(2024/3/4)
『世界の性習俗』
杉岡幸徳 角川新書 2020/4/10
<まえがき>
・世界には、不可解な「性の風習」や「愛の形」が存在します。
・世界の奇習を見つめることにより、私たちは何者なのかが見えてきます。
<世界の奇妙な愛とセックス>
<妻を旅人に貸し出す人々>
<アマゾン川で日本の男はモテモテ?>
・日本には、いや世界にも、広くマレビト信仰というものがあり、外部から来た異人が集落に幸福をもたらしてくれる、という考えがありました。特に閉鎖的な村では、必然的に近親婚が多くなり血も濃くなっていくので、外部から新しい血を携えてやって来る男は歓迎されたのでしょう。
<イヌイットの密かな遊び>
・別に旅行者相手ではなくても、夫婦を交換し合う例は世界中にあります。
なかでも、イヌイットの「灯りを消して」という遊びは有名です。
・イヌイットにも、何か災厄の予兆が迫ると、村人同士で夫婦を交換するという例がありました。こうすると、個人の見分けがつかなくなり、悪霊は彼らを襲うことができなくなると考えられていたのです。
<丸裸で生きる民族>
<なぜ人間は服を着るのか>
・なかでも、世界で最も裸を忌み嫌う宗教の一つが、イスラム教でしょう。コーランでは「女性はよその男に体を見せてはいけない」と教えています。厳しいムスリムの地域では、女性は全身をブルカで覆い、顔にかけられた網越しに世界を見ていることは、よく知られた話です。アラブの女性はベッドの中でも決して裸にならないので、夫は一生、妻の全裸を見ずに過ごすと言われています。
<処女を破るプロがいた>
<処女だと結婚できない文化・処女でないと結婚できない文化>
・確かに、世界には処女ではないと結婚できない民族も存在します。たとえばコーカサス地方を歩くとベランダに白いシーツが掛けられていることがあり、シーツの真ん中は赤く血で染まっています。これは、前日に結婚したカップルの家で、初夜に花嫁が出血したことを誇示するためなのです。
・しかし、全く逆に、「処女だと結婚できない」民族もまた多いのです。処女であることが忌避されてしまうのです。
たとえば、ロシアのカムチャツカ半島の先住民は、花嫁がかりに処女だと、花嫁の母親は婿に責められてしまいます。だから、母親は事前に人為的に娘の処女を破ったと言います。
また、フィリピンのボントック・イゴロット族の場合は、女は子供を産まないと結婚できません。つまり、事前に出産能力があることを証明しなければならないのです。
<初物への恐怖>
・その一方で、「処女を破る職人」というべき人々も存在します。
かつてインドの南部の王様は、妻をめとるとき、あらかじめバラモン(ヒンドゥー教の司祭階級)に新妻を破瓜してもらいました。この時、王はバラモンに大金を支払ったといいます。つまり、バラモンは処女を破るプロだったのです。
他にも、カンボジアでは、1年に1回、生娘の処女を破る儀式があり、それを僧侶が受け持ちました。
・同様に、フィリピンでも娘の処女を奪うプロがいたとされています。
また、13世紀のフランスには、農奴が結婚した時には新妻を領主と同
衾させねばならず、これに違反した者は財産を没収するという慣習がありました。これをフランス語では「太腿に関する権利」と露骨に表現しています。この慣習がもとで、しばしば農奴が反乱を起こしています。
・一つの理由は、処女は危険で汚らわしいと考えられていたからです。
・旧約聖書によると、アブラハムは最初にできた子供イサクを生贄として神に捧げねばなりませんでした。
<初夜にセックスしてはならない>
・初物に対する警戒心が強まるあまり、「結婚初夜にセックスをしてはならない」という風習まで生まれました。時には、結婚してから1年間も性交が禁じられました。
・一方では、初夜に関しては、まったく逆の奇習もあります。
古代のナサモニア人の風習では、結婚初夜には、花嫁は結婚式に来てくれたすべての男の客とベッドを共にし、その後に贈り物を受け取ったといいます。また、太平洋のマルケサス諸島でも、結婚式のときに、花嫁は来てくれたすべての男性客とセックスをしました。そしてその男の数が多ければ多いほど、花嫁にとって名誉なこととされたと言います。
