…まぁ、教員の勤務環境や、子供たちの教育環境の改善に資する団体であったら、こうはならなかったんでしょうがねぇ…

 

今の日教組って、非常に失礼極まる言い方をすれば、”思想教育団体”と言われても文句はなかろう。

 

それでは組織率が低下するのも当たり前だし、政治的影響力が落ちるのも当たり前田のクラッカー。

 

確かに子供を預かる身にしてみれば、自分の生徒を戦地に送りたくないというのは当然の感情ではあるが、それを邪な勢力に骨の髄まで利用されてなお恥じないことが最大の問題だろうに。

 

だから、私が小中学生だった時も、親たちは北教組に対して強烈な反感を持っていた訳だし、卒業式や入学式の式次第に国家斉唱は当然がごとくにあった。

 

少なくとも、私が在籍していたころの千歳市立日の出小学校/青葉中学校では国歌斉唱拒否、というアホな教員はいなかったし、むしろ国歌斉唱が求められていたくらい。

 

やたら荘厳すぎる歌詞と旋律は子供が歌うにはちと厳しいというのはあるにせよww

 

冷静に考えてみれば、千歳という町は”一朝事あったら核で吹っ飛ばされること確定な街”なので、冷戦の最前線の街で”平和運動”なんて寝ぼけたことを言っていると、父兄やそれを見ている生徒たちにフルボッコなのが目に見えているわけですから。

 

当然、昔の空襲の体験談とかも、”単なる昔話”ではなく、万一そうなったら、我が身を守るノウハウの継承、という意味もあったのだ。

 

とはいうものの、東京大空襲のような焼夷弾爆撃を食らったら、それこそ周りは炎の壁に囲まれることになり、それを生き延びる自信はとてもじゃないがないが…

 

そういうことで、我々くらいまでの世代は、戦時に限らず、災害時には”頭は必ず守れ”とか”街が壊滅するような災害に遭ったら、安全そうな場所、建物はどこか”を各自日頃からチェックせよ、とか、そういう話は小さいころから叩き込まれておるわけでして。

 

他の街はよう知らないが、千歳市にある主要な公共建造物は昭和50年代にはすべて耐火化されていて、最後まで残った緑小学校も平成に入る前には建て替えられている。

 

今の校舎が建っているところが元のグラウンドで、昔の校舎がいまのグラウンドになっている。

 

北海道で髄一の保守の街としても知られる千歳市だが、裏にはそういう歴史、時代背景があっての話でもありまして。

 

日教組が教育現場から文字通り”叩き出される”日ももうすぐと考えてもいい時代になったが、裏を返せば、それを取り巻く時代、社会環境がそれを許さないほどシビアになっている…ということでもある。

 

それが認識できない限り、日教組が文字通り壊滅するのも時間の問題ではあろうね。

 

 

 

 

 

 

教育問題でとかく槍玉に上がる日教組だが、ホント、これほど”自滅”という言葉が似あう団体も…あるかw

 

ねぇ。