身近な戦争遺跡訪問シリーズですが、今回は名古屋市熱田区です。

私の行動範囲は名古屋中心部より北側が主ですが、今回は名古屋南部まで足を延ばしました。

***************************************************************

資料をお借りします。http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-1223.html

愛知時計電機では軍需工場として当時航空機が作られていました。

愛知時計電機本社工場/『名古屋市全図』昭和8年発行より

今の工場と同じ位置にあります。

作っていた航空機は、車輪を持たず水面に離着水する飛行艇や水上機、空母に離着艦する艦載機など、海軍に納品する航空機が中心。
真珠湾攻撃に参加した「九九式艦上爆撃機」、戦艦などに搭載して偵察時に発進する「零式水上偵察機」や航空母艦に搭載する「彗星」などを生産。

《熱田空襲》
愛知航空機(現・愛知機械工業)、住友金属工業名古屋工場、愛知時計電機本社工場では、従業員や学徒動員された生徒達、合計約2万2千名が就労。
昭和20年6月9日。午前8時24分、空襲警報発令
アメリカ軍130機が琵琶湖方面から大阪方面へ向かったため、午前8時45分、空襲警報を解除。
従業員・動員学徒達は工場へ戻り。ところが、40機余りが名古屋を急襲。
午前9時15分。再び空襲警報発令。午前9時18分。空襲第一波。
アメリカ軍B29爆撃機47機から1トン爆弾を含む総計278トンによる集中爆撃。
航空機生産工場「愛知時計電機」「愛知航空機」を第一目標とする爆撃でわずか10分の空襲で、地域住民併せて全体としては2千名余りの死者が出ました。

****************************************************************

・・・・だそうです。

今の愛知時計電機工場はこのあたりか?

近くのイオンモールに車を停め、歩きます。

隣の工場の塀沿いを歩く。当時の塀の可能性高し。

このうねり具合と鉄条網が時代を感じる。

ここを曲がると

散歩道 この先に爆撃跡が残されているはず

右の橋は旧橋脚が残っている

左側は現愛知時計電機か?

あれか

爆撃痕を移設してモニュメントがありました。

大きな弾痕多し

 

傍らには千羽鶴

学徒従事者で多数の犠牲が出た、現志学館高校の供養が続いているようです

 

傍らをトレーニング中の高校生が走り抜ける

 

ここです。

10分で2000人が亡くなった場所だけに、一部のみの遺構保存ですが存在価値は大きいと思います。できれば元のままの保存が望まれたが・・。

何事もなかったかのような、穏やかで、静かな夕刻でした。