初夜においてセックスが禁じられたり、逆に乱交が奨励されたりと、支離滅裂なのですが、どちらの場合からも初めての夜を特別視して大切にする精神は見て取れます。
<夜這いのある島>
<神秘の道具「ラブ・スティック」>
・ミクロネシアの島を訪れると、よく不思議なお土産を目にします。1メートルほどの木の棒で、上の方に細密な彫刻を施しています。
これは現地では「ラブ・スティック」と呼ばれているものです。日本語では「夜這い棒」とも言います。そう、これは現地の人が「夜這い」するときに使う道具なのです。ミクロネシアには夜這いの風俗が色濃くあり、現在でも現地に女性が訪れると、次から次へとホテルに男が誘惑に来る、という話を聞きます。
・夜這いの風習は、もちろんミクロネシアだけにあるのではありません。中国のモソ族、ブータンなどにも残っています。
<誰でもセックスできる「村妻」>
<これは売春なのか?>
・コンゴのレレ族には、1950年頃まで、村に「村妻」(ホホムベ)という女性がいました。これは、村の男なら誰でもセックスできる女性です。レレ族の村の女性のうち、10人に1人が村妻だったと言います。村妻は、敵対する村から誘拐されたり、誘惑されて連れて来られた女性たちでした。
<セックスが儀式になるとき>
<セックスは生殖のためか?>
・人間はなぜセックスをするのか。
などといきなり問いかけると身構えてしまうかもしれませんが、単に「子供を作るため」だけではないことは確かです。
たとえば、不妊治療をきっかけに夫婦の仲が悪くなり、離婚してしまうという現象がしばしば起こります。
<世界の奇妙な結婚>
<男が女を略奪する誘拐婚>
<「誘拐婚はキルギス人の伝統なのよ。受け入れなさい!」>
・シルクロードのほとりに佇む、中央アジアの小国キルギス。
この国は、今も女性を誘拐して結婚させる「誘拐婚」が行われていることで知られています。キルギス女性の実に30パーセントが誘拐婚をされていると言われており、さらにその3分の2が、まったく見知らぬ男による誘拐です。
<世界に広がる一夫多妻制>
<一夫多妻制は日本の伝統>
・イスラム圏を歩いていると、男が数人の女を従えて歩いているのを時々見かけます。
・一夫多妻というと、野蛮で遅れた制度と見られがちですが、それは正しくありません。だいたい、日本も古から一夫多妻の文化でした。三世紀に成立した『魏志倭人伝』には、「大人はみな四、五婦、下戸もあるいは二、三婦、婦人は淫せず、やきもちをやかず」と倭国のことが描かれています。
日本が一夫一婦制になったのは1898年ですから、まだ百年ちょっとしか経っていません。ちなみに、それまでは妾も二等親という身内のうちに数えられていました。一夫一婦制を強制しているのはキリスト教文化圏くらいで、世界的には極めて特殊なものと言えるでしょう。
もっとも、確かにモーゼの十戒には「他人の妻を恋慕するな」と書いてありますが、旧約聖書の中で一夫一婦制を守ったのはイサクとリベカくらい。ダヴィデ王には6人の妻がいましたし、ソロモン王には7百人の妻と3百の側室がいたとされています。
<一夫一婦制の社会はわずか18パーセント>
・もともと、一夫一婦制度(単婚)というものは、非常に稀で不自然なものです。たとえば、霊長類で一夫一婦制なのは10パーセントほどしかいません。哺乳類全体ではわずか3パーセントです。
・人類学者G・P・マードックが分析したところ、世界の238の人間の社会で、一夫一婦制しか認められていない社会は43、わずか18パーセントしかありませんでした。つまり、82パーセントの社会が多婚制を認めているのです。一夫一婦制はあくまで少数派にほかならない。
また、185の人間社会の中で、39パーセントの社会が婚外交渉を認め、積極的に奨励しています。さらに、単婚制を敷いている社会でも、その50パーセントが特定の条件の下で(祭りの日など)婚外交渉を容認しています。つまり、一夫一婦制で、婚外の性行為を一切容認しないという社会は、世界的に極めて珍しいと言えるでしょう。
<一夫多妻制は男のパラダイスか?>
