逆峰(ぎゃくぶ)は御嶽山の登拝口からスタート(上マップ左端の岩瀬駅)し雨引山、燕山、加波山、丸山、足尾山、きのこ山と2つの峠を越え筑波山の2つの山頂の全9峰を登ってゴールとなります。
逆峰って云う言い方は修験道の二大修行の1つ大峯修行に倣って私が勝手に言ってます(^_^)
大峯修行は熊野から吉野への道のりを順峰(じゅんぶ)、その逆を逆峰と云います。
熊野は胎蔵界で吉野は金剛界、熊野から吉野は従因至果(上求菩提)、吉野から熊野は従果向因(下化衆生)とするように修験道の教義上の意味付けがありますが、今回の縦走にそんな深い意味は無いです(^^)
でも昔はそう言った意味付けはあったかも?
筑波連山の最初の山である御嶽山はその名の通り御嶽信仰の霊場で社殿の周りには沢山の霊神碑が囲むように建てられています。
次の雨引山は中腹に坂東三十三観音札所の1つ楽法寺があります。
加波山の加波山大権現は天狗信仰の霊場で、廃仏毀釈以前は加波山修験道の行場で無数の磐座があり、今でも当地の神社主催で定期的に登拝が行われています。
また加波山は、苛斂誅求を極め弾圧に次ぐ弾圧を繰り返す明治新政府に対抗するべく自由民権運動の激化に伴い、若者たちが立て籠もった加波山事件の舞台でもあります。興味のある方は検索して下さい(^^)
中共北京政府もビックリな弾圧を繰り返した明治新政府に対しては当ブログでも過去記事の「明治と云う幻想」シリーズや「維新と云う幻想」シリーズ等々で一貫して批判し続けて来ました。
我が国の伝統文化や国宝を破壊しまくった廃仏毀釈や廃神毀社はこの明治新政府が乱発した悪法の数々によってなされたもので、中国の文化大革命などはこの明治新政府に倣ったものだと言えます。
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・明治朝廷
さて、足尾山も平安時代にその名が登場するように歴史の古い修験の霊場で往時の面影はないものの拝殿と頂上に本殿を構えています。
足尾山からきのこ山に掛けてはスカイスポーツの離陸場が数箇所設置され盛んに行われています。
坂東三十三観音札所の1つ大御堂(おおみどう)がある筑波山は特に廃仏毀釈の影響が強く、本堂の知足院中禅寺を始め堂塔伽藍をメチャクチャにブッ壊され仏像経典類はほぼ焼き払われてしまいました。
その知足院中禅寺のあった場所に今の筑波山神社があります。
知足院中禅寺の本尊、千手観音像は信者たちの手によって守られて今は大御堂にお祀りされています。
筑波山がタリバンが真っ青になるほどの破壊を受けたのは、1つには水戸学発祥の地である水戸藩のお膝元であったこと、筑波山が幕府の庇護が厚かったことが考えられます。
ゴールは廃仏毀釈以前のメイン登拝口であった六所皇大神宮跡にしたかったのですが、女体山本殿のそばで私の先輩行者と久し振りにバッタリ会って話が弾んだため時間を食ってしまい大御堂をゴールとした。
六所皇大神宮跡(この名称に疑問あります)は廃仏毀釈の時に破壊されて拝殿がありませんが、筑波山の里宮だったところです。
筑波山の廃仏毀釈については下記のサイトが詳細に調べています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/sos_tukubasan.htm
それでは筑波連山縦走の様子をどうぞ(^^)
3時15分、岩瀬駅に到着
3時半、御嶽山(230m)を登り始めます
御嶽山の登り口にある滝行場
3時45分、御嶽山神社に到着
拝殿。この周りを霊神碑が囲むように建っている。ここで最初のご法楽。そして最初の山を越えます。
岩瀬の街
夜明けになってきて筑波山が見えてきました。目指すはあそこ
岩瀬方面
雨引山(409m)を越えます。この雨引山の中腹には坂東三十三観音の1つ雨引観音で有名な楽法寺があります。孔雀やガチョウが放し飼いされていてとても穏やかなお寺です。
これは後日に撮った写真ですがご開帳があるようです。非常に珍しいお姿をしていますね。
今回の私のお供。この時までは機嫌が良かったが(^^)
ご来光を拝むことが出来ました。
3つ目の山、燕山(つばくろやま、701m)を越えます。ここまでの登りはキツいのでゆっくり歩きました。
加波山神社の中宮と親宮の拝殿。
中宮の拝殿。
親宮の拝殿。
4つ目の山、加波山(708m)を登り始めます。
金精さま
親宮の本殿
たばこ神社。
中宮の本殿。彫り物が見事ですね。ここで2回目の法楽。
天中宮の本殿
第2風車です。この風車の右手に5つ目の山、丸山(575m)へのルートがあります。
9時35分、6つ目の山、足尾山(627m)に到着。山頂の足尾神社本殿からの眺め。ここで3回目のご法楽をします。足尾本殿は撮り忘れ。日光連山が美しい。筑波連山中、筑波山を抜かせばここからの眺望が一番良い。