(2024/2/12)

 

 

『<怪奇的で不思議なもの>の人類学』

妖怪研究の存在論的研究

廣田龍平   青土社  2023/12/27

 

 

 

ゴリラ女房とその仲間

はじめに――「ゴリラ女房」とその類話

・沖縄に「ゴリラ女房」という奇妙な昔話がある。ある島の川を探検していた若者のグループがゴリラに襲われ、一人だけ捕まって山奥の群れのところに連れていかれた。ゴリラたちは若者の男性に果物を与えた。それから一年ほど経つと「動物であっても情が湧き出て」、ボスゴリラを妊娠させてしまった。そして子が産まれた。それでも帰りたかった若者は筏を作り、ひそかに逃げようとしたが、見つかってしまった。それを見たゴリラは、置き去りにされる悔しさと怒りのあまり、自分の子の両足を引き裂いてしまった。

 

・興味深いことに、大正時代の本土でも、同じような話が実話として語られていた。たとえば、『現代心中ばなし』(1916)には「ゴリラの女王の恋」の章があり、それによるとボルネオの未踏河川を遡行していた日本人集団がゴリラの群れに襲われ、一人の男が洞窟に閉じ込められた。ゴリラの女王は男を寵愛し、子を産んだ。7年経ち、男はひそかに作ったカヌーで逃亡する。そこに女王が現れ、叫び声をあげつつ子を「バリバリと引裂いた」。そして男は、この事件を語ることになる日本人に助けられたのだった。河川遡行など細かい点まで「ゴリラ女房」と一致している。

 

・また、大本の聖典『霊界物語』にもほとんど同じ「猩々姫」のエピソードがある。違いは結末で、半人半獣の赤子は引き裂かれそうになるが、最終的には絞殺され、姫は入水して死ぬ。また口承としては、伊勢湾の神島で、異類が「緋々猿」の女王になっているものが語られている。

さらに遡ってみると、江戸中期にも類話があるようだ。国学者・荷田在満の『白猿物語』(1739)である。

 

・近年の研究では、『白猿物語』は在満の創作だと推測されている。だが、『白猿物語』が海外に輸出されて各地に定着したという、かぎりなく低い可能性を考慮しないかぎり、この小説はすでに存在していた諸型を受け継いだものと考えるしかないであろう。

 

・ここまでならばまだ、「ゴリラ女房」のような説話群が、日本列島に限定された話型だという予想がつく。しかし、まったく異なるところにも類話は伝わっていた。ルドルフ・アルトロッキという研究者が、エドガー・バロウズの冒険小説『ターザン』の元ネタを探ろうとして、シカゴ在住の著者に連絡を取ったことがあった。

 

・ターザンには、他にも元ネタがある。1912年以前なのは確かなことだが、おそらく雑誌かどこかで、バロウズ氏は遭難してアフリカ沿岸に一人たどりついた船乗りの話を読んだという。船乗りはロビンソン・クルーソーよろしく困難な状況を生き抜いた。ジャングルに滞在せざるを得なかったとき、手懐けた雌の類人猿が彼を愛するようになった。ようやく助けが来たとき、その雌猿は男を追いかけて波間に飛び込み、自分の子供を彼に向けて投げたのだという。私は、この現代の物語を見つけることができなかった

 

・まったく偶然に、筆者は別の地域で類話を発見した。それは1972年、イラク北部の都市ティクリートで出版された雑誌に掲載されたもので、シルーワという山姥のような妖怪の物語だった。それによると、「シルーワは野女の姿をした怪物的な魔物である――悪魔の娘だ。(…)シルーワはみすぼらしく、毛髪は逆立っている。彼女は川岸の洞窟に暮らしているが、オオカミと水を恐れるとも言われた」

 このシルーワの話は、モースルやティクリート、ナグダートのスンニ派地区などで知られているという。最初に活字化されたのは1972年のことである。それによると、船乗りのフェセイン・アル・ニムニムは仲間とともにモースルに行くことになっていたが、用事があり、深夜、友人と連れ立って歩くことになった。雨が降ったので、友人が、洞窟でやり過ごそうと提案した。しかし洞窟のなかで分かったことだが、友人は実はシルーワだった。シルーワは入口をふさぎ、脚を麻痺させる呪文をあっけた。そして強制的にフセインと性的関係を持ち、息子ダビーブ・アル=ライルと娘をもうけた。

