽力するランツの仕事を歓迎する意を伝えたのであった。

 

・ラーンは1935年に民間人としてヴィリグートの統括する部門に参加、翌年に伍長としてSSに正式に加入、1939年にSSを辞して35歳の若さで死亡した。大学で文学と文献学を学んだ後、中世の異端カタリ派と聖杯伝説に興味を抱いた彼は、プロヴァンス、カタロニア、イタリア、スイスなどを長期に亙って旅行し、その成果を一種の旅行記の体裁をとった『聖杯に対する十字軍』として公刊した。この書や『ルシファーの廷臣たち』において、ラーンは、カタリ派に対する弾圧や聖杯伝説、そしてトルバドゥールの伝統などを混ぜ合わせて、中世カトリック教会の手によって、古代ゲルマン民族本来の宗教が抑圧、破壊されたのだと主張していた。たとえば、アーリア=ゲルマン人種にとってまさしく「光をもたらす者」であったルシファーは、悪魔の地位にまでおとしめられたのである。『聖杯に対する十字軍』に強い感銘を受けたヒムラーは、早速ラーンにSSへの協力を依頼、それがヴィリグートとの共同作業として実現したのである。1936年には、ラーンはSSの援助でアイスランドに研究のために遠征している。ヒムラーのラーンの著作に対する打ち込みようは、彼が『ルシファーの廷臣たち』を広範囲に配布し、さらに、1944年という時点においてすら『聖杯に対する十字軍』の再刊を企んでいた事実からも明らかだろう。

 

・ラーンは20世紀初頭に発生したリストやランツたちのフェルキッシュ・オカルティズムの系譜に直接連なる人物では決してない。しかし、ゲルマン民族には本来崇高な宗教が存在し、それが教会によって迫害、抑圧、破壊されたのだと唱えた点においては、リストのアルマニスムスやランツのアリオゾフィ(もしくはアーリア=キリスト教)と著しい一致を見せており、明らかに同一の時代精神に浸されている。そして、こういったゲルマン民族の至高性の強調というフェルキッシュ思想の裏面に、強烈な反キリスト教精神が貼りついていることは見逃せない。彼らはキリスト教を完全に拒絶するか、もしくは、現存するキリスト教は虚偽で歪曲されたものであると断言する。

 

「聖杯の城」ヴェーヴェルスブルク

・ヒムラーが親衛隊の組織を構築するにあたって参考にしたのは、彼の憧憬の対象であるドイツ騎士団のみならず、彼が蛇蝎の如く嫌い、そして同時に畏れてもいたジェスイット派及びフリーメーソンであった。

 

付録

J・ランツ=リーベンフェルス博士『神智学とアッシリアの獣人』(抄)

・H・P・ブラヴァツキーがその天才的な「人類発生史」を著したとき、彼女は自分の時代と人類学におよそ一世代ばかり先行していた。

 

・たとえば、人類発生に関する著名な『ヅヤーンの書』第29節にいわく、「骨格を備えた獣、奈落の龍、空を飛ぶサルパ【蛇】が、地を這うものに付け加わった。地を這うものは翼を得た。長い首を備えた水中に棲むものは空中の禽の祖先となった」。

 私の思うに、この韻文に対して、「たとえ、その術語が我々の教科書と一致していないにせよ、現代の古生物学者はなんら異議を唱えぬばかりか、むしろ、最近になって初めて我々が獲得した知識を古代人たちは如何にして手に入れたのかと驚いて自問するであろう。なぜなら、鳥がサウロプシダから進化したことを、科学は近代になって初めて確証したからである……

 

・かくて、こういった地域の周囲に、最も高貴な人種、つまり、アーリア人種が何故発達しえたかも、同様に明らかとなろう。これらの地塊の永続性が、一方では穏やかで緩やかな進化を可能にし、他方では、島嶼を成すこれらの地域に純粋交配と文化を恵んだのである。あらゆる神話において、光の善神と闇の悪神、たとえば、アサとヴァナが敵対しているように、神智学においてはアトランティス人とレムリア人が対立し、地質学は実際、南半球の動植物と北半球のそれとの闘争を記述している。

 

・古代及び原始において両性具有者が多数存在したという事実に我々はこだわるべきであり、そうすれば、現代の性病理学上の様々な現象は理解可能となる。

 

・伝説や昔話が小人、山の小人、一寸法師、家の精、山の精などについて語っている地域、地名が「シュラット」、「プッツ」、「フォール」、「ショイヒ」などの語から成り立っている地域においては、他の場所に較べて、より多くの劣等な人間のタイプが見出されることは注目に値する。

 

毛むくじゃらで、現在の類人猿にきわめて近似したウドゥミについて、『ヅヤーンの書』は以下のように述べている。

 

 彼らは人間のような姿をしていたが、下肢はほとんど毛で覆われていた。

 周知のように、エサウは聖書ではエドムとも呼ばれ、原人として記されているエドム人とホリテ人の祖先である。そのうえ、楔形文字碑文では、ウドゥムという語はエドムの地の名前として二度用いられている。我々はまた『聖書』からエサウ=エドムが毛深かったことを知っている。今や、[エドムの兄弟でユダヤ人の祖である]ヤコブの物語の意味は、我々には明らかであろう。なぜなら、エサウとその人種は獣的な人種として拒絶されたのであり、それゆえ、純血のヤコブが神との契約の相続者となったのである。同様にして、ヤコブのエドム人に対する憎悪も理解できよう……

 ウドゥム、つまり聖書にいうアダムは、聖書学上、キリスト教上の思弁においてもっとも重要な役割を果たしており、アダムはまさに聖書の神学の出発点にして終着点なのである。