・ただし一夫一婦制でも妻の数に制限があることがあります。有名な話ですが、イスラム教徒の男の妻は4人までです。その一方、西アフリカのアシャンティ族の王になると、わずか3333人の妻で我慢しなければなりません。
イスラム教が一夫多妻を認めるのは、もともとは戦争で夫を失った女性を救済するための、いわば人道的な制度でした。そもそもイスラム教の開祖のムハンマド自身が9から11人の妻を持っていたと言われています。
・そもそも、アフリカにキリスト教が持ち込まれ、一夫多妻制が廃止されそうになった時、もっとも反対したのは妻たちでした。一夫多妻制では第一夫人の力がとても強く、安定しているからです。
<一夫一婦制は存続するか>
・前述したように、一夫一婦制は哺乳類の社会でも人間の社会でも少数派です。しかも、日本を含む先進国では離婚率が上昇しています。これは、すでに一夫一婦制度が限界に達し、崩壊しつつあるということではないでしょうか。
日本は1898年まで一夫多妻制でしたから、一夫一婦制度はせいぜい百年ほどしか続かなかったわけです。
<一人の女が多くの男を従える一妻多夫制>
<夫が多い女が尊敬される一妻多夫制>
・一人の妻が多くの夫を従える一妻多夫制は、一夫多妻制よりもはるかに少ないのですが、確かに存在します。ポリネシアのマルケサス島、ヒマラヤのチベット族、南インドのトダ族などです。
まず。マルケサス島の例を見てみましょう。
この島は、何らかの原因で男が女より圧倒的に多く、一時は男が女の2.5倍もいたとも言われています。食料に乏しい島なので、女児が生まれたら間引きしてしまったからだという説が有力です。必然的に男があぶれてしまうので、一妻多夫制が定着したわけです。
・チベット族の一妻多夫制は、ほとんどの夫が兄弟です。つまり、兄が結婚したら、自動的にすべての兄弟が夫になり、妻を共有するのです。逆に、弟が結婚しても、兄がその妻の夫になることはありません。
<嫉妬は存在しない>
・女王蜂の周りに働き蜂が群がるような、一妻多夫制の世界。なぜこのような制度が存在するのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。
① 先にも挙げたように、女児を間引きするため女の人口が少なくなってしまったから。マルケサス島やトダ族がそれです。
② 貧しさゆえに、男が妻をめとる際の婚資を用意できないから、共同で出資して妻をめとる。
③ 財産を分割しないため。
④ 夫が遊牧や商売でしばしば家を空けるので、妻が一人で家にいると用心が悪いため。これはチベット族の例です。
・たとえばトダ族には「姦通」に当たる言葉がありません。
<女と女の結婚>
<「女性夫」とは何か>
・アフリカには、女と女が結婚する風習があります。と言っても、別に彼女たちがレズビアンというわけではありません。
女性が結婚しても子供に恵まれないとき、彼女が「夫」となってほかの女性と結婚するのです。そして、新しい妻に男をあてがって(彼女の親戚の男が多い)、子供を産んでもらいます。その子供は、多くの場合、男性の夫の子供となります。なんともややこしい話ですが……。
<結婚のない民族・モソ族>
<「恋人は2百人いるよ」>
・中国南部の雲南省は、「少数民族の宝庫」と呼ばれています。現地を歩いていると、色とりどりの民族衣装を着た少数民族が町を闊歩している姿をよく見かけます。
ここにモソ族という民族が暮らしていますが、彼らは「結婚のない民族」として知られています。
モソ族の性愛生活を、中国語で「走婚」と言います。「走」は中国語で「歩く」という意味です。「婚」という字が使われていますが、これは私たちの知っている「結婚」ではありません。一言でいうと、完全な自由恋愛です(モソ語でセセと言う)。より直截に言えば、「夜這い」ということです。
・モソ族には、「恋人が2百人いる」と豪語する男女も珍しくありません。むしろ、多くの異性を虜にする者が尊敬されるのです。
<モソ族に「嫉妬」という言葉はない>
・では、自由な性愛の結果、女に子供が生まれるとどうなるのでしょうか。
モソ族は女系制社会なので、そのまま子供は女の家で育てられます。男はほとんど関係のない世界で、男が育児に携わることはありません。それどころか、自分の父親が誰か知らない子供も多いのです。
