<日本のドラマに出演していたロシア人俳優がスパイだった>
・ロシアスパイは、実は訓練を受けた外交官の身分を持っているような人たちばかりではない。一般人の身分で、外交官の肩書を持たずに活動しているスパイも少なくない。
・世界に目を向けると、民間スパイには画家を装っている者もいる。
・またこれは意外な事実かもしれないが、ロシアンパブにスパイはあまりいない。
・ロシア大使館は、外国人の要員も置かない。大使館ではよくある公用車のドライバーに現地人を雇うようなこともせず、すべて自国民で固めている。
・さらにロシアは、領事もスパイ活動をすることがある。
<神経剤や放射性物質で暗殺するのが常套手段>
・ロシアによるウクライナ侵攻では、反ロシア派のロシア人の不審死が相次いでいるが、ロシアが裏切り者を暗殺するのはいまに始まったことではない。
・海外では、もともとプーチンの仲間だったオリガルヒ(新興財閥)がプーチンを裏切ったことで殺されるケースも多い。
・これもニュースにならなかったが、民間企業に勤める中央アジア系ロシア人が撲殺された事件があり、このケースでは警察は、SVRの息がかかった何者かによる犯行かもしれないと一部の捜査員は見ていた。
<北方領土・夢の国…プーチンは日本にこだわる>
・ウクライナ侵攻を受けて、スパイ界隈でも驚くような情報が漏れている。侵攻直後の2022年、ウクライナ国防省が、ヨーロッパで活動するFSB所属のスパイ620人のリストを公開したのである。
・プーチン政権になる前から、ロシアスパイは日本から先端技術を奪おうとしてきた。
・日本との国家的な関係でいえば、領土問題がある。北方領土については、プーチン大統領は島を返すつもりはないだろう。
<ウクライナ侵攻後、日本で見せたロシアスパイの不穏な動き>
・従来、ロシアスパイたちは、日本にいるウクライナ人には興味を持っていなかったが、ウクライナ侵攻後はかなり注目している。
・また、日本人で人権派活動家や反ロシアのデモに参加するような人はロシアスパイの調査対象になっているので気をつけたほうがいいだろう。
【北朝鮮】
<将軍様の命令を待つ部隊「スリーパー」が日本に潜伏している>
・かつては30万人ほどいたといわれた在日北朝鮮人も、いまでは数万人弱ほどになってしまっている。減ったといっても北朝鮮に帰ったわけではなく、韓国に国籍を変えたり、日本に帰化した人たちが増えたのである。朝鮮総連の運営も苦しくなり、資金だけでなく人材も不足、高齢化も問題で、若者の減少は深刻だとも聞く。
・以前なら、在日北朝鮮人は、北朝鮮にいる将軍様のために、日本や韓国で活発なスパイ活動を行った。そういう人たちを「スリーパー」と呼ぶ。
・当時、北朝鮮スパイが、同胞の在日北朝鮮人を撲殺するような事件も関西で起きていた。
・北朝鮮スパイが使ってきた連絡手段として、一定時間に数字だけが流れるラジオ放送がある。
<日本人のビットコインを盗む北朝鮮ハッカー>
・北朝鮮スパイはいま、日本をどうみているのか。やはり日本は金を調達する場所であり、脱北者や反体制派の同胞の動向を監視する場所として見ている。
・北朝鮮にとって、日本での世論作りも重要な工作であることには変わりないが、欧米からの経済制裁で経済は疲弊しており、台所は火の車で、金がとにかく必要なのだろう。
・いま、朝鮮学校や大学の関係者も、給料の遅配で副業をしないと食べていけないというくらい、お金は枯渇していると聞く。金の切れ目が縁の切れ目で、在日北朝鮮人は北朝鮮から距離を置こうとしているというが実情である。
