(2024/3/4)

 

 

『何かが空を飛んでいる』

稲生平太郎     国書刊行会   2013/11/25

 

 

 

ログフォゴあるいは「岩の書」――リチャード・シェイヴァーについてのノート

・リチャード・シャープ・シェイヴァーは、1907年、合衆国ペンシルヴェールニア州はバーウィックという小さな町で生まれた。

 

・大きな転機、あるいは危機が訪れたのが1932年、デトロイトの自動車工場で溶接工として働いていた折のことである。

 作業中に、突然、幾つもの「声」が頭の中で聞こえはじめたのだ。

 もちろん、シェイヴァーはすぐに医者にかからねばと判断するような粗忽な人物ではなかったので、同僚たちの思考がテレパシーで伝わっているとの結論を下した――そう、自分の手にする電気溶接器のコイルが何らかの理由で「受信機」として機能したにちがいないと。

 ただし、それだけではすまなかった。

 地下深い洞窟に棲む邪悪な存在、すなわち、彼が後にデロと呼ぶものが、地上の人間をおぞましいかたちで責めさいなむのも耳にした

 こうなっては、もはや正業に就くのは難しい。 

 実際、翌年には、彼は短期間だが精神異常と診断されて病院に収容されている。

 

・シェイヴァーの回想によれば、ある日、彼の許にニディアという謎の美女が訪れ、彼女との出会いを通して、世界の真の歴史が遂に開示された。

 

・1万2千年前の地球――それは、宇宙の彼方から到来したタイタンあるいはアトランと呼ばれる巨人種族の支配する世界だった。彼らは事実上の不老不死で、高度な科学技術を誇り、遺伝子工学によって労働用の奴隷種族を創出、そのひとつが我々人間の祖先である。

 ある時期に、太陽の発する有害な光線のために、タイタンたちは地上に住めなくなり、地底奥深くへと本拠を移すことになった。しかし、やがて、そこでもタイタンたちの健康は冒されはじめ、彼らは遂に地球脱出を決意する。

 タイタンたちが宇宙船で新たな移住先の星へと去った後、取り残された奴隷種族の一部は、地下の洞くつで肉体、精神の両面で退化を重ねて、邪悪きわまりのない存在へと変身していった

 

さて、この退化した闇の種族は、有害なロボット(detorimental robot)

、略してデロと称され(機械ではなく生命体だがシェイヴァーはかれらをロボットと呼ぶ)、いうまでもなく、世界中の神話や宗教に登場する悪魔とはすべて彼らを指している。

 しかしながら、洞窟世界には善良なる種族テロ(デロと紛らわしけれど、こちらは統合ロボット)も残存、そのひとりがニディアに他ならない。彼女に連れられて、シェイヴァーは実際に地下へと赴き、そこで数年間を過ごして、太古から現在にいたるデロによる支配の実態、それを阻止しようとするテロの活動をつぶさに知るにいたったのだ……。

 

 デトロイトで「声」を聞いてから約10年後の1943年、シェイヴァーはSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』の編集部に手紙を送りつけた。

 

・意外にも、この手紙じたいは地下の世界にはまったく触れていない。

 シェイヴァーなりの戦略があったのだろう、もっぱらマンタン(Mantong)なるものを発見したという主張に終始していた。これは地球上の全言語の根幹をなすとされており、つまり、マンタンとは「人類語」(manプラスtongue)の謂だろう。すこぶる簡単である。

 

・当然というべきだろう、この手紙は屑籠にいったん投げ込まれたのだが、さすが辣腕の編集長、パーマーは見逃さなかった。売り物になるのではあるまいかと判断、彼はそれを1944年1月号に印刷掲載すると共に、シェイヴァーとの文通を開始した。

 シェイヴァーの側でが、これ幸いと地下世界をめぐる幻想を滔々と語る原稿をパーマーに送り届け、そのひとつが、パーマーによる大幅な加筆改稿を施された後、「私はレムリアを憶えている」なる題名で『アメージング・ストーリーズ』1945年3月号に発表された。かくして、いわゆる「シェイヴァー・ミステリー」の幕は切りおとされたのである。

 読者からの反響は凄まじかった。

 

・ここで強調しておくべきは、『アメージング・ストーリーズ』はいうまでもなくSF小説雑誌であるけれど、「シェイヴァー・ミステリー」があくまで「実話」と銘うたれていた点である。

