私にとって最も身近に地域であるにも関わらず、現在の自衛隊高蔵寺駐屯地が兵器工場であったという認識が薄かったです。

地元の方から、「高座山の弾薬庫があるため、空襲に備えて高射砲陣地があった。」と聞いていたので、その意識が先行していました。

〇高蔵寺工廠について

調べてみると、実際には、現在の自衛隊高蔵寺駐屯地敷地内で、大砲や爆弾の弾丸にTNT火薬を入れる作業が行われていました。

***********資料より*************

高蔵寺工廠では数百人の作業員が働いていて、戦車砲や高射砲、りゅう弾砲などの弾丸に火薬を詰め、保管するのが任務でした。

名古屋補給廠の作業所で働いたことのある方の話によれば、弾薬を詰める作業は次のようです。火薬は粉末状のTNT火薬で、湿気を嫌うので、縦・横それぞれ30㎝、高さ1m位の亜鉛製の缶に入っていました。粉末状の火薬をスチーム管が通った箱に入れ、70℃位に熱すると溶けてドロドロになります。これを箱の下についている蛇口からバケツのような容器に入れ、砲弾の中に流し込みます。火薬は冷えて固まると収縮して中心部が空になるので、再び溶けた火薬を流し込んで一杯になるまで詰めます。火薬が詰まった砲弾は、頭部にドリルで信管の入る穴をあけ、蓋をして完成です。出来上がった砲弾は数本ずつ木箱に詰め、保管しておいて戦地に送られました。TNT火薬は安定性が良いので、作業中に爆発するような事故は無かったそうです。高蔵寺工廠には、23か所(終戦時には26か所)の弾薬保管施設がありました。弾薬保管施設は1か所が約200㎡の広さのコンクリート製で、上に厚さ3m以上の土が盛られた半地下式の構造になっていました。どの保管施設にも、材料の火薬や完成した砲弾が一杯に詰まっていたそうです。
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現在の航空自衛隊高蔵寺駐屯地
弾薬庫でありレーダー基地であった高座山山頂のレーダーは撤去されている。
旧高蔵寺工廠の門柱があったはずだが・・見当たらない。
最近まで建っていたように思うが。赤いコーンのあたりだったでしょうか。
他のHPの写真をお借りしました。
どうも、貴重な歴史的遺構という扱いは受けず、撤去されてしまったようです。
〇弾薬の運搬用引き込み線について
この写真は、現用のJR中央本線ですが、この数10m上流に弾薬運搬用引き込み線の鉄橋が残っています。
これが、線路跡の道と鉄橋。夏で葛に覆われ全体が見えないので、写真をお借りします。
農道に不釣り合いな鉄橋。これも戦争遺跡でしょう。ここを小型蒸気機関車C11が往復していたようです。
引き込み線跡のまっすぐな道。左側は自衛隊敷地。
分岐点は現在私有地となっているためか、入れませんでした。
他のHPから写真をお借りします。
高蔵寺駅から定光寺方面のカーブを曲がったあたりのここが、旧引き込み線分岐点でしょう。
このような「陸軍」の敷地を示す境界杭も探しましたが
夏の発見は無理でした
最も身近な地域で、以前目にしていた遺構がなくなっていました。(隣の床屋へ行った時には見慣れた門柱だったのですが・・・)やはり時の流れと地域による意識の違いを感じました。
この敷地には多くの民家や田畑があったところです。開戦直前に突然説明会が開かれ、対象地域の人には土地面積に応じ、定額で強制移転をさせられたようです。説明会の出口では承諾書に印を押さないと帰れなかったとのこと。抵抗したら非国民だったのですね。
また、危険なTNT火薬の装填を女性や学生に作業させる工廠ですから、地元の長老にとっては残された門柱もありがたい物ではなかったのかもしれません。
直接的な遺構を何一つ発見でしきない今回の報告でした。
広い自衛隊内の敷地では、今週末の一般公開大盆踊り大会の用意を、隊員らがしていたのが印象的です。
子どもが小さい時には、よく連れて行きました。
若い隊員9名ぐらいがヘルメットをかぶって机の穴から頭を交互に出し、子供たちがおもちゃのハンマーで叩く。リアルもぐらたたきのサービスをしていた事を思い出します。
高座山は住宅に隣接した巨大弾薬庫です。現在の使われ方は公開されていませんが、以前は爆発したら「町は全部吹き飛ぶ」と噂されました。私の家も含め・・。
この山は、松茸の豊富な所のようで、自衛隊は年一回旧地主に松茸狩りに開放すると長老が言っていました。
この写真に弾薬運搬のためのホームと工廠が映っています。山の地形から、どの場所だったか推定できます。ここから、世界中の最前線へ戦車砲、高射砲、りゅう弾砲の弾丸が送り込まれたことでしょう。
三式12cm高射砲
確か、20年ほど前までは、高蔵寺駐屯地の南側門横にF86Dが展示されていた記憶があります。
現在は、民間に払い下げられ、浜松の喫茶店横に放置されているとのこと。
物は消え去り、記憶も薄れる・・・・・
身近な遺構捜索、時間がある時続けましょう。