【1】待っていた最強の敵

 キリストの霊を過去の時代に送り届けた秀二と空海が時の回廊から亜空間ゲートに戻り、弥勒菩薩一行は再び閻浮提(えんぶだい)への下向を開始しました。前方に何者かの気配を感じた秀二が前に進み出ようとした時、弥勒菩薩が静かに「秀二待ちなさい。小龍前へ。」と言いました。秀二は中軍に後退し小龍が前衛に進み出ました。小龍は前方の気配に「何者だ、弥勒菩薩様の下向を邪魔立てするとは。」と尋ねました。前方に立ち塞がった影は「久しぶりだな小龍。弥勒菩薩様一行の下向を邪魔立てする気はないが……。小龍お前には用がある。」と言いました。「やはりお前か、ポセイドン、何故お前がここにいる?」と小龍。「知れたこと。お前と決着をつけるためだ。」とポセイドン。「おいらと決着をつける為だけに永劫に近い時を閻浮提で待っていたというのか。」と呆れる小龍。「なんとでもほざけ!お前と決着をつけないことには儂の気持ちが治まらん。今日こそ決着をつけて貴様をぎたんぎたんに叩きのめしてやる。覚悟をするが良い。」とポセイドン。「いいだろう、返り討ちにしてお前の妄執(もうしゅう)をここで断ち切ってやる。そちらこそ覚悟をするが良い。」と言って小龍は弥勒菩薩を振り返りました。秀二に交代を命じた時、既にこうなることを察知していたのでしょう、弥勒菩薩は頷きました。ポセイドンは三叉(さんさ)の戟(げき)を構え、小龍も双竜剣を抜き放ちました。

【2】手出し無用

 ポセイドンは三叉の戟を構えながら「そこの二人、空海に秀二、手出しは無用ぞ!」と叫びました。「分かった。」という空海と秀二。小龍とポセイドンの激しい戦いが始まりました。二人の戦いを見つめながら「あいつなんで私の名前を知っているんだろう。」と秀二は首を捻りました。「秀二があいつの頭に石をぶっつけたのを根に持って秀二の事を調べたんだろうな。」と空海。「私はあいつに石なぞぶつけたことはないが?」と秀二。「あいつが初めて我々の前に現れ、東支那海で小龍と戦いを繰り広げた時、奴は小龍を圧倒していた。そして小龍が追い詰められ、もはやこれまでと死を覚悟して相打ちに持ち込もうとした瞬間、日の本の方から石がすごい勢いで飛んできてあいつのおつむに当たったんだよ。それであいつは気を失って海の底に沈んで行った。あれは秀二の仕業(しわざ)だろう?」と空海は言いました。秀二は観音様と石投げをしていた時のことを思い出しました。いつも投げた石は鍋蓋山に帰って来ていましたが、最後に投げた石は四国を通り越し東支那海に飛んで行き帰って来ませんでした。「なるほどあの石はポセイドンの頭に当たったのか。それにしてもポセイドンとやらはどうして私のことを知っているのだろう?」と秀二は不思議に思いました。すると弥勒菩薩が「閻魔庁や冥界には亡者の罪を調べるために真実照魔境という過去の事実を調べるための鏡があるそうです。ポセイドンの兄は冥界の王ハーデスですし、閻魔庁でも真実照魔境が一個無くなったと聞いたことが有ります。何らかの形であのポセイドンが真実照魔境を手に入れて秀二の事を調べたのでしょう。」と言いました。「そうなんですか。黒龍殿の腕前が上がっていたのも、ユダ殿が私の今の名前を知っていたのもポセイドンがそれを使って調べたのかもしれませんね。……ところで空海はあいつに何をしたんだい?」と秀二は尋ねました。「うむ、唐から日の本に帰る遣唐船の前にあいつがまた現れて再び小龍との戦いに成ったのだが、今度は力が互角でいつまでも決着がつかず二人の戦いで引き起こされた大波によって遣唐船が壊れそうになった。そこで俺がポセイドンに臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前の九字の秘法を浴びせてやったんだ。その結果、奴は一瞬体から力が萎(な)え小龍に昏倒(こんとう)の秘孔を突かれてまた海に沈んで行ったという訳さ。まあ、今回は今のところ手出しをする気はないから決着が付くまでやればよいがね。」と空海は答えました。