 

・シルーワは、『妖怪 魔神 精霊の世界』によると「アラビアの民間にいると考えられている妖怪の類」で、こう説明されている。

 

 シルーワは魔女的、食人鬼(女)的な妖異で、水辺に住み、長い髪と長々と垂れ下がった乳房を持ち、時には足がなくて魚の尾をしている。男にとりつき、人肉を好むという。(…)大猿のようなものから連想した魔物であろうとも言われる、

 

・以上の、相互に類似した説話を形式化すると以下のとおりになるだろう。

 Ⅰ ヒトの男が異類の領域に迷い込む

   そこは孤島/山奥の洞窟であり、容易に脱出できない

 Ⅱ 人型の異類と深い仲になって子をもうける

Ⅲ 異類の領域から抜け出す

   みずから船を制作する/通りがかった船に助けを求める

   異類は水辺を越えて追いかけることができない

 Ⅳ 異類は悲嘆・怒りによって子を引き裂く/子を死なせる

 

 この話型を「ゴリラ女房型」と呼ぶことにしよう

 

説話のグローバルな比較方法論

・本章では、伝播の経路については示唆するにとどめ――地理的広さに対して事例が少なすぎるためであり、また既知の事例間の連続性の検討だけでも分析にかなりの紙数が必要となるため――、最終的には、ヒトと異類を分かつものとしての形象と技術に注目して、動物が人間に変身するアニミズム的な異類婚姻譚と比較して、ゴリラ女房型にどのような特徴がみられるかを簡単に分析したい。

 

ゴリラ婿型、中国、仏教説話

・ゴリラ女房型とジェンダーが反転した話も南西諸島にいくつかある。「ゴリラ婿入」(国頭村)では、船が難破して生き残った女が洞窟でゴリラとのあいだに子を産む。しばらくして船が島に着いたので子とともに乗り込むと、ゴリラが子を引き裂くそぶりを見せるが、結局逃げ切る。子が成長して洞窟に戻ってみると、ゴリラの死体があった。また、読谷村などでは雄の狒々が殺害を完遂する話が伝わっている(大宜味)

奄美大島の「猿女房」では、若者が猿によって山奥の樹上に閉じ込められ、半猿半人の子を複数もうける。言い訳をして樹を下り川に通い、筏を作って逃げる。猿は子を次々と川に投げ込む。ヒトが女であるものを「ゴリラ婿型」とする。

「ゴリラ婿入」のように、子が成長して大人になるパターンも伝わっている。

 

・千野明日香は、南西諸島の類話を考慮したうえで比較研究を行なっている。同論では熊女房型が代表例とされ、まず、この話型が異類婚姻譚に分類される。しかし、日本列島でよく知られているもの(鶴女房など)と違い、異類がヒトの姿にならず媾合する点に特徴がある。さらに、この形式のものは中国大陸に多く見られる。それが「野人女房」説話である。千野は、熊女房型が中国から伝播したという先行研究の説を受け継ぐ。だが中国では、異類はクマではなく野人である。千野は、野人の別称に「人熊」があること、沖縄民話の語りでは「人熊」と言われていることを指摘する。おそらく沖縄に伝わる過程で「人熊」が「クマ」と間違えられたのだろうやはり沖縄に生息しない猿やゴリラになっているのも、野人が合理化されたからであろう――日本列島に広げるならば、これらは妥当な推測である。

 

・千野は山中に誘拐されたパターンを「山中型・野人女房」と名付ける。古いものでは、『太平広記』に引用された唐代・大歴年間(766―779)の話がある。異類は「夜叉」でヒト側は女性(つまりゴリラ婿型)。川船で逃げる、子が引き裂かれるといった要素はすでに揃っている。

 

