『深宇宙探訪記』

(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版)1992/11

 

 

 

<グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成するガーディアン達>

ありとあらゆる系に存在し、人類の長老である彼らガーディアン達は、二度とあのような宇宙規模の破壊行為が生じるのを防ぐことと、暗黙の勢力から守ることに献身するようになった。グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成する彼らガーディアン達は、多宇宙の構造の『外側』に、つまり時空を超越した完全に非物質的な次元の最上階域に存在し機能している。

 

・彼らは霊的存在であり、時としてその在住場所に光の存在として出現することがある。私達の故郷がどのような宇宙界であろうとも、彼らは、この世のものでない在住場所から私達人間世界が適切に機能し進化するよう導いてくれている。

 

・このように数十万年前の昔に私達の多宇宙の遠い所でさまざまな人間世界系の諸問題を管理するために大連盟が誕生した。第11部門もそうして誕生し、その中核であるサイキアン諸世界が大連盟の中心部門となった。その統治惑星をザンシウスという、連盟の33部門を構成しているのは総計5千の主な世界センター惑星だが、それに加えて手付かずで未開発の惑星がその数の百倍はある。

 

一部門として参加しているのが銀河系連合で、その代表はアシュター司令部だが、もしかしたら連盟加盟につながるかも知れないので、惑星地球の進化に関心を払っている

 

 

  

 

『オスカー・マゴッチの宇宙船操縦記』 

(オスカー・マゴッチ) (明窓出版)2008/3/1

 

 

 

背の高いブロンドの髪をした男

・背の高いブロンドの髪をした男が一人、皮の肘付け椅子がいくつか置いてある部屋の隅に立って、私の方を向いている。宇宙艦隊提督のようだ。体にぴったり合ったチュニックを上品に着て、胸には見覚えのある大きなメダルをつけている。温かい微笑みを浮かべながら、私に椅子に座るようにと合図した。

 

惑星地球は今、もうすでに根本的な宇宙サイクルの変化を経験するところに来ています

新しい次元に順応でき、その意思もある生存者達が救出された後で『ノヴァ・テラ』という地球に似た惑星に案内されます。この『ノヴァ・テラ』は既にここと地球の間の次元に準備中です。貴方の乗った円盤がもっと高い中間の次元で母船に収容されたとき、貴方はこの地球に似た惑星を既に垣間見ていますよ。

 

アーガスの話によると、全く同じ都市が何十も、この惑星の至る所にあるそうだ。そうした都市の周囲には、田舎の風景が何百も々も続いており、散在するコミュニティーに大半の訪問者が滞在している各コミュニティーの近くにドームに包まれた大きな地域が数ヶ所あり、隔離された実験場となっている。こうした実験場の方にずっと強い好奇心を感じた。ドームの中には無人にちかいものもある。そこには子供くらいの大きさの「シャボン玉」がたくさん、地上高い所に浮かんでいる。しかも、大変驚いたことにそうした泡の中には人が入っていて、自分の力で空中浮揚しているのだ。他のドームには内部が奇妙な建設現場といった感じのものもある。石板がどこからともなく、「物質化」してきたり、どうやってやるのかその方法が見えないのに、炎で切断されたり、クレーンもないのに高く浮き上がって適当な場所に収まったりする。アーガスの話だと、このようなことは基本的には、超自然的な種類のエネルギーを発生させ、それを転換して行うそうだ。

 

・私達が、いるところは、噴水や巨大な彫像や彫刻がある公共広場の端だ。動くベルトの歩道が、人々の群れを色々な方向に運んでいる。彼らは、乗って来た様々な大きさの車両を降りると、すぐに動く歩道に乗るのだ。この人達はヒューマノイドだが、その種類は多様を極めている。見かけが非常に人間に近いのから全く非地球的なものまでいろいろといる。体色も虹の七色のほぼ全部がある。身長もおよそ1.2メートルから2.1メートルほどで、幅がある。ここで私の格好も改めてしげしげと見られるには値しないと思える。

 

ガーディアンには、次元なんてありません。複宇宙のどの物質的次元を探してもそんなところにはいないんです。彼らは、こうした複宇宙の構造『外で』、完全に非物質的なレベルの最上位に存在し、機能しているんです。彼らは、霊的な存在で部分的にすら顕在化していないのです・・・・

