中国・成都で業務を行っていたが、気候も良くなり、休みが取れたので、西安へ2泊3日の旅を行った。

 

西安前漢の時代(紀元前206年)から明の時代の初めまでまで長安と呼ばれていた都です。

西安は土壌の肥沃な漢中平野の中部に位置し、秦滅亡後の戦乱の結果漢朝を建てた劉邦により、戦乱で破壊された秦の都・咸陽の郊外に新たな都城を建設、長安と命名されたことに始まる。恵帝の時代には城壁が建築された。

 

気候も寒すぎる事もなく、暑い日も長期間でなく、自然条件に恵まれており、農業生産に向いているので、昔から漢民族の先祖が住んでいた。紀元前から多くの王朝が千百年もの長い間、ここに都を置いていた。西安は中国の歴史と共に生きてきた中国最古の都である。

ローマに続くシルクロードの出発点であり、東西文化の集約点として花開いた。特にの時代(618年~907年)の長安の都には世界の人が沢山集まってきていた。阿倍仲麻呂のように遣唐使として派遣された日本人の姿も少なくなかった。

この古い歴史のある都には、至る所に数多くの名所旧跡、古代建築、文化財を遺している。

 

西安の周囲には秦の始皇帝陵を始めとして、前漢時代の皇帝陵、唐代の皇帝陵などがある。

始皇帝陵には地下宮殿があると言われている。金銀財宝を保存し、盗掘を防ぐ為、いろいろな防備手段を講じているらしい。また、水銀を注ぎ、川のようになっているらしく、発掘はされていない。この近辺の地域は水銀汚染異常地域で、土壌中の水銀含量は周辺より、10数倍高いとのこと。

 

西郊外には世界を震撼させた始皇帝の「兵馬俑」、長恨歌でも有名な唐代の玄宗皇帝と楊貴妃ゆかりの「華清宮」、項羽と劉邦の「鴻門の会」の遺跡もある。

南郊外には玄奘三蔵法師ゆかりの大慈恩寺大雁塔)がある。書ききれないほどである。

 

 

街を囲む城壁、及び、シルクロード出発点の西門

 

 

左:大雁塔(652年玄奘法師により、慈恩寺に建てられた塔)

右:宮女図(永泰公主墓出土)

 

 

 

白居易の詩「長恨歌」にも出てくる華清池

 

  

楊貴妃の浴槽             秦の始皇帝陵

 

 

 

秦始皇陵の周辺では兵馬俑坑の発見以降も、車馬坑など種々の発見がある。→こちらの情報

 

1980年暮、始皇帝陵の西側20m、地表から 7.8mの深さで2台の彩飾された大型の銅車馬が発見された。

この2台の車は大きな木槨の中に置かれていたが、2000年余りの間に,木槨は腐朽して,陪葬坑も自然に陥没した。その際、2台の車も 粉々に破壊された。修復は3000点におよぶ破片の為もあり8年近く要し、1988年にやっと元の様相に復元され、展示されることになった。

サイズは1号車は全長2.25m、全高1.52m、2号車は全長3.17m、全高1.6mで、実際の車馬の1/2 とのこと。人、馬、車すべてが青銅で模造されており、大量の金銀装飾が施され、生き生きとしている。秦代の高度な冶金鋳造、装飾工芸技術などには、目を見張るものがある。2台共双輪で、四頭の馬で曳かれている。今までに発見された同じタイプ車馬では最大で,最高級で 、貴重な歴史資料である。

 

参考:西安のシルクロード出発点の西門、始皇帝陵や華正池などの衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

   西安の西門 :Pointer 34°15'40.71", 108°55'14.39"

 

   始皇帝陵:Pointer 34° 22' 53.29", +109°15' 12.66"

 

  華清池:Pointer 34° 21' 53.04", +109°12' 25.70"

 

      

 

 

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