・モソ語には「独占」「嫉妬」に当たる言葉がありません。
・モソ族の村を歩くと、男は働かず、トランプやビリヤードをして遊んでいるのをよく見かけます。その一方、女は大きな荷物を背負ったりして熱心に働いています。
<本当に子供に親は必要なのか>
・先ほど、私は「自分の父親を知らないモソ族の人は多い」と書きましたが、もう一つ面白いことに、自分の母親が誰かも知らないモソ族の人も多いのです。
それはなぜかというと、モソ語では母親を「アミ」といい、そして母の姉妹も同じく「アミ」と言うからです。つまり、家の中で「アミ」という言葉が飛び交じっていても、誰が本当の血のつながった「母親」かわからないのです。
・実の父と母が誰かわからなくても、平然と存続している社会もあるのです。日本でも昔から「生みの親より育ての親」「親はなくとも子は育つ」と言いますが、このことわざは残念ながら真実なのではないでしょうか。
<「父」「母」は猥褻語>
・もう一つ重大な事実があります。モソ族の社会は、実はとても性的タブーの厳しいところでもあるのです。
たとえば、人前で「父」「母」「走婚」といった言葉を口にするのは、タブーです。これらは、一種の猥褻な言葉だとされているのです。
・もつとも、近年のモソ族の地域では、女性の出稼ぎが増加し、村の女性が少なくなり、セセは少しずつ消滅しつつあります。また、テレビや携帯電話などの侵入により、彼らの価値観は激しく揺さぶられています。
<世界の奇妙な男と女>
<フェラチオさせアナルセックスする儀式>
<若者宿に連れ込まれ………>
・フェラチオさせて精液を飲ませる、アナルセックスをする、互いに性器を弄ぶ……。これらは別にアダルトビデオの内容ではありません。ニューギニアのある部族が行っていた、通過儀礼の中身です。
ニューギニア高地人と言えば、つい最近まで石器時代と同然の生活を送り、首狩りの風習があったことで知られています。そこのサンビア族たちが行っていた成人の通過儀礼は、だいたい次のようなものです。
まず、少年は7歳くらいのときに、突如、母親のもとから連れ去られ、男しかいない若者宿に連れ込まれます。
・少年は、十年近くを若者宿ですごします。精液を飲まされ続けた少年は、そのうちまた年下の少年に精液を飲ませる役を演じ、やがて完全な成人の男として若者宿を離れ、女性と結婚します。
<男でも女でもない第三の性>
<少女はなぜ男と出歩くのか>
・最近の先進国ではLGBTがどうのと騒がれていますが、フィリピン、タイ、ミャンマーなどの東南アジアの地域では、昔からジェンダーの垣根を超えることに寛容で、地域社会において普通にトランスジェンダーが生きています。それは初めからそういうものだと考えられていて、それほど特別視されたり差別されたりすることもないのです。
<インドの第三の性「ヒジュラ」>
・インドにも第三の性が存在し、彼らを「ヒジュラ」といいます。これは、ヒンディー語で「両性具有者」を意味します。
・ヒジュラはインド亜大陸に50万人ほどいると言われています。彼らは10人くらいの「ファミリー」を作って生活をしています。
・ヒジュラは歌や踊り、物乞い、売春などで生計を立てています。
・あとはなんといっても売春です。デリーの売春街にはヒジュラ専門の売春宿がいくつもあり、化粧の濃いヒジュラが客に嬌声をあげています。
<生まれながらの両性具有者か?>
・多くのインド人は「ヒジュラは生まれながらの両性具有者」と信じています。
・しかし、本当に生まれながらの両性具有であるヒジュラはほとんどいません。圧倒的多数が、去勢した男なのです。
・インドは厳格なカースト制の国であり、ヒジュラはカーストから弾き飛ばされた、いわば指定カーストです。社会的に忌み嫌われ、差別されることが多いのが実態です。
・もともとヒンドゥー教には、両性具有の神がしばしば現れます。ヒジュラはシヴァ神を信奉していますが、シヴァ神とその妃パールヴァティーはしばしば一体となり、アルダーナリーシュヴァラという神になります。男性原理と女性原理が一つになり、性力を持つという考え方があるので、男でも女でもないヒジュラを思想的に受け入れる余地はある、というわけです。
