本日8月6日。広島市で平和記念式典が執り行われました。コロナ禍でありますので、例年よりも参加者を絞っての慰霊となりました。

板橋区は平和記念の旅として毎年、区内中学生の代表団が式典に出席してきました。語り部の話や平和記念館で見聞し、平和について考える良い機会となっていましたが、今年は残念ながら中止です。

中央図書館で借りた「米軍が記録した日本空襲」によると、昭和19年と昭和20年の都市部への空襲について、写真と共に日時も克明に記されていました。

板橋についても昭和19年12月27日、昭和20年4月2日、4月7日、4月12日、7月8日、7月10日、7月28日、8月3日、8月8日、8月10日、早朝から15時頃までの間に近隣の市区と合わせて爆撃を受けています(他にも空爆を受けています。)。

板橋区内の記録によると、4月13日、6月10日の空襲では、壊滅的な被害を受けたとされています。6月10日の死者数は269名。

広島長崎に落とされた原爆は戦争の悲惨さを強烈に伝えますが、数日おきに、そして時に大規模な空襲が行われ、たくさんの市民、子どもが命を落とし続けたのでした。

【総務省HP】板橋区における戦災の状況https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_17.html
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板橋区は先の大戦において、昭和19年から20年にかけて板橋、志村及び上板橋地域にて激しい空襲を受けるなど、多くの方々が被害に遭われました。

二度とこのような戦争による惨禍を繰り返さないため、板橋区では、昭和60年1月1日に板橋区平和都市宣言をいたしました。

世界の恒久平和を実現することは人類共通の願いであるしかるに現実は核軍拡競争が激化の様相を示し人類の滅亡さえ危惧されるところであるわれわれは 世界で唯一の核被爆国民としてまた 日本国憲法の精神からも再び広島長崎の惨禍を絶対繰り返してはならないことを強く全世界の人々に訴え世界平和実現のために積極的な役割を果たさなければならない板橋区及び板橋区民は憲法に高く掲げられた恒久平和主義の理念に基づき緑豊かな文化的なまちづくりをめざすとともに非核三原則を堅持し核兵器の廃絶を全世界に訴え平和都市となることを宣言する。

昭和60年1月1日

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/kusei/seisakukeiei/sengen/1007075.html


今月は、不要不急の外出を避けながら、読書をして過ごしたいと思います。平和を守るため、仕事をして参ります。