以下は、ホーキンズ博士の論述から一部です。ご紹介しましょう。
意識が進歩し続けるなら、内在していた完璧さと、すべての存在に気絶させられるほどの美しさは、まばゆいばかりの光輝のように、潜在していたものが現れ輝きます。生きとし生けるものすべては、内在していた輝きが創造主の神性を表すように、さらに美しくなります。そのスピリチュアル・エネルギーの流れの主観的体験は、絶妙な甘美さのように感じられます。それは、自然発生的に外部の出来事に影響し、かなりの距離にでさえ流れるようであると同時に、心臓のあたりを通り抜けて流れるようで、あたかも背中をかけ上がり、脳そのものの中へ流れ入るかのように感じます。このエネルギーは、意識を向上させる効果(伝統的な師/グルの恩寵)を有する領域から進捗しだし、その上他の主観的状態による影響もあります。
このスピリチュアル・エネルギー(‘クンダリニ’)は、知覚からヴィジョン/心眼へ、そして限界のある線形から、限界のない非線形の本質への変容を可能にさせます。これは、状況(カルマを含む)が順調な時、潜在しているものが現実となるお陰で、すべての存在の中に入り込む基本的なもので真実性のひとつの表現です。この確認は、意図と、スピリチュアルへの同調によっても、また容易になります。従って奇跡を演じていません。それらは、スピリチュアルの探求を試みる学ぶ者の意図に由来し、物事の変化を促進させる意識の進んだグルのオーラです。その人物と同様の行為により、その起因はオーラのスピリチュアル・エネルギー・フィールドによるその輝きにあり非個人的なものです。
(『Transcending the Levels of Consciousness: The Stairway to Enlightenment』、Chapter 15 Unconditional love, Joy, and Ecstasy (Calibration Level 540~599)より)
この記述は、私自身も経験した『こころの底からの喜び』、または『エクスタシー(三昧)』を主観的に体験した際と、まさに同様の描写でした。
あなたがスピリチュアル・ワークに取り組めないなら、その最大の理由は何でしょう?私の実体験から、自分のこころの内側の『黒さ/暗さ』を確かめることへの恐怖心では?
しかし、それを受け入れる勇気を持ちましょう。あなたの内観/内省/沈思/黙思を伴う座禅、瞑想などは、本格的なスピリチュアル・ワークの入り口です。そういう訳で、私がこの『Transcending the Levels of Consciousness』を2011年に読んだ後に始めたスピリチュアル・ワークは、内観でした。
私は足を組み、『エゴ』の正体を探り出すところから始めました。始めてから数か月目だったかと。「ああ、そうか!ふっと浮かんでくる言葉やイメージこそ、エゴの正体だ」と気づかされました。しかしその段階では、ホーキンズ博士のいう『経験を経験する為にこの世界にいます』という意味を理解出来ず、私の頭の中は疑問符で埋まりそうでした。
それが解決したのは、2012年の夏に手に入れた博士の遺著『Letting Go: The Pathway to Surrender』を数章ほど読んでのこと。なんと、「経験を経験する」とは、目をつぶって静かに座り、そのネガティブなエネルギーを感じきることだったのです!すなわち例えば「私は死の『恐怖』のエネルギーを感じきることで、死の『恐怖』の経験を終えました」です!
この「経験を経験する」というスピリチュアル・ワークを理解出来た私は、ついに2014年頃から本格的に取り組み、どんどん私のこころの内側は軽くなってゆき、現在に至ります!
ただし、そのエネルギーを完全に『手放す』には、まだ追加のワークを必要とします。
