ネットから引用。


審査員の目

以前、剣道の月刊誌の企画で「審査員の目」という連載があった。
剣道の昇段試験で、受験者はどのような点に注意して稽古や受験をすべきなのかという体験談や私見を色々な先生方から伺うという企画だったのだが、ブログ上でもそれに関わる興味深い記述を見つけた。

私の大学の先輩のブログなのだが、剣道は教士8段で、最近は6段・7段の審査員も務められている方だ。
ここまで具体的にお聞きする機会は普通はないし、内容としてとても具体的で備忘的価値が感じられるので紹介したいと思う。

全国審査を受験中、あるいは受験予定の方には、参考になるのでは・・・
もちろん、私は大変参考になりました。

以下、岩手大学剣道部HP内にある浅見先生(:岩手大学教授、剣道教士8段)の「独り言」より転載します。
(少し長いよ)

7段審査
「さて、この日の7段審査の受審者数は1503名。結果、合格率は6.8%。
 厳しいと思うでしょ。確かに数値からすればそうだけど・・・合格に値する受験生が少なすぎるの!
 
 ちまたでは、良い面打ち一本さえ当たれば合格できるなんて思われているかもしれませんが、そんな単純なものではありません。
 実際に審査員の目から見て「地力があるから打てた、地力がないけど当たった」、この違いは浅見にはわかりますからね。
 
 どうしてわかるのか?って・・・それはね、構えた状態で、浅見がその受審者の稽古のお相手をしている場面として見るのよ。
 
 その場合、「この相手は強そうだ」と浅見が感じる人は、実際の立合でも力強い動きをするし、「これはそこにいるだけね」と感じる人は、やっぱり立合は不出来だし、結果はダメ。こうした共通性があるからです。
 
 良い面打ち(面に限りません)が一本当たれば、それで合格するのは、本当に地力のある人が打った場合だけです。
 
 たまたま相手が弱くて、打ち込んだら当たったと言う場合、ご自身の地力があれば相手が弱くても合格できる確率は高いと思いますが、自分の地力がないと見なされたら、何本当てても○はつきません。
 
 7段は、指導者として高いレベルなのです。普通に稽古を周囲の方々とチョボチョボとやっていて到達できるはずはないのです。高齢だからといって、甘くは見ません。元立ちに立って、どんな相手でも使いこなす力量がなければダメです。当たったか否かだけで合否の判断をしている訳ではありませんから。
 
 今回の審査会が終わって、車で駅に向かうとき、同乗していたD範士とE範士のお二人が、こんな趣旨の会話をしていました。
 『7段というのは、単に8段の前の段ではない。7段は最高の段位なんです。8段はあれは特別なんです。だから剣道修行者としては、7段は最高の力量を持っていなくてはならない。最高のところまでにレベルに上げる稽古をしてこなくてはならないはず。それを受審者はわかっていない。いつもと同じ稽古をして、時期が来たから受審する。そんな心がけではダメ。受審者のレベルが低すぎます。』

 審査する側の人からの目は、こうしたところを視点に置いています。」


そして、受験生の中に審査員の知人がいた場合も


「そうそう、どの審査員も、『この受審者は、自分の同県人だから無条件に○』と付ける人は皆無です。
 以前、某県(例えば岩手県)の受審者が『自分の審査会場の6名の審査員には、自分の・・地方(例えば東北地方)と同じ審査員が3名いる。だから自分には○が3つつくはずだ。あと一つ○が増えれば合格だ。』なんて思っていたと聞きましたが、アホかいな。絶対にそんなことはありません。
 だって自分の教え子の・・・にすら、浅見は×をつけたもんね。せっかくだから理由をカキコしてあげましょう。」

ということで、審査員の(浅見先生の)視点は

 「礼をして蹲踞まで、大体誰でも同じ。でも中には、これが不自然な人もいる。抜き付けが横から出る、立ったままで竹刀を相手に向け、それから膝を折って蹲踞に入る。・・・受験するのは見合わせるべき。剣道形と同じ動作ですべきですよ。

 しかし、蹲踞になった姿勢は誰でもその力量通りの姿勢。お相撲さんの蹲踞姿勢に負けないような立派な蹲踞を見てみたい。この時点で竹刀の握りが見える。「あ、これは・・・」

 そして立ち上がる動きで、鍛えているか否かが表れる。太ももにパワーがない(鍛えていない)人は、パッと直線的に立つ。油圧ジャッキで押し上げるようなジワーッとした立ち上げは立派。北海道のF川8段なんか、実にパワフルさすら感じさせるような立ち上がりをするからね。

