神吉城跡
兵庫県加古川市
2022年9月21日登城
「播磨鑑」には神吉城は東西57間(約104m)南北43間(78m)、中の丸が現在の常楽寺の境内地、二の丸は田畑となったとあります。
神吉城主・神吉民部大輔頼定は、天正6年(1578)の羽柴秀吉の播磨攻めの際、約3万の大軍の包囲に対して、わずか千名ほどの城兵で果敢に対抗し、何度も攻撃を撃退したと伝えられています。
しかし、度重なる攻撃に頼定をはじめとする城兵は討死し、天守は焼け落ち、ついに落城しました。
常楽寺
御城印
神吉城跡
2022年9月21日登城
城郭構造
環郭式平城
築城
南北朝時代
主な城主
神吉頼定
遺構
土塁、空堀