 パーマーは、これはフィクションではない、紛れもない事実であると読者を煽りに煽り、デロが出版を妨害しようとしているとまでほのめかした。こういった手法はいうまでもなく真面目なSFファンダメンタルズたちの怒りを買ったが、他方、送られてきた投書の一部は、自分たちはシェイヴァーと同じような体験をした、デロは実在するのだと訴えていた。シェイヴァーというひとりの人物の織りあげた幻想にすぎないものが、一時的にせよ、多数の他者によって共有される領域へと移行したのは否定できないだろう。

 

・『アメージング・ストーリーズ』のシェイヴァー特集号が刊行された日付にも注目していただきたい。ケネス・アーノルドが空中を飛ぶ謎の物体を目撃するが、まさに1947年6月24日であり、この日を境にアメリカのみならず世界中に「空飛ぶ円盤」騒動が広がっていく。

 

・パーマーは正体不明の飛行物体に関する読者からの報告を積極的に掲載したが、形態として円盤型も含んでいた。いっぽう、シェイヴァーはたとえば1946年9月号掲載の「宇宙に送られる地球の奴隷」なる「作品」で、地球を定期的に訪れて人類を誘拐する異星人からの宇宙船を登場させた。

 

・なお、「シェイヴァー・ミステリー」が、第2次世界大戦が終わった直後のアメリカで爆発的な人気を博するにあたっては、その性的要素も大きく貢献したと思われる。シェイヴァー描くところのデロは単に邪悪なだけでなく、飽くなき色情狂であり、性機能を無限大に増強するスティム(刺戟器械)という装置までもっていた。

 

・シェイヴァーによれば、これらの「像」は、タイタンたちが遺した一種の「写真」なのだ。すなわち、太古の巨人種族は、「瑪瑙(当ブログ註;アゲートを作る方法」、そして、瑪瑙が液体状のときに感光物質と混ぜ合わせて、自分たちの思想、藝術、歴史を刻印する方法を発見していた。しかも、これらは本来は立体像として記録されているという。要するに、3次元のホログラムのごときものらしい。また、ひとつの石に一枚の「写真」が入っているのではなく、膨大な数の画像が封じ込まれている。

 

ニディアという地底人がシェイヴァーにとって大きな意味をもっていたことは既に記した通りであるが、彼女とは夢でまず出会ったと彼は主張している。それはまあいいとしても、この夢を見た夜、彼は室内用溲瓶(しゅびん)を倒してしまい、翌朝、床にこぼれた尿が乾いた箇所には、ニディアの美しい姿が写真のように鮮明に現れていたという。

 

水晶の中の幻影――ジョン・ディーの精霊召喚作業

・忌わしい降霊術師との汚名を着せられたディーであるが、彼の生前にあっては、それはあまり根拠のない漠然としたものにすぎなかったといえよう。しかし、彼の死から半世紀の後、事情は大きく変わる。すなわち、1659年、学者、聖職者であったメリック・カソーボンの手によって『多年に亙ってジョン・ディー博士と精霊の間に起こったことの真正にして忠実な記録』が出版されたからである。

 

これは、ディーが遺した精霊あるいは天使との膨大な交信記録の一部をほぼ忠実に印刷したものであるが、編者カソーボンは、ディーが神からの遣いと信じた存在が悪霊に他ならないと信じて、「闇の所業」、悪魔の恐ろしい業を示す証拠として上梓したのである。

 

・しかし、少しでも調べてみれば分るように、精霊との交信をめぐってディーの遺した文書は、彼の全業績のなかでも量的に大きく突出している――それは関心というよりは異様なまでの執着と呼ぶほうがふさわしいだろう。とりわけ1580年代にあっては、彼の内面生活はほとんど精霊との交信に占められていたといっても過言ではあるまい。この時期、彼は天使からの啓示にほとんどすべてを賭けていた。これが異様と映るのが現代の眼から見た偏見ではないことは、カソーボンが『精霊日誌』を「その種のものとしては如何なる時代の如何なる書物にも匹敵するものはありえない

 

世間に奇書と銘うたれた書物は少なくないけれども、『精霊日誌』が真の意味でその名に値するごく稀なもののひとつであることは疑えない。驚くほど細かな活字によって4百頁にもわたって埋めつくされたフォリオ判の『精霊日誌』は、まずその量において読者を圧倒するだろう。しかし、解読を真に困難なものにせしめているのは、量ではなく、内容面の難解さである。難解である理由のひとつは、これが文字通りディーの私的な文書であって、公刊を予期して書かれたものではまったくないからだ。註釈を施した版がいまなお存在しない以上、ディーについてのかなりの予備知識がまず必要とされよう。

