頣和園(YiHeYuan)

 

993年~1995年、中国に出たり入ったりしていたが、以降しばらく中国から遠ざかっていた。

縁があり、また戻ってきた。2003年初めから2007年の初めまで続いた。この間、北京、上海、成都、貴陽など、あちこちと行く機会があり、先々の話題を綴ってみます。

 

北京の頤和園は、すばらしい景色とみごとな宮殿で知られる古典的庭園です。清朝末期の西太后栄華の跡でもある。

頣和園は面積 は293ヘクタール、峰や湖水のあいだに3000余室をかぞえる宮殿が配置された庭園です。古典的庭園としての頣和園は、中国の造園芸術の伝統を受けついだもので、しかも一つの到達点をしめすものといってよいでしょう。

北京市の中心から西北へ15km離れた海淀区にあり、1998年に世界文化遺産に登録されている。

 

18世紀はじめの清朝最盛期に、西北郊外の一帯に西山の峰々を背景にし、「三山五園」(暢春園、円明園、万寿山清漪園、玉泉山静明園、香山静宜園)と称される大規模な御苑がつくられた。そのひとつ、 乾隆帝(在位1735年 - 1795年)が母親の60歳の贈りものとして造った万寿山清漪園が頣和園の前身です。

1860年の第二次アヘン戦争で侵入した英仏軍によりこの庭園は荒廃してしまった。英仏軍が北京に侵入するや、ときの皇帝咸豊は皇后、妃たちと 熱河へ逃がれたが、翌年病死してしまった。咸豊帝の貴妃であった西太后がかわって政権をにぎり、幼い皇帝、同治と光緒をおさえ、実権をふるったった。そして1886年、西太后は海軍学堂をつくると称して予算をとり、ひそかに園の修復工事をすすめ、 2年後、光緒帝の名で造営工事をはじめて 、頣和園と改めた。 名称の由来は「頣養衝和」(養いはぐくみ、おだやかにする)と言われている。

ところが、1900年の八カ国連合軍が北京侵入の際、頤和園はまたも破壊されてしまった。西太后は北京を脱け出して西安に逃れ、2年後の1902年に北京に帰ってきた。そして、また多額の費用をかけて頤和園の造営を行い、 1903年から1908年に74歳で死ぬまで、晩年、ほとんどこの頣和園ですごした。頣和園は彼女が避暑に行き、遊び、祝いをする御苑であるだけでなく、内政、外交をとりしきる離宮でもあった。
 

また西太后は百日維新(1898年)後、光緒帝をとらえ、 玉瀾堂に幽閉してしまい、光緒帝は1908年に監禁状態で、死亡した。

死後、園は閉鎖されていたが、新中国の成立後、公園として公開された。

北京の人たちが好む場所の一つで、前面にひろがる昆明湖では夏は水浴、冬はスケートをする姿が見られます。
  

主だった箇所をご紹介しょう。

まず、 東宮門を入ると正面に「仁寿殿」がある。ここは西太后と光緒帝が政務をとり、臣下や外国使節を謁見する場所であった。室内中央には立派な玉座が残っているが、これは皇帝のものではなく西太后が座っていた場所で、光緒帝はその隣の質素な場所に座らされていたそうです。

その「仁寿殿」の北西にあたる昆明湖の岸辺に、西太后が住まいとしていた「楽寿堂」がある。

ここを出ると、「昆明湖」沿いに700メートルも続く「長廊」があり、 長廊は文字通り長い廊下で、その梁欄には杭州の西湖の風景など、1万4000枚の極彩色の絵が描かれている。 西太后はここを今日のジョギングでしょうか、かなりの早足で散歩したと言われている。

この長廊の西の端の昆明湖のほとりには、白い大理石で造った船が浮かんでおり、 いつまでも沈むことない清王朝を象徴していたそうで、「清晏舫」とよばれている。ここでお迎えの船に乗り込み、船遊びを行ったそうです。

山登りも楽しんでいた様です。かなりの勾配の坂道を登った上には 「景福閣」があり、万寿山の東の高台にある小さな楼閣で、西南に広がる昆明湖はじめ四方の景色を眺めることができます。 月見をしたり、雪景色を楽しんだり したようです。

 

写真上左から:仁寿殿、 仁寿殿内の玉座、

 

 

長廊、清晏舫

 

万寿山の南側は「前山」と呼ばれている。

昆明湖畔の「雲輝玉宇牌坊」(鳥居型の門)から始まり、「排雲門」「二宮門」「排雲殿」「徳輝殿」「仏香閣」を経て、山頂の「智慧海」に至るまで、だんだんと上る中軸線上に、巨大な代表建築 物が配置されている。

この建築物の中央にある排雲殿は、清の光緒12年(1886年)、西太后の誕生を祝うため、清国海軍の経費(白銀)を 流用して再建したものといわれている。これらの建物は回廊にとりかこまれていて、頤和園の中でも、もっとも雄大な建築物です。 排雲殿は絢爛豪華なきらびやかさを持っています。

仏香閣は、高さ20メートルの石製台座の上に建つ、高さ41メートル、八角形三階建て、四重のひさしをもつ塔です。堂々として、 頤和園の代表建築物であり、シンボルでもある。ここから頤和園全体の景色が、眺めることができる。

写真上:佛香閣と智慧海 (北京では特に冬場は、公害で、写真を撮るのは難しいですね。)

 

 

 

佛香閣、

 

画中遊から昆明湖を眺める

 

昆明湖の面積は、頤和園の総面積の4分の3を占め、220ヘクタールに達 します。

湖上には東堤、西堤、南湖島、十七孔橋などの美しい景観があ ります。

 

昆明湖の南から西にかけて、築かれている「西堤」の上には各種の亭橋(東屋をもつ橋)がありますが、それは乾隆帝が杭州 西湖の蘇堤を模して造ったものと言われてます。

 

参考: 頤和園の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

頤和園:Pointer 39°59'47.61", 116°16'12.45"

 

 

 

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