・北朝鮮は以前から、世界でも最も貧しい国のひとつである。もちろん北朝鮮の外交官たちも金は持っていない。そんな事情もあって、ウィーン条約で禁じられている外交官の経済活動を赴任先の国で行うのである。私は、かつて勤務したアフリカ某国で、地元警察から聞いた話によると、同国に大使館を置く北朝鮮の外交官らが、他国に移動する際に使える外交公嚢(こうのう)(外交官用の荷物入れで、機密文書を誰にも見られずに運ぶことができる)を悪用しているという。外交公嚢は入管でチェックされることがないため、酒やタバコ、食材、日用品を運んでアフリカ某国で売り捌き、それで稼いだ金を外交官の生活費に充てたり、平壌に送金したりしていた。アフリカのみならず、東南アジアや南米などでは、拳銃や麻薬など禁制品にまで手を出して荒稼ぎをしていたというから目も当てられない。
・また北朝鮮は偽札作りにも関与している。
・情報機関の世界では、情報はギブアンドテイク。恩を売っておけば、後でこちらが欲しい情報として返ってくるものだ。結局、その一等書記官は偽札を流通させた張本人だと判明したとFBIから連絡があった。
<蓮池薫さんを拉致したのは、ある日本人の戸籍を奪った北朝鮮人だった>
・日本における北朝鮮の活動といえば、背乗りを思い出す。
日本の外事警察は、潜入捜査はもうやっていない。以前なら、完全に民間人になりきるために、警察をやめて身分偽装をすることはあった。
・北朝鮮の背乗りで思い出すのは、日本人拉致事件にからむ話だ。1972年に石川県能登半島の羽根海岸から日本に密入国していた北朝鮮スパイのチェ・スンチョルは、東京の台東区山谷で、病気で死にかけていた福島県の小熊和也さんと知り合った。チェは小熊さんに入院費を払うと持ちかけて入院させて、そこで戸籍を奪うことに成功していた。チェは「小熊和也」を名乗って欧州でスパイ工作に従事していたという。そして1978年7月、チェは他の工作員2人と共謀して、新潟県柏崎市で蓮池薫さん・祐木子さんのカップルを拉致して、北朝鮮に運んだ。チェは他にも日本人を拉致した可能性が指摘されている。また、チェは別の日本人にも背乗り工作をして、スパイ活動をしていたと見られている。
・北朝鮮についてもうひとつ触れておきたい。それは欧米による制裁下の不正輸出である。産業スパイと並んで、武器転用が可能な日本の技術が北朝鮮にわたっているとして時々、日本企業が摘発される。
<日本、スパイ天国からの脱却>
<日本企業を狙うスパイ退治のため外事警察が本格的に動き出した>
・いま日本は対外情報機関を持たず、国内での外国によるスパイ行為を摘発するためのスパイ活動防止法のような法律もない。そんな状況の中でも、少しずつではあるが、変化を見せ始めている。
・そのひとつが、2019年から本格的に動き出した経済安全保障である。経済安保の目的は日本の最先端技術が外国で軍事転用されないように防止することである。この流れでスパイ防止法も検討されるだろう。
・これまで日本は、産業スパイ行為の無法地帯になっていた。その最前線で戦ってきたのが、日本の防諜部隊である外事警察である。
・だからこそ警察庁は47都道府県の外事警察に指示して、すでに触れたように、アウトリ―チ活動でスパイ事案を紹介して啓蒙することも始めたのである。
<世界の情報機関との正式窓口が日本にはない>
・繰り返すが、スパイ防止法のような法律があれば、ここまで見てきたような日本における外国人スパイの活動の被害は、避けられたケースも少なくない。やはりすぐにでも法整備は必要であると、現場で外事警察として働いてきた者として、何度でも言いたい。
だが日本の防諜における問題点はそれ以外にもある。
例えば、連絡体制の不備だ。日本で諸外国の情報機関とやりとりをする公式な窓口は、警察庁にある。ただこれがうまく機能していない。
・大使館や情報関係者ときちんとやりとりをして対応しておくことで、逆に日本の国益につながるような協力が得られることもあるし、情報が得られることもある。
