松尾大社は、その位置といい。構えといい。私は。好きだ。
古代が。見える。・・・ただ。・・・

哀しいかな。時代の流れと言うか。場所が、マッチしなくなった。
しかし。これは、古代人の責任ではない。

渡月橋から松尾大社に行くまでの、雰囲気は。京都も緊張が、維持出来てない。・・・司馬さんは、そう言う。

松尾大社は、松尾山の麓にある。一般に神は、人である。・・・がしかし。此処は。

山の恵み・・・水・・・稲作に必要な。をもたらす山が、祭られている。
山頂には磐座(いわくら)の遺跡がある。

鳥居から見える松尾山。山の麓に水なる神への、感謝の入り口様に、構える大社。

静けく。美しい。

ただ。・・・その水のお陰でか。・・・酒の神さまに、なっている。秦氏のニガの、微笑が、聞こえるようだ。

車折神社。この神社は、そう、悪い神社ではないと、思う。艶やかさはそれで、いい。

ただ。剋太画伯が好きになれない雰囲気も、理解できる。・・・表現できないが。

表情に表れたそれに。・・・にこっと。頷く。そんなやり取りは出来たと思う。

・・・これは、同行してない。独り善がりの・・・想像である。

画伯は、この朱色が嫌いと言うわけでは、ないと思う。・・・勿論。なんの、説明も出来ないし。実際、画伯は司馬さんに、そう言われている。・・・私が間違っているのだが。

参道の朱の板の玉垣に、芸能人の名が、大きく書かれている。ずらりと並んだ、



の名前。・・・舞台の成功を祈願する。心に邪心があろうはずはない。・・・

が、その、数の多さ。と、大きさ。

何かに、求道の心を追って止まない。画伯の。心。とそぐわない。信じたい。

祭神は、芸能には、関係ない、平安時代の大学者。清原頼業であった。

頼業の死後。清原家の所領であった。神社の付近に、埋葬され。生前好きだった桜を沢山植えたそうだ。・・・桜大明神とか、車折神社と、呼ばれていた。

嵯峨野が好きな亀山天皇が、ここを。行き来し、あるとき。その、祠の前で、牛車が、動かなくなった。

天皇がこの場所を尋ねたところ。かの、清原の頼業の・・・と言うことで。

車折。「折」は、前・・・か。私は、そう思いたい。司馬さんに習って。

心地よい。この響き。

ただ。頼業さんは、掛け取の、神さんに、なっているらしい。

おたかさんと言う女将と、司馬さんの。笑顔と。司馬さんの真面目さ。

風が。・・・微笑み、遊んでいるようで。・・・心地よい


・・・好きなくだりで、しつこく書いてしまった。・・・