 

・ところで、精霊との交信はディーが単独で行ったのではない。彼にはエドワード・ケリーという助力者がいた。ケリーは時に霊媒と呼ばれたりするが、これは誤解を招く表現かもしれない。

 

驚嘆すべき精力をもって、ディーはほとんど逐語的に天使との対話を記録しており、場合によっては1回の交信が延々と何頁も続く。対話といったが、時には、霊のほうが一方的に喋りまくることもあり、またディー、ケリーと論争になることもある。さらに、複数の存在が水晶球のなかに現れて一種の寓意劇のようなものを演ずる場合も見られる。

 

・たとえば、天使たちはやがて彼に始源の秘教的言語たるエノク語(あるいは天使語と呼ばれる)を授けることになる。ちなみに、このエノク語は、17世紀以降、多くのオカルティストの関心を集め、現代のオカルティズムの一部にもその影響は及んでいる。霊はまた英国や欧州の未来について様々な予言を行っているが、そのなかには的中したものもあれば、外れたものもあり、外れた場合には、ディーはそれを発したのが悪霊ではないかという疑いに駆られる。しかし、基本的には、神の遣いたちと対話しているというディーの信念は毫も揺るがない

 

・天使たちの発する言葉が時に黙示録的な響きをもって読む者を圧倒するのは事実だが、とはいえ、『精霊日誌』全体が常に荘厳で厳粛な雰囲気に包まれていると考えるのは誤りだろう。妙に陽気で軽薄な精霊が登場することもあるし、また、ディーも霞を食って生きている訳ではないから、天使に卑俗な面についての助言、助力を乞わざるをえない。絶えず不如意な境遇にあったディー、ケリーとも繰り返し金銭面での助けを求めるのだが、それを時に巧みに時に無様にはぐらかそうとする精霊たちの態度には思わず噴き出してしまう

 

・とまれ、ディーは自分が善なる超自然的存在と接触していることを決して疑わなかったのだが、それではケリーのほうはいったいどうだったのだろうか。

既に述べたように、精霊との交信はひとえにケリーの透視能力にかかっていた。したがって、彼が水晶を前に博士を顧客として一人芝居を演じていたとみなすことは確かに可能である。つまり、霊能者をかたる詐欺師だと。こういったケリー山師説は最も広く流布してきた解釈といえよう。それに並置されるのが、類稀な学識を有しながらも、若い無教養な詐欺師の餌食となった哀れなディー博士の姿ということになる。たとえば、フランセス・イェイツは、ケリーを「敬虔な師を誑かしたペテン師」として片づけている。

 しかしながら、『作業記録』や『精霊日誌』を実際に繙いてみるとき、師と弟子の関係がそう単純なものではありえないことがわかる。

 

・天使界から下される知識を渇望してやまないディーは、何と自分の長男アーサーをケリーの替わりに霊媒として用いることで、この苦境を乗り切ろうとする。だが、当時8歳であったアーサーとの実験は芳しい結果を生み出さず、ディーは結局ケリーの助けにすがるほかない。しかし、ケリーが渋々引き受けた最後の交霊実験は決定的な破局をもたらしただけだった。マディミを初めとする天使たちは、あろうことかディーとケリーに各々の妻を文字通り「共有」するように命じたのである

 この驚くべきエピソードについては、ケリー詐欺師説も含めて様々な解釈が可能だろう。

 

・ディーとケリーの交流は、しかし、例の破局以降、完全に断たれたというわけではない。博士は錬金術の実験に関してはケリーと断続的に接触しており、英国に戻ってからも、彼はかつての弟子と書簡などを通して連絡を取ろうと懸命な努力を続けることになる。

 

・ケリーを失ったからといって、ディーは天界からの声を聴くことを決して諦めはしなかった。帰国してからまもなく、彼はバーソロミュー・ヒックマンなる新たな透視能力者を雇い入れている。

 

・幼い頃に異国ボヘミアの地で父のために霊媒として働いた記憶は、果たして彼に残っていたのだろうか。ブラウンの言葉を信ずるならば、アーサーは父ディーが膨大な精霊との交信録を遺していた事実はまったく知らなかったらしい。アーサーが没するのは1651年、カソーボンが『精霊日誌』を出版する8年前のことである。