・問題は警察庁だけではない。内閣情報調査室もセクト主義になり過ぎている印象で、縄張り意識が強い。
<1990年代~2000年代にイスラム過激派が日本に潜伏していた>
・ここで紹介した2つの例は、最悪のシナリオを招く可能性があったケースだ。こうした国家を揺るがしかねない脅威が、常に日本にもあることを忘れてはならない。どちらも、鍵となるのは情報、つまりインテリジェンスである。普段から国内外で情報収集をしておかないと、とんでもない損害を国民が被ることになる。
インテリジェンスの世界で、日本はどんどん取り残されていくといってもいいかもしれない。
・日本の諜報レベルを上げるためには、まずは、対外情報機関を設立することから始めないといけない。そのための法整備が必要になる。
ただそれには相当な時間がかかるだろう。
・そしてそれと並行して、日本で暗躍するスパイを摘発できるような法律も作る必要がある。日本もそろそろ本気になって「スパイ」について考える時ではないだろうか。
<解説 山田敏弘>
・内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)のケースも、背後にはスパイ工作をする中国政府系ハッカー集団がいると、FBIが結論づけている。
日本にいるスパイをめぐって、事態は深刻度を増しているといえる。しかも本書でも言及がある通り、スパイ活動防止法の制定も対外情報機関の設立も議論にすら至っていない。経済安保対策のみならず、国を挙げたスパイ対策はもはや待ったなしのところまで来ているにもかかわらずである。
『自衛隊の闇組織』 秘密情報部隊「別班」の正体
石井暁 講談社 2018/10/17
<自衛隊の“陽”と“陰”>
・度重なる災害派遣での献身的ともいえる活動などにより、東日本大震災翌年の内閣府の世論調査で自衛隊に対する好感は91.7パーセントに達し、調査を始めた1969年以来最高となった。(中略)しかし、災害派遣は自衛隊の一面に過ぎず、その本質があくまでも軍事組織にあることは論を俟たない。さらに言うと、非公然の秘密情報部隊「別班」は、首相、防衛相にも知らせずに海外展開し情報収集活動を行うという、帝国陸軍の“負の遺伝子”を受け継いでいる武力組織なのだ。自衛隊には災害派遣に象徴される“陽”の面と、「別班」に象徴される“陰”の面があることを、私たちは忘れてはいけないと思う。
<おもな任務はスパイ活動>
・別班は、中国やヨーロッパなどにダミーの民会会社をつくって別班員を民間人として派遣し、ヒューミントをさせている。有り体に言えば、スパイ活動だ。
日本国内でも、在日朝鮮人を買収して抱き込み、北朝鮮に入国させて情報を送らせるいっぽう、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)にも情報提供者をつくり、内部で工作活動をさせているという。また、米軍の情報部隊や米中央情報局(CIA)とは、頻繁に情報交換するなど緊密な関係を築き、自ら収集、交換して得た情報は、陸上自衛隊のトップの陸上幕僚長と、防衛省の情報本部長(情報収集・分析分野の責任者)に上げている。
ではいったい、どのような人物が別班の仕事に従事しているのかというと――陸上自衛隊の調査部(現・指揮通信システム・情報部)や調査隊(現・情報保全隊)、中央地理隊(現・中央情報隊地理情報隊)、中央資料隊(現・中央情報隊基礎情報隊)など情報部門の関係者の中で、突然、連絡が取れなくなる者がいる――それが別班員だというのだ。
