イエスキリスト(カトリック鈴蘭台教会にて)

【1】秀二の前世の思い出

 十二使徒達が塵となって消え去った後、再び閻浮提(えんぶだい)への下向を開始した弥勒菩薩一行、その彼等の前に一人の男が現れました。秀二はその男を知っていました。「あなたはユダ殿!どうしてあなたがここに?」と秀二は驚いて尋ねました。「お久しぶりです、倭建(やまとたける)殿、いえ今は秀二殿と仰られましたね。」とその男ユダは答えました。「秀二、知り合いかい?」と尋ねる小龍。「私が倭建だった頃、命を救って下さったお方だよ。」と秀二は小龍の問いに答えました。「それはどういう話なんだい?」と小龍。秀二は前世にユダと出会った時のことを皆に話しました。

 景行天皇の命により、九州の熊曾建(くまそたける)を征伐した倭建は更に出雲へ進み、出雲建(いずもたける)を討伐し大和に帰還します。しかし倭建の死を願う非情の父、景行天皇は倭建に休む間もなく東国討伐を命じます。最愛の妻、弟橘比売(おとたちばなひめ)と共に東国討伐に向かう倭建。駿河(するが)の国、焼津(やいず)の地では国造(くにのみやっこ)が倭建を欺(あざむ)き草原に連れ出して火を放ち焼き殺そうとします。倭建は東国討伐に出発するおり叔母の倭姫(やまとひめ)から渡された草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)で周囲の草を薙ぎ払い、火打石(ひうちいし)で火を熾(おこ)し、向かい火を放って危難を逃れ、駿河の国造を滅ぼしました。しかしその地より奥州に向かう一行の前に荒れ狂う相模の海が立ちはだかります。その荒れ狂う相模の海を鎮(しず)める為、自ら生贄(いけにえ)となって海に飛び込み犠牲となる弟橘比売。その最愛の妻、弟橘比売を失った悲しみに自暴自棄(じぼうじき)となった倭建は辿り着いた奥州(おうしゅう)の地で切り死にすべく大勢の奥州兵の中に飛び込んで行きました。しかしその時一人の異邦人が現れ、持っていた鉄杖で倭建の剣を撥(は)ね返しました。幾度も幾度も切りかかる倭建の剣を撥ね返したその男は、疲れ果てて地面にへたり込んだ倭建に「大和に帰られよ!倭建殿。ここはそなたが死すべき場所ではない。」と諭(さと)しました。「あなたはどなたですか?」と尋ねる倭建にその異邦人は「私はイスカリオテのユダ。キリストに許しを乞うため彷徨(さまよ)うイスラエル人(びと)。」と答えました。こうして倭建は大和への帰路につきましたが、途中伊吹山の神の怒りに触れ命を落とします。そして倭建の魂は八尋白千鳥(やひろしろちどり)となって天に帰って行きました。

倭建が国造に欺かれ焼き殺されようとした地を古事記原文では相模の国としていますが焼津という地名から駿河の国に修正しています。

【2】ユダの思い出

 「ふーん、そんなことが有ったんだ。ところでユダさんはイスラエルの人と言ってたけど、どうして奥州にいたんだい。」と小龍は尋ねました。ユダは「そうですね。私は皆さんにお願いが有ってここに来たわけですが、その前に事情をすべて話しておく必要が有りますね。」と言って経緯(いきさつ)を話しました。

 イスカリオテのユダはイエスキリストに仕える十二人の弟子の一人でした。しかしキリストの思いとユダの思いには大きな違いが有りました。キリストの思いはこの地、イスラエルに神の教えを広めることでしたが、ユダの望みはキリストがイスラエルの王となりこの地上に楽園を築いてくれることでした。その為ユダはパリサイ人に銀貨三十枚でキリストを売り渡したのです。パリサイ人がキリストを迫害すれば、キリストが怒りその聖なる力でパリサイ人やローマ人を打ち滅ぼし王となるだろうとユダは考えました。しかしパリサイ人に捕らえられたキリストは十字架にかけられ死んでしまいます。キリストが死ぬとは思っていなかったユダはキリストの死に驚愕し自殺を図りました。しかし神の怒りに触れたユダは死ねませんでした。こうしてユダは主イエスキリストを銀貨三十枚で売り渡した男、永遠に許されざる者として彷徨えるイスラエル人となったのです。ユダは風の噂で日の本の奥州、陸奥(むつ)の国三戸郡(さんのへぐん)にキリストが現れたことを知り、キリストに許しを乞う為に奥州にやって来ました。しかしユダが奥州に着いた時にはキリストは既に立ち去った後でした。失意のユダが傷心の心を抱いて奥州を立ち去ろうとした時、奥州の人々が「大和の荒ぶる魂、倭建が奥州にやって来る。」と噂をし恐れ慄(おのの)くのを耳にしました。そしてユダは戦場に行き倭建に会いました。ユダが目にした倭建のその目は深い絶望と狂気に満ちていました。倭建を哀れに思ったユダは倭建を遮り、その狂気の治まるのを待って大和に帰るように諭したのです。