・なお、インドでは2014年に最高裁が「第三の性」を認め、パスポートの性別欄に“T”(トランスジェンダー)の表記が出現しました。
・まことに素晴らしい気運なのですが、その一方で、インドでは同性愛が法律で禁止されているという、よくわからない状況ではあるのですが……。
<男として生きる処女>
・第三の性が認められている文化圏は意外と多いといえます。ネイティヴ・アメリカンのツー・スピリット、インドネシアのチャラバイ、タヒチのマフ、サモアのファファフィネ、ミャンマーのナッカドー、オマーンのハニースなどが挙げられます。
一方で、キリスト教文化圏では、伝統的に同性愛を抑圧してきました。
・このうち、ネイティヴ・アメリカンのツー・スピリットやミャンマーのナッカドーは、主にシャーマンや霊媒師として働いている人々です。シャーマンが女装男性であるケースはかなり多く、アラスカやシベリアでも見られます。日本でも、横浜の「お札まき」など、男が女装する祭りがしばしば見られるのは、この系譜なのでしょう。
・バルカン半島には、19世紀から20世紀まで男として生活を送る処女がいました。なぜ彼らが男として生きたというかというと、一家に男兄弟がいなかったからです。現地には厳格な家父長制度が敷かれていたため、男兄弟がいなければ、財産の継承者がいなくなり、財産が霧散する危険性があったからです。
・なお、女の子を男の子として育てる風習はアフガニスタンにもあります。
<世界の奇妙な「性」と「聖」>
<神殿で売春する女>
<嫁入り前に体を売る>
・かつて、神聖なはずの神殿で、女が売春するという不可解な風習がありました。たとえば、古代ギリシャの歴史家であるヘロドトスによると、古代のバビロンでは、女は一生に一度ミュリッタ(ヴィーナス)の神殿に赴き、そこで見知らぬ男に体を売る習慣があったと言います。
女は神殿に座り込み、男が金を出して買ってくれるまで、ひたすら待ち続けます。
・他にも、地中海のキプロス島では、嫁入り前の娘は必ず海岸に行って、何日も男に体を売る義務がありました。ここで稼いだ金を結婚の持参金に充てたり、ヴィーナスに寄進したりしました。
<「神の女奴隷」デーヴァダーシー>
・しかし、ヒンドゥー教の国インドでは、今でも寺院における売春が続いています。この売春婦はデーヴァダーシー(ヒンディー語で「神の女奴隷」の意味)と呼ばれています。現代でも、インドでは5万人近いデーヴァダーシーがいるとされています。
デーヴァダーシーは9世紀頃に誕生したと言われています。
<処女を利用する者たち>
・デーヴァダーシーは、1988年にはすでにインドでは非合法化されています。しかし、今も密かに奉納の儀式は行われています。
では、なぜこのような神聖なのか俗悪なのかよくわからない制度が今も続いているのでしょうか。
その単純な理由の一つが、デーヴァダーシーが「儲かる」からです。
・宗教とセックスは、一見相反するもののように見えて、太古から互いに手を携えて生きてきました。たとえば、イエスに付き従い、彼の遺体に香油を塗ったというマグダラのマリアは、娼婦だったと伝えられています。娼婦だからこそ、その「罪」を許すイエスが必要だったのです。
・考えてみると、宗教ほど「悪」や「賤」を必要としているものもありません。もしこの世に悪がなければ、それを打ち負かす宗教も必要なくなるからです。聖なるものと性なるものは、往々にして一致するのです。
<祭りは性的乱交である>
<奴隷が王になり、王が奴隷になる儀式>
・世界で最も有名な祭りは、ブラジルのリオのカーニバル(謝肉祭)でしょう。謝肉祭のとは、肉を断って懺悔をする四旬節の前に、できる限り鯨飲馬食してはめをはずそうというものです。リオのカーニバルでは、全裸同然の踊り子たちが踊り狂い、あちこちで性的乱交が繰り広げられます。山車の上からコンドームをまき散らして配ることもあります。初めから乱交が行われることが織り込みずみなのです。