・また、本章で言うところのⅠ・Ⅱの要素に注目した王立は、熊女房型の古いものとして、『ジャータカ』(6世紀までにインド北部で成立)の第432話を挙げる。ここでは馬面の女夜叉(ヤッキニー)が野女の役割を果たしている。女夜叉が笑いながら襲いかかるという中国の野人に似た描写があるほか、川で追跡が阻まれるという要素Ⅲもすでに存在している。

 

現代中国でも「野人女房」型体験譚は語られている。チベット北部(おそらくナクチュ)で、ある男が雌の人熊によって洞窟に閉じ込められ、結果二人の子が産まれた。男は隙を見て逃げ、追いかけてきた人熊は射殺された。あとで洞窟を見てみると子は殺されていた。

 

・黒竜江省のオロチョンおよびエヴェンキの人々のあいだにも「野人女房」話があるが、異類はクマで逃走手段は川筏、引き裂かれた子熊は片方が人類の祖先に、もう片方が熊の祖先になった。神話化している。

 

中国・青海省趙木川のトゥ族のあいだにも、ゴリラ女房型の話がある。ある将軍が追放され、豪雨の地滑りで気を失い、気づくと雌猿がいた。猿は実は妖鬼であり、将軍を洞窟に閉じ込め、無理強いして結婚。七、八年経つうちに子が二人でき、次第に将軍への監視は緩んでいった。猿がいないあいだ、子らと外出した将軍は、そこで捜索隊に出会い、ともに船に乗って逃げた。それを見つけた猿は、「子らは私のものだ」と叫んで二人とも半分に引き裂き、片方を船のほうに投げつけた。春節、趙木川ではこの出来事を記念する祭礼があるとのこと。唐突に川が現れている。

 

近世ヨーロッパから北米へ

・『ターザン』の源流を調査したジョルジュ・ドッズもまた、ゴリラ女房型/ゴリラ婿型の説話を比較研究した論文を著した。だが、その探索範囲は千野論文と重なっていない。そのため両者を接合すれば、より視野が開けてくることになる。

 まずドッズが注目するのは、アントニオ・デ・トルケマダの『奇華圏』である。同書は1570年出版の、スペイン語で書かれた奇讀集で、英語を含めヨーロッパ諸言語に訳され、当時は広く読まれていたという。そのなかにヨーロッパ最初の、やはり実話として語られたゴリラ婿型の出来事が載っていた。

 

・長い文章なので要約すると、凶悪犯罪に加担したポルトガル人の女が「トカゲの島」に島流しにあった。女が嘆き悲しんでいると、山から猿の大群が下りてきた。ボスと思しき個体が女を憐れみ、洞窟へ連れ帰った。女は抵抗できず、結局二人の息子を産んだ。

 

・時代をかなり下って、1963年出版のポルトガル民話集を見ると、ゴリラ婿型の話が載っていて、そこでは異類が「ゴリラ」と明言されている。舞台は森のなかの洞窟である。しかしなぜかヒトの女は船を発見し、何とかしてそこに辿りつく。

 

・ドッズによると、ヨーロッパでは、ヒト側はつねに女性であった。だが彼が見落としていた文献にはゴリラ女房型のものも存在する。

 

・ドッズはさらに南北アメリカにも目を向ける。合衆国ケンタッキー州にゴリラ女房型の民話が存在するのである。1957年、民俗学雑誌『ウェスタン・フォークロア』に紹介されたものである。――あるとき、狩猟に出かけた男が遭難した。大きな穴があったので入ると、老いたヤホー(野人の類い)がいた。男はそこで暮らし続け、火の使い方を教え、そして半人半ヤホーの子が産まれた。しかし男は逃げ出し、船に乗り込んだ。ヤホーは子を連れて来て叫んだが、どうにもならず、そのまま子を二つに引き裂き、片方を船のほうに投げつけた。

 

またメイン州では、雄の「ヨホ」の物語が語られている。ヨホは「ヨホの洞窟」に棲んでいたという。地名の由来になっているのがティクリートのシルーワと似ている。

 

