オリンピックで連日熱戦が続いています。


オリンピックを見るといつも思い出すのは、学生時代に某体育大学の臨海学校に同行したときのことです。


この大学では、千葉県で開催される臨海学校での「海難救助」が必修科目となっていて、私はチームの仲間とともに指導員として参加しました。


大学の教授陣は、元オリンピック関係者も含めた柔道やレスリングの猛者ばかりなのですが、「海難救助」は専門外なのでこちらに依頼が来たそうです。


活動はボランティアで行なっていたのですが、そのせいもあってか教授陣の気の使い方は半端ではありませんでした。


特にすごかったのが、食事でした。


朝から鰻・ステーキが同時に出てきて、昼は焼肉・寿司、夜はアワビや伊勢海老の踊り食いという感じで、今振り返っても人生で最も豪華な食事はあのときだったと思えます。


学生の消灯後は、当然の様に懇親会です。


ジョッキの9割以上が焼酎のウーロンハイをグイグイいきながら、教授陣は現役時代の話をしてくださいました。


「ミュンヘンは・・・」
「モスクワは・・・」
「今はアームカール片手で50kgくらいだけど、当時はもっといけたな」
「小指が反対に曲がってからが本番」


何か、会話の内容が凄まじすぎて圧倒されっぱなしでした。


鍛え方や心構えやエピソード、ここに書けないことも含め、すごい経験を淡々と語ってくださいました。


「オリンピックに出るのは超人」といわれますが、本当にそのとおりだと思いました。


そして、0時を過ぎた頃、


「お腹空いたでしょう!夜食です」


と出していただいたのは、4人前くらいありあそうな寿司桶!もちろん、1人1つです。


▼ イメージ

今が、やまだ!-寿司桶

朝昼晩とあれだけ食べて、さすがにこの時間にこの量はきつく、チームの先輩方もあまり箸が進んでいない様でした。


1時間程経過した頃、中堅の先輩に私を含めた若手3人程がこっそり呼ばれました。


「お前ら、わかっていると思うけど、これだけもてなしてもらって、残すってのはありえないからな。先輩のも含め、全部いただくぞ」


目の前に集められた寿司桶は、その数30程度。


見ると握りはほとんどなく、カッパ巻きばかりが残っていました。


「押忍!いただきます!」


遠のく意識の中で、「もう教授陣も先輩方も、酔っぱらってて見てないじゃん」と思ったことを覚えています。


結局、懇親会は3時くらいまで続きました。


次の日の起床は6時、日中は海で訓練、夜はまた懇親会3時まで・・・。


このループが、臨海学校期間中5日間ずっと続きました。


この5日間は、今振り返っても人生の中で体力的に最もきつかったのですが、教授陣は「いつものこと」という感じでした。


オリンピックでの超人的なパフォーマンスを見ると、あの当時のことが思い出され、改めて選手に尊敬の念を感じるのでした。