 

 

獣人と神人の混淆――アドルフ・ランツとフェルキッシュ・オカルティズム

・『オースタラ』は、しかし、同時代の他の反ユダヤ主義的、あるいはフェルキッシュな刊行物とは異なる点があった。つまり、ランツの唱えるアーリア人種至上主義は、彼の抱懐する特異な思想、もしくは幻想に彩られていたからである。これを理解するためには、彼の主著『神聖動物学』の内容を概観する必要があろう。

『神聖動物学、もしくはソドムの猿と神々の電子についての学問』は、1905年、『オースタラ』創刊にわずかに先立って上梓された。

 

・「神聖動物学」とはもとよりランツの造語であるが、それにしても面妖な言葉であるし、また、たとえば「ソドムの猿」とはいったい何か

古代このかた世界には醜悪にして好色放蕩の劣等人種、すなわち獣人が存在してきたと、ランツはまず唱えるそればかりではない。その対極的存在たる高等人種は、性の快楽のためにこれらの獣人と交接、その結果、高等人種の純潔な血は汚れ、彼らは退化してしまったという一方、獣人たち劣等人種はその交合を通して逆に進化してしまった。高等人種の犯した罪とは「獣姦(ソドミー)」なのであり、かくて、ランツは獣人を「ソドムの猿」と呼ぶのである。忌まわしい人種混合によって、退化、失墜する高等人種=神人と、進化、上昇する劣等人種=猿人という構図こそ、『神聖動物学』の根幹をなすテーゼといえよう。

 ランツによれば、かつて存在した高等人種とは、すなわち、古代の神々に他ならない――たとえばエホヴァも実はこういった神人のひとりだったという。そして、かつての神人の面影を今もいくぶん伝えるのがゲルマン民族だと、彼は説く。

 ゲルマン民族とは「天の息子」、彼らの肉体とは「神の神殿」である

 

・そして、アーリア人種を劣等人種との交雑から守り神人へと再び進化させるための方策について、彼はさまざまな提案を行なっている。

 

・『神聖動物学』は、なるほど奇怪な書物であるけれど、西欧近代のオカルティズムの伝統とは接点をほとんどもたず、あくまでも彼自身の個人的妄想の域に留まっていた。しかし、ランツはやがてオカルティズムを「発見」、自己の人種理論を神智学、なかんずく、H・P・ブラヴァツキーの『秘奥の教義』(1888)に融合させていく。

 神智学の吸収を通して、ランツが単にその奇矯さを昂進させただけなら、その事実はたいして顧慮するに値しないかもしれない。しかし、彼の選択はある意味では必然的なものであった。なぜなら、彼が取り込んだのは近代オカルティズムが展開させた霊的人種=進化論に他ならないからだ。そして、ヘッケルのモニスムスと同じように、ブラヴァツキーの教義もまた、ダーウィンの進化論に触発されつつ、それをまったく異なったものへと変容させていたのである。

 

・1877年に上梓された『顕現せるイシス』は、ブラヴァツキー夫人の処女作であると同時に、設立されてほどない神智学協会の最初のマニフェストでもあったが、そのなかで、彼女は既に「近代科学は進化論を主張している。そして、理性と《秘奥の教義》もまたそう主張する」と説いていた。そう、ダーウィンの進化論に影響を受けた同時代の多くの人々と同じように、彼女は進化を唱えた――ただし、生物学ではなく隠秘学を用いて、霊的な見地から進化を唱えたのである。

 こういったいわばオカルト版の進化論が全面的に展開されるのが、ブラヴァツキー晩年の大作『秘奥の教義』、とりわけ、その《人類創世記》に部分である。そして、彼女は19世紀後半を支配した思潮としての進化論のもつ負の側面を引き受け、暗い夢想を育むことになる。

 

・ブラヴァツキーによれば、最初の根源人種はアストラル体(肉体と精神の間に位置する非物質的な霊気体)しかもっておらず、肉体を備えるようになるのはレムリア大陸の住人、第三根源人種からである。また、生殖についていえば、人類にはかつて無性、両性具有という段階があり、その後に性の分離が起こったという。人間が男女両性の性交による生殖を開始し、理性や知識を備えるようになるのは、いずれも、レムリア時代のこととされる。レムリア人に続くのが第四根源人種アトランティスであり、その第五亜人種から第五根源人種アーリア人が派生した