・南アメリカでもっとも古いのはベネズエラのもので、エル・サルバという毛深い衣類が女を誘拐するというもの。1780―1784年に書かれたイタリア語の本に紹介されている。また20世紀には類話がグアテマラやホンジュラスでも採集されている。ベリーズでは「人間のような頭部の、巨大で毛深いゴリラ」シンミトがオスの異類の役割を果たしている。とはいえ、ドッズは結局、『ターザン』の源流にはたどり着けていない。ただ彼は、南アジアと東南アジアにも話型の広がりがあることを指摘する。

 

起源としての南アジア・東南アジア

・まずブータンでは、ミゴイ(いわゆるイエティ)の雄が女と交わり、子は川辺で引き裂かれる。また、ネパール東部のシンドゥパルチョークの話では、ある男が小川でカエルをとっていると、女のニャルムに出くわした。ニャルムは男を引っ張って「来い、さまなくば食うぞ」と脅した。男は洞窟に入れられ、入り口は大岩で塞がれた。一年後男の子が、二年後には女の子が産まれた。

 

・1993年に報告されたモンゴルの話では、未確認動物にも分類される異類アルマスがゴリラ女房に相当する役割を担っている。何らかの理由でアルマスの女がヒトの男をさらった。山中で二人は子をもうけた。

 

・ボルネオ島のダヤクのあいだでは、雄のオランウータンがヒトの娘をさらう話が多い。しかし雌のオランウータンが男をさらう話もあるにはある。

 

・東南アジア島嶼部については、人類学者のグレゴリー・フォースが「樹上に閉じ込められる、女側が半人半獣を産む、ヒトがココナッツなどの食料を与えられる、ココナッツ繊維で作ったロープでヒトが逃げる、逃げたのを見て猿人が力任せに子を殺す」という話が北スマトラ、ボルネオ、ロテ島(ティモールの西)に伝わることを紹介している。前二者では猿=オランウータン、後者では普通の猿である。

 

・ドッズが紹介する類話に戻ろう。ジャン・ロシェという未確認動物学者の報告では、1950年代、ヴェトナムのブムノトゥオという集落の若者が森で仕事をしていると、大型の毛深い類人猿のような(しかし類人猿ではない)異類に捕まってしまった。そして女の異類とともに洞窟で暮らすことを強いられた。1年以上経ち、女の子が産まれた

 

・ドッズはこの話に続き、日本の説話を紹介している。しかしそれは日本語と沖縄語以外にテクストのない「ゴリラ女房」ではなく、英語訳があるから読めたのだろうが、柳田國男の『遠野物語』(1910)であった。

ドッズは「これまでの物語とは少しだけしかつながりがない」と言いつつ、同書の第六・七話を紹介する。長者の娘が山の「或物」にさらわれ、子を多く産んだが、ことごとく食べられたというもの(六話)、山で「恐ろしき人」にさらわれ、子を産んだがやはりことごとく食われ殺されたというもの(七話)である。だが、さすがにこれらの説話は無関係だろう。

 

・ドッズはほかに19世紀イランや20世紀ロシアなどの類話を紹介したところで、それらについては検討せず、この話型が南・東南アジアを訪れたポルトガル人探検家によってヨーロッパに持ち帰られたのではないかという短い結論を述べる。

 

西アジアからロシアへ

・ヨーロッパ人がアジアに進出するはるか以前からアラブ商人がインド洋沿岸で盛んに交易をしていたのはよく知られている。その領域はインドネシアにまで及んでいた。そうした商人たちの見聞を集成した『インドの驚異譚』(10世紀、イラン)に、変形したゴリラ女房型の話を見ることができる。

 

・マレー半島からイランに伝わった変形ゴリラ女房譚がどのように展開したかは不明である。だが、時代はずっと下がるが、広くペルシア語圏に伝わる「宝石商サリーム」という民衆伝奇ものにゴリラ女房型の挿話がある。現存する最古の「サリーム」写本は、明確に分かるなかでは1827年だが、一部は16世紀にさかのぼる可能性があるという。

 

・なお、参照した英訳では、性行為も出産も語られず、次の話に行ってしまう。性的内容だったので訳者が省略したのだろう。

 ドッズが紹介したイランの話というのはこれである。この話には海も川も出てこない。ただ、ドッズの参照した1830年版のほか、現代アフガニスタン・ヘラートの口承版には続いて「別の島に辿りついた」とあり、もとは海辺が舞台だったのではないかと考えられる。

