志方城跡

兵庫県加古川市志方町

2022年9月21日登城


城の規模は現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校のあたり)西ノ丸(旧志方役場所在のあたり)とかなりの規模の城であったようです。


この城の城主・櫛橋家は伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣でした。


伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊によって明応元年(1492)に志方城が築かれました。以来、伊家、伊定、政伊と父子四代続き、天正6年(1578)羽柴秀吉の攻略にあって落城しました。


伊定の娘、光(てる/幸園・こうえん)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主・黒田長政です。



観音寺








御城印


志方城跡

2022年9月21日登城

城郭構造

平城

築城

明応元年(1492)

主な城主

櫛橋則伊、櫛橋伊家、櫛橋伊定、櫛橋政伊

遺構

内堀