◎はじめに


修験道教学に於いて非常に重要な概念である「胎内五位」について数点の切紙から下し読みにしてみました。


もともとは部派仏教の説一切有部の「阿毘達磨倶舎論」(アビダルマコーシャ・バーシャ)をその典拠とするが、それを修験的に解釈したもの。


要は我々は胎内に於いて五つの段階を経て既に成仏して生まれてくると云うことを説明されている。


そもそも修験道の入峰修行とは山を母体に見立てるため「胎内修行」と云い、我々が胎児となり胎内の成長(修行)過程を通して、つまり十界修行を行って既に仏となって出峰(出産)すると云うものである。


十界修行とは以下の様に地獄から仏界に至る各々に配当される行儀を修めることである。


地獄界ー業秤(ごうびょう、ごうのはかり)

餓鬼界ー穀断(こくだち)

畜生界ー水断(みずたち)

修羅界ー相撲(すもう)

人間界ー懺悔(さんげ)

天上界ー延年(えんねん)

声聞界ー比丘形(びくぎょう)四諦を観ず

縁覚界ー頭襟形(ときんぎょう)十二因縁を観ず

菩薩界ー代受苦行(だいじゅくぎょう)六波羅蜜

仏界ー正灌頂(しょうかんじょう)


以上の十界は一つの如し(十界一如)との理を体得する。


そして修験は徹頭徹尾、本覚門であること。


つまり密教のように「仏に成る」教えではなく、我々は本から覚っていて既に「仏に成っている」と云うことを自覚するための教えである。



さてこの胎内五位説は本来、師子相伝の秘義であるが、近世に入ると刊本化されていてその秘匿性が失われた。


とは言えその儀礼自体は秘伝なので説明出来ないが、教学的には上記の理由から資料として提示したい。



ちなみに十二因縁の「識」、つまり生を受け取る時の母胎内のはじめの瞬間を赤白二諦和合位(カララン)としますが、この識体が精子と卵子が結合する時に前世の業にしたがってそこに入る。


その時に父に瞋りの心を起こし母に愛着の心を起こした場合は「男」に、母に瞋りの心を起こし父に愛着の心を起こした場合は「女」にと性別が決定する。


とすれば、迷った場合はいわゆる「性同一性障害」となる。



◎「修験頓覚速證集」から


「一に最初、羯頼藍(カララン)とは梵語なり。此れ和合と翻ず。是れ父母和合の愛の起こる所の故に二水圓満して法界の元氣を受け則ち生ずる位なり。女子は父に愛を起こすが故に母胎内の右脇に内に向かって宿るなり。男子は母に愛を起こすが故に母胎内の左脇外に向かって宿なり。


二に頞部曇(アブドン)とは梵語なり。此れ皰(ほう、イボ)と翻ず。是れ父母の二婬、少しく凝り既に肉と成るを欲す位なり。


三に閉尸(ヘイシ)とは梵語なり。血肉と云う。是れ已に血肉に成る位なり。


四に健南(ケンナン)とは梵語なり。此れ凝骨と翻ず。是れ已に堅骨肉と成る位なり。


五に鉢羅奢佉(ハラシャキャ)とは梵語なり。此れ支節と翻ず。是れ已に手足爪髪を生ず。五體出生して人の形と成る位なり。


是れ胎内五位と謂うなり。」



◎「峰中秘伝」から


「父の情、初七日、是れカラランと云う。貧煩惱を受く。初め父母の交會、赤白二渧和合の體と成るなり。赤色ア字は母の情、衆生の肉と成るなり。白色ア字は父の情、衆生の骨と成る。二のア字は胎金兩部の大日、因果常住沸性(ママ)の種子なり。故に衆生の心城、兩部の大日、五百餘尊を鎮るに芥子の内に住し玉うを云うなり。故に此のア字本不生の理を覚るを即身成佛、東方大圓鏡智、又は發心門、阿閦佛と云うなり。


生死の時、此の峰を大天上と云う。胎臓界の肉皮、母の情なり。南方寶生佛の平等性智、修行門、是を阿浮曇と云う。


二七日、三時此の形と成る。是を二舌と云う。左右の高きは兩部大日の種子と成る。赤白二色ア字左右の形と成る。ビ、ア小天上、涅槃、彼岸と為る。金剛界父の情骨、西方無量壽如来の妙觀察智、菩提門なり。


 ビは三七日に此の形と成る。是を三胡と云う。骨、漸く堅まって左右の眉を顯し、三胡の顯るる、是を三密と云い、三菩提と云い、三身と云い、三渡と云うなり。


西方 阿彌陀 火輪 ラ

北方 釋迦佛 風輪 カ

中方 大日如来 空輪 キャ

南方 寶性尊 水輪 バ

東方 阿閦佛 地輪 ア


北方釋迦如来、成所作智、涅槃、萬行と為し船筏と成るなり。爰を船渡(ふなわたし)と云うなり。

五輪三摩耶形は佛果圓滿の形なり。斯くの如く母胎内、五圓滿の佛體、是れなり。上求菩提の觀念疑い無し。今の所作に住する位なり。然りと雖ども下化衆生の爲に母の胎内を出る利生の用海なり。


二有り、之れ七十日、此の形は性徳如来、化度利生の爲に人體を得ると雖ども涅槃に歸るべし。靜に人體生身を覚る。大日如来、心性ア字變じて即ち大日如来と成り、彼の尊、變化して大聖不動尊となる。」