 

・このように、冒険譚の挿話としてゴリラ女房型がありうることに注目すると、すでに『国際昔話型カタログ』のATU485がこれを包括していたことに気づく。

 

・遡ってAT版を見てみると、485Aには「島の女とのエピソードのみ」とあり、事例としてアファナーシエフ『ロシア民話集』が挙げられている。

 

・まず一つ眼巨人から逃れたボルマーは、川を越えなければならなかった。そこには宮殿があり、夜になると若い娘が現れた。どうも娘の兄は一つ眼巨人だったらしく、ボルマーを殺すと脅したものの恋に落ちてしまったので、彼は脅されながらも過ごし、息子が一人産まれた。

 

「ボルマー」の異類は毛深かったり猿のようだったりするのではなく、ヒトの姿をしている。ただ正体が「穢れた霊」とあるのみだ。この話型はベラルーシとウクライナでは稀だが、20世紀のロシア民話集ではよくあるものらしい。この英訳ロシア民話集では続いて変形ゴリラ婿型の話も収録されているが、そちらでは異類は「レーシィ」になっている。

 

・ウター和訳にある「荒女」というのは英語だとwild womanで、アンドレーエフ版のほうも「野生の女」という意味のヂーカヤ・ジェーンシチナである。サテュロスのように、ヒトにとって野生の領域にすまう人型異類のことである。日本ならば先述の白猿のほか、山男、山女、山姥、山童などの人型妖怪がこれに相当する。オランウータンやゴリラもこの仲間に入る。体毛が濃いのが全般的な特徴である。

 

・ロシア説話の引き裂き要素については、早くグレゴリー・ポターニンがモンゴルの叙事詩『ゲセル』の挿話との類似を指摘している。

 

部分的な比較分析

・ここまで沖縄民話「ゴリラ女房」の属する話型を特定し、その世界的な分布をおおむね確認した。ここからは、ヒトと異類を分断するものの観点から、標準的な異類婚姻譚と比べてゴリラ女房型の独自性がどのように見えてくるのかを簡単に検討したい。

 ゴリラ女房型(ゴリラ婿型を含む)で際立っているのは、千野明日香が指摘するとおり、異類が非人間的形象のままヒトと性交し、そして子が生まれるというところにある。

 

・異類がオス/男性である「異類婿」ならば、異類が非人間的なままの類型がある。たとえば、日本でよく知られている「猿婿入り」は、猿が男に対して、仕事を手伝うかわりに娘をくれと要求し、娘は仕方なく猿とともに家を出るが、途上で(あるいは嫁入り後に里帰りする途上で)策略を用いて猿を殺し、人間社会に戻るというものである。娘はもとより猿との婚姻に嫌悪感を示しており、うまく逃げおおせたので「めでたしめでたし」となる。

 

・同じく異類が非人間的なままのものとして「熊のジャン」があり、異類は猿や野人ではないが、先述のように、熊女房型を中間に据えると、話型自体はゴリラ婿型にかなり近い。ヨーロッパの異類婚姻譚では、異類が実際にはヒトであることが多いと言われる。だが、相手が妖精であるメリュジーヌ伝説はよく知られているし、「熊のジャン」も「記録されたなかではもっともヨーロッパ中に幅広く拡散している」と言われるぐらい広まっていることは念頭に置いておくべきだろう。

 

・次いで内部比較に進もう。まず形象の類型としては、類人猿(中国、ゴリラ女房、ペルシアなど)、ヒトに化ける魔物(イラク、ロシア)、「野蛮人」のように分けることができる。また、ヒトとの近さという観点から社会性の尺度を用いると、孤独、孤独・住居あり、群生・階層あり(ゴリラ女房など)、群生・住居あり(ペルシア)のように分けることができる。

 

・その観点からすると、標準的な異類婚姻譚にもっとも近いのは、初出を近代まで待たねばならないロシアの「ボルマー」であろう。

 