「すると幽霊みたいな存在」

「違います。彼らは、死んだことはありませんからね。彼らは、ずっと昔のことですが、まだ人間の肉体にある間に不老不死になったのです。肉体は必要としませんから、彼らの意識は魂の本質と呼びうるものの中に住んでいて、物質界にとって近づけない存在です。そこから彼らは、私達の物質世界が適切に機能し進化していくのを監視していて、必要な場合に小さな軌道修正を行います。だがこの修正は宇宙全体の構想と合致している場合ですが」

「合致しているかどうか、どうして分かるのですか」

グレート・アンマニフェスト(偉大な潜在)」からの洞察を通して分かります。時々、諸条件が整えば、アセンデッド・マスターズ(高級教師)と協議をして分かることもあります

 

 

 

『日本は闇を亡ぼす光の国になる』 

 中丸薫 ベストセラーズ  2008/9/13

 

 

 

<クェンテインさんとの接触

・クェンテインという名前は、マゴッチさんの本に「宇宙連合の司令官」として登場します。

 

・カナダのホテルの近くに湖があり、そこで瞑想しているとクェンテインさんの姿が見えました。金髪で青い目をしたヨーロッパ人風の姿でした。ただ、普通の人の目に見えるように現われたのではありません。物理的に姿を現すには、相当なエネルギーがいるそうで、テレパシーやイメージとして現われるほうが簡単だということでした。

 

・クェンテインさんの生まれた星は、3万8千光年離れた所で、カリギャラスツルージャという名前の星で、そこに両親もまた住んでいる、と言っていました。

 

<地底人アダマさんとのコンタクト>

・地底都市テロスは、北カリフォルニアのシャスタ山の地下にあるレムリアのコロニーです。

 

・テロスは、レムリア大陸や同じ頃に存在したムー大陸の人々が約1万2千年にアトランティス大陸の人々と大規模な戦争を行い、大陸が海に沈む前に一部の住人がシャスタ山に避難して作った都市です。

 

・テロスは、人口150万人くらいで、男性6人、女性6人、計12人の「アセンディッド・マスター」によって構成される評議会と、高僧アダマさんによって自治組織が運営されています。

 

<失われた十支族>

・地球に現れた最初の人類は、3億6500万年前に、ベーター星という他の星から降りてきたのだ、とクェンテインさんは言っています。光の天使の一団がエルカンターラというエジプトの近くの三角州みたいなところ、そこに降り立ったのだそうです。その時、地球に降りたった人たちは、その後、宇宙と行ったり来たりしているのだそうです。

 

・ルシファーという天使もその時に来たのです。もう一度、2度目に降りてきたときにはサタンという名前になっていました。テレパシーで、宇宙とも交信できていたので、栄耀栄華を極めて、乱れに乱れて暮らしをしてしまいました。そんなわけで、大天使から「あなたたちは、他の所へ行きなさい」と言われて、音信を絶ってしまったといいます。その人たちが地底に落ちて、地獄というものができたわけです。

 

イスラエルの王国を作った十支族は、アッシリアに滅ぼされ虜囚の憂き目にあいます。虜囚を逃れた支族は四散しますが、記録が残っていないため、「失われた十支族」と呼ばれました。その「失われた十支族」の行方は、さまざまに推測されていますが、少なくともその一部は日本に来たのではないか、という説があります。

 

2012年12月の5次元世界へのアセンション(次元上昇)まで、これから世界は大変な激動期に入る

 ・2012年、地球は、その時、「フォトンベルト」に突入するのです。それは地球全体が、アセンション=次元上昇を経験することになります。

 

<「闇の権力」の正体>

・世界を裏で動かしている「闇の権力」を構成している勢力です。国際金融財閥、王侯貴族、英国の情報機関、アメリカの伝統的保守思想を持つ白人至上主義者などが含まれます。

 

・「闇の権力」は、マスコミも金融も牛耳っている組織。

 

<宇宙連合、地底世界とのコンタクト>

オスカー・マゴッチさんとの出会い

・私が、UFOと出会ったり、宇宙連合の「司令官」ともいうべきクェンテインさんとコンタクトを取ったりするようになったそもそもの始まりは、カナダでBBC(英国放送協会)の社員で、放送の仕事をしていたオスカー・マゴッチさんと出会ったことからでした。