◎「修験法具秘決精註」の「斑蓋秘決」の「私曰」から


「一には最初ウン・ランとは梵語なり。此れ凝滑と曰く。亦、和合と翻ず。赤白二水和合の位なり。


二に頞部曇とは梵語。此れ皰瘡と曰う。是れ父母の二水、少し凝り肉と成る位なり。


三に閇戸とは梵語なり。此れ血肉と曰う。既に血肉と成れる位なり。


四に健南とは梵語。此れ堅固と云う。是れ既に堅固なる身の位なり。


五に鉢羅奢とは梵語。此れ支節と曰う。是れ手足爪髪生じ、五體具足の位なり。」



◎「斑蓋秘決」の胎内五位の常圓の註


 「凝滑とは初七日なり。無明は一露の如し。是れ即ち白骨は父恩、赤肉は母恩、赤色のア字は我等が皮肉となり、白色のア字は我等が骨髄と成す。發心のア字なり。


皰瘡とは二七日なり。是れ即ち五體の姿なり。疣の如く顕れるなり。修行のアー字なり。


血肉とは三七日なり。是れ即ち已に五體の相、顕れると雖も未だ男女の差別有らざる位なり。菩提のアン字なり。


堅固とは四七日なり。此の位は男女の名字のみ決定するは堅固と云うなり。然し手足、未だ調はざるなり。四七、二十八日には男女の名字定まれば此の實儀を以って世俗、猶し二十八日を祝うが如くなり。秘す可し。是れ涅槃のアク字なり。


枝即(ママ)とは五七日なり。此の位にて手足圓滿して究竟のアーンク字なり。此の位にて本三摩耶印を結び結跏趺坐してア・ウンを唱えるなり。」



◎斑蓋註での胎内五位事


「五位とは。

第一羯頼藍とは梵語。此れ凝滑と翻ず。是れ赤白二渧和合して一圓滿の位なり。


第二額部曇とは此れ皰結と翻ず。是れ二水少しく凝り肉を成ずと為すなり。


第三に閇尸とは此れ血肉と翻ず。是れ已に血肉を成ずる位なり。


第四 徤南とは此れ堅骨と翻ず。是れ已に骨肉を成ずる位なり。


第五鉢羅奢佉とは此れ支節と翻ず。是れ手足爪髪生じ五體を具足する位なり。


當家、外五古の印に付いて五位を習うなり。


先ず外縛の形は最初は羯頼藍の位。二水凝滑の形なり。

二中指、立合するは額部曇の位。獨古の形なり。

二頭指、開立するは閇尸の位なり。三古の形なり。

二大指、竝竪するは徤南位。四大和合の形なり。

二小指、并竪するは鉢羅奢佉の位。五古の形なり。此の五位を經て則ち人形を成す。


父母、子を成すに、母、外戚と為す。是れ血肉等なり。父、内戚と為す是れ骨髓等なり。母は皮肉等、外に在り。嚴身、體を莊る故に相好多く女人に屬するなり。


秘口に曰く、父母を以って無明と法性とに之を習うなり。父は白骨なり法性なり。母は赤肉なり無明なり。無明、滅すと雖も法性は盡きること無きなり。


古德の曰く。肉身を斷じて眞佛を見る。


妙藥大師の曰く。死後、白骨となりて法性を見る。」



以上をまとめると以下の通りになる、


第1、羯頼藍(カララン)=父母和合=凝骨=外縛(二水凝骨)=発心門 ア=東方 阿閦佛 地輪 ア


第2、頞部曇(アブドン)=皰瘡=修行門 アー=二中指立合(独鈷形)=南方 寶性尊 水輪 バ


第3、閉尸(ヘイシ)=血肉=菩提門 アン=二頭指開立(三古形)=西方 阿彌陀 火輪 ラ


第4、健南(ケンナン)=堅骨=涅槃門 アク=二大指竝竪(四大和合)=北方 釋迦佛 風輪 カ


第5、鉢羅奢佉(ハラシャキャ)=支節=方便門 アーンク=二小指并竪(五古形)=中方 大日如来 空輪 キャ


 

以上の胎内五位を経てどうなるか?



◎「床堅(とこがた)第二重印信口決」から


「此の五位を経て即ち一字所成の塔婆と成る。塔婆とは五輪なり。五輪とは衆生の三形、諸佛の總體なり。」


即ち我々は胎内に於いて五つの段階を経て、梵字のア字から展開される五輪塔婆となる。五輪(キャ・カ・ラ・バ・ア)とは我々衆生を表すシンボルであり諸仏の総体を表してる。


修験で重視する五輪観文に


「我すなわち ア・ビ・ラ・ウン・ケン

    次での如く 腰・腹・心・ 額  ・ 頂

    自身を改めざるを即身と名づけ

    此の分を覚悟するを成仏となす」


とあるように我々は五大からなる身体で、その種子を体に配当すると各々、腰(ア)・腹(ビ)・心(ラ)・額(ウン) ・頂(ケン)となる。


すなわち我々の体が五輪の塔婆と云うこと。


識(ウン)は五大に遍満して六大となる。


そしてこの自身を改めずそのままであることを「即身」と名づけ、それに気付いてることを成仏していると云う。



◎「覚悟此分為成仏」の読みについて


密門「此の分を覚悟するを成仏となす」


験門「此の分に覚悟していることを成仏となす」


これは密教を始覚門と捉えると、これから「覚悟する」ため修行を積み、その結果「成仏」するのでこの読みになる。


修験は本覚門なので既に「覚悟している」のでその状態を「成仏」とするのでこの読みになる。