・異類がヒトの形象に化ける異類婚姻譚の基盤にあるアニミズム的存在論――毛皮や羽毛を脱ぐことで変身できる――では、ヒトとヒト以外の存在は内面性が等価であり、文化が等しいため、ゴリラ女房型のように技術の非対称性によって両者が分断される物語が想定しづらい。

 

・大半の説話では、技術こそがヒトと異類との別離を可能にしている。この点は、ゴリラ女房型が、標準的な異類婚姻譚よりも、ヒトとヒト以外のあいだには文化的断絶があるとする、近年代の私たちの思考に近いことを示している。デスコラの枠組みでいうと、おそらくアナロジズムに相当するのだろう。特に、「熊のジャン」もだが、子がハイブリッドであるとする形象化は、アナロジズムに典型的なものである

 

・ただしこれは、アニミズムに相対的に近い「ボルマー」的類型のほうが古いということを意味するものではない。そもそも動物が身近にいる環境に暮らしていれば、動物が造船技術を持たないことは知りうるのだから、昔話でも神話でもない、事実譚としてのゴリラ女房型説話において、動物が日常的な生活をしているのは不自然なことではない。もちろん、悪霊は流水を渡れないというモチーフを動物に移行した結果として、存在特性が理由としては成り立たなくなり、技術的な優位性が前景化したのがゴリラ女房型だという推測も成り立つだろう。

 

・オーストリアのブルゲンラント州に伝わる説話では、美しい野女が人間の男の子をもうけたが、諍いが起きて二人が別れることになった。野女は子を連れていくか行かないかで迷い、脚を引き裂いて半分を男のほうに投げつけ、もう半分を抱えて戻ってこなかった。

 

おわりに

・本章は「ゴリラ女房」の話型を特定し、その広がりをおおむね確認した。ゴリラ女房型とゴリラ婿型が男女を入れ替えるだけで成立する点や、ヒトと動物がそのまま関係するというクィア性、水域と技術がヒトと異類を分断する点、さらに異類とヒトという二項対立を引き裂きとして具現化する結末など、興味深い論点は多い。また伝搬経路の推測も、各地域の専門家による類話の探索によって、精密に進められる必要がある。ゴリラ女房型は今後、さらなる注目がなされるべき話型であろう。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

(2016/8/23)

 

<米軍兵士、アフガニスタンで4メートルの巨人を射殺 >

元米軍兵士が、アフガニスタンの洞窟で、身長4メートルの巨人を射殺したと証言している。L.A.マルズーリ氏が制作したドキュメンタリー番組で明かした。

 

「ミスターK」と名乗る元米軍兵士は2002年、カンダハールでの偵察行動中に、砂漠地帯で洞窟を発見。洞窟内を調査中に4メートルの巨人に遭遇したという。

 

ミスターK氏によると、巨人は赤毛で、指が6本あったという。米軍偵察部隊は巨人に発砲。約30秒間の銃撃により巨人は死亡したが、戦闘中に巨人の槍が貫通した兵士1名が犠牲になった。巨人の死体は救助要請で現場に到着したヘリコプターによって回収され、その後どうなったかは不明という。

 

「死体からは強烈なスカンク臭のような悪臭がした」とミスターK氏は証言している。洞窟の入口には無数の骨が散乱していた。巨人の存在は地元民には以前から知られており、人間を取って食べると恐れられていた。

 

 

 

『中国の鬼神』

著 實吉達郎 、画 不二本蒼生  新紀元社 2005/10

 

 

 

玃猿(かくえん)

人間に子を生ませる妖猿

その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。

 古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。

 玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることである。その人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれている。もし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい。

 

<蜃(しん)>

<蜃気楼を起こす元凶>

・町や城の一つや二つは、雑作なくその腹の中へ入ってしまう超大物怪物だそうである。一説に蛤のでかい奴だともいい、龍ともカメともつかない怪物であるともいう。

 日本では魚津の蜃気楼が有名だが、中国では山にあらわれる蜃気楼を山市。海上にあらわれる蜃気楼を海市と称する。日本の近江八景のように、中国にも淄邑(しゆう)八景というのがある。その中に煥山(かんざん)山市というのがあると蒲松齢(ほしょうれい)はいっている。

