戦争は洋の東西を問わず、古来幾多の英雄を輩出してきた。
ナポレオンから織田信長・・・・と、私は最近日経新聞に連載されているジンギスハンを毎日楽しみにして読んでいる。
生きるか死ぬか、極限の状況が、そのときの状況をつかんでのとっさの判断が勝敗を決めることになる。
運があるから、素質があるからだけではない。そのときの状況におかれること、もっと正確に言えば、その戦いの場に自分をおくことが、とっさの判断を迫られることになり、それが男を磨くことになる。
負けてもいい。底からどう立ち上がっていくかにかかってくる。
清水次郎長などの任侠での親分もそうだろう。
小沢一郎、政治家にしたところで同じである。
そのなかに、幾多の適役、脇役があり、泣いたり笑ったりのドラマがある。
考えるに、私の人生も、まさに浮き沈みの連続、選挙が戦いとすれば衆議院の選挙だけで4度目に当選できた。いわく筆舌に語りがたいものがある。
私の長女、朋子はたったの一月足らずで、私とは選挙区の異なる佐世保市から県議会議員に当選できた。
本人はけろりとしている。
一月前、出馬を一旦、決断してからも、子供の寝顔を見ていると「二人だけで、身の丈にあった生活をしたい」と泣いていたのは嘘のようだ。
当選して久しぶりに会うと、別人のように逞しくなっている。
日に日に演説も旨くなったと周りが言っていたが・・・・・・。
「お父さん。私、迫力があるって言われた。お父さんよりもよ。オトコみたいだって・・」
選挙は人間をこんなにも変えるものだろうか。
当初は、「私は2世議員だと言われたくない」と私の娘であることも言わなかったらしいが、
「お父さん、使えるものは親だって使うことにしたわ、いいかしら」
「あー、いいよ」と電話で返事すると、それからは「山田正彦の長女です」と街頭でも、堂々と述べていたようだ。
戦いは男を磨き、選挙は女をオトコにする。