【3】ユダの願い

 「そうやったんか。それでユダさんはそれからキリストさんには会えたのかい?」と小龍は尋ねました。静かに首を振るイスカリオテのユダ。「そうか、気の毒に……。ところで我々の前に現れた十二使徒が然(さ)るお方に仕えていたと言ってたけど、それはユダさんの事かい?」と小龍は尋ねました。ユダは首を振って「いいえ彼等が仕えていた然るお方は私ではありません。私もその方のもとにしばらく滞在していました。前世は倭建だった方が今は秀二殿と名乗っていることもその方から聞きました。ただその方に仕えていた彼等に名前を与え、十二使徒と名付けたのは私です。そして彼等が仕えていたその方はもうすぐあなた方の前に姿を現すでしょう。」と答えました。「ところでユダ殿は私達に願いがあると仰られましたが、それはどういうものなのでしょうか?」と弥勒菩薩が尋ねました。「その然るお方から頼まれたのです。秀二殿と対戦して一矢報いて欲しいと。そしてそれは私の願いでもあります。」とユダは笑って答えました。「どうしますか?秀二。」と弥勒菩薩。「それがユダ殿の望みとあらばお相手いたしましょう。」と秀二は静かに答えました。

【4】ユダ対秀二

 「じゃあ、おいらが審判をやるね。」と小龍が言いました。ユダは秀二と向き合うと一本の棒を取り出しました。秀二も如意棒を取り出し構えました。「始め!」という小龍の声に激しい打ち合いが始まりました。何十合と両者の打ち合いが続きます。「まるで空海さんと秀二さんの稽古のようですね。ほとんど互角じゃないですか?」と早良は空海に言いました。「まあ、確かに秀二が力を抑えてるからな。技だけなら互角と言ってもいいだろう。」と空海。「えっ!秀二さん手加減しているんですか?」と早良はびっくりして尋ねました。「秀二はいつだって手加減している。俺や、小龍と稽古をするときも、お前達と稽古をするときも。秀二が手加減なしで稽古をするのは悟空さんと稽古をするときだけだ。」と空海は答えました。秀二や孫悟空の武器である如意棒は持つ者の力量に応じて重さが変わります。最初は軽かった秀二の如意棒でしたが、秀二の力量が孫悟空に肉薄するにつれて同等の重さとなり更に二人の力量がお互いに鍛え合ってより高くなるにつれてその質量は他の人々の扱える範囲を大きく超えていたのです。当然ながら秀二や孫悟空が如意棒で力の限り打ち込んでくれば他の武器では防ぎ切れません。ですから秀二にしろ孫悟空にしろ他の者と稽古をするときは力を抑えているのです。ユダと秀二の激しい打ち合いはその後も続きましたが、少しずつユダに疲れが見えて来ました。そして一瞬の遅れでユダの棒が弾かれました。そしてそのまま秀二の如意棒がユダの胴の手前でぴたりと止まりました。「この勝負、秀二の勝ち。」と小龍が宣言しました。