【3】オリハルコンの命の鎧

 「それにしても奴さん、今日はずいぶん綺麗な鎧(よろい)を付けてますね。」と早良が弥勒菩薩に言いました。早良は幽霊の頃空海達と一緒に遣唐船に乗っていましたので最初にポセイドンが現れた時の姿を見ています。その時はポセイドンは鎧は付けていませんでした。言われて弥勒菩薩はポセイドンを凝視して「あれは……、オリハルコンの命の鎧。まさかポセイドンが秘匿(ひとく)していたとは……。」と呻(うめ)くように言いました。「何か懸念が有るのですか。一体何が問題なんです?」と秀二は尋ねました。「秀二はムー大陸のことを知っていますね。」と弥勒菩薩。「はい。叔母の倭姫(やまとひめ)から聞いた範囲でしたら。」と秀二。「秀二の知る建御雷(たけみかずち)博士より遡(さかのぼ)ること一千年前、天照(あまてらす)王朝の初期の時代、ムー大陸に一人の天才科学使者が生まれました。その名も天の御中主(あめのみなかぬし)博士。彼は専制主義を強めつつあった天照王朝に嫌気がさし、当時勃興(ぼっこう)しつつあった西方の国、アトランティス共和国に亡命しました。そしてそこで彼は様々なものを発明しアトランティス共和国を繫栄に導きます。別(わ)けてもその最高傑作と言われるのがあのオリハルコンの命の鎧です。しかしその後ムー大陸同様、アトランティス大陸も海底に没し、それは失われたと思われていたのですが……。どうやら密かにポセイドンが探し出し持っていたのですね。」と弥勒菩薩は言いました。「そのオリハルコンの命の鎧とはどういうものなんですか?」と空海。「あの鎧は着ている者に無限のエネルギーを与えるのです。」と弥勒菩薩。「ということは戦いが長びいて小龍が疲れて来てもポセイドンはいくらでも戦い続けられるということですか。」と秀二は眉を顰(ひそ)めました。「そうなりますね。」と弥勒菩薩は暗い顔で頷きました。

【4】揺らぐ命の鎧

 「そのオリハルコンの命の鎧を打ち破る方法は無いのですか?」と空海が弥勒菩薩に尋ねました。弥勒菩薩は「いかんせん、消失したと聞いていましたから誰もその弱点なぞ知らないのです。」と沈痛な表情で答えました。しばらく考えて「こうなりゃ仕方がない。私と秀二が参戦して彼奴(きゃつ)をタコ殴りにして叩きのめし、鎧を引っぺがしましょう。」と空海は言いました。。「駄目ですよ。そんな信義に反することは。」と弥勒菩薩。「しかしこのままじゃあ小龍が圧倒的に不利じゃないですか!」と空海。二人が言い争っていると秀二が、「あっ、また揺らいだ。」と言いました。「秀二、何が揺らいだのですか?」と弥勒菩薩。「あの鎧、時々揺らぐのです、何故かは分かりませんが……。」と秀二。「そういうことですか。」と三人のやり取りを聞いていた博識通の持ち主、菅原道真が言いました。「道真何か知っているのか?」と空海。「紀元三万七千五百七十二年、古代エトルリア神殿の跡地から一つの石板が発見されました。しかし、誰もそこに掛かれている内容を解読できませんでした。私も読むことは出来ましたがその意味は分かりませんでした。今秀二殿があの鎧が時々揺らぐとおっしゃたのでようやくその意味する所が分かりました。」と道真は答えました。「どんな内容だったんだい?」と空海は尋ねました。

 菅原道真は石板に書かれていた内容を皆に説明しました。「嘗て我この地を訪れし時、異邦の人我に不思議な話を語る。『東方の賢人天の御中主、オリハルコンより奇跡の鎧を紡ぐ。その鎧七つの結節点を持ち、七つを持って一つとなす。この鎧着せし物は無限の力を得る。しかしして七つの点、同時に揺らぎし時その鎧滅尽するなり。』と。奇怪なる話ゆえ、念のためここに記す、ホメーロス。」と。語り終えた道真は「この古代エトルリア語で書かれた石板はあの鎧のことを指していたのでしょう。内容から推察するに恐らくその異邦人は生き残ったアトランティス人の子孫だったと思われます。旅の気安さからホメーロスにそのような話をしたのではないでしょうか。」と言いました。

