華蔵院境内
1. 華蔵院
立石寺塔中の一つ。本尊は、慈覚大師作、御丈三尺二寸五分木彫観世音菩薩立像。慈覚大師は、開山の砌、この寺院にお住まいになられたと伝わる。この寺院の前庭からの釈迦ケ峯一帯の山容景観は当山境内の絶景である。
2. 三重小塔
華蔵院境内の巌谷に安置されている。昭和27年月7月19日、国の重要文化財に指定された。塔の創建は、屋根に立つ相輪にある銘:室町時代永正年である。三重小塔は、国の重要文化財で最も小さく、制作年代が明確な点で貴重なものである。
奥之院境内(2)
6. 多聖場
高野山と並び称される祖先の冥福を祈る卒塔婆を納める
7. 法華塔
唐銅製宝塔の御丈は四尺六寸。文久元年東叡山霊山院官
田(谷地町出身)の寄進である。師は立石寺住職となる
べき方であったが、赴任前に遷化なされた。
8. 奥之院・鐘 楼
通称奥之院。正しくは如法堂。現在の庫裡は、明治5年
に優田和尚が再建したもの。
扁額の霊鷲道場は、松島瑞巌寺百二十二世真壁太陽の筆。
本尊は、慈覚大師が巡錫なされた際、何時も背負ってい
た御丈三寸七分の三国伝来の釈迦牟尼仏、他方如来の坐
像と左右の多聞天、持国天、それに三十三番神、十羅殺
女を安置する。
常火は、宗祖伝教大師が比叡山に移し、更に当山根本中
堂に移したものがこの如法堂で灯され続けられている。
毎年秋分の日に、大施餓鬼会を修し、納骨された霊を供
養する。
如法堂は、写経道場である。慈覚大師が定めた写経行法
(一字三礼、石墨草筆の行法)で法華経を一日七行半写
経する。閏年の11月28日、四年に亘って写経した如
法経を、開山堂の傍の納経堂に奉納する。この際、如法
堂の本尊は御開帳を例とする。
鐘楼は、文久三年(1863)、慈覚大師一千年遠忌の
砌、山形舟町豪農阿部孫一他数名で寄進したものである。
奥之院境内(1)
1. 一切経蔵
高僧無覓庵筏舟禅師筆である。当山六十六世優田和尚が
文久年間(1861~63)に建立。
2. 濡仏地蔵・後生車
唐銅製で、御丈二尺五寸。俗に二十四万人地蔵とも呼ば
れ、餓死者の供養のため元禄七年善行院が建立。
輪がはめ込まれ南無阿弥陀仏と戒名を書き記した木柱が
後生車である。石製のものもある(奥之院の参道傍)。
南無阿弥陀仏と唱えながら仏を供養し、来世を願うもの
である。
3. 納骨堂
亡者の舎利を納める所で、御本尊は御丈三尺一寸の木彫
阿弥陀如来立像を安置している。毎年秋分の日に大施餓
鬼会を執行し供養している。
4. 金燈籠
当山六十六世優田和尚の発願で、明治28年、銅町で鋳
造され建立された。昭和36年69世浄田和尚が解体修
理を行った。日本三燈籠の一つである。
胎内くぐり・釈迦ヶ峯
(現在、立ち入り禁止)
1. 胎内くぐり
金乗院の庭先を右に折れると、右側の欠けた傍立つ岩を
潜るように深い谷に架かるゆるい傾斜の梯子橋を腹ばい
になり渡る。これが胎内くぐりである。渡りきった所に
胎内堂。梯子でこの屋根に上ると、小さな窟に一尺七寸
の六地蔵が祀られている。
3. 座禅窟・釈迦堂
地蔵尊の傍から鉄鎖につかまって岩頭に出ると行者戻
し。さらに鉄鎖をつたって岩を降り地獄谷へ。慈覚大
師円仁が座禅を修したと伝わる座禅窟。
さらに地獄を思わせる岩壁を再び登ると、御丈四尺五
寸の釈迦牟尼仏を祀る釈迦堂(間口二間、奥行三間)。
釈迦堂を後に岩壁を登り下りし、準堤堂前に出る。
この御堂は、当山六十六世優田和尚が文久年間(186
1~63)に再建した。準堤観音を祀る。この堂と並ん
で六観音堂、血の池(婦女、血盆経をと投じて念ずると
その穢れやさわりが消滅すという池)を経て中性院へ至
る。