【5】死を望むユダ

 「いや流石にもう昔日の秀二さんでは有りませんね。完敗です。」とユダは言いました。「いやいや、勝敗は時の運とも言います。ユダさんの力量なかなかのものでした。」と秀二は答えました。「有り難う、秀二さん。そんな秀二さんにお願いが有ります。」ユダは笑顔で言いました。「何でしょう?」と尋ねる秀二。「その如意棒で私を打ち殺して下さい。」とユダは言いました。「……そんなこと出来ませんよ」秀二は下を向いて呟くように言いました。「お願いです、秀二さん。このままでは私は時の果てる迄死ぬことは出来ないのです。永遠に許されざる者として虚空を彷徨い続けなければならないのです。」とユダは手を突いて秀二に頼みました。秀二は困って弥勒菩薩にどうすればよいか尋ねるように振り返りました。「ユダ殿、秀二は邪悪な存在なら消し去ることは出来ますが、貴方のような悪意のない存在を消滅させることは出来ません。」と弥勒菩薩は言いました。「弥勒菩薩様、太陽が消滅しようとしている今、もはや私が主イエスキリストに合い、許されることは無いのです。憐れと思い私を転生の道へと旅立たせてください。」と涙を流しながらユダは言いました。

【6】ゴルゴダの丘

 弥勒菩薩はしばらく考えていましたが決心がついたのか空海と秀二を呼びました。「幸いここは閻浮提に近いところです。我が法力により時の回廊を開きます。二人はそこを通りキリストの霊をここにお連れして下さい。」と弥勒菩薩は言いました。

 西暦三十年、ここはゴルゴダの丘。三人の人間が十字架にかけられています。二人の囚人とイエスキリストでした。ローマ総督ピラトは暗い面持ちでキリストの最期を見守りながら前日の夜のことを思い出していました。パリサイ人の司祭に煽動(せんどう)された民衆がイエスキリストを縛り上げ総督府に連れて来ました。そして彼等はイエスを死刑にするように要求しました。ピラトは民衆に「この人に罪はない。それでもあなた方は彼の死を望むのか!」と怒鳴るように言いました。パリサイ人の司祭に操られた民衆は叫びます。「キリストに死を!キリストを十字架に掛けよ!」ピラトは「今日は過ぎ越しの祭りの日、囚人が一人許される日だ。ここにいる殺人を犯したバラバとイエスキリストのどちらを許すべきか?私はイエスを許す。」と言いました。民衆は答えました。「バラバを、バラバを許そう!キリストに死を!」こうして今日キリストは十字架の上で苦しい死を迎えました。検視の役人がキリストの死を確認しようと十字架に近づいたその時、虚空から二筋の光がキリストを照らし出しました。その光は金光童子秀二と白光童子空海の放つ光でしたが、二人の姿は光に包まれ民衆には見えませんでした。しかし民衆はその二筋の光に誘(いざな)われるようにキリストの霊が天に昇って行くのを目の当たりにしました。二人の法力の影響を受け霊体のキリストも光り輝いていたからです。そして光が消えキリストの霊が天の彼方に消えて行くと同時にゴルゴダの丘は嵐に包まれました。神の怒り!!!誰しもがそう思いました。ゴルゴダの丘に集まっていた民衆は恐れ慄(おのの)きました。彼等はイエスが息を引き取るまで嘲笑し罵倒していたのです。この嵐は本当は自然現象でした。秀二の持つ如意棒は途方もない質量を持つものでしたが、それを操る秀二は当然ながらそれよりはるかに重い質量を持つ存在でした。そしてそれは秀二ほどではないにしろ空海にも言えることでした。もちろん通常はそれに対応する浮力を身に付けていますのでその重さは分からないのですが。大質量体の二人が時空を超えて突然現在の空間に現れたことにより一時的にゴルゴダの丘周辺の重力が増大し、そこに高気圧が発生しました。そして二人が時の回廊に戻ったことにより一瞬にして低気圧が発生し嵐となったのです。勿論秀二も空海もそんなことは知る由もありませんでしたが……。ゴルゴダの丘に集まった民衆はその日、眠れぬ夜を過ごしました。

