前回書きましたが、アメリカ人の親戚が自宅に1週間滞在しておりました。

 

先日羽田空港まで見送りに行き、無事「おもてなし」は終了。

 

 

で、なんでアメリカに親戚がいるのかというと・・・

話は20年前にさかのぼります。

 

 

1998年11月のとある日、実家の母から電話がありました。

当時住んでいたアパートから実家までは車で約1時間でしたが、普段はほとんど帰らず、特別な用事がない限り、両親から電話がくることもありません。

 

 

突然の電話で何事かと思っていると、

「今、アメリカから伯母さんが来ているから、お前も帰ってきて!」

 

???びっくり

突然の話に意味不明で理解できず。

よくよく聞くと、話は更に40数年前にさかのぼります。

 

 

実はうちの父にはお姉さんがいたのですが、戦後まもなく、二十歳そこそこの頃東京に出ていったそうです。

それがある日、ひょっこり帰ってきて用事を済ますと、また汽車に乗って東京に戻っていきました。

父によると、その時、駅まで自転車で見送っていったのが、お姉さんとの最後だったそうです。

 

 

そのお姉さんはアメリカ人と結婚したらしいという話は聞いていましたが、詳細は分からず。

おそらく、ひょっこり帰ってきたのは、住民票など結婚手続きに使う書類を役所に取りに来たのではないでしょうか。

 

 

今なら国際結婚も珍しくはないですが、当時は終戦後数年しか経っておらず、その結婚相手がそれまでの敵国人なんて、田舎の親族には考えられなかったことでしょう。

なので多分、旦那さんを実家に連れてくることもできず、通信手段も交通手段も乏しい当時は、実家に連絡することも帰ることもできなかったのではないでしょうか。

それ以来、お姉さんは40数年行方不明となりました。

 

 

僕はそんな話は全く聞いたことがなかったので、父にお姉さんがいたこと自体初耳でした。

そのお姉さんが、突然娘さんを連れて帰ってきたのです。

 

 

両親は海外に一度も行ったこともない、日本の典型的、そして時代に取り残された田舎者です。

ちなみに実家は、未だに黒電話(もちろん携帯なんて持ったことなし)、スットン便所、二層式洗濯機、エアコンなし、台所のお湯出ず、50年前の脚のついたバカでかいテレビが居間に鎮座しているという、恐ろしい家でございます。

 

 

そんな実家に、突然アメリカからのお客さんが来て、我が実家は大パニックです。

 

 

しかし、40数年も経てば町はすっかり変わっています。

しかも我が実家は、市街地開発のために立ち退きを余儀なくされ、一度引っ越しています。

それが何でひょっこり帰ってこれたのか?

 

 

そのお姉さんと娘さんは、2週間の予定で来日し、最初の1週間は東京から京都あたりまでツアーで観光し、その後の1週間で家族を探すために実家のあった新潟県内のとある市にやってきました。

何の手がかりもなくやってきたのですが、新幹線の駅を降りて電話帳を見たら父の名前があったので電話してきたというのです。

何という、行き当たりばったりな探し方でしょうか(笑)

 

 

実は、アメリカから役所に問い合わせたり、手紙を出したりして探してはいたらしいのですが、役所が電話で教えてくれるわけもなく、手紙も戻ってきて、結局現地に行くしかないということで来日したようです。

それが駅を降りたらあっさり見つかって、本人たちも拍子抜けしたようです(笑)

 

 

その父のお姉さんは、帰ってきた当時68才。

アメリカ暮らしの方が日本より倍以上長いので、英語の方が得意で、日本語はたまにカタコトになったりしていましたが、まぁ普通に会話はできました。

娘さんの方は一応ハーフですが、まったく日本語ができません。

 

彼らはカリフォルニア州在住。

娘さんの旦那さん(アメリカ人)と一緒に暮らしています。

 

 

父のお姉さんが結婚したお相手は元軍人で、基地を点々としていたらしく、お姉さんとは東京で知り合い、神戸で結婚し、娘さんはフランスで生まれたそうです。

 

 

今回、突然日本にやってきたのは、今までその旦那さんが反対していたため日本には行くチャンスがなかったのですが、旦那さんが数年前に亡くなり、自分ももう若くないので、旅行ができるうちにどうしても家族を探しておきたかったようです。

長く日本を出ても、やはり日本の家族のことはずっと想っていたんでしょうね。

 

 

そんなわけで、突然、我が家にアメリカの親戚ができてしまいました

 

 

彼らは1週間実家に滞在しましたが、僕は仕事の関係で1日だけ彼らと会い、ドライブに連れていきました。

 

 

その後、僕とその娘さんはメールでたまに連絡を取り合うようになり、毎年クリスマスにはプレゼントを送り合っています。

 

毎年、

「今度遊びに行くから・・・」「いつでも来ていいよ・・・」

 

などという、社交辞令的会話が交わされつつ、いつの間にか20年の時が流れ...

 

もちろん、行くつもりが無かったわけではないですよ。

ただ、一人で行くのは嫌だし、ちゃんと紹介できる彼女ができたら一緒に・・・

などと思っていたら、行きそびれてしまいました(笑)

 

 

その後、残念ながら父のお姉さんは、2010年に亡くなってしまい、再会を果たすことはできなかったのですが、娘さんとはたまに連絡を取り合っていました。

 

 

突然僕が中国人と結婚したって言ったら、「大丈夫なの?」「会話はどうしてるの?」などと色々心配されましたが(笑)

その後子供が生まれ、我が家庭も一応大丈夫そうだし、何より僕の両親が歳で病気もあり、いつ亡くなってもおかしくない状況です。

彼らもあまり若くはないので行けるうち行こうと、今回自分の旦那さんとついに来日することになりました。

 

 

旦那さんは初来日。

娘さんとはちょうど20年ぶりの再会です。

(両親は現在施設に入所中で、そこでの面会となりました。)

 

(こちらは20年前の実家での写真。特に両親は変わり果ててしまいました。20年の歳月は残酷ですねぇ...)

 

 

前回は父のお姉さんが通訳してくれたのですが、今回はなし。

それでも彼らもかなり気を使って簡単な英語で話してくれ、こちらの言わんとすることも大体察してくれるので、段々とコミュニケーションも違和感が無くなっていきました。

娘も最初会ったときには泣き出しましたが、段々と慣れて一緒に遊ぶようになりました。

 

 

しかし、やっと慣れた頃に、「おもてなし」は終了。

この1ヶ月、慣れないアメリカ人ゲストのため、いろんな準備でかなりバタバタしていたので、妻も僕も、今は何だか軽い脱力感に見舞われています...

 

 

何だか長くなってすみません。

次回からはまたハルビンネタに戻ります。