 

・そして、『秘奥の教義』に従えば、七つの根源人種のうち、現在のところは五つしか発生していない。つまり、アーリア人は進化の頂点に位置するわけであるしかも、厳密にいえば、第五根源人種は現時点において第五亜人種の段階にまで達しており、この第五亜人種こそ現在のヨーロッパの人々に他ならない。いわば、まったく別の回路を通りつつも、ブラヴァツキーはヘッケルなどと同じ結論に到達していたことになる。

 

ランツとの関連でとりわけ注目すべきは、人間が獣あるいは半人半獣と交合してきた、とブラヴァツキーが唱えていた点であろう。こういった交雑はレムリア、アトランティス時代に起こったばかりでなく、「現存する低次のいくつかの人種」によって今も行なわれているとされる。そればかりか、太古の半人半獣の末裔として、ブラヴァツキーはタスマニア人、オーストラリアのアボリジの一部を挙げさえするのだ。

 なお、このような獣姦コンプレックスとでも呼べるオブセッションは、創世記第六章における「神の子」と「人の娘」の交わりを巡る記述に窺えるごとく、西欧精神の暗部に連綿と巣食ってきたものであることを指摘してておきたい。 

 

・かくのごとき人獣混淆は、忌わしい怪物、魂も知性も有さぬ人種を産み出したと、『秘奥の教義』は語る。そして、この「罪深い交接」の蔓延をまのあたりにして、支配者層はそれを禁じたばかりか、罪を犯した者たちを生殖不能にしたり抹殺したのだという。その一方で、支配者たちは優れた血統の人々を選別した。

 

・1907年に発表された『神智学とアッシリアの獣人』において、ランツは、『神聖動物学』で開陳した自説を支える「証拠」として、『秘奥の教義』に全面的に依拠するに至る。獣人の実在や、その神人の交雑は、すべてブラヴァツキーのオカルト進化論によって裏付けられる

 

・与えられた紙数はほぼ尽きてしまい、ローゼンベルグやヒムラーについて立ち入ることは残念ながらできなくなった。ただ、最後に、ヘルマン・ラウシュニングがヒトラーの「生物学的神秘主義、あるいは神秘的生物学」と呼んだものを紹介しておこう。

 ラウシュニングがその著『永遠なるヒトラー』で伝えるところでは、ヒトラーは、天地創造は終わっておらず、古い種類の人類が衰退する一方で、新しい種類の人類が勃興しつつあると唱えていた。ヒトラーによれば、人間とは「生成途上の神」にほかならず、彼は次のように語ったという。

 

 古い人間は、衰退形態においてのみ、その生を生きながらえるのである。創造力は、すべて新しい種類の人間に集中することになろう。この二種類の人間は、急速に、相互に逆の方向へ発展している。一方は、人間の限界の下へ没落していき、他方は、今日の人間のはるか上まで上昇する。両者を神人および獣的大衆と呼ぶことにしたい。

 

 こういった、生起する進化を背景に描き出される獣人と神人の双曲線運動という概念を前にして、我々はランツの以下のような言葉を想い起こさざるをえない。

 

 人類混合は進化において停滞や後退を意味し、一方、人種育成は真正の進歩である。世界の進化は未だ完結していない。無益なもの、有害なものを人間の身体から除去する人種育成は我々を神により近づけるだろう。

 

 劣等な獣人から離れて、神のごとき存在への進化を渇望するという夢想が、両者に共通しているのは明らかだろう。もちろん、これをもってランツがヒトラーに何らかの影響を与えた証拠と見なすわけにはいかないし、そもそもラウシュニングの記述の信憑性には留保をつけねばならぬ。

 

ヒトラー、ナチズム、オカルティズム

ヒトラーはオカルティズムに傾倒していた、あるいは魔道の奥義をきわめていた――これは夥しい数の通俗オカルト書に繰り返し現れる主題であり、そのほとんどは確たる根拠もなしに主張されている。事実と虚構の区別はいっさい顧慮されていない。

 ヒトラー魔術師説はもとより論外であるけれども、とはいえ、それはある意味で「神話」の域に達しており、われわれの精神に潜む恐怖と魅惑がないまぜとなったヒトラー観、ナチ観を逆に照射しているともいえよう。

