(^_^)この前、密教の境涯(心のありかた)について書いた記事を師匠に読んでもらったら褒められたので今日も密教のお話。

今度は境涯というより行法系の話。

顕教の論理学、龍樹のメタ論理学の話じゃないから変なツッコミ入れないでね。

◎愛染明王の敬愛祈祷の意義とは?

たとえば…

ハラが減ったとき、何か食べたい!と思うよね?

じゃあさ、いま食べてるとき、何か食べたい!と思う?

もっと具体的に云えば、ハンバーグが大好きで暫く食べてなくて無性に食べたくなったとするよね?

で、作るなり食べに行くなりしたとするね。

念願のハンバーグを食べました。

バクバク食べました。

メッチャ美味しく食べました。

さて、その食べてるとき、何て思ってる?

これこれ!この味!

とか

メッチャうめぇぇー!

或は

このハンバーグ、あんま旨くねぇ

とか、思ってない?

そこで、だ。

最初に思ってた「ハンバーグ食べたい!」と云う思いはどこにいったか?

繰り返しになるけど、ハンバーグを食べてる最中に「ハンバーグを食べたい!」とは思わないよね?

だって、食べてるでしょ!

と云うことは、食べてない、食べられない、食べない、ってことがあって「食べたい!」ってことでしょ?

現に食べてる状態のとき、殊更「食べたい!」と云う思いはないよね?

これ、「食べたい!」という「欲」を離れて、食べている「よろこび」しかないよね?

さて、この「よろこび」は善か悪か?

この時点でナンセンスなんだけど、例えばカロリーを気にするべき人が食べたら悪だよね?

これは結果の話かな。

逆にダイエットに成功した暁の念願のハンバーグなら善だね。

これはまぁ、目的と言うか励みと言うか。

でも、「よろこび」そのものには善悪はないよね?

もう、最初の動機を離れちゃってるでしょ?

で、ハンバーグ食べて太ったとか血糖値が上がったとか云う結果は後からくる話。

ハンバーグを食べて味わってる最中には既に最初の「ハンバーグが食べたい!」って思いはないんだ。

でも、ハンバーグってメッチャうめぇから「毎日食べたい!」って思ったとしたら、どう?

実際、毎日食べたとする。

厭きるよね?

毎日食べてたら「毎日食べたい!」って思わないよね?

だって毎日食べてるでしょ!

だから殊更意識もしなくなるよね?

ずーっと当たり前の話をしてきたけど、分かった?

これ「愛欲貪染」の義なり。

または「離愛」と云う。

それが愛染明王の内證。

(ФωФ)ふふふ


{880C82BF-749A-49B1-9C8D-B026F0C9D185}