マゴッチさんは、1928年にハンガリーで生まれ、1957年以降、カナダのトロントに住んでいた方です。マゴッチさんがUFOと最初にコンタクトしたのは1974年のことだそうです。それ以来、30年以上毎月のように、UFOとコンタクトし、異星人が示す地球の常識をはるかに超えたテクノロジーに接し続けて、その体験を数冊の本に著してきたのです。

 

・地球はまだまだ「波動」の粗い惑星であり、公然と地球に住む誰の目にもわかるようにアプローチしてくる、つまり「姿を現す」段階となっていないようです。そのため、現在は、マゴッチさんのような感受性、精神性の高い人を選択して自分たちのメッセージを少しずつ地球人に送っているのです。

 

・マゴッチさんの本は最初『わが深宇宙探訪記』(上)、続いて『深宇宙探訪記』(中・下)と3冊の翻訳が1990年代初めに出版されたものです。今年(2008年)になって、『オスカー・マゴッチの宇宙船操縦記』(part1)とタイトルを変えて明窓出版というところが出しています。

 

 

 

 

(2023/4/14)

 

 

『日本怪異妖怪事典  中国』

寺西政洋(著)、朝里樹(監修)、笠間書院 2023/2/25

 

 

 

<ヒバゴン>

・広島県の比婆山連峰にて目撃された謎の類人猿。1970年代に話題となり、現在も日本の未確認動物(UMA)の代表格として有名。

 昭和45年(1970)7月、西城町油木(現・庄原市)の比婆山麓付近で怪物の目撃が相次いだ。身長約160センチ、体は毛に覆われ、顔面は逆三角形、猿にしては体が大きすぎ、ゴリラにそっくりだともいう。

 庄原警察署もパトロールを実施、付近の小中学校は集団下校をするなどの騒ぎとなり、住民のもとには取材陣が押しかけた。西城町役場は混乱を避けるため類人猿相談係を設置し、マスコミ対応の窓口とした。その後、工事現場で長さ約30センチの足跡が発見されるも、正体は特定できなかった。昭和49年(1974)頃までは近隣市町でも目撃証言が相次ぎ、庄原市濁川では怪物が写真に収められた。怪物にはヒバゴンの愛称が定着し、たびたびマスコミにも取り上げられた。児童向けメディアにおいても、ヒマラヤ山脈の雪男を念頭において「日本にもいる雪男?」と紹介されるなど、充分な存在感があった。しかし約5年を経て情報や問合せは減少。

 昭和50年にはヒバゴン騒動終息宣言が出され、類人猿係も廃止された。だが、その後もヒバゴンはキャラクターとして命脈を保ち、現在も地域のマスコットとして多用されている。

 

ヤマゴン

昭和55年(1980)に広島県福山市山野町で目撃された謎の生物。

 10月、地域住民の男性が山野町田原の県道にて、筋骨隆々のゴリラ似の怪物を目撃。顔は黒く、全身は灰褐色の毛に覆われていたという。怪物は目撃者と1分ほどにらみ合って立ち去った。正体が判明せず、怪物にはヒバゴンの再来よろしくヤマゴンの愛称が与えられた。その後も足跡が発見され、消息の途絶えていたヒバゴン自身が移住したものとの説も唱えられた。

 上迫錠二は1982年に山野峡探索を実施、ヤマゴンのものかもしれない足跡や貝の食べかす、糞を発見したという。

 

クイゴン

・昭和57年(1982)、広島県御調郡久井町(現・三原市)で目撃された怪生物。ヒバゴン、ヤマゴンに続く広島県第三の怪類人猿として知られる。

 久井町在住の10歳と7歳の兄弟が自宅近くの山道で遭遇したもので、茶褐色の体毛に覆われた体長2メートルほどの猿のようだったという。また、尻に尾やタコ(毛のない部分)はなく、左手に石斧、右手に石を握っていた。兄弟が恐怖で固まっていると、怪物は「ホー、ホー」と叫んで崖上に跳び上がり、山中に消えたという。

 

 飛鉢(ひはつ)

・広島県三原市糸崎町に伝わる。

 鉢ヶ峰の堂は天竺から来た法道上人が開いたといわれる。この僧が祈りをこめると鉄の鉢(はち)が飛行して海上に行き、船を巡って米を乞うて回ったという。ある船人が邪心を抱いて鉢に鰯を入れたところ、鉢は海底に沈み、船までもが沈没したという。法道上人は千手空鉢の法を会得し、天龍・鬼神を従え、鉢を飛ばして供物を得ていたとされる。