 こういった神話が広く流布しはじめる契機となったのは、ルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェの『魔術師の朝』であり、その後トレヴァ・レイヴンズクロフトの『運命の槍』のような書物によって拍車がかけられて、神話は映画や小説などのメディアにも流入していった。しかしながら、その淵源は想像される以上に古い。

 

・1947年には、ヨーゼフ・グライナーの『ヒトラー神話の終焉』が上梓された。これは不正確な事実や捏造を積み重ねたヒトラー伝として悪名高いものであるが、そのなかで、グライナーは、ウィーン在住時代の若きヒトラーがオカルティズムや催眠術の書物を耽読していたと語っているのである。

 ヒトラーが早くからオカルティズムとこのように結びつけて語られた背景には、しかし、19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツ、オーストリアの特異な精神的風土が存在していることを忘れてはならない。すなわち、この時代にあっては、反ユダヤ主義やゲルマン民族至上主義が盛んに唱えられただけでなく、過激な民族至上主義的思想家たちのなかには、現実から大きく逸脱した自説の根拠を、神秘主義やオカルティズムの裡に求めようとするものもいた。ナチズムはこういった風土を背景に形成されていったのであり、そのイデオロギーの一部に、オカルト的フェルキッシュ思想の影響が認められるのは否定できないであろう。

 

・ナチス――すなわち、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)――の前身は、ドイツ労働者党(DAP)であって、ヒトラーは1919年秋にこの党に加入している。DAPは第一次世界大戦後の混乱のさなかドイツ各地に生まれた泡沫的右翼組織の一つにすぎず、ヒトラー自身がDAPの最初の印象を「インチキな団体マニア」だとしているのは、事実に近いだろう。しかしながら、表面的には弱小であったDAPには、ヒトラーは気づいてはいなかったであろう秘められた側面が存在していた。DAP設立には実はトゥーレ協会なる半秘密結社の息がかかっていたのである。

 

・それではトゥーレ協会とはいかなる組織なのか。その歴史は複雑をきわめているが、ごく簡単に要約すると以下のようになろう。

 ドイツの過激な反ユダヤ主義団体の一つに帝国ハンマー同盟があるが、1912年にその姉妹組織としてゲルマン教団が設立された。これは純粋アーリア人種のみを会員とすることを謳い、フリーメーソンに範をとった擬似宗教的秘密結社で、グイド・フォン・リストの信奉者も参加していた。教団は16年には分裂を迎えるものの、その分派のバイエルン支部が、ルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフという人物の指導の下、急速に勢力を拡張していく。

 1918年以後、ミュンヘンにおいて、対外的にはトゥーレ協会の看板を掲げて、教団は積極的な政治、軍事活動を繰り広げ、DAP設立援助もその一環であった。協会の胎内から生まれた右翼政党としては他にドイツ社会主義党(DSP)があり、その党員の多くは後にナチスへと流れていく。

 

ドイツ側における過激なフェルキッシュ思想の歴史は長く、アダムをドイツ人に比定する『百章の書』あたりにまで遡ることができようが、19世紀末以降多大な影響を及ぼしたものとしては、ユリウス・ラングベーンの『教育者としてのレンブラント』があげられよう。

 この書物のなかで、ドイツ人は最も個性的で卓抜した民族であると規定され、「北方的」精神が称揚される。ラングベーンにもすでに神秘的傾向はみられたが、彼に続いたドイツ、オーストリアのフェルキッシュ思想家のなかには、ゲルマン民族を超太古に淵源をもつ神のごとき存在にしようとする願望の果てに、オカルト的色彩の濃い奇矯な幻想を紡ぎだすものも多かった。

 こういったフェルキッシュ・オカルティズムの水脈は、たとえば、『わが闘争』と並んでナチスの聖書ともいうべきアルフレート・ローゼンベルクの『20世紀の神話』にも流入している。アーリア=ゲルマン人種の絶対的優越性を証明せんとして、ローゼンベルクはその原郷を何とアトランティス大陸にまで求めているのだ。

 ローゼンベルク以上に至高なるゲルマン民族という概念にとり憑かれたのが、SS長官ハインリッヒ・ヒムラーであろう。

 

・フェルキッシュ・オカルティズムの鼻祖ともいうべきグイド・フォン・リストは、スワティカをアーリア=ゲルマン人種の聖なる「原象徴」としてとりわけ重視した。リストによれば、スワティカが世界各地の古代文化の裡に見出せるのは、アーリア=ゲルマン人種こそすべての文化、文明の創造者であることを示す証左であるという。

 トゥーレ協会の母体である秘密結社、ゲルマン教団には、リストの信奉者が多数参入しており、教団の用いた紋章は十字にスワスティカを重ね合わせたものであった。

 

 


『新しい宇宙時代の幕開け』②

地球はすでに友好的宇宙人が居住する惑星だった!