 

・第三[根源人種]が分離し、獣人を産みだしたことによって罪に堕したとき、これら[動物]は狂暴になり、彼らと人間は互いにとって破壊的なものとなった。

 

これらの赤毛の、体毛に覆われた怪物、すなわち人間と動物の自然に反した結合の果実のなかには、「叡智の主たち」は受肉しなかった。自然に反した交配――自然に反した「性的選択」――に起因する長らく続いた変形を通して、時間の経過するうちに、最も低次な種類の人間が発生した。いっぽう、さらなる獣姦と、その獣的な生殖の努力の最初の結果が、後に哺乳動物の猿に進化する種を産み出した。

 

・いったい如何にしてオカルティズムは以下のことを主張できるのであろうか?すなわち、第四根源人種の一部の人類が、まったくの動物というわけではないにしても半人半獣である他の人種の雌と交わって子をもうけ、そして、この結合から生じた雑種が自由に繁殖したばかりでなく、今日の類人猿の祖先を造りだしたといううことを?

 

・ブラヴァツキーは彼女の時代においてかくのごとく問うことができた。しかしながら、ウドゥミ、バツィアティ、パグトゥの裡にレムリアの根源人種にそっくりの姿が認められ、さらに、拙著『神聖動物学』において、多くの箇所で、こういった人獣との混淆が繁殖力に富むものであることを私が証明した現在では、混血の可能性は、既にアッシリアの人間の外貌がそのことを明示しているがゆえに、いっそう否定しがたくなっている。なにしろ、アッシリアのバツィアティのような人間は今日においてもふんだんに存在し、彼らとの混淆は遺憾ながら既に証明されている通り繁殖力に富み絶え間ないものなのだから。

 

・……同様に、劣等人種が下方への進化の産物であることを現代科学は認めている! それは神的高みから堕落した聖書にいうルシファー、古高ドイツ語にいう「ニーダーリーゼ」ではなかろうか! なぜなら、我々ゲルマン人の祖先は最も過激な無神論者よりも迷蒙から免れていたのだから。彼らにとって、悪魔とは今日ひとを脅かすのに用いられる捉えどころのない幽霊のごとき怪物ではなかった。古高ドイツ語の呼び名から推測すると、彼らにとって悪魔とは堕落した人間だったのだ!

 

・我々の研究の結論を以下のようの要約できよう。すなわち、秘教文献から得た確証の結論として、ブラヴァツキーはこう述べている。

1、    人類は系統発生上の最初の存在である。

2、    人類は、その進化の過程において、多様な生殖能力を所有してきた。

3、    人類の進化の後で動物の進化が起こった――換言すれば、動物(哺乳類)は原哺乳類の退化したものである。

あとがき

本書の前提を成すのは、公認文化の背後に見え隠れする広義の意味でのオカルティズムの理解を欠いては、その文化の本質には到達できないという認識である

 

 


「宇宙連合の飛来」 

喜多要光  大陸書房  昭和50年/1975

 

 

 

<聖書の”御使い”は宇宙人>

イエス・キリストが誕生した時は宇宙人のブレインがキリストを補佐し援助し、その誕生を演出するためにも、巨大な宇宙船にてキリスト誕生の知らせをしている。「ベツレヘムの星」が、それである。 

 

・「太陽系には、12個の遊星があるがごとく、わが太陽系の周りにも12組の太陽系がある」このように宇宙人は言う。宇宙連合に加入して地球を救助するためにやって来ているのは、わが太陽系の12この星々のみではなく、いろいろの太陽系からやってきているのだ。たとえば、サガファリス太陽系、トレソトン太陽系、第22太陽系、サファニアン太陽系などである。コノサファニアン太陽系の人々を筆頭にして各々の太陽系の人達は多数の円盤と人員を投入しているのである。「サファニアン太陽系から200機、トレソトン太陽系から500機の円盤編隊が来ています。第二の月”フォウサー”の近くには1万4000機もいます」

こうして、宇宙の同胞は、この地球が一日も早く宇宙連合の仲間入りをするように働きかけてくださっているのである。

 

<地球文明と宇宙人>

シリウス星人の地球入学>

・地球独特の生物の進化がすすんでいる頃、神の子と呼ばれる霊魂の大群が地球に移住して来て、ある形の肉体に宿った物が人類である。人間が他の哺乳動物と根本的に違うのは、そのためである。類人達の一種が大気圏外からやって来た霊に利用されて、人間の原形となったことは、間違いない。

 

・人間はシリウス太陽系から集中された念波により、修養のため、苦しむ囚人として地球に送られて来た。人間の精神は神によって創られた聖なるものであるけれども、その肉体の重さという物理的な制約をうける。

 

・神の子達は、類人猿を妻としたのだ。そして、その子孫が洪水前の人類、すなわち先史原始人である。だからこそ、その肉体的な特徴は類人猿的、精神的な特徴はシリウス太陽系内の遊星から来た移住人達と同様なものとなったのだ。

 

・そして、シリウス星人は、思念を通じて物を創造する力を持っていたので、肉体を自分たちの思う通りに少しずつ変化させていき、長い年月の間に獣的な面が多くなって数々の怪物を作りだした。

 

ギリシア神話に出てくる蛇の髪を持つゴルゴン、半獣(ライオン)半鳥(ワシ)のグリフィン、半人半鳥のケンタウルス、蝶の羽根を持つ人間といってもほとんど獣と異なるところがなくなってしまった。この忌まわしいものを一掃するため、地球上に大変災を送る計画がたてられ、ついに大洪水が彼らに襲いかかり、純粋な肉体を持つものだけが、残されたのであった。