 

異星人のボディーガード

昭和49年(1974)11月、岡山県岡山市の女子高・岡山就実高校2年生の美術部員が目撃したというもの

 ある夜、4人の部員がデッサンを終えた頃、変則的な軌道で飛ぶ星のような円盤が現れた。その後、部員の一人が自転車で下校中、不審な自動車が尾行してきた。車は時折ゴーンと謎の機械音を発し、蝋の上を滑るような奇妙な走り方だった。帰宅して家の中に入ろうとしたとき、車内の人物が身を乗り出すように彼女を見てきた。それは坊主頭で、目の窪みには眼球がなく、口もなく、顔にあるのは鼻だけだった。肌はサンオイルでも塗ったようにヌメッとしており、生ゴムのような質感だったという。女子生徒はこの時こそ怪人物が異星人だとは思っていなかったが、それから1ヶ月間ほどUFOのようなものにつけられたという

 

岡山上空の飛行物体

 ・昭和33年(1958)、岡山市の岡山就実高校の教師が見た未確認飛行物体。

 天文部の生徒たちからUFOの目撃情報を聞いた教師のH氏は、その内容を整理して『空飛ぶ円盤情報』に寄稿した。その後「またUFOが見たい」と思って空を仰いでいると、深夜、ボーッとした青白い発光体が空に現れた。それは直線的な軌道を描き、数秒で消えてしまったが、「本物のUFOなら、今一度」と念じて空を見続けていると、別の位置に再び現れたという。

 UFOに関心ある者がUFO遭遇体験をする=UFOは観測者の意思に反応するものという考え方が読み取れる事例のひとつ

 

尾道のUFO

・広島県尾道市で目撃されたという未確認飛行物体。

 昭和49年(1974)10月11日早朝、尾道市栗原町のある男子高校生が胸騒ぎを覚えて起床すると、千光寺山上空に長さ約40メートルで黒褐色の葉巻型の物体が浮いていた。それが北西に消えると、今度は北西から帽子のような形の物体が飛来した。無音のままゆっくり飛行しているところを撮影していると、それもまた北西の空に消えた。「えらいものを見たのう!」と恐怖に駆られたが、8日後には友人と共に再び同様の飛行物体を目撃したという。この時期の尾道では未確認飛行物体の目撃が相次いでおり、ある会社員は千光寺山頂上付近を飛ぶオレンジ色の発光体を見たという。このUFO騒動には中国新聞ほか報道各社も関心を寄せたという。

 

温羅(うら)>

吉備津彦命(きびつひこのみこと)に退治された鬼。岡山県の伝説でも特に有名なものとして語り継がれ、桃太郎の鬼退治譚の原型ともいわれる。

 第10代・崇神(すじん)天皇の時代。百済から来た温羅という鬼が吉備国の新山(吉備郡阿曽村。現・総社市)に鬼の城を造り、そこを拠点に暴虐の限りを尽くしていた。四道将軍の一人として西道に派遣された吉備津彦命は吉備の中山に宮を建て、片岡山には石橋を築いて決戦に供えた。あるとき臣下の楽楽森舎人(ききもりとねり)が温羅の配下を殺したのを契機に、ついに鬼との大合戦が始まった。

 

・負傷した温羅は鯉に変じて川へ逃げたが、鵜に変じた吉備津彦命に咥(くわ)え上げられ、とどめを刺された。温羅の猛威は死してなお残り、その始末が吉備津神社の鳴釜(なるかま)神事の由来となる。

 

コロポックル

日本の先住民族として想定された存在。アイヌの伝承にあるコロポックルを発想の根幹として、本州にも現在の日本人とは異なる民族が生活していたと考えたもの。石器・土器や貝塚は彼らの遺物と推定された。坪井正五郎が主張して議論を起こしたが、現在では顧みられることのない言説となっている。

 

明治末から大正頃に編纂された地誌類には、このような先史時代の民族への言及が時折みられる。岡山県では『吉備叢書』(明治30年)の序文に「有史以前には日本最古の民族たるコロポックル住せり」「彼らの古吉備国に蔓延せしは殆ど疑いなきが如し」といった文言がある。吉備地方が古くから繁栄し、遺跡から古代人の痕跡が発見されていることからこのような認識に至ったようだ。

