昨日は国家緊急権について少しだけ述べた。

東日本大震災でも昨日の鬼怒川の堤防決壊でも大規模な被害がでたが、自衛隊の見事な判断と救助活動によって多くの方が救われた。

しかし、「国家緊急権」自体、また自民党のあのインチキな憲法草案の「国家緊急権」を左翼らが叩くのも根拠がないことではない。

だが左翼らもまたこの国家緊急権について見当違いな法解釈をしてることも事実である。

そもそも旧憲法には

八条、緊急勅令

七十条、緊急財政処分

一四条、戒厳

三十一条、非常大権

等の規定が国家緊急事態に備えるものであった。

これに対して現行憲法典には

五十三条、臨時会

五十四条二項、参議院の緊急集会

以外に緊急事態に備える規定は見当たらない。

ところがこれらの規定は平時の立憲体制を想定してのものであって、本来の意味での国家緊急権規定ではない。

現行憲法はそれにつき明示的規定を欠いているために本来の国家緊急権の有無につき学説の対立を呼ぶことになる。

まず、

A、否定説

A説は、一切の戦争を放棄している九条が、国家緊急権行使の主要手段としての軍事力を否定した以上、国家緊急権の存在自体否定されているとみる。

B、欠缺説

これは緊急集会しか認めてない現行憲法には、国家緊急権に関する定めはなく、憲法の欠缺と解するほかないとする。

C、容認説

これは国家緊急権が「必要は法を知らず」という不文の法理(マーシャルルール)またはconsititutionに内在する国家の権力である、と説く。

以上の諸説のうち、A説は国家緊急権発動を戦争に限定したうえで、九条のみを根拠としてこれを否定している点で視野が狭すぎる。

これが左翼らの根拠となっているのであるが、緊急事態とは 大規模自然災害、クーデター、テロ、内乱等々、 戦争のみではないことはすぐに分かるであろう。

こういった緊急事態に直面したとき左翼らは「人権がぁぁー!」とでも叫ぶつもりであろうか。

特に人権弁護士や九条信者、ラスタの神様と遊んでる平和念仏主義者といった妄想の中でしか生きられないような者たちのために、多くの国民の命が犠牲になるのは本末転倒どころか狂気の沙汰である。

さて、憲法の欠缺と捉えるB説は、憲法と憲法典との区別を明確に意識しないままに結論を避けている。

憲法典は自己完結な法典ではなく、国家の存立を前提とした二次ルールである以上、国家存立そのものに関するルールは明文で語られないかたちで存在せざるをえない(非常災害対策本部、緊急災害対策本部は法令によって設置される)。

従ってC説が正しい。

↓参考文献
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