◎目的は何なのか?


はい、ヨーガネタ続きます。


先日、ヨガビジネスは「コンプレックス商法」の最前線か?と言う記事を書いた。


で、良く読めばヨーガをビジネスにすることは否定してないことも分かると思う。


でもそのことによってヨーガ本来の目的とどんどん掛け離れることも書いた。


ヨーガの目的は体を柔らかくすることではない。


ってか関係ない。


しかし、ヨーガ指導者なんかのブログ題名や記事ネタに「体が硬い人のためのナンチャラ」と付けてるのが多い。


この時点で「ヨーガ=柔らかくなる」と云うのが大前提としてある。


そのくせ「ぶっちゃけ体が柔らかくならなくて良い」なんて言ってる。


じゃ、そのスタジオなりその指導者のところに行く必要ないよね?


で、結局「ヨーガに取り組んだ結果、体が柔らかくなる」とか「ポーズをとれるに相応しい自分に変わる為に練習する」とか謳ってるんだから体を柔らかくしたりポーズするのが目的になっちゃうよね?


そもそも何でポーズを取るために自分が変わらなきゃならないの?


まぁ商売だからキャッチコピーで言ってるんだろうけど。


もうちょっとツッコめばヨーガの結果って、体が柔らかくなるだけ?それだけ?


それは単なるストレッチの効果だね。


え?健康になる?痩せた?自信がついた?


じゃ、それはヨーガじゃなくて健康体操だね。


健康になって痩せて自信をつけるためだったら何も回りくどいヨーガじゃなくても他にもっと早い方法があるんじゃない?


例えば美しくなりたい、体が柔らかくなりたい、痩せたいなら、バレエのほうが良くない?


バレエやってる人の美しさはハンパじゃない。


身体のライン、動きの緩急、角度、魅せ方、どれをとっても素晴らしい。


バレエをやれば健康で痩せて自信がついてしかも美しくなれる。


何より見てる人に感動を与えるし、見せる場がある。


今はお年寄り向けにもバレエを教えてくれるところがあるらしいから、高齢の方も安心して学べるね。


でもそこにヨーガの目的はない。




◎商品化されたヨガの実態


そもそも体を柔らかくするのが目的なら、体が柔らかい人はヨーガをする必要はないってことになる。


ところが、例えば小さい頃からバレエや新体操をやっていて体が柔らかい人がヨーガのインストラクターになったとするよね?


で、その人のところに小さい頃からバレエや新体操をやっていて体が柔らかい人が来たら、何を教えるの?


もう何も教えることはない、免許皆伝ぢゃ!


とか言うつもり?


実際、おカネさえ払えばいわゆる「資格」という「商品」は買える。


で、その人はヨーガのインストラクターになったとするよね?で、その人のところに小さい頃からバレエや新体操を…(以下繰り返し)


そうして粗製乱造されたインスタントヨガインストラクター(長っ!)たちは


「頑張れば体が柔らかくなるから!」


と体の硬い人に教える。 


かくして体が柔らかい人は優越感に浸り、体が硬い人の不必要な劣等感を煽ることとなる。


だって価値基準が


硬い=悪い

柔らかい=良い


にあるんだから。


劣等感を植え付けられた人は頑張って体を柔らかくしようとそれが目的になる。


良いんだよ、体なんか硬くて!


と横でアクロバティックなポーズをキメた体の柔らかい人が優越感に浸りながらドヤ顔で言う。


見せられた体の硬い人はどうして体が柔らかくならないんだと本来必要のない悩み、葛藤、挫折感を抱えることになる。


そして限りある人生の限りある時間を体を柔らかくすることだけに費やしてしまう。


まるでヨーガのために自分があるみたいに。


最悪の場合無理して怪我をして一生モノの痛みを抱えることになる。


仮に努力の結果体が柔らかくなりました。


しかしバレエやダンスみたいに見せる場がない。


だからアクロバティックなポーズをドヤ顔で体の硬い人に見せて優越感に浸ることになる。


見せられた体の硬い人はどうして体が柔らかくならないんだと本来必要のない悩み、葛藤、挫折感を…(以下繰り返し)


こうして劣等感が再生産されていく。


これが現在の「商品化されたヨガ」の実態である。


何か自分が不完全で人より劣ってるかもと思わせて人集めするコンプレックス商法と何が違うのか。


誰かの形を真似るようにポーズを取ることが、本来のヨーガの目的ではない。



◎本当のヨーガの見つけ方


だから本格的にヨーガをやりたかったら何故体を柔らかくしたいのか自問したほうが良い。


つまり自分がヨーガをやる目的は何なのか?を考えたほうが良い。


その結果、それがヨーガでなければならないのならやって良いと思う。


そうでないなら目的に合ったことをしたほうが限りある人生を実りあるものとすることが出来る。


そして現在、ヨーガを指導してる人は


「体の柔らかい人のためにもヨーガを教えられるか?」


を自問したほうが良い。


繰り返し言うがヨーガは単なるストレッチではない。


また単なる健康体操でもスポーツでも美容でもない。


自分のエゴ(価値観)を押し付けてないか考えてみると良い。


最初から体が硬いの柔らかいの言ってるところは本当のヨーガではない。


そんなこと意識もしてないところを探したほうが良い。




◎ハートオブヨガ


とは言え、なかなか理屈通りには見つけられないと思うので、我がハートオブヨガをオススメしておく。


ハートオブヨガは今流行りの粗製乱造された「商品化されたヨガ」の流派と違って伝統的なハタ・ヨーガである。


ハートオブヨガ=ヨーガの本質


と云う意味であって流派名ではない。


ハートオブヨガでは「100人いたら100通りのヨガがある」と言っている。


対義を取ったら「あなただけのヨガがある」ということ。


また、「正しいヨガは1人にひとつ」と言ってる。


対義を取ったら


「間違ったヨガは全員同じ」ってこと。


人によって体の硬さは言うまでもなく体形も性格も呼吸の長さも強弱も違う。


もっと言えばみんな違う人生を歩んでる。


だからみんな違って当然なのである。


それを無視して生徒に「正しいアライメント」だ、「正しいアーサナ」だ、「正しい体の使い方」だ、などを追求させるから優劣を付けることになる。


ヨーガの本質はそこにはない。


アイアンガーやパタビジョイスの師匠で現代ヨガの父、T. クリシュナマチャリアは「人の数だけヨガがある」ことを伝え続けた人であった。


つまり本当のヨーガはみんな一緒じゃなくて良いってこと。


アイアンガーヨガはアイアンガーの、アシュタンガヨガはパタビジョイスのヨガである。


さて、あなたのヨーガは何であろうか?


もう苦しみもがきながらヨーガをするのはやめよう。


もしあなたが今のヨーガに疑問を持っていたら、ヨーガをやることによって新たな悩みを抱えるようなら、何のためにヨーガをやってるのか分からなくなったら、一度ハートオブヨガを体験してみたらいかがであろうか。


きっとあなただけのヨーガが見つかるでしょう。



「あなたのヨガをしなさい。ヨガであれば何でもいいという訳ではなく、あなたのヨガでなければなりません」by T.クリシュナマチャリ



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↑ハートオブヨガ提唱者マーク・ウィットウェル