ジョン・B・リース  ヒカルランド   2012/12/28

シャンバラ・惑星連邦・地球内部の知られざる新事実

 

 

 

息子のヒトラー2世が地球内部のドイツ元首を引き継いでいた

・ヒトラーの死後、息子のヒトラー2世が地球内部のドイツ元首を引き継いでいた!

 

・1万1500年前にアトランティス人とアテネ人が地上で原爆戦を繰り広げていた!

 

・太陽や地球の磁場に干渉して異常気象をもたらす放浪惑星ナガースの脅威!

 

・アメリカは太陽系の他惑星と外交的対話を続けており、ワシントンには金星・火星・冥王星公使館があった!

 

・地球内部に住むアトランティス大陸の末裔が語る、その驚きの生活

――平均年齢800歳、高度なテクノロジーを持った平和的国家の全貌とは!?

 

・地下世界の住人の長寿の秘訣は、太陽光線に当たらないこと、そして正確に調合された野菜ジュースを飲むことだった!

 

<バイキングランドと新ドイツとの接触>

・1時間後、内部太陽のそばまでやって来ると、速度は落とされた。その光は激しくなく、目を痛めることもなかった。彼らは直系600マイル(965キロメートル)の巨大な光球に近づくと、それは巨大なちょうちんと似ていることに気づいた――その周囲には柵が付けられた狭い通路があった。

 

ヤルタ会談の裏で強力な影響力を与えたのは、円盤翼機とインナー・ワールド!

・バードの任務報告の23日後、大統領のヨットはフロリダのビスケーン湾に錨を下していた。そこで世界の先進国の参謀長らは、どのように対応すべきか極秘に戦略を練るために落ち合った。結局のところ、敵ドイツは敗北しておらず、それどころか卓越した航空機と兵器において全世界に対する戦術的な優位性を保持するために空軍力を刷新しているのかもしれない。全参加者は、ドイツ軍の野心は続いているものと推察した、イギリス、フランス、そしてアメリカは、ヒトラーの独裁に対して新たに戦わねばいけないという危機感を抱いていた。

 

沈んだアトランティス大陸の末裔は地球内部に脱出していた>

インナー・ワールド(地球内部)に暮らす人々は、5億人以上/NASAは内部の詳細地図を持っている!

・1980年(本書の出版年)は、世界の人々が自分たちはこの惑星において孤独ではなかったことを最初に知る年となるだろう。地上住人の失われた親類が5億人以上、地球の中心部内側で平和に暮らしているのだ。

 

・だが、インナー・ワールドの最古の種族は古代ドイツを起源としている。その始まりは地上世界の凍った南極にあり、亜大陸がかつて住民の徒に、卓絶した富と美の「熱帯の楽園」だった頃にさかのぼる。彼らのインナーアースへの集団脱出は3万年前のことだった。

 

100人を超えるインナーアースの住人がアメリカで仕事や研究を行っている

地底世界人ボッドランド人との遭遇/インナー・ワールドの人々は地上でも暮らしている

・1600年代に地下に移り住んだドイツ系アングロ・サクソンの親類によって歓迎された。その探検の際、地上の第三帝国のドイツ人は、おそらく世界中で最も進んだ人種と思われるボッドランド人と出会った。彼らは、もう一つのドイツ系の分家で、その揺籃は南極に始まったが、現在はイランが位置する場所からトンネルを介して3万年前に地下に移住している。

 

・その後、内部にやって来た民族には、バイキング、アトゥリア人(またはアトランティス人)、そしてエスキモーが含まれた。日本人は地球内部に先祖となる親類はいないが、実のところ、沈んだムー大陸――いくらかの記録によれば、それはアトランティスが沈む25万年前にさかのぼる――からの末裔であるとボッドランド人は主張した。地下のボッドランド人の年代記によると、地上では過去に4つの文明が栄えては姿を消し、現在は5番目に当たるとのことだった。