 「フーム、そうするとオリハルコンの命の鎧は七つの結節点を持つ一つの高分子ポリマーで出来ていて、七つの結節点を同時に突かなければ壊れないということか、厄介だな。」と空海。「大丈夫そうだよ、空海。小龍も気付いているようだ。今七つの結節点を探しているみたいだぜ。あいつの勘の鋭さには我々も到底かなわないからな、言われなくてもあの鎧の弱点を感じたんだろう。」と秀二。

【5】砕け散る命の鎧

 「しかし仮に七つの結節点が分かったとして、同時に突けるものでしょうか?」と道真は心配そうに言いました。「それは大丈夫だろう。嘗て俺は高老荘で小龍が六つの秘孔を同時に突くのを見たことが有る。その時より小龍の力量は遥かに上達している。だから七つの結節点を同時に突くことなぞ、今の小龍にとっては容易(たやす)いことだろう。」と空海は言いました。小龍とポセイドンの戦いを見守っていた秀二が「七つ目だ。」と呟きました。ポセイドンは命の鎧に弱点があることは知りませんでしたが、何か自分に迫ってくる脅威を本能的に感じたのでしょう。その脅威を撥ね退けるようにポセイドンの攻撃が激しさを増してきました。その攻撃を南斗鳳凰剣で受け流す小龍。その激しさ故かポセイドンの攻撃に僅かな乱れが生じました。小龍の南斗鳳凰剣に体勢を崩すポセイドン。小龍の北斗七星剣が煌(きら)めきます。そしてポセイドンの命の鎧の七つの結節点が揺らいだと思った瞬間、命の鎧は砕け散りました。

【6】七色の霞

 命の鎧が砕け散ってもポセイドンは怯(ひる)むことなく闘い続けました。だがその力は目に見えて衰えて来ました。「勝負あったな。」と空海が呟いた時信じられない言葉がその耳に飛び込んできました。秀二と弥勒菩薩がほぼ同時に「殺れ!小龍。」「殺りなさい!小龍。」と叫んだのです。まさかあの温厚な秀二が、まさかあの慈悲深い弥勒菩薩様がと皆が思った時、小龍は二人の言葉に呼応するかのようにポセイドンの三叉の戟を跳ね上げ「さらばだ!好敵手(とも)よ……。」というと静かにポセイドンの絶命の秘孔を突きました。ポセイドンは「見事成り、我が好敵手(とも)よ。」と微笑みながら言うと七色の霞(かすみ)となって消えて行きました。小龍が弥勒菩薩の前に戻ると空海を始め皆が非難がましい目で三人を見つめていました。「どうしたのですか?皆目つきが険しいですよ。」と弥勒菩薩。「何も殺らなくても……。」と心優しい早良が呟きました。頷く面々。「あなた方は小龍がポセイドンを殺してしまったと思っているのですね。それは違いますよ。」と弥勒菩薩。疑惑の眼差しで弥勒菩薩を見つめる空海達。弥勒菩薩は「はぁ……秀二説明してやって下さい。」と溜息をつきながら言いました。「空海、ポセイドンはあそこには居なかったんだ。」と秀二。何を言っているんだと不信の目で見つめる面々。しばらく考えて空海は「ではあれは怨霊(おんりょう)だったとでも?」と尋ねました。怨霊の禍々(まがまが)しさは微塵も感じなかった、あれが怨霊のはずがないと思いながら。秀二は首を振り「怨霊ではない。あれは生霊(いきりょう)だ。」と秀二。「生霊!」絶句する空海。「恐らくポセイドンは遥かな昔に亡くなりどこかに転生したのさ。しかし小龍と決着を付けたいという強い思いはそのまま残り生霊となって彼が秘匿していたあの鎧に乗り移ったのだろう。鎧を砕いてもその思いは消えない。本当に負けたとポセイドンに悟らせる必要が有った。だから小龍はその思いを断ち切るため絶命の秘孔を突いた。そして自分が負けたと心から確信したポセイドンの霊は霞となって消え去り元の体に戻って行ったという訳だ。」と秀二は言いました。空海は納得しました。恐らく弥勒菩薩は最初から、秀二は鎧が砕けた瞬間、小龍は二人の言葉を聞いた時それを悟ったのでしょう。「我、未だ未熟。」空海は自らを戒めるように小さく呟きました。

 

㊟もうすぐお盆ですが、一人暮らしですのでいろいろ準備しなければなりません。次回は最終章となりますが八月の終わりごろの投稿になると思います。