熊野古道のコース!地図


◎阿須賀(あすか)神社(阿須賀王子)


前回は擬死再生の大前提として「死」を表す花窟神社のお話でした。


そしてそれは女陰から子宮への道、即ち「黄泉路=参道」でした。


はい、精進潔斎を続けながら伊勢路を通り花窟王子へ参詣した一行はそのまま南下し、熊野川(新宮川)を渡し船で渡り阿須賀王子へと参ります。


↑当時の参詣の様子が描かれている新宮参詣曼荼羅。熊野比丘尼と参詣曼荼羅より


そして今回私が最初に訪れたのも阿須賀神社でした。


後ろに見えるのが蓬莱山



拝殿


秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の仙薬を探し求め流れ着いた徐福伝説のあるところで有名ですが、もとは阿須賀修験・聖(ひじり)たちの本拠地で熊野三山信仰が確立していくと「海辺の王子」阿須賀王子となります。


本地仏は大威徳明王で、蓬莱山(ほうらいさん)がそもそも熊野川へと突き出た浅州処(あすか)にあったそうなので水牛に乗ったお姿の大威徳明王が祀られるのは相応しく思います。


蓬莱山というように神仙思想を見て取れるが蓬莱を「とこよ」とか「とこよのくに」と読ませる場合があるのでここからが常世の国(死者の国)の意味になりますね。


つまり花窟神社の女陰は常世(とこよ)の国(黄泉の国、死者の国)への入り口、そして黄泉路を通って熊野川(三途の川)を渡し舟から渡り、この阿須賀社から受胎する、ここからが「常世の国=熊野=母胎」に入るという意味があります。


↑熊野川からみた蓬莱山、新宮徐福協会


もちろんこの熊野川を遡行して熊野本宮大社へ向かう場合もありますが。



◎神倉(かみくら)神社


阿須賀王子からしばらく歩いて行くとゴトビキ岩までの登り口が見えてきます。


神倉山登り口



御神体のゴトビキ岩とお社



このゴトビキ岩は男根に見立てられ先ほどの花窟神社の女陰と一対とされてます。


この神倉神社で行われる日本三大奇祭に数えられる御燈祭(おとうまつり)は有名ですが、このゴトビキ岩を男根(男性器、リンガ)に見立てると御燈祭の時に白装束を着て松明を手にゴトビキ岩から駆け下りる「上がり子」たちは精子を、また松明の炎は生命力のエネルギーを表すことになります。


つまりここにお参りすることは男根から射精されたエネルギー溢れる精子と卵子は結合し受精卵となることを表します。


そして胎内巡り(熊野詣)をし、胎内において成長して行くわけです。


ゴトビキ岩から見た新宮の街



◎権現山(ごんげんやま)


この神倉山(かんのくらさん)とそれに続く主峰の千穂ヶ峯を指して「権現山」と云い、熊野の神が最初に降り立った場所とされています。



主峰の千穂ヶ峯。神倉山〜千穂ヶ峯〜熊野速玉大社へと縦走してきました。



◎妙心寺


この神倉社の麓にある妙心寺は神倉社の神宮寺で、勧進聖のたちを本願と云いますが妙心寺は尼寺で神倉本願と呼ばれ新宮の熊野比丘尼たちの元締めになります。


神倉山登り口を右手に行くと小川を挟んで見えてくる。



妙心寺。当然の如く愛染立印供を修法しました。





他に修験寺院である三箇本願があったが後に本願職を抜けたため妙心寺は本願頭として勧進を行いました。


絶大な勢力を誇りましたが明治の悪法、神仏分離令とそれに基づく廃仏毀釈運動以降は荒廃し、今は速玉大社の管理となっているそうです。


本尊は神倉社の本地仏として愛染明王を祀っています。


煩悩の持つエネルギーを悟りへと向ける煩悩即菩提を表す愛染明王がここに本地仏として祀られるのは非常に相応しく感じます。




◎熊野速玉大社  (はやたまたいしゃ)


いよいよ熊野三山の一つ熊野新宮速玉大社です。


入り口


拝殿



拝殿の額


境内から見た権現山


「新宮」とは神倉社を元宮(もとのみや)として熊野の神が遷宮(せんぐう、移動されたこと)された新しいお宮という意味です。


ここにお参りすることは私たち受精卵が子宮(お宮)へ着床することを意味し、胎児となり新しい命を宿すことを表します。


御祭神の熊野速玉大神=新宮大権現の本地仏、薬師如来に気の遠くなるような生まれ変わり死に変わりしてきた過去世から悪業の滅罪を祈り、身体健全、五体安穏を願います。


ここからが本格的な熊野三山詣の始まりです。



◎宗応寺


那智へ向かう前に新宮速玉大社の神宮寺であった宗応寺へ向かいましょう。

山門


今や神仏習合時代の面影はまったくないが、この宗応寺の裏手にある五輪塔群は県指定の文化財となっているそうです。

さて、ここから浜王子を回り高野坂を登り熊野灘の絶景を見ながら佐野王子を経由して補陀落浄土の玄関口、那智の浜へ向かいます。

新宮参詣曼荼羅で場所を確認して下さいね。