 

・1943年のドイツの遠征隊が発見したのは、内部世界で最大の大陸は北米の3倍の大きさの大陸地域をカバーするアガルタであり、アトゥリア人と呼ばれる人々によって占有されていることだった。このグループは沈んだアトランティス大陸からの末裔で、最初の祖国が最終的に沈んで何百万人もの祖先が滅びる前の紀元前1万5000年から1万1500年にかけて内部へ移住した。アトランティス人は多くの地上の白人種と関係していて、混合した元の民族は3万3000年前に金星からもたらされたが、その冒険は金星人が最初に地球を再植民地化しようとする試みではなかったとアトランティス人は主張する。彼らはまた、金星はもともと地球のコロニーであったと主張する。

 

アトランティス人の地球内部の脱出の様相/破滅を引き起こした原爆戦

最初のアトランティスは3万3000年前に大西洋の中央に位置した大陸の肥沃な渓谷と高台にて金星のコロニーとして始まった

 

・それはかつて裕福な国で、20世紀の地上の先進国と同等の社会とテクノロジーを発展させていた。彼らの宇宙船は地球の空を移動し、他惑星への貿易ルートが開発された宇宙空間にも進出していた。

 しかし、アトランティス人には不倶戴天の敵がいた。彼らは、地中海の渓谷とエーゲ海の大部分に位置する大都市で暮らすアテネ人と呼ばれる人々だった。300年間の貿易上の対抗関係は、お互いにが相手を滅ぼす戦争に備えるほど、徐々に耐えがたくなっていた。

 戦争の間接的な原因は、土地獲得の必要性ではなく、貿易や経済上の理由が挙げられた。アトランティス人とアテネ人がその戦争で得られるものは、太陽系を超えた天の川の惑星間での貿易を支配することだった。生まれ高まる憎悪感を抱えて、いくつかの小規模な地域紛争がすでに地上と外で行われていた。

 

・アテネの王がアトランティスの主要都市への奇襲攻撃を命じたのは、およそ1万1500年前のことだった。それは、統制された地上戦として始まった。アテネ軍はアトランティスに上陸して、破壊的な光線兵器を用いて、アトランティス軍と目標に対して強い地歩を築いた。

 戦争が始まった21日目、アトランティス人はアテネ軍の防空網を破って、アテネ人の首都に原子爆弾を落として報復した。都市は完全に破壊されると、すぐにアテネ軍はアトランティスの首都に対して報復の原爆攻撃を命令した。この2国によって全面原爆戦が起こった。次の9日間、無制限の原爆戦がはびこった(聖書同様に、ギリシャ、スカンジナビア、インドの伝説はこの戦争のことをさまざまな物語として伝えている)。

 何百万人ものアトランティス人とアテネ人が大破壊(ホロコースト)で命を落とし、工業化・教化された彼らの偉大な世界は永遠に失われることになった。

 

<金星(ホスト星)からの非公式の大使エステス・プラトー氏>

<空洞地球でドイツ人が発展させた新たな主権国家/首相はヒトラー2世!>

ドイツ人のインナー・ワールドへの入植

・第2次世界大戦時に旅立ったドイツ人によってインナー・ワールドへの入植が進んだことにより、少なくとも通常よりも1世代早く初期の居留地建設が可能になった。それには一つの大きな理由があった。それは新しい円盤翼機のスピードと載荷能力に起因する。

 

地球内部のニューベルリン/新ドイツの人口は1800万人

・しかし、インナー・ワールドの新しいドイツ国家への移住リストに載っているかどうかにかかわらず、誰が地下で暮らすことが許されるのかという決定はもっぱらボッドランド人の手に委ねられていた。彼らは、ブラジルにあるトンネルの入口と、アルゼンチンのどこかにあるインナー・ワールドへの知られざる出発地点で、入ってくるドイツ人をふるいにかけたのである。30年以上にわたり、ナチス・ドイツ出身の数百万人ものドイツ人が、インナー・ワールドの新ドイツ国の市民にはふさわしくないとして、ボッドランド人によって拒絶された。入国を拒否された人々の大半は、ソビエト共産主義下の東ドイツには戻ることができなかったり、戦争犯罪の廉で西ドイツでの投獄を恐れたナチスであったが、彼らは戦時中にドイツの組織が邪魔されずに動き回ることができたブラジルに主に避難した。