【7】キリストとユダ

 時の回廊を通り五十六億七千万年の未来に向かう秀二と空海にイエスキリストは「あなた方は神の使いですか?」と尋ねました。空海が答えます。「いいえ私達は弥勒菩薩に仕える者達です。」「弥勒菩薩……。」キリストは戸惑いました。「私はどこのいくのでしょう?」とキリスト。「五十六億七千万年後の亜空間ゲートです。」と秀二。キリストは諦めました。二人の言ってることは自分には到底理解出来ないと判断したからです。やがてキリストの霊を伴った二人は弥勒菩薩のもとに帰り着きました。弥勒菩薩は「キリスト殿、御足労をおかけして申し訳ありません。私は弥勒菩薩と申します。実は貴方に有って頂きたい人物がいます。」と言って傍らに頭(こうべ)を垂れている人を指し示しました。その人物が顔を上げキリストに向き直った時キリストは驚いて「そなたはイスカリオテのユダ。どうしてそなたがここにいるのです?」と尋ねました。弥勒菩薩が「このユダ殿はあなたが掛けた呪いにより五十六億七千万の歳月、彷徨い続けて来たのです。その呪いを解いて解放してやってくれませんか?」と頼みました。「私はユダに呪いをかけた覚えは有りませんが、どういうことなのか話して下さい。」とキリストは言いました。弥勒菩薩はユダにこれまでの経緯を話すように言いました。ユダの話を聞いたキリストは嘆息し「私にイスラエルの王になって欲しくて銀貨三十枚でパリサイ人に私を売り渡したのか……。ユダよ地上の王なぞ何の価値もない。そなたは私が『ソロモンの栄華もこの花の一輪にも及ばない。』と言ったことを忘れたのか?」と言いました。ユダは「そうでした。貴方の教えこそがすべてでした。今ならそれが分かります。どうかわたしを許して下さい。そしてその呪いを解いて下さい。」と涙を流しながら答えました。

【8】キリストの許し

 キリストは困惑したようにユダを見つめ、それから弥勒菩薩を顧(かえり)みました。弥勒菩薩は「秀二、そなたの力でひも解いて見せなさい。」と秀二に言いました。秀二は頷くとユダの側に寄り「ユダさん、しばらく目を瞑っていて下さい。」と言いました。目をつぶったユダの額にそっと手をやる秀二。秀二の脳裏にユダの遥かな過去の記憶が伝わって来ました。キリスト共に熱心に伝道を続けるユダ。キリストが王となり人々が幸せになることを夢見るユダ。キリストがパリサイ人やローマ人を打ち滅ぼすと信じ銀貨三十枚でキリストの居場所をパリサイ人に教えるユダ。キリストが十字架にかけられ死んでゆく事実に驚愕し自殺を図るが失敗するユダ。罪の意識が余りにも大きく、許されざる者、呪われた者となったと思い込むユダ。ユダは自分で自分を罰し、己の深い意識アンモラ識にそれを刻み付けたのです。秀二は「キリスト殿、こちらへ。」と言いました。キリストが秀二の側に寄って来ます。もう一方の手をキリストの額に向ける秀二。キリストの脳裏にユダの思いが伝わって来ます。秀二とキリストはしばらく見つめ合っていました。キリストはユダが自分で自分を罰したことを知りました。そしてそれを取り除くにはキリストの許し以外に無いことも。頷く秀二。キリストはユダの前に立ち「ユダよ、わが愛する弟子よ。私はそなたを許します。」と言いました。その瞬間ユダ自らがアンモラ識に刻み付けた重架は砕け散りました。ユダは涙を流しながら「主よ、有難う御座います。」と言うと塵となって消えてゆきました。

【9】キリストの帰還

 ユダが塵となって消えて行った後、秀二と空海は時の回廊をさかのぼりキリストの霊を元の世界へ送り届けました。「私はこれからどうなるのでしょう?」と元の世界に戻ったキリストの霊は秀二に尋ねました。「あなたは私達に接していたために霊体でいる時間が他の人達よりも長くなります。しかし数週間後にはあなたも天に帰ります。」と秀二は答えました。時の回廊を戻って行く二人を見送った後、キリストは弟子達を訪ね自分の教えを多くの人達に広めるよう頼み数週間後天に帰って行きました。この後キリスト教に改宗したパウロを加え十二人の使徒達の死をも恐れぬ布教活動によりキリスト教は燎原(りょうげん)の火のようにローマ帝国内に広まって行きました。

 時の回廊から帰還した秀二に小龍がユダやキリストがどうなったのか尋ねました。秀二は首を振り「分からない。」と答えました。弥勒菩薩が「あの人類黎明の時代の閻浮提には様々な世界が偶然重なり合っていたのです。彼等は我々とは異なる世界に行ったのでしょう。」と言いました。