・「はじめに」でも紹介したように、別班員になると、一切の公的な場には行かないように指示される。表の部分からすべて身を引く事が強制されるわけだ。さらには「年賀状を出すな」「防衛大学校の同期会に行くな」「自宅に表札を出すな」「通勤ルートは毎日変えろ」などと細かく指示される。
ただし、活動資金は豊富だ。陸上幕僚監部の運用支援・情報部長の指揮下の部隊だが、一切の支出には決裁が不必要。「領収書を要求されたことはない」という。情報提供名目で1回300万円までは自由に使え、資金が不足した場合は、情報本部から提供してもらう。「カネが余ったら、自分たちで飲み食いもした。天国だった」という。
シビリアン・コントロールとは無縁な存在ともいえる「別班」のメンバーは、前述の通り、全員が陸上自衛隊小平学校の心理戦防護課程の修了者。同課程の同級生は、数人から十数人おり、その首席修了者だけが別班員になれるということを聞いて、すとんと胸に落ちるものがあった(後から、首席でも一定の基準に達していないと採用されないも聞いた)。
同課程こそ、旧陸軍中野学校の流れをくむ、“スパイ養成所”だからである。
<中野学校の亡霊>
・中野学校は1938年7月、旧陸軍の「後方勤務要員養成所」として、東京・九段の愛国婦人会別棟に開校した。謀略、諜報、防諜、宣伝といった、いわゆる「秘密戦」の教育訓練機関として、日露戦争を勝利に導いたとされる伝説の情報将校・明石元二郎大佐の工作活動を目標に“秘密戦士”の養成が行われた。1940年8月に中野学校と正式に改称し、1945年の敗戦で閉校するまでに約2000人の卒業生を輩出したとされる。
<影の軍隊>
・<私は嘘と偽の充満した自衛隊の内幕を報告して先生の力で政治的に解決して頂きたいのでこの手紙を書きます>との書き出しで始まり、<自衛隊にJCIA(筆者註・CIAの日本版)はないと内局の者供がいっていますが、それは嘘です。陸幕二部別班はJCIAです>と暴露。さらに<内島二佐が別班長で、私達24名がその部下になっています。私達はアメリカの陸軍500部隊(情報部隊)と一緒に座間キャンプの中で仕事をしています。全員私服で仕事をしています。仕事の内容は、共産圏諸国の情報を取ること、共産党を始め野党の情報をとることの2つです>という内容だった。
共産党機関紙「赤旗」はこの手紙の情報に基づき、チームを組んで取材を開始。その連載はのちに『影の軍隊「日本の黒幕」自衛隊秘密グループの巻』としてまとめられた。同書によると、手紙には次のような文章も記されていたという。
<外国の情報は旅行者や外国からの来日者に近づいて金で買収します。日本からの旅行者には事前に金を渡して写真やききたい事を頼みます。(中略)一部は500部隊からも貰います>
二部班員は官舎にも入れて貰えず、進級や特昇も他の者より不利です。仕事の内容は家族にも言えず毎日が暗い日々です。私達の本部は座間ですが、仕事の事務所は、東京に6ヵ所、大阪に3ヵ所、札幌2ヵ所、福岡1ヵ所です。興信所や法律事務所などの看板を出しています>
<金大中事件の元自衛官達も私達と一緒に仕事をしていた連中です>
<私達が国民の税金を多額に使って、国民にかくれてコソコソと仕事をしているのに高級幹部はヤンキーとパーティーで騒いでいます。本当に腹が立ちます。自衛隊を粛清して下さい。私達がここで仕事をしていることは一般の自衛官は幹部でも知りません。長官も陸幕長も知らないと思います。代々の二部長がやっている事でしょう>
<謎の興信所>
・「赤旗」がその存在を炙り出した「影の軍隊」は、いまも存続しているのか。さらには、海外展開と情報収集活動について追及したい――こうした思いを私と共有してくれたのが、勤務する共同通信社会部の防衛庁(当時)担当の後任記者・中村毅だった。
