昨日に続いて、懐かしい曲です。このレコードジャケットを見たとき、ショックを受けました。
こんなに大きくお顔のドアップに耐えられるということ、美しくないと難しい・・
当時は中学生で、自分の容姿に内心で劣等意識を覚えていた頃です。モンプチというキャットフードのCMを見るだけで、劣等意識がそわそわしました。
たしかスタインウェイのグランドピアノの上で、白いふわふわの洋猫が、チェコグラスのようなガラスの器に盛りつけられた美味しそうなキャットフードを食べるシーンです。
美しい存在を目にするたびに、内心で美しさを持っていない自分に対してそわそわして心地悪かったのをよく覚えています。
美しい存在に対して、「美しい」と認められるようになって(=自分が持っていない「能力」を他者が所有している事実を受け入れられるようになって)美しい存在を目にするのが好きになり、楽しくなりました。
このCMが好きです。本も買ってしまった。
猫の家族がいらっしゃる皆さまにも、このCMの作家のような視点がおありかも知れませんね
猫との極めて個人的なやりとり・・毎日一緒に寝起きをして暮らすことで通じる気持ち、お互いにお互いのしぐさから、通じること。胸がきゅんとします
キノコネコさん、蒼氓 です
本日の出来事について綴ります。
以前、交流分析という心理学の分野があり、人にはゲームやシナリオがあり、ゲームには「私を蹴って下さい」とか「さぁ、とっちめてやるぞ!」というものがあると綴りました。
ヘリウムガスのおばさんのゲームは「私を蹴って下さい」と「とっちめてやるぞ」なんだな、と静かに自覚した出来事がありました。
おばさんの特徴は、たいてい、ゲームをしかけてきて人からエネルギーを奪おうと試みるときは、社員さんが周囲におらず、私とおばさんの二人きりのような時。周囲に人がいても、皆自分の業務に集中していて、こちらを見ていない(目撃者がいない)や、電話や打ち合わせをして、周囲の音に耳が向いていないときです。
ゲームを仕掛けられたかどうかは、その後不快な気持ちになっているかどうかでわかる、というような記述がありました。
おもしろいのです。表面的には感じよく親切に気を使って教えてくれている・・のですが、目的は違っていてその真逆。攻撃しようと相手を困らせようという意図がある。静観していると、意味不明な脈絡のない、はっきり言って「おかしい(頭が)」話なのです。だから聞いているこちらは困惑をする、芝居がかった、痛々しい演技で、マウントを取り、こちらの落ち度を作り出して、でっちあげる・・
以前からヘリウムおばさんの挙動について相談をさせて頂いている係長にこの話をしましたら「業務として係長からそうしなさいと言われていると言ってもらって構わない。だったら僕も、一度彼女に話をしますので」とおっしゃっていました。
新人に対する脅威として、おばさんがマウント等を行うのは初めだから仕方ないと思えるかも知れませんが、もう時を経て、私もある程度はチームの業務のお手伝いをさせて頂いていますので(多少の貢献はある)・・
ゲームには参加せず、きっぱりと境界線を引く態度で接しておきました。
自分について問いを持たないのだろうか、と思いますが、問いをあえて放棄しているのかも知れません。
自分と向き合うことはつらいことが多いので(認めたくない醜い感情も直視しなくてはいけないため)
これから夫を迎えに出かけます
みなさまも素敵な夜時間をお過ごしくださいませ。