 

すいとん

・岡山県真庭郡八束村(やつかそん)(現・真庭市)に伝わる。蒜山(ひるぜん)高原に出るという妖怪。

 一本足でスイー、トンと知らぬ間に近づき、人間を引き裂いて食べるという。人間の考えを悟ることもでき、薪採りに来ていた蒜山の人々の前に現れた際は「お前らの考えていることは筒抜けに分かっている」と威嚇したが、不意に焚火の竹が爆(は)ぜると仰天して「雷を自由にする人間には敵わない」と逃走したという。

 

・稲田和子編『鳥取の民話』では鳥取県側の民話として「さとりとすいとん」が収録され、蒜山に棲む一つ目の一本足の「さとり」としてすいとんが登場している。

 戦後、蒜山の観光地化に伴い、スイトンはトーテムポールを思わせる造形の木造や郷土玩具のモチーフになり人気を博した。

 

・串田孫一による民芸品付属の説明書では「粋呑」と表記されている。心を読めるため悪いことを考える人間がいれば察知して現れ、引き裂いて食べてしまうとされている。その活躍のおかげで蒜山には悪人はいないのだという。

 

猅々(ひひ)

・松尾芭蕉を主人公に据えた怪談集『芭蕉翁行脚怪談袋』には、芭蕉が山中で猅々(狒々)に遭遇する話がある。

 芭蕉が備前国岡山(岡山県)を目指して森山の麓を進んでいたとき、愛用の頭巾を谷の下に落としてしまった。谷に下り、頭巾を取ろうとしていると、長い体毛を垂らした大猿が現れた。その眼は朱を注いだように赤く、身の丈は一丈ほどあった。芭蕉は驚いたが、大きくとも猿には違いないのだから、さほど恐れるべきでもないと考え直して谷を脱出した。そして、俳諧の道も「思いこみで物事を推し量れば大きな過ちとなる」という教訓を得た。話を聞いた岡山の俳人・真田玄藤は、それは猿が千年、万年を経て通力を得た猅々だと語った。猅々は風を呼び雨を降らせることができるが、毛が傷むのを嫌がって悪天候の日には出てこない。ゆえに猅々から逃げるのは陽が翳(かげ)った時が良いという。

  

猿神(さるがみ)>

岡山県津山市の中山神社に祀られる神。

『今昔物語集』巻26「美作国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めたる事」では人身御供を求める神とされる。この話は「猿神退治」型の説話の例として知られる。

 美作国には中参(ちゅうざん)(中山神社)・高野(こうや)(高野神社)という神があり、前者は猿、後者は蛇だという。人々は中山の神へ年に一度生贄を捧げていた。ある年の祭日、ひとりの少女が来年の生贄に選ばれた。東方から美作に来た猟師は事情を知ると、彼女の身代わりとして神前に出た。やがて身の丈7、8尺の大猿が、無数の猿を引き連れて現れた。猟師は犬を放して猿たちを襲わせ、自身も刀で大猿を追い詰めると「神ならば我を殺せ」と威圧したすると神社の宮司に猿が憑き、今後は生贄を求めないと言って許しを乞うた。猟師はあくまで報いを与えるつもりだったが、猿が誓言を立てたので許してやった。それ以来。生贄の因習は絶え、人々は平穏に暮らし、猟師も助けた娘と結婚して末永く共に暮らしたという。

 中山神社は8世紀初頭の創建とされ、現在も牛の守護神として人々の信仰を集めている。

 

狒々(ひひ)>

山中の獰猛な怪獣。猿の大きなもの、猿が劫を経たものなどと理解され、各種の伝説や昔話に登場する

 たとえば、鳥取県倉吉市には次のような話が伝わる。昔、貧乏な鉄砲撃ちがいて、借金取りから逃れるために山中の洞穴に隠れた。その穴を抜けると「泣き村」という所に行き着いたが、そこでは娘を神様の生贄に捧げる習わしがあった。鉄砲撃ちが身代わりになって山へ入ると、奥から大きな怪物が現れた。銃弾を浴びた怪物は悲鳴を上げて逃げ、その血痕を辿っていくと、岩の下で大きな「ひひ」が死んでいた。こうして鉄砲撃ちは化物を退治し、助けた娘と夫婦になったと思ったが、実は全て夢にすぎなかったという。この話はいわゆる夢オチになっているが、狒々退治の主筋は「猿神退治」の基本形に忠実である