・端緒の情報を入手直後、その中村と最初に向かったのが、前述の金大中事件に関与したとされる元3等陸佐・坪山晃三の事務所だった。JR東京駅の八重洲口にほど近い、古びた雑居ビルの一室が、元3等陸佐が所長を務める興信所「ミリオン資料サービスだ」。
・取材の準備作業としては完璧だったが、結果的には完敗だった。「さすが元別班員。一筋縄ではいかない」と思った。2時間以上におよぶ長時間インタビューの間、元3等陸佐・坪山はずっと温厚そうな表情を保って冷静に話してくれたが、私たちが本当に聞きたいこと、さらには記事にできそうなことは一切話さなかった。それはそうだろう。初対面の新聞記者の取材にベラベラ口を開くようでは、別班員になれるはずもなかったし、もしなれたとしても途中でクビになってしまうだろう――中村と二人でそう納得するしかなかった。
<キャンプ座間の看板と小平学校の石碑>
・さらに、赤旗取材班が迫った元別班長で元2等陸佐・内島洋が週に5日も通勤していたという米陸軍キャンプ座間の第500部隊について調べると、部隊はその後、米ハワイ州に移駐し、隷下部隊の第441軍事情報部隊が座間に駐留している、とのことだった。
ところが、2013年3月26日、陸上自衛隊中央即応集団が朝霞駐屯地から、キャンプ座間に移転した際の取材で、新たな発見があった。キャンプ座間内をバスで見学した際、敷地内に「500 MI BRIGADE(第500軍事情報旅団)」と入口に掲げたビルを見つけた。第500部隊の後継部隊が、在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間に今も存在していたのだ。それは、米軍と自衛隊の情報をめぐる極めて密接な関係を示していた。
・また、陸上自衛隊調査学校(現・小平学校)の対心理情報課程(現・心理戦防護課程)修了者たちのグループで、非常事態に招集され、ゲリラ戦、遊撃戦を戦うことが使命とされる「青桐グループ」について、新たに確認できたことがあった。前述したように、別班とは兄弟のような同じ“影の軍隊”だが、防衛庁(防衛省)は一貫して、その存在を否定してきた。
しかし、私が新聞記事として出稿する直前の2013年春、小平学校関係者に依頼して同校敷地内に「青桐」と書かれた同グループの象徴的な石碑が現存していることを確認、写真撮影してもらった。
<別班と三島由紀夫の接点>
・別班と青桐グループは、金大中事件の約3年前に起きた「三島事件」にも大きく関わっていた。1970年11月25日午前11時ごろ、当時ノーベル文学賞の有力候補とも言われていた三島由紀夫が、民間防衛を目的とした私兵組織「盾の会」の森田必勝らメンバー4人と市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に車で乗り付け、総監の益田兼利に面会後拘束し、幕僚らを斬りつけた上で、三島がバルコニーで演説。自衛官にクーデターを呼びかけた後、三島と森田は割腹自殺した。
・三島が1967年4月に初めて自衛隊に体験入隊し、翌年10月には「盾の会」メンバーらとともに再び体験入隊してさまざまな訓練を受けていたことは、一部で知られていた。体験入隊先は陸上自衛隊の幹部候補生学校、富士学校、第1空挺団、航空自衛隊の百里基地などで、精神教育、服務、基本教育、武器訓練、野外勤務、戦術、通信、体育などの一般的な教育訓練を受けた。
・しかし実は、三島らは訓練を通じて自衛隊の“最も深い影の部分”も垣間見ていた。前述の旧陸軍中野学校教官から陸上自衛隊に入隊し、当時陸上自衛隊調査学校情報教育課長を務めていた山本舜勝(後に調査学校副校長)は、中野学校元教官で調査学校長などを歴任した藤原岩市の紹介で、三島と面会。山本は調査学校の対心理情報課程と同じような諜報、防諜、謀略の教育訓練を指導するなど、三島と「盾の会」にとって、“主任教官”と言える存在になっていったのだ。
