親がクズ親だからこそ

反面教師です。

あんな親には、なりたくない。

私は、中学1年生まで、クズでした。

勉強だめ、運動だめ、何やっても、平均以下のクズ野郎。


きっかけは、中学2年にあがったとき。

担任の先生が立派でした。

私は、この時から変わりました。



数学と、国語を教えてもらいましたが、

成績のパットしない私に、目をかけてくれました。

些細なことにも、よく褒めていただきました。



ある時、私が、開平法をマスターしていることを認めてくれました。(これは、家にあった終戦直後の叔父の参考書を私が独学で習得したものです。)



平方根を開く


教科書にものっていないことを私が理解していましたから、先生は驚かれたようです。

先生は、熱心に教えてくれました。

褒めてもらったことがなかった私には、とても嬉しかった。


褒めて、育つ。

先生に褒められたい一心で、その後の定期試験は、必死に勉強しました。

遅れた学力を身につけるために、小学校の教科書からやり直しましたよ。


成績が上がったのは、こんな感じ


150人中

100番

70番

30番

10番

2番

公立中学校でも、卒業時には、ほとんどトップの成績になりました。




ちなみに、1番は、国立大学の医学部に行きました。私は、この地方では、最上位の旧帝大の文系学部に現役合格しました。中学で、昔の私しかしらない友達からは、ギョッとした目を感じました。


中高は、とにかく、努力しました。


余談ですが、還暦過ぎて、数学1A.2B.3C青チャートを隅から隅まで、やれたのは、この頃の学力があったから。

難解だったのは、一橋大。あとは、東大、京大、東工大、時間があれば、正解にたどり着けました。

所詮は、入試問題、解けない難問がでるはずない。



話を戻します。成績下位のボンクラが、メキメキ成績を上げると、それまでの友人関係が、イビツになります。まあ、暴走族仲間がいきなり、背広着たサラリーマンではね。

ねたみ、そねみ、それまでの友人から、そんな視線を感じましたね。




ボンクラには、ボンクラの友達がいましたから、始めは、成績上位の精鋭の友達ができません。学年が進んで、優等生といわれる友達からも声がかかるようになった。


優等生集団の目の色が変わり、そのうち、私に勉強を聞いてきました。次第に、仲良くなって、これまでと違った友達が生まれました。


世の中、こういうもんだ?


ちなみに、ユンボを貸してくれた友達は、中学3年生の同級生。地元では、有名な造園屋の御曹司です。

私にとっては、数少ない優等生の友達です。


もっと早く気づけば良かった。


これは、ほんとーに悔しい。




頑張れる人は、始めから頑張ってます。

まあ、林先生なら、

いつやる、今でしょ!

いいスタートを切ると、友達関係もいい。
スタートが遅いと、いい友達に恵まれません。

私の子供には、

結果を出せ

人生が変わると教えました。

途中までは、言ったとおりになりました。



追記


あの時の先生は、健在なんですかね。

彼女は、やはり教員一家に生まれ、旧制一中の県下一の高校から、教育大に進学されて中学教員になられたらしい。

まだ、代用教員が幅をきかせる当時、ピカピカの先生は、肩身が狭いと聞きましが、生徒を褒めて伸ばす姿勢は尊敬です。

かれこれ、80歳を超えているはず、元気かな〜