最近の流れとして、アウトプットの重要性がよく言われています。

 

私は、アウトプットと聞くと自己顕示欲の象徴、

というイメージがあり、あまり気乗りはしませんでした。

 

実際、SNS等みていますと、

自分の主張ばかりで他者を否定するようなアウトプットが気になりました。

 

自分が思うことを複数の人の役に立つように還元したアウトプット、

というのでしたら受け入れやすいのですが

 

ただただ自分のアピールを目的としたアウトプットは読みづらいです。

 

利己的か利他的か、ということだと思います。

 

アウトプットすることで自分の気持ちや考えが整理されてすっきりする、

ということは間違いなくあると思います。

 

ただ、不特定多数に向けてアウトプットするならば

それなりの配慮はしたほうがよさそうに思います。

 

漫然と自分以外を否定したり、

自分の見解が一番、みたいな発信は厳しいです。

 

自分の意見をちょっと聞いてみてほしい、

他の人にも当てはまるかどうか聞いてみてほしい、

という謙虚なアウトプット、

 

メッセージを発信するという感じなら受け入れられ易いと思うのですが・・・。

 

いかがでしょうか。

 

ある本に古人の言葉とあり、

詳細は不明ですが、気に入ったフレーズを紹介します。

 

心が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

 

気持ち次第で運命が変わるなんて、

とても勇気をもらえると思いませんか。

 

小さなことでも、心が変わればいずれ運命も変わるということ。

誰でもいくつか体験した事あるのではないでしょうか。

 

例えば、過去の何か怒り続けていたことを赦す、

こだわり続けていたことを手放す、

 

そんなことで運命が変わることがあると思うのです。

 

私もそんな体験があります。

 

運命というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、

大小限らず自分の人生に変化が出ると思います。

 

人生の変化は外部環境の影響が強いと思ってしまいますが、

自分の心、行動、習慣といった内部環境の影響もあると言うことだと思います。

 

いつでも思い立った時から変化できる。

それって素敵なことだと思いませんか。

仕事ができる人、というのはもちろんいるのですが

何をもって仕事ができる、と言えるのか、、、

 

言葉にするのは難しいなぁと思います。

 

最近思うのは、

仕事というのは、できるかできないか、ではなく

やるかやらないか、ではないかと。

 

あれこれ、手を尽くし、

あらゆるリスクを想定し、

やれることを全部やる。

 

その結果、うまくいけば、できたになるし

うまくいかなければ、できなかったになる。

 

もし、やることが足りなくてうまくいかなかったのなら

次はもっと工夫してやるしかない。

 

自分だけで足りなければ、仲間に手伝ってもらう。

 

そうやって、できたの経験が増えていくと

やることとやらなくていいことがわかってきて

効率よく仕事ができるようになる。

 

ということなのかなあ、とイメージしています。

 

逆に、やることが足りなくても、たまたまうまくいくケースがあります。

 

この時、自分の実力でうまくいったのか

何かしら自分以外のことでうまくいったのか

 

そこを見極められないと、後が厳しくなります。

 

最初からできるかどうかを考えるよりも

何をやれるのか、謙虚に向かい合うのが良いように思います。

 

よくある話のようですが、

会社に長くいる人で他の人の意見を聞いてくれないことを

老害というそうです。

 

一般に年齢が高くなるとご自分の経験に自信があるので

他の人の意見をまず否定的に捉えるとか、

新しいことを始めることを嫌うようです。

 

老害のことを少し調べてみたのですが、

改善策というのが見つからずに驚きました。

 

ご本人の意識改革は無理のようです。

 

周りが諦めるか、離れるしかない。

というのが今日調べた範囲の結論でした。

 

あとすごかったのが、とことん付き合ってみる、

というアイデアもありました。

 

ご本人は言いたいことがたくさんあり、

周りがやや引いていることも薄々感じているので

寂しさから怒ったり、否定したりしてしまうのだ、というのです。

 

うーん、わかる気はします。

 

クライエントさんだったら、付き合えるかもしれません。

でも、会社の上司となると・・・色々難しい。

中学生の時に担任の先生から、

「人から好かれるようなヒトになりましょう」

 

と言われて違和感を感じたことがありました。

 

当時から自分が変わり者であることはわかっていたので

人に好かれるようなヒトになれる気がしなかったのが一つ。

 

あと、最近思うのは

「全ての」人に好かれるようにはなれない、ということかなぁと。

 

自分以外の人に好かれるようになろうとすることは大事です。

人への思いやりにも通じます。

 

でも、全ての人にというのは無理です。

それこそがんばりすぎて心を痛めてしまうことになります。

 

もう一つ、「好かれる」というところが曖昧だなぁと。

 

恋愛感情と取り違えやすいのではないかと思うのです。

好感と言う方がいいかもしれません。

 

自分に対して好感を持ってほしいと思う人、

自分の気になる人に好感を持たれるように努力することはいいと思います。

 

ある程度範囲を決めるのがポイントでしょうか。

 

最初は一人からでもいいと思います。

家族とか、身近な人とか。