あなたは、「祈り」を有効に利用していらっしゃいますか?

 

ポジティブな「祈り」は、神経生理学上も、あなたを幸福にすることを明らかにしました。

 

意識レベル200以上、例えば「~~が出来るようになりますように」といったポジティブな祈りを捧げると、人はエンドルフィンの分泌により、すがすがしい、あるいは心地よい気分になります。

 

 

ただし、私は合格祈願をしていても、ちっともすがすがしく、あるいは心地よい気分になりませんでした。

 

その理由は・・・。

 

すなわち、意識レベル200未満で、「~~よりいい成績が出せますように」といった、利己的な祈りの場合、アドレナリンの分泌を伴い、「どうせあいつは私に勝てっこないさ」といった自己陶酔と共に相手をバカにしてほくそえむような、そのような感覚になります

 

私の祈りは、自分自身で利己的であると判断していたため、おそらくエンドルフィンの分泌を伴っていなかったためといえるかと。

 

あなたが意識レベル200以上か200未満かを選択するには、言い換えると道徳上の判断を下すと、前頭前野が活性化され、それぞれの分泌物は放出されます。

 

あなたが若いうちに、『境界性パーソナリティ障害』を発症しても、前頭前野の正常な発育によって改善に向かい、すると200以上の選択により、次第にその人生さえ好転させます

 

この部位の成長は、ほぼ30歳後半から40歳代で成熟に達し、健全な道徳律に伴う善悪の判断を可能にするものの、この部位に後天的成長を妨げる何らかの経験があるなら、『境界性パーソナリティ障害』の発祥経験のある人類の約15%の人々の中で、最悪といえる生涯『境界性パーソナリティ障害』の影響から逃れられないことがあるそうですね。

 

その改善策は、なんといってもエンドルフィンを分泌させる生活を送るようにすることでしょう。

 

あなたが、常にあなたのみならず、「周囲の人々の成功や幸福を祈る」ならば、あなたはエンドルフィンの分泌を、恒常的に伴うため、あなた自身も幸福を分かち合うことになるということ。

 

私が大きな交通事故に遭遇した際、衝突する直前に、ブレーキペダルを力の限り踏み込み、「どうかすべての人に怪我がありませんように」と祈ると同時に、すべてを諦めました。諦めるというのは、すなわち「後は、すべて天に委ねた」のですよ。

 

すると、その瞬間に、私の目の前の動きが止まり、それから私はスローモーション・シーンを見ることになりました。「おや、これが、テレビや映画で見るスローモーション・シーンか!?」ととっさに私は気づきます。とても深遠な感覚で、死は幻想で、しかも誰も死にそうにないとインスピレーションが降りてきました。

 

私は安心感に包まれ、「よーし!じっくり観察しよう」と思います。私は相手ドライバーと助手席の男性に交互に目を合わせ、彼女と彼の驚きの表情と共に、こわばった表情を観察していました。

 

そして衝突の瞬間、眼にも止まらないスピードで、現実に戻ります。

 

私は、同乗していた妻にこの経験を話しましたが、きょとんとして、その後何も反応はなく、私はすぐさま、「ああ、なんでもないよ」といい、ホーキンズ博士の著作を読み、これが途方もない高いレベルの経験であると知るまで、四半世紀の間、誰にも話すことなく忘れていました。

 

私のこのスローモーション・シーンの経験は、大量のエンドルフィンの分泌によって起きたということでしょう。

 

本来、悟りのレベルの600に達しないと経験できないスローモーション・シーンを経験できたことは、私が、現在のようにスピリチュアルの真実を、あなたに伝えるための重要なステップであったことは、疑う余地はりません。

 

マテリアル(物質世界)での成功はコーチゾンやオキシドシンの分泌を伴うものの、それが意識レベル200を超える利他的動機に基づかない限り、あなたは、エンドルフィンの分泌なく、一時的な満足に終わります。

 

スピリチュアル(精神世界)の真実を知り、他者の幸福に寄与する「祈り」を恒常化させることで、エンドルフィンは分泌され、それは、人類全体のネガティブな波動を打ち消す波動を、あなたが実際に放射するということ。