「ご趣味はなんですか?」

「仏像めぐりです。」

「ほう、それは高尚な御趣味で。お好きなのは飛鳥時代ですか。それとも奈良時代でしょうか?」

「いやいや、実は昭和初期のコンクリート製でペンキを塗ったやつで。。」

「はあァ?・・・・・そ、そ、そ、そうですか」

相手の困惑の顔が目に浮かぶ。へへへ。

でも、浅野祥雲、何かと話題になります。

もうすこし、浅野祥雲師の復習。

↓マツコニュースより借用http://matsukonews.com/1056

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マツコ・デラックスのレギュラー番組『マツコ&有吉の怒り新党』(2015/4/8)で放送された、
「新・3大 浅野祥雲作・コンクリート像の忘れられない表情」をまとめました。

浅野祥雲は、昭和初期〜50年代まで活躍したコンクリート造形師です。

東海地方の各地にコンクリート像を数多く残しています。

しかし浅野祥雲の作品は多くの人の目に触れているのにも関わらず、生前は美術界から評価されていませんでした。

浅野祥雲自身も平成に入って一部マニアに興味を持たれるまでは、全く無名の存在。

浅野祥雲が残したコンクリート像は何とも味のある表情をしていると評されます。

東海地方には、巨大な人形が並ぶスポットが多いです。

そしてその中の多くは、浅野祥雲がたった1人で造ったもの。

浅野祥雲は若い頃、出身地の岐阜で土人形という民芸品を制作していました。

その後33歳で名古屋へ移住。

もっと自由に大きな人形も造りたかった浅野祥雲は、当時最先端だったコンクリート素材に注目しました。

鉄筋を組み、コンクリートで肉付けした像を制作。

頑丈で雨風に耐えるコンクリートなら後々まで残る作品が造れるということで、浅野祥雲は54年間コンクリ一筋でした。

様々な依頼に答え、巨大コンクリ像を数多く制作。研究家大竹敏之の調査では、浅野祥雲の作品は東海地方を中心に758体あるとのこと。

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B級作家の扱いしか受けない。所詮コンクリート。歴史がない。破損が進んでいる・・。と言われながらも味があるでしょう。

仏像愛好家ではありませんが、私はこの表情が好きです。

さあ、フィールドワーク。地元春日井からスタートです。本当にB級かこの目で確かめましょう。

勝川商店街にある大弘法入口

商店街がなぜかシュールです。

路地裏からとつぜん、大きな像が現れる。高校時代いつもと違う道を何気なく通った自転車通学時、これを発見した時は驚きました。

昔は苔むしていたが、最近はよく手入れされているようです。

裏に回り、製作者の銘を確認する。

昭和3年に山口悦太郎さんが中心となり弘法様を建立されたようです。

開眼式には国鉄中央本線勝川駅に臨時停車の列車まで増発され、にぎわったとのこと。

ところが、ところが

「雲岳作」とある。

「え、祥雲作ではないの?」

脇の像は作者名なし。造りは浅野祥雲師そっくりなんですけど。

このペンキの手入れがシュール感を増しています。

龍吐水までコンクリート製

パンフレットを見ましたが、浅野祥雲との関連性は記載されていませんでした。

やや、肩透かしだったので、近くの骨董屋を覗く。

普通の骨董屋だが

こんな物や

こんな物がある。

「ご主人、尺八はないですか」

「ああ、一本あったよねえ、あんた」(奥様)

ちゃんとした尺八が出てきました。竹材よし。造りも姿も悪くない。

吹いてみたら結構まともでした。音程も悪くない。

ただ、一尺九寸管です。2万円だそうなので、9寸が欲しい人には悪くないかもしれません。

勝川本通り、民芸「ヤマムラ」さんでした。

次の心当たりへ行きます。

もう一軒、小学生のころから見覚えのあるコンクリート像があります。

小野道風由来の地、道風公園です。春日井市松河戸の観音寺。座長と愛犬「龍之介」の散歩エリア内ですね。

これこれ、この剥げかけの像は浅野祥雲師作のはず。

琵琶を膝に抱える、表情は観音様というより身近なおば様風ですな。

楽器好きとしては琵琶のさおのヒビが気になる。

 

後ろ姿も観音様というよりも親近感がある。で、作者は?

え。またしても雲岳作。浅野祥雲ではなかった。

隣の小野道風像。これも雲岳作でした。この表情おだやかでよいですね。

左下は補修跡がありますが、ペンキ仕上げでない所がよいです。

またしても、勝川の山口悦太郎さんが寄付されたものでした。昭和4年ですから、勝川の大弘法像の翌年ですね。

小学生のころの記憶で、柳に飛び移ろうとするカエル像もあったはずです。

まだありました。発見。

作者不明

昭和31年 春日井市児童・・という字が見えます。台座設置の年号と思われます。

上には柳が。小野道風伝説を再現していますね。

今日は、浅野祥雲作の像には会えずじまいになりそうです。このままでは報告にならないので、

確実に浅野祥雲作とされている、近くの春日井駅横の像に行きましょう。

以前飲み会後、上司に連れられて入ったラーメン屋の横に大きな弘法像があったのを覚えています。

春日井駅北東近く。あったあった。

なにか凛々しさを感じます。

これが浅野祥雲師作の像なんですね。やっと巡り合えた。よく整備されています。色の選択も吟味されている。

左足元の像。

製作者銘はない。が、浅野祥雲師にまちがいないそうです。

右下の像

由来が書いてありました。製作者については記されていません。

すぐ横にラーメン屋も残っていた。正統派ラーメンでうまかった覚えです。こちらの報告は後日。

浅野祥雲と雲岳の関係は謎のままです。

もう少し多くの作品を比較してみないと、同一人物かどうかもわかりません。

今日の現場では、銘の記載があったのは、雲岳。祥雲とされる作品は銘はみつかりませんでした。

 

なぜ突然コンクリート像を?と思われた方もみえますか。一般にB級と言われる物や、個人が意図を持って格闘して作ったものが好きなんですね。結構、現場での物探しはおもしろいものです。

今回は私の子供の頃の記憶で動きましたが、浅野祥雲師の作品群は愛知県に多くあるとのこと。

五色園、桃太郎神社、知多半島の寺、近くに行った時報告します。