訓練は、きわめて実戦的な内容だった。有名作家だと誰にもバレないように変装して東京都台東区の山谷地区に潜行する訓練、厳戒態勢の陸上自衛隊東部方面総監部への潜入訓練、チームプレーによる尾行訓練……。調査学校対心理情報課程学生との対抗訓練では、一定の時間内に相手部隊の規模、装備の状況、周辺の環境などを把握する競争をしており、三島および「盾の会」と、別班、青桐グループとの深い関係がうかがえる。
・山本は2001年6月に著した『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した事実の告白』の中で、青桐グループについてこう評価している。
<私は、「青桐グループ」であれ、三島の「盾の会」であれ、世界の主要な国家が自らを守り、世界平和を実現するために持っているような不正規軍として確立され、十分にその役割を果たすことになったとしたら、それはむしろ望ましいことであり、日本という国家に安寧をもたらすものであると考えている>
<正規軍に対して、情報活動を担い、暗黙裡の活動をも行うこの部隊が、仮に「影の部隊」と呼ばれたとしても、私はそのことに格別抵抗を感じはしない。今はその状態にはほど遠いが、「いずれそうなるだろう」と言われることを悪いこととは思わない>
・三島と「盾の会」の訓練を指導したことについては、次のように書いている。
<三島はある時期から私の指導の下での訓練を受けた。私は三島の考えを知ったときから、その考えに共感し、できればその実現に手を貸したい、と言うより、ともにやっていきたいと考えていた>
<祖国防衛軍の構想が不正規軍の考え方に基づいている以上、私は三島らに調査学校対心理情報課程の学生に対するのと同じ訓練を課さねばならなかった>
・別班、青桐グループと同じ内容の教育訓練を受け、民間防衛組織、不正規軍として憲法改正を目指す自衛隊のクーデターに参加することを夢見た三島は、1969年10月21日の「10・21」ベトナム戦争反対国際反戦デーに治安出動が発令され、それを契機に自衛隊がクーデターを起こすことを念願していた。しかし、最後まで治安出動が命令されなかったことに深い絶望を感じた三島は、「三島事件」への道を走り始めていった。
<非公然組織になった経緯>
・「秘密は墓場まで持って行く」ことが、自衛隊情報幹部の鉄則と仄聞していたが、山本舜勝が『自衛隊「影の部隊」』を著して以降、別班の関係者たちが、堰を切ったように次々と自らの経験を語り始めた。
2008年10月、陸上幕僚監部第2部長(情報部長)で“朝鮮半島問題のエキスパート”と称された塚本勝一は、在ソウル日本大使館で初代の防衛駐在官を務めていた時に発生した「よど号事件」について、自著『自衛隊の情報戦 陸幕第二部長の回想』でその内幕を詳述している。
・<調査学校で情報の基本を学び、この分野に興味を示した十数名の要員を陸幕二部の統制下にある部隊に臨時の派遣勤務とし、盲点となっていた情報の穴を埋める業務の訓練にあたらせることとなった。(中略)陸幕第二部は直接、情報資料の収集には当たらないが、情報のサイクルの第三段階、情報資料の処理、その評価と判定をするためには、それに必要な情報資料の収集も行なう。陸幕第二部の要員が部外の人と付き合って話を聞いても、職務から逸脱したことにならない>
<後ろめたいこともなく、ごく当然な施策なのだから、部外の人を相手にする部署を陸幕第二部の正規の班の一つとするべきだったと思う。しかし、教育訓練の一環ということで、予算措置の面から陸幕内の班にできなかったようである。私が陸幕第二部長であったときも、このヒューミントは教育訓練費によっていた。そのためもあり、都内を歩く交通費にもこと欠くありさまであった>(筆者註:私が直接取材した元別班員たちの証言によれば「活動資金は潤沢だった」とのことだが、草創期資金難だったようだ)
