何ヶ月ぶりでしょうか。
ここ最近怒涛の数ヶ月で、嬉しいこともあったり悲しいこともあったり
感情が激しく揺れ動く、そんな数ヶ月でした。
ですので、なかなかブログが更新出来ずにいました。
もともと三日坊主なもので何か続けることのできるものをしたいと思ったのがきっかけなので、今までも2ヶ月に1回ペースで更新してきましたが、それすらも出来なくなってしまいました(苦笑)
まあ更新出来なかったからといって、何かが起きてしまう訳では無いです。ただの自己満でしかないですからね。
さて、そんなこんなで。
冒頭でもお話しましたが、ここ数ヶ月は自分にとって最大の衝撃というか、苦痛を味わうことになりました。
きっと今まで生きてきた中で一番の出来事だと言っても過言ではないと思います。
実のところ、最近更新しなかったのは、この出来事が起きて自分の心の中の整理がついていなかったというのも事実です。
ですが、ようやく自分自身を立て直すことができるようになりましたので、今の私の気持ちというか、現状をこのブログ内で打ち明けようと思います。
かなり個人的な内容も含みます。
そしてかなり長いですので見ない方がいいです。
かといって見る人もそうそういないと思いますが。
では、お話します。
2017年1月21日。忘れもしないあの日の夜のこと。
母が乳がんの転移が見つかったと、母自身から報告がありました。
そのとき私は母の肩もみをしていて、そんな重要なことを今話すかというような、至って普通の日常会話のようなノリでそう打ち明けました。
私は言葉を失ってしまい、そのあとも続ける母の言葉もあまり頭に入ってこなかったです。
唯一、聞き取れたのは
もうお母さんここまできちゃったから、
あとはよろしくね
という言葉です。
大抵、がんの転移が見つかった場合
表される単語は
ステージ4
5年生存率が最も低いステージのことです。
そう、母はこの先5年さえも生きることがほとんど許されなくなってしまったのです。
「ここまできちゃった」
「あとはよろしくね」
一体、どれだけの覚悟があったのでしょうか。
「あとはよろしくね」
の言葉の意味を、本当の意味でのよろしくを受け取りたくなかった私は耐えきれなくなり、目からこぼれ落ちそうになった涙を隠すため、必死に堪えながらその場を逃げるように立ち去りました。
どれだけ隠しても、母は私が泣いているということはお見通しでしたでしょうけど。
ステージ4になってしまった場合、
多くの患者は、がんに侵された臓器からがん細胞を取り除く手術はせず、
抗がん剤治療のみで治療を続けていくという方針で行っていくそうです。
身体中を回ってしまったがん細胞はさらに身体を蝕んでいく一方なので、たとえ転移した臓器からがん細胞を取り除くことが出来たとしても、また新たに転移する可能性が大いにあるからです。
なんでがんを無くしてくれないの、
なんで手術してくれないの、
なんでお母さんなの
21日から1、2週間はずっとこの考えが私の頭の中を巡っていました。
摘出手術をしたら、もしかしたら転移しなくなるんじゃないか
多くの人が挑戦してこなかっただけで、強い母なら成し遂げることが出来るのではないか
今考えてみれば、お医者さんがいうことの方が正しいのに、なんとか自分の力で助けてあげられないのかと考えていました。
乳がんが発見されたのは、私が中学1年生の秋でした。
ちょうど文化祭直前の時期だったので、一生懸命練習した合唱コンクールの伴奏を聴いてもらえないとなると、大分落ち込んだものです。
摘出手術のあとからは順調に回復していき、家族旅行も満足にできるまでになりました。
そのこともあってか、私はだんだん母が病気だということを忘れ、時には反抗してしまうこともありました。
それほど、母の調子は良かったのですが…
何故ここに来て再発?
悲しみと同時に行き場のない怒りがふつふつとこみ上げてくるようでした。
ちゃんと毎日薬を飲んでいたし、定期検診にも忘れずに行っていた。
それなのに…。
世の中には思い通りにならないことの方が多い。それなりに私も我慢をして生きてきました。きっと日本、世界中の人間もそうでしょう。
ですが、今回だけは許せませんでした。神をも恨みました。
そして、母に対して酷い態度を取っていた自分も恨みました。
本当に1ヶ月くらいは、あらゆるものに対して恨んでいました。
学校の休憩時間、何気ない会話の中で時折出てくる
親まじうざいよねー
ほんと、死んでほしいわー
そんな言葉が私の胸を貫通するほど突き刺さりました。
冗談で言っているというのは分かっているのですが、どうしても耐えきれなくなったときもありました。
そんな、闇の中をさ迷っていた私でしたが、ふと大切なことに気づいたのです。
それは、懸命に治療に励む母の姿でした。
朝起きてすぐ飲む薬、食前に飲む薬、食後に飲む薬、寝る前に飲む薬…
本当にたくさんの薬を余すことなく、ちゃんと毎日飲み、さらに1週間に1度の泊まりの治療…
私じゃとてもこなせる内容ではないものを、母は愚痴一つ言わずに続けていました。
そこで思い出しました。
私が、家族がこんな弱気でどうするんだと。
1番守ってやらないといけないのは、他でもない私達家族ではないか。
ここきてようやく前を向くことができました。
正直、前を向くまでが長かったです。
そして辛かった。
でも、前を向くことで今まで苦しいと感じてきたことも
ああ、こんなものか
と、軽く受け止められるようになりました。
そして、家族の大切さ、頑張ることの大切さ、前を向くことの大切さを知ることもできました。
それらを教えてくれたのは、紛れもない私の母です。
そんな母のために、私はこれからも上を向いて色んなことも頑張って生きていきたいと思います。
とりあえず今頑張っているのは、毎週治療で母が家にいない火曜日に、家族のために夜ご飯を作ることです。
部活から帰ってきてすぐご飯の支度をし、食べ終わったら洗い物と、洗濯物たたみ。
朝起きたら洗濯物干し…というように、火曜日は忙しいですがとても充実した1日でもあります。
それと同時に、母のありがたみも痛感しますね。
こんなにも家族のために尽くしてきてくれたんだと思うと、感謝しかありません。
病気になることはもちろんいい事ではありませんが、改めて学ぶこともあります。
それは、上にも書きました通り家族のありがたさだったりとか、前を向くことの大切さだったりとか…
自分にとってプラスになるものを知ることが出来ると思うのです。
ですので、病気=悪いもの
だと捉えずに
自身が成長できるチャンス
だと捉えて、これから先も1歩ずつ母と、家族と共に歩んでいきたいと思っています。