 岡山県御津郡では、備前様(池田新太郎少将)が江戸へ向かう途中、随行していた岡山紙屋町のジンゲンダ様なる人物が木曽の町で人身御供をとる狒々猿を退治し、土地の者から備前様以上に敬われたという話が伝わる。

 

第六天の悪魔王>

神楽の演目「八幡」に登場する魔王

 悪魔王は中天竺他化自在天の主で、日本に飛来して人民を滅ぼそうとする。九州の宇佐八幡宮の祭神・八幡麻呂(応神天皇)は、異国の悪魔王が人々を殺害していると聞き、神通の弓・方便の矢でこれを退治する。

「第六天」とは、仏教における欲界(欲望に囚われた衆生が住む世界)六天の最上位(他化自在天)で、仏道修行の妨げをなす悪魔の王が棲む場所とされる。「八幡」の舞は一神対一鬼の対決の様子を見せる、神楽における鬼退治の舞の基本形とみなされている。島根県石見・出雲の諸神楽にみられる塵輪(じんりん)の舞も、物語の構造や演技の構成は八幡が原型と考えられている。

 

目裂金剛王(めさきこんごうおう)

・岡山県苫田郡郷村下原(現・鏡野町下原)に伝わる。

 昔、下原の目崎城に目裂金剛王なる者がいた。身の丈一丈あまり、四臂八足で身は鉄のように堅く、毛髪は針のように鋭い。性質は暴戻(ぼうれい)にして淫僻で、美貌の婦女を略奪しては妻妾にしていた。国司の軍勢は討伐を試みたが成功せず、高野神社に戦勝を祈願して再戦を挑んだ。鉄甲を着けた金剛王には弓矢も効かなかったが、突然現れた朱馬に目を噛まれ、倒れたすきに斬られて死んだ。その後、祟りをなす金剛王の霊を祠に祀ったのが女志良世神社(珍敷(めずらしき)神社)の始まりだという。

 

桃太郎(ももたろう)>

・昔話「桃太郎」の主人公。川より「どんぶらこ」と流れてきた桃から誕生して爺と婆に育てられると、きび団子を与えた犬・猿・雉をお供にして鬼が島の悪い鬼たちを退治し、故郷に宝物を持ち帰る英雄。

 日本中で語られている有名な昔話だが、俗に岡山県、香川県高松市鬼無町、愛知県犬山市が三大伝承地とされている。岡山を有力な桃太郎伝説の地とするのは、原型と目される温羅(うら)退治の伝説があること、きび団子(吉備団子)発祥の地であることが理由に挙げられる。温羅との関連は昭和5年(1930)に難波金之助が『桃太郎の史実』で指摘したもので、以後岡山では地域のシンボルとして桃太郎が積極的に活用されている。現在では桃も岡山の名産品として知られているが、これは明治後半頃から県内での栽培が拡大したものである。

 

・JR岡山駅の駅前広場には昭和46年(1971)に岡本錦朋作の桃太郎像が設置され、今日に至るまで地元の人々に親しまれている。桃太郎の前身とされる吉備津彦命を祀る吉備津彦神社にも、中山森造による桃太郎のセメント像が設置されている。平成30年(2018)には、文化庁が認定する「日本遺産」として「「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま」の関連文化財が選出された。2006年から岡山県のマスコットとして活躍している「ももっち」も、桃太郎がモデルのキャラクターである。

 現在一般的に知られているのは桃太郎が鬼退治をする型の話だが、これは明治期に国定教科書の教材となって内容が画一化した結果ともいわれ、元は地域ごとに異なった型で語られていたと考えられている。

 

うきき

岡山県勝田郡勝田町梶並(かじなみ)(現・美作(みまさか)市)の語り手による桃太郎の昔話に登場するもの。桃太郎の実母とされる。

 1000年に一度甲羅を干しに出る海亀が、浜で人間の女の子を産んだ。その子はお婆さんに拾われ、ウキキと名付けられ育てられた。並の人間より早く、良い娘に成長したウキキは、山影中納言の奥女中となった。聡明な彼女は中納言の寵愛を受け懐妊したが、本妻に嫉妬され、不義の疑いをかけられ家を追放された。ウキキは大仙山の仙人に助けられて男児を出産し、阿弥陀様のような神様となった。後に中納言が山を訪ねてくると、ウキキは男の子を桃に入れて川へ放り投げ、その子がいずれ鬼を退治し、宝物を中納言に進ぜると予言して去ったという。