 その煥山では何年かに一回、塔が見え、数十の宮殿があらわれる。6~7里も連なる城と町がありありと見えるのだそうである。ほかに鬼市(きし)(亡者の町)というのが見えることもあると蒲松齢が恐いことを言っている。

 『後西遊記』には、三蔵法師に相当する大顛法師半偈(たいてんほうしはんげ)の一行が旅の途中、城楼あり宝閣ありのたいへんにぎやかな市街にさしかかる。ところが、それが蜃気楼で、気がついてみると一行は蜃の腹の中にいた、という奇想天外な条がある。それによれば、途方もなく大きな蜃が時々、気を吐く。それが蜃気楼となる。その時あらわれる城や町は、以前、蜃が気を吐いては吸い込んでしまった城や町の幻影だ、というのである。

 

夜叉(やしゃ) 自然の精霊といわれるインド三大鬼神の一つ

・元来インドの鬼神でヤクシャ、ヤッカ、女性ならヤクシニーといい、薬叉とも書かれる。アスラ(阿修羅)、ラークシャサ(羅刹)と並んで、インドの三大鬼神といってもよい。夜叉はその三大鬼神の中でも最も起源が古く、もとはインドの原始時代の“自然の精霊”といっていい存在だった。それがアーリヤ民族がインドに入って来てから、悪鬼とされるようになった。さらに後世、大乗仏教が興ってから、夜叉には善夜叉(法行夜叉)、悪夜叉(非法行夜叉)の二種があるとされるようになった。

 大乗教徒はブッダを奉ずるだけでなく、夜叉や羅刹からシヴァ大神にいたるまでなんでもかんでも引っぱり込んで護法神にしたからである。ブッダにしたがい、護法の役を務める夜叉族は法行夜叉。いぜんとして敵対する者は非法行夜叉というわけである。

 

夜叉は一般に羅刹と同じく、自在に空を飛ぶことが出来る。これを飛天夜叉といって、それが女夜叉ヤクシニーであると、あっちこっちで男と交わり、食い殺したり、疫病を流行らせたりするので、天の神々がそれらを捕えて処罰するらしい。

 

・安成三郎はその著『怪力乱神』の中に、善夜叉だがまあ平凡な男と思われる者と結婚した娘という奇話を書いている。汝州の農民王氏の娘が夜叉にさらわれてゆくのだが、彼女を引っかかえて空中を飛ぶ時は、「炎の赤髪、藍色の肌、耳は突き立ち、牙を咬み出している」のだが、地上に下り、王氏の娘の前にいる時は人間の男になる。

 

・人の姿をして町の中を歩いていることもあるが、人にはその夜叉の姿は見えないのだという。

 

王氏の娘は、約束通り2年後に、汝州の生家に帰された。庭にボヤーッと突っ立っていたそうだ。この種の奇談には、きっと娘がその異形の者の子を宿したかどうか、生家へ帰ってから別の男に再嫁したかどうかが語られるのが普通だが、安成三郎はそこまで語っておられぬ。『封神演義』に姿を見せる怪物、一気仙馬元は夜叉か羅刹だと考えられる。

 

・『聊斎志異』には「夜叉国」なる一篇がある。夜叉の国へ、広州の除という男が漂着すると、そこに住む夜叉たちは怪貌醜悪だが、骨や玉の首輪をしている。野獣の肉を裂いて生で食うことしか知らず、徐がその肉を煮て、料理して食べることを教えると大喜びするという、野蛮だが正直善良な種族のように描写される。玉の首環を夜叉らが分けてくれ、夜叉の仲間として扱い、その頭目の夜叉にも引きあわせる。徐はその地で一頭の牝夜叉を娶って二人の子を生ませるというふうに、こういう話でも決して怪奇な異郷冒険談にならないところが中国である。

 夜叉女房と二人の子を連れて故郷へ帰ると、二人の子は何しろ夜叉の血を引いているのだから、強いのなんの、まもなく起こった戦で功名を立て、軍人として出世する。その時は除夫人である牝夜叉も一緒に従軍したそうだから、敵味方とも、さぞ驚動したことだろう。その子たちは、父の除に似て生まれたと見えて、人間らしい姿形をしていたようである。