浅野祥雲師の作品を探すシリーズの続きです。

名古屋北東部に面している尾張旭市の退養寺へ、帰宅ルートをすこし変更して寄りました。思ったより近かった。

退養寺について資料によると*************

応安元年(1368年)、新居村領主水野良春が弟の報恩陽を定光寺から招聘し、開基。水野良春は応安七年(1374年)に没し、当寺に葬られる。その後いく度も火災に見舞われ、現在はコンクリート造りの本堂になっている。寺域内には水野良春の墓や、厄除弘法大師がある。

退養寺の東隣に建つ高さ10メートルほどの巨大な弘法大師像。愛宕大師とも。浅野祥雲作。昭和6年(1931年)に瀬戸電気鉄道が鉄道利用者の増加を狙って観光用に作ったもの。

愛知知県尾張旭市新居町寺田2956

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なるほど、浅野祥雲師による弘法大師像がつくられたことは、間違いないようです。

それにしても、瀬戸電が利用客増加の観光用に作ったというのが当時らしい。ショッピングモールや旨いもの横丁・・、といった発想は今の感覚なんですね。

大きな駐車場がありました。止めさせていただき。奥へ進む。

立派な門が見えます。

門を通らず右の案内に沿って奥へ進む。

案内が無ければ不安になりそうな、うっそうとした孟宗竹林脇を進む。

ひょっとしてあれかな。

おみえになりました。見晴らしのよい丘の上に巨大な弘法像。力作です。

よく手入れされています。

おひざ元には

細かな細工の像が。

祥雲作品特有の雰囲気や表情がなんとなくわかってきました。これをコンクリートで作るのは大変だったと思います。

滝まで表現するのが祥雲流ですね。

この顔の色は祥雲の意図とは異なるかな。

ちょっと色白すぎ?

牙が上下の方向に向いているのですね。

確かに、工匠 浅野祥雲 とあります。

昭和6年の字が読み取れます。

瀬戸、守山、春日井が望める小高い丘の上です。

地元の方々で丁寧に修復されていることがわかりました。

多様な作品を残した、浅野祥雲師ですが、少し作風が見えてきました。

あざやかなペンキに全体の印象を左右されてしまう面があります。しかし造形の難しいコンクリートにもかかわらず、細かな細工も見られました。幸い、私の生活範囲と作品分布の地域が近いので、時間がある時にさらに追ってみましょう。

本堂は火災により、これもコンクリート。こちらは、やや残念だがしょうがないか。

門は立派な物でした。曲面が絶妙で、高度なバランス感覚を感じます。美しい。