 『今昔物語集』には中納言藤原山蔭が助けた大海亀から報恩を受ける話があり、本話の原型と推察される。

 

金神(こんじん)

陰陽道における方位の神の一種。金神が巡る方位を冒すと苛烈な祟りがあると信じられ、近世末期頃から各地で金神除けの祈禱が盛んに行われた。年ごとに方位を回るため「まわり金神」とも呼ばれる。『簠簋内伝

(ほきないでん)』は、金神とは巨旦(こたん)大王の精魂で、その七魄(はく)が人間世界を遊行し、衆生を殺戮するものと説く。

 

座敷わらし

特定の家に宿り、その家に繁栄や幸福をもたらすとされる子供姿の妖怪または霊。元来は岩手県を中心に東北地方一帯に伝承されるものだったが、柳田國男、佐々木喜善らによる報告、これらを元にした二次資料への記載や創作物への登用(キャラクター化)を経て、全国的な知名度を得るに至った。これにより座敷わらし概念は外来種的に日本中へ波及し、各地の「家に出る童形の妖怪」が座敷わらしと同一視され、東北以外でも座敷わらしの体験談が聞かれるようになった。また、招福の性質から商業およびスピリチュアル方面での需要も高いのか、今日では座敷わらしがいると称する施設は各地方に点在している。

 

・佐々木喜善は友人が周防国(山口県)で体験した怪異をザシキワラシに類する事例のひとつとして紹介している。それは某氏が山口市の高等学校にいた頃のこと。夜、下宿でドイツ語の書物を枕元に置いて寝ていると、夜半に一人の童が出てきて本をペラペラ捲って遊んでいた。やがて童は寝ている友人の懐や裾に潜りこんで脇などをくすぐったので、たまらず目を開けると、暗中にもかかわらず天窓板が一枚一枚節穴に至るまで明瞭に見えたという。

 

・岡山県和気郡和気町日笠下出身の女性(1926年生)は、幼い頃に父から「我が家には座敷童子が住んでいた」と聞かされたという。父は座敷童子がチョコチョコと座敷から出て去っていくのを目撃し、家運の衰えを察したという。津山市のあるアパートにもいたずらっこの座敷童がいたといい、住民の看護婦さんは怖いとも思わず一緒に暮らしていたという。

 

・広島県三次市甲奴町小童(こうぬちょうひち)の飲食店「手打ちそば山菜料理わらべ」(2022年閉店)の店舗は古民家を改装したもので、座敷わらしが宿っているという。開店準備中の時期、澤口則子店主はどこからともなく聞こえる囁き声を耳にしたといい、開業後も人の歩く足音が聞こえたり電灯が消えたりと、奇妙なことが続いたという。店がテレビで紹介されると、「スピリチュアルの先生」が「ここは座敷童がいますね」と判定。それ以来、願いを叶えてほしい、一目見てみたいといった訪問客が増えたという。不思議な現象がよく起こる「座敷童の部屋」には、客から差し入れられた玩具やお菓子が所狭しと並んでいる。

 

日招き(ひまねき)

・沈みゆく夕日を扇子で招き返し、日暮れまでの時間を延ばして目的を達する呪術。

 中国地方を舞台とする例では、平清盛による音戸の瀬戸(広島県呉市の海峡)開削の伝説が有名。安芸(あき)守だった清盛は、航路の便を図って音戸瀬戸の開削事業に着手した。しかし工事は停滞し、予定日の夕方になっても終わりそうになかった。そこで清盛は扇で沈みかけている太陽を招き返して、その日のうちに作業を終了させたという。

 

・鳥取県の湖山長者も、『因幡志(いなばし)』『因幡民談記』などに記述があり、古くからこの種の伝説の主人公として広く知られている。

 

猿猴(えんこう)>

・水辺の妖怪。人を捕まえて尻や内臓を抜いたり、牛馬を水中に引きこんだりする。「猿猴」の本来の字義はテナガザルだが、中国地方一帯では河童にあたる存在の呼称として通用している。一般的に想像される河童と同じく、頭に皿があり、留まっている水がこぼれると力を失うとされる場合も多い。人間や神仏によって懲罰されることも多々ある。