・松本は著書の中で調査学校の対心理情報課程の創設について次のように説明している。
<調査学校の研究員として情報部隊の構築と教育体系を組み立てていた時代に、同僚の池田二郎は調査学校のカリキュラムの一つに「対心理課程」という名称をつけた。「対心理課程」というのは、実は米軍のグリーンベレーに相当する特殊部隊を育成することを想定した教育課程だった。初期の私たちのイメージでは、自衛隊の中でも精鋭を集めたレンジャー部隊の中から選別し、さらに独立した部隊として、情報収集から特殊工作活動を行うこともできる特殊部隊を養成しようという目的だった>
<彼らは知的ゲームのような「心理戦」を期待していたが、実際に山野や市中に入り込むような特殊部隊の訓練に戸惑っていた>
<ムサシ機関=小金井機関>
・阿尾の著書でムサシ機関長(別班長)だったことを暴露され、(多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した)平城弘通は、別班の元トップとして(いまさら当時の情報活動のことを機密にしても、かえって誤った事実が歴史に残るのではないか)と考え、2010年9月に『日米秘密情報機関「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』を出版した。
同署には阿尾への強烈な批判も含まれているが、さすがに元トップが著した内容は、別班の創設の経緯や当時の組織構成、所属要員、経理処理、自身の別班長就任のいきさつなどが詳細に書かれており、ここまで紹介してきた他の刊行物に比べても、史料的価値は高い。
<別班と米軍の関係>
・そもそも、旧帝国陸軍の“負の遺伝子”を引き継ぐ別班は戦後、なぜ“復活”したのか――。一連の告白本が刊行されるまで、その誕生の経緯は長い間、謎とされてきた。
しかし、元別班長の平城によれば、1954年ごろ、在日米軍の大規模な撤退後の情報収集活動に危機感を抱いた米軍極東軍司令官のジョン・ハル大将が、自衛隊による秘密情報工作員養成の必要性を訴える書簡を、当時の吉田茂首相に送ったのが、別班設立の発端だという。
その後、日米間で軍事情報特別訓練(MIST)の協定が締結され、1956年から朝霞の米軍キャンプ・ドレイクで訓練を開始。1961年、日米の合同工作に関する新協定が締結されると、「MIST」から日米合同機関「ムサシ機関」となり、秘密情報員養成訓練から、情報収集組織に生まれ変わった。
・ムサシ機関の情報収集活動のターゲットは、おもに共産圏のソ連(当時)、中国、北朝鮮、ベトナムなどで、当時はタイ、インドネシアも対象となっていた。平城によると(その後、初歩的活動から逐次、活動を深化させていったが、活動は内地に限定され、国外に直接活動を拡大することはできなかった)という。
それでは、いつから海外へ展開するようになったのだろうか。
<ヒューミント部隊一元化>
・幹部経験者の話をもとに取材を進めていくと、情報本部の動きが徐々に掴めてきた。そもそも、情報本部が陸海空3自衛隊のヒューミント活動を見直す契機となったのは、政府が2015年に「国際テロ情報収集ユニット」を発足させたことだった。同ユニットは首相官邸が司令塔となり、テロを未然に防ぐべく情報を集約することを目的としていた。防衛省も要員を出向させているが、活動の実体は情報収集のプロである警察庁と在外公館を抱える外務省が主導する。
(2021/2/19)
『世界のスパイから喰いモノにされる日本』
あなたの生活データを奪うのはこいつらだ!