 立ち上がって構えが決まります。そこで・・・左足の踵が高く上がっている。または、ぺたんと床にくっついている・・・不思議と立合のできは悪い。

 右肘が突っ張っている。右拳を絞り込んで小手を相手から隠すように偏屈に構えている・・・立合のできが悪い。

 剣先が高すぎる。剣先が相手の左に外れている・・・立合のできが悪い。

 竹刀を握る拳が、握り直しをしょっちゅうしている・・・立合のできが悪い。

 柄を握る拳が○○握り(上品な表現ではないので)・・・立合のできが悪い。

 足が右・左と交互に踏み直している・・・立合のできが悪い。

 偏りなく無理なく自然にスラーッと。そう、良い構えの人だけが合格の可能性が高いのです。これは不思議ですね。

 良い構えの人でも、お人形さんはダメだよね。だからといって相手の竹刀に無意味に絡ませ続けているのもダメですね。結果的に。

 この辺から地力の差が表れます。審査する側としては、構えた後から初太刀までの間で地力を見抜きます。そして地力のある人だけを合か否かの判断をします。地力のない人は、そのあとバッコンと何本打っても○にはしませんね。初段や2段なら別ですが、7段ですからね。」


・・・中略・・・
(ここからは皆さん自分のことだと思って読んでみてください)


(浅見先生が知人に向けて)
 「気合いというものは、一声『ヤァ』とかければ済むと言うことではないのよ。腹の底から全身全霊をかけて、ほとばしり出るような、わき起こるような発声、そしてそれが長く続けられる。長く続いた声が消えたようでも、体からの迫力が相手にブワーッと襲いかかり続けているようなモノでなくてはダメなのよ。それが出せないようなら、受審はやめなさい。

 かけ声で相手を圧倒しなければダメ。『オリャオリャ』なんてかけ声は相手をおちょくるようにしか聞こえません。それはカケヒキをしていることになります。審査では、カケヒキで打っても審査員は感心しません。

 まだある。体を前後(上下)に揺すっているのは何ですか。膝の屈伸を使っているのか。調子をとる・・・そんなレベルなら受審はやめなさい。

 右足先が前に出たと思ったらまた戻り、打ち間に出たり入ったり。その場で何があっても引かないという気迫はないのか。安易に足を前に出すのか・・・そんなレベルなら受審はやめなさい。

 一番良い姿勢。自分がベストと思う姿勢。それで相手に圧力をかけて押し込んでいく。動けば(揺すれば)良い姿勢を崩すだけですよ。

 膝で調子をとって、動きを良くしようなんてのはカケヒキにしかなりません。審査は試合での当てっこではないのですから。

 一番大事なこと。自分から襲いかかるような攻撃ができない内は、受審はやめなされ。ジッと構えていて、相手が出てきたところに合わせて、小手を打ったり、面を斜めからかぶせて当てようとするのはカケヒキです。相手が打ってこなければ、何もできない剣道人に見えます。

 出鼻を打つというのは、試合で一本を取るためにはよい機会の一つでしょう。でも、地力を見せようというのなら、しっかり構えている相手に、自分から先をかけて打ち込んでいって一本を取れるようでなければダメです。

 試合用の稽古をするなら、出鼻をねらうのもありえますが、審査で地力を発揮しようというのなら、出鼻ねらいの稽古をしていてはダメ。

 先をとり・・・どういうのを『先をとり』というのがわからなければ、当面は何でもいいから相手より先に動いて捨て身で打ち込んでいく稽古をするのよ。相手より先とするには、自分にはちょうど良い間合いよりも、もっと遠い間合いから打っていけば、相手よりは先に打ち込んでいけますね。遠間から打ち込めないようであれば鍛えていない証拠。受審はお控えなされ。」


また、6段審査についても
 
 「6段の立会時間は1分。わかりやすくて判断しやすい。結果は2桁%には届いたようです。

 審査をしていて、『この人は・・県の人だ』と判明した人は皆無でした。すべて同じ判断をしたのですが・・・後半になり、腹を立てることがあった。

 受審者の中で、待機して他の人の審査を見ている人がいる。その中で、60歳代の受審者で、竹刀の剣先を床に付け、両腕を柄頭に乗せ、完全な杖代わりにしてエヘラエヘラ談笑しながら見ている。それが一人だけではない。談笑相手も同じ。気になったね。そうしたらまだ他にも目にした。

 6段は指導者になるでしょう。子どもには「剣先を床に着けるな」と言わねばならない立場になろうという者が・・・審査での立合の出来は、杖にしていた者全員が不出来。良い稽古をするはずがないよね。

 このことをH範士に話したら、『昔はこんな人は受審者には居なかったよ。受審者のレベルが落ちたもんだ。』

 審査が厳しいのではありません。

 剣道が普及し、有段者(5段)が増えてきたのです。増えてくると色々居ますからね。それがみんな年数が来れば受験するようになっていることが合格率が低い要因の一つでしょう。

 5段までは各県で審査を受けてきますから、県の事情もあるのでしょう。それにしてもね・・・」


長くなりましたが、どうでしょう、参考になりましたら幸甚です。
浅見先生にお礼申し上げます。