日本書紀は初代神武天皇が大和の橿原宮で即位した年を神武天皇元年一月一日辛酉年と記しています。
辛酉年春正月庚辰朔(ついたち)、天皇卽帝位於橿原宮。是歳爲天皇元年。
日本書紀の編年に従って第四十一代持統天皇の年号からの逆算で初代神武天皇即位の年を割り出して西暦・太陽暦に換算すると西暦紀元前660年の2月11日となります。
明治政府は2月11日を紀元節と定めて祝日としました。大日本帝国が崩壊して紀元節は戦後一旦廃止されましたが、昭和41年(1966年)に建国記念の日として復活しました。
もちろん紀元前660年という数字は史実ではありません。古代の中国の史書には神武天皇について記したものはなく、又神武天皇の時代にはまだ辛酉などの干支は使用されていなかったので(つまり日本書紀に記された辛酉年は創作)、日本書紀の編纂者には神武天皇元年がいつのことなのか正確な年代を特定することが出来なかったのでしょう。
古代中国のオカルト思想である讖緯説(しんいせつ)によると六十ある干支の中でも辛酉の年は革命が起こる特別な年とされ、日本でも平安時代以降(戦国期を除いて)一世一元の制が始まる明治までは60年ごとの辛酉の年には改元が行われていました。
辛酉(しんゆう/かのととり)の年
西暦 元号 出来事
2041 令和23年
1981 昭和56年 ロス疑惑。巨人江川セMVP
1921 大正10年 原敬首相暗殺
1861 文久元年 和宮親子内親王が江戸下向
1801 享和元年 得撫島に標柱建立
1741 寛保元年 天英院死去
1681 天和元年 酒井忠清死去
1621 元和7年 柳生宗矩が家光兵術指南に
1561 永禄4年 山本勘助戦死
1501 文亀元年 後柏原天皇の即位式が延期
1441 嘉吉元年 六代将軍足利義教暗殺
1381 南朝 弘和元年『新葉和歌集』成立
· 北朝 永徳元年 足利義満が内大臣となる
1321 元亨元年 後醍醐天皇の親政開始
1261 弘長元年 北条重時死去
1201 建仁元年 城長茂の乱
1141 永治元年 近衛天皇即位
1081 永保元年 源義家ら武士が天皇を警護
1021 治安元年 藤原道長六女の嬉子入内
· 961 応和元年 村上天皇が新造内裏へ遷る
· 901 延喜元年 菅原道真が大宰府に左遷
· 841 承和8年 渤海使、来日
· 781 天応元年 桓武天皇即位
· 721 養老5年 元明上皇崩御
· 661 斉明天皇7年 斉明天皇崩御
· 601 推古天皇9年 斑鳩宮建立
· 541
· 481
· 421
· 361
· 301
· 241
· 181
· 121
· 61
· 1
紀元前60
紀元前120
紀元前180
紀元前240
紀元前300
紀元前360
紀元前420
紀元前480
紀元前540
紀元前600
紀元前660 神武天皇元年 日本建国
讖緯説によると60年を一元とし、二十一元(60×21=1260)を一蔀(ぼう)とする数え方があって、一蔀(1260年)ごとに巡ってくる辛酉の年はさらなる国家的な大変革が起こる年とされています。
日本書紀の編纂を行った飛鳥時代の文官たちは、推古天皇9年が辛酉の年であることに着目し、そこから一蔀(1260年)遡った辛酉の年(即ち西暦紀元前660年)を一蔀周期の首の年とみなして神武天皇元年と定めた、というのが神武紀元設定の有力な説です。
(斉明天皇7年の辛酉を起点に一蔀を1320年とする説もあります)
現代人からすれば神武紀元は出鱈目な数字としか思えないですし、古代人にとっても神武紀元は観念的な数字として認識していたのではないかと思います。
左翼学者は初代神武天皇から第九代開化天皇までを架空の天皇にして日本の歴史を短くしようとしていますが、紀元前660年などと不必要に日本の歴史を長くするのも問題です。真正の保守は神武天皇の実在を100パーセント信じていますので皇紀などというカルト年法は使用しません。