MI6、CIAの厳秘インテリジェンス
山田敏弘 講談社 2020/1/21
<あまりに脆弱な日本のインテリジェンス――なぜ日本にMI6が必要なのか>
<ロシアは北方領土にファーウェイを>
・「国際的に活動するテロリストの動向は、もちろんMI6も注視している。日本での破壊活動がその視野に入ってくることもある。ただ、それ以上に私たちが危惧するのは、中国からのスパイ工作やサイバー攻撃が常に日本を狙っていることだ。さまざまなレベルや広範囲な分野で、中国は欧米や日本と対抗しようとしている」
・ロシアとも北方領土の問題はくすぶり続けていて、その面当てとしてか、ロシア側はアメリカが同盟国の日本などに排除を申し入れている中国の通信機器大手「華為技術(ファーウェイ)」のインタ―ネットの通信インフラを、わざと北方領土に設置しているとされる。
このように日本の周辺には、日本国民の生命と財産を脅かす、安全保障の懸案がいくつも存在している。信頼できる対外情報機関がないことで日本が世界から遅れをとっているだけでなく、インテリジェンスによって自国を守るのには弱い体制にあることがわかるだろう。
<他国は「日本のために」助けてはくれない>
・生き馬の目を抜く世界情勢の中で「自国第一主義」が当たり前の各国が、他国から惑わされないように、基本的には独自にリスクを背負って情報を集め、分析しているのである。他力本願では、相手の思うように情報操作されるのが関の山だ。
・とはいっても、CIAやMI6といった機関はどれほどのインテリジェンスを持っているというのか。CIAなどは、そこまでいろいろとわかっているのなら、世界中でアメリカの関係するテロ事件があちらこちらで起きているのはなぜなのか。
率直な筆者のそんな問いに、この元スパイは、「計画を阻止」「テロリストを事前に拘束」といった事実は表に出てこないのがほとんどだと言う。要は食い止めているものが多い、と。
<歴史的警戒とMI6との親和性>
・2016年には、安倍首相の提唱で始まった外交・安全保障の情報機能強化を目指す政府の「情報機能強化検討会議」で「対外情報庁」(日本版CIA)設立案が浮上するも、立ち消えになっている。
・ところで、日本版CIAの設立が謳われてきた歴史の中で、これまで提案者たちが設立の参考にすべきだと名指ししてきたのは、MI6だった。これまで日本で対外諜報機関を作る志を抱いていた人たちは、なぜMI6を目指そうとしたのか。
最大の理由は、日本とイギリスにある類似性だ。どちらも島国で皇室(イギリスでは王室)があり、政府のシステム的にも、アメリカのような大統領制よりも、日本と同じ議院内閣制であるイギリスの体制がなじみやすいと考えられているからだ。
<外務省と警察の綱引き>
・ちなみにこうしたインテリジェンスをめぐる日本の動きには、中国や韓国が異常な関心を示す。MI6やCIAを参考にした対外諜報機関の設立を目指していた自民党のインテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチームの座長だった町村信孝が、講演で対外のスパイ機関の必要性を主張した際も、中国のメディアは極めて敏感に反応している。
<コンサバで公務員的なスパイたち>
・MI6では、9時~5時という仕事のスタイルは存在しない。24時間、任務にあるという感覚だ。
何があろうが関係ない。プロジェクトを担当しているときは、家に帰ってどうこうって時間はないと言っていい。そのプロジェクトが終わるまで、任務を続けなければならない。休むことはない。日本の情報機関は、思想的にも、守りに入っている感じがする。考え方自体が、公務員的、コンサバティブ。もう一度言うが、それは別に悪いことではない。文化の違いだろう。
ポジティブな面では、日本国内における情報収集のスキルは高い。それは間違いない。
・「本当に国として自立していくのに、諜報機関は不可欠ではないか。本当の使命とは何かということから考えたほうがいいかもしれない」
・「対外諜報機関がなければ国を守れない。それをしっかりと認識して、CIAのように国民は監視しない、といった法規制を作ればいい。イギリスは、7つの海を制覇し、インテリジェンスで植民地統治をこなしていた。日本もそろそろ自立を考えるべきでしょう。日本が独自のインテリジェンスを駆使できるために、ぜひ日本版MI6を実現してほしい」
<MI6と日本の交わりと、日本での活動と実態>
<サイバー嫌がらせにはサイバー嫌がらせ>
・国家に何らかの悪影響を与えるものは見逃さない。それがMI6の流儀だ。
「MI6の関係者などに危害を加えるような動きは潰されてしまうだろう。あまりにたちが悪い場合は、『消してしまう』ことだってある。MI6とはそういう組織だ」
そう、ことによって脅威を物理的に「消し去る」のである。
<人命軽視のCIA、一見穏やかなMI6>
・内調の元関係者は、「私たちはCIAをアメリカの『A』、MI6をブリテンの『B』と呼んで、情報のやりとりをしている。Aは人命を軽く見ている印象です。Bの関係者は日本にはあまりいないと思いますが、いい人が多いですね」と話す。