・他にも、インドではホーリー祭という祭りがあります。これは毎年3月頃、色鮮やかな粉や水を投げつけあって遊ぶものです。参加者はみな全身が毒々しい色に染まり、ずぶぬれになります。ホーリー祭のときは、ホテルは外国人観光客に外出禁止令を出すことがあります。特に女性は外に出ることを止められます。痴漢をされたり、レイプをされたりする事件が後を絶たないからです。この祭りも、本来は性的な乱交が行われる祭りなのです。
<なぜ盆踊りで顔を隠すのか?>
・性的な祭りが最も多いのが、実は日本です。
典型的なものが、夏に行われる「盆踊り」です。もともと盆踊りとは、性的乱交をともなうものでした。その証拠に、明治政府は何度も「盆踊り禁止令」なるものを布告しています。あまりに性的放埓が目に余り、外国人に見せるのが恥ずかしかったからです。
・徳島の阿波おどりをはじめとして、盆踊りでは、女性はしばしば菅笠(すげがさ)で顔を隠して踊ります。秋田県の西馬音内(にしもない)盆踊りでは、女性は黒い布で顔を完全に覆い隠して踊ります。なぜわざわざこんなことをするのでしょうか。それは、顔を隠し、誰だかわからないようにして、心置きなく性的乱交を楽しむためなのです。
・また、川崎市で行われる、かなまら祭は、全世界から外国人が訪れることで有名です。男性器の形をした巨大なピンク色の神輿を、女装した男たちが担ぎまわるという、カオスな光景が人気です。このように、男性器を祀る祭りは多いのですが、愛知県の大縣(おおあがた)神社の豊年祭は、女性器の神輿が出てくることで知られています。町を練り歩く山車の上に巨大なおかめのオブジェが載っているのですが、その口が明らかに女性器の形なのです。
ほかにも、新潟県魚沼市のしねり弁天たたき地蔵は、男は女をしねり(つねり)放題、女は男をたたき放題、という無礼講な祭りです。これも、かつての乱交の名残りをとどめたものと言えるでしょう。
<寡婦が炎に飛び込み殉死する>
<焼かれた花嫁>
・1987年9月4日、インドは戦慄と熱狂に覆われていました。
ラージャスターン州の、デオラーラ村で、わずか18歳の若妻ループ・カンワルが、「サティー」を決行したというのです。サティーとはインド古来の風習で、夫が亡くなった時、妻が夫の遺体が焼かれる炎に身を投じて殉死するというものです。
・警察は、サティーに関わった28人を自殺幇助などの罪で逮捕しました。しかし、結局は誰一人訴追されず、釈放されてしまったのです。
<微笑んで焼け死ぬ女たち>
・17世紀にムガル帝国を旅行したフランス人フランソワ・ベルニエは、実際に数々のサティーを目撃し、生々しい記録を残しています。
<自殺か、殺人か?>
<今なお消えない悪夢>
・サティーが始まったのは、紀元前3世紀頃と考えられています。
<世界の奇妙なタブー>
<不倫は悪なのか?>
<日本人の偽善>
・最近の日本で、「不倫」ほど評判の悪いものはありません。まったく自分とは関係のない、よく知らないタレントが浮気しただけで、世間が総叩きし、ほとんど社会的に抹殺されてしまうことは、みなさんご存じの通りです。
しかし、このようなことは、この国ではつい最近沸き起こった極めて新しい現象です。
日本ではちょっと前まで「妾を養うのも男の甲斐性のうち」と言われていたことは、よく知られていることです。戦後の首相には、妾の家から国会に通う精力的な男もいましたが、それが理由で失脚するなどということは、もちろんありませんでした。
<女が男に歌を聞かせると不倫?>
・もともと「不倫」とは「倫理に反するもの」という意味です。しかし「倫理とは何か」は民族や時代によって変わってくるので、不倫という概念はとても不確かなものなのです。
・また、保守的なイスラム教の地域では、女が男と同室したり、女が男に歌を聞かせたりするだけで不倫と見なされ、女性が殺されてしまうことがあります。
<合法的に不倫を楽しむ「月の夫婦」>
・いわゆる「不倫」が合法的に組み込まれている社会もあります。
オーストラリアのディエリ族には「ピラウル婚」という制度があります。ピラウルとは「月の夫婦」という意味で、彼らは結婚する前にピラウルという複数の愛人を作ります。
・多夫一妻制のインドのトダ族には、そもそも「不倫」に当たる概念も言葉もありません。だから、不倫をしたくてもしようがないのです。