55番:南光坊にきましたが、まずはお隣にある大きな神社「別宮大山祇神社」を訪ねます。

 元々は大三島にある大山祇神社が元なのですが、四国の方が海を渡ってのお参りを考慮して、このように街中に大きな神社が出来ました。

 

鳥居です。これだけでも立派です。

鳥居をくぐってすぐに見えるのが、「奈良原神社」です。

神社の手水所です。

手水所にお水はありませんでした・・・

「日本総鎮守三島地御前

 別宮大山祇神社由緒

 御祭神 大山積大神

 御祭神大山積大神(おおやまづみのおおかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の兄神で、山の神々の親神にあたられて(古事記、日本書紀)、和多志大神(わたしのおおかみ)とも云はれ(伊予国風土記)、日本民族の祖神として、また、地神、海神、兼備の大霊神として海上の安全、交通、産業の守護をはじめ日本の国土全体を守護し給ふ神であるところから古代より日本総鎮守と尊称される。

 当神社は和銅5年(皇紀1371年、西暦712年)越智玉澄公により、日本総鎮守大山祇神社(大三島町元国幣大社)の地御前として勧請(かんじょう)創建せられ(豫陽盛衰記)、伊予国一の宮の別宮として、創建以来、代々の領主、藩主等は勿論、人々に広く篤く崇敬されている。」

 

大山祇神社の拝殿です。

その中にある稲荷神社の鳥居です。

稲荷神社の道標です。

まるで、伏見稲荷を連想させる鳥居群

稲荷神社の本殿です。

阿奈婆神社(あなばじんじゃ)です。

 

「阿奈婆神社由緒

 祭神 磐長姫大神(いわながひめのおおかみ)

このお宮は、昔から「阿奈婆さん」といって親しまれているお宮で大三島の阿奈婆神社から勧請申し上げたお社です。

ご祭神、磐長姫大神は本社の祭神、大山積大神のご長女にあたられ、大変ご長命にあらせられた上、福徳円満の神様で、「長生きの神」「福徳円満の神」としてご神徳の高い神様であります。

 また特に「下の病」の治癒にすぐれた力をお持ちの神様として、崇敬者の祈願報養のため遠近より参拝する人が四時絶えません。」

 

荒神社です。

「荒神社

 祭神 三宝荒神(さんぽうこうじん)、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)

 ご祭神三宝荒神は、竃神、または蔭にあって人々を守護し給ふ神さまで、

 大穴牟遅神は、大国主命とも申し縁結び、夫婦和合開運」医薬とご神徳の広い神さまです。この社殿は、寛政6年(1794年)摩利支天宮(大穴牟遅宮?)として建てられたものです。」

 

最初にあった奈良原神社の本殿です。

 

 四国88か所には参拝していましたが、近所の神社などは今までみていなかったので、ちょっと余裕があってゆっくり見てみると、いろいろと知らないものがあって驚きます。

 そして、今治市にこんな大きな神社があるということは、昔は、この地が四国でもそれなりに大きな街だったいうことの現れではないかと思いをはせながら、隣のお寺のお参りに行きます。