 

血取り

・異人などが人の生き血を取ると考えられたもの。明治6年(1873)から各地で徴兵令などに反対する民衆運動(血税一揆)が起きたが、これらの発端にも血取りの風聞が関わっていた。これは前年の太政官告諭にある「西人之を称して血税といふ。その生血を以て国に報ずるの謂なり」という文言から、西洋人が生血を取りに来るとの誤解が生じたものである。

 

・北条県(現・岡山県東部)では、アメリカに連行される、石高1000につき女1人・牛1匹を異人へ引き渡されるなどの噂にまで発展し、津山の県庁が強く否定するも県民の疑念は拭えなかった。貞永寺村の卯太郎という者は「10歳から40歳までの人の生き血を絞るために白衣の者が来る」と噂を流して住民の不安を煽り、実際に白衣を着た人物の徘徊を見せて暴動を誘発し、大規模な一揆に発展させたという

 

・鳥取県会見郡でも、異人は人間の生き血を飲む、徴兵で生き血を絞り外国に売るといった噂が流れていた。鉱山局が雇った外国人が検査に訪れた時は血を取るための調査と思いこみ、人々は門札を外して家族構成を隠したという。古市村(現・米子市)の農民の妻が不審な二人組を目撃すると、村人たちは血取りが来たと大騒ぎして半鐘を鳴らした。混乱は村から村へ急拡大、竹槍を持ち出す者、通行人に暴力をふるう者まで出た。集合した農民は1万人規模となり、戸長宅への襲撃などが始まった。

 

・明治6年7月の『東京日日新聞』では、岸田銀二が備前児島の他の浦を訪れた際、同地の住民が血取りの流言を信じて避難・武装していた様子が報じられている人々は朝廷が唐人に騙され、日本人の種を絶やすために、若い男の血を抜いて弱くし、女は外国にやってしまうものと信じていた。邑久(おく)郡では多くの者が血を取られた、美作(みまさか)では夜中に役人と唐人が家々を検め、娘を連れ去ったなどと具体的な噂まで飛び交い、政府への疑念が増大していたという。

 

神ン野悪五郎(しんのあくごろう)>

・『稲生物怪録』諸作において名が語られる魔王。山ン本五郎左衛門の同族または対立する相手とされている。

柏本」では、山ン本の口から神ン野悪五郎の名が語られる。日本では山ン本の同類は彼しかいないという。もはや神ン野が手を出すことはないだろうと言いながらも、山ン本は今後怪異があれば自分を呼べるようにと、平太郎に槌(つち)を授ける。

 『三次実録物語』では、山本太郎左衛門と覇権を争っている魔王として信野悪太郎という名が語られる平太郎の胆力に敵わなかった山本は、信野の配下となることをしぶしぶ受け入れて稲生家を去っていく。

 絵巻『堀田家本』では山ン本五郎左衛門の友として権力の座を争う魔の名は真野悪五郎とされている。

 

・基本的には作中に名前が出るだけで姿は描写されないが、先述の『稲生武太夫一代記』では、山ン本に連れられて衣冠束帯姿の悪五郎が現れる。これは他の絵画作品では太歳(ださい)大明神の姿とされるものである。

 

山ン本五郎左衛門

・稲生屋敷に種々の怪異を起こした魔王。一ヶ月にわたって稲生平太郎の周囲に妖怪を出現させていた黒幕である。

 

・絵巻「堀田家本」などにおける五郎左衛門は世界の人を惑わすことを業とする魔物で、100人を誑かして魔国の統領になろうと企んでいる。しかし86人目の標的にした平太郎が類稀なる豪胆さを持っていたため、野望は潰えてしまった。観念した五郎左衛門は同族の真野悪五郎から平太郎を守るため、自身を呼び出すことのできる槌(つち)(化物槌)を授けて去っていった。

 

幕末から明治にかけて活動した神仙道家の宮地水位は、仙人の教えを受けて様々な異世界を往来していたという。彼が著した『異境備忘録』によれば、悪魔界の12柱の魔王の中には、神野悪五郎月影、山本五郎左衛門百谷という名の者がいるという。『稲生物怪録』との関係は語られていないが、同作の魔王の名を参考にした可能性は高い。ちなみに、宮地水位の世界観において神野・山本よりもはるかに強大な存在が、序列第一位の魔王「造物大女王」である