あなたのこころの『蓋』は開いておられるでしょうか?

 

博士の著作で、意識レベル350の『受容』では、「胸襟が開かれている」状態にあるということで、open mindという言葉が度々登場します。

 

昨日も、お話しした通り、「臭いものには蓋をしている」状態が、長く続くと、いつかは臨界点に達し爆発します。

 

それは、例えばちょっとしたことで激怒するといった、そのような態度に表れるでしょう。

 

そのレベルで、本人がまだ我慢してこころの内側を覗き込まなければ、それは心臓発作などの心疾患につながり、いつか突然死する傾向にあるとホーキンズ博士はいいます。

 

私の母も、突然死であったことから、「臭いものには蓋をしている」状態が、ついに限界に達したのではと思い当たる節があります。

 

母は、一族オール武家の家柄で育ち、何かとしきたり、格式、職業や、肩書といった表面的な体裁を最優先にされる一族でした。

 

勿論、私がその一族を見渡すと、IQに優れ知的才能にあふれた人材は確かに大勢いますが、一方で人としてのぬくもりを肌で感じる者は、ほとんどいません。

 

 

母方の祖母は、斎藤道三による下剋上の典型のように語られる美濃の守護大名だった土岐家本家の姫を母にもち、礼儀作法から何から、すべて型にはまっていなければ気の済まない性格だったとのこと。悪く言えば儀礼ロボットですね。

 

私は、祖母の最晩年しか知りませんので、そのように厳しい性格だったことを知らないものの、母は、祖母から厳しさ以外の側面を見たことがないと周囲に漏らしていたようです。

 

そんな祖母の下で厳しく育った母にとって、子供は唯一、祖母を見返す望みだったのかもしれません。しかし私達兄弟は、東大ではなく慶應ですから、もうその時点で母の人生は挫折し、気を紛らせることが出来たのが、唯一贅沢に溺れることだったように私からは見えました。

 

私は、幼い頃から、意識の永遠性、神と人の意識はつながっている事、輪廻転生や、因果応報を確信していたため、そのような母に、何とか精神世界(こころの内側)の重要性を伝えたいと努力をしてきました。

 

しかし私が、道徳や精神の話をしようとすると、取り合ってもらえず、全く聞いてもらえませんでしたね。それは、父も全く同じでしたが・・・。

 

20年ほど前、『般若心経入門』(松原泰道)を薦めても、母は理解出来なかったようでした。

 

6年ほど前、キネシオロジーと意識マップのことを、私は約1時間母に話す機会があり、私の話に耳を傾けていました。ネガティブなエネルギーを手放す方法も話したのですが、果たしてそれで、ワークを実践したのか、また意識レベルを上げることが出来たのかは分かりません。私が母の内面の掃除を確認することもなく、母は4年間に亡くりました。

 

2009年に初めてホーキンズ博士の著作と出会い、全11冊を訳し終え、やっとすべての単語や慣用句の訳語が確定したのは、今年に入ってからでしたからね。両親にスピリチュアルの真実を理解してもらうには、全く遅すぎました。

 

今、母が生きていて、私の話に素直に耳を傾けてくれたなら、母のこころの内側の「臭いものには蓋をしている」ネガティブなエネルギーの大掃除が出来たでしょう。そして、本物の幸せな内面の状態を堪能してもらえたことは疑う余地はありません。

 

人生、なかなか思い通りにはゆかないものですよね。

 

この世は幻です。

 

あなたの意識は永遠にあり続けるものの、この身体、言い換えると生物学上の生命は必滅です。すなわち身体は滅びますが、意識は永遠に亡びません。そして、人類の運命は、輪廻転生からの解脱です。その解脱に至るまで、意識レベル10から600までのすべてを経験せねばなりません。

 

ゆえに、あなたのこころの内側の「ふた」を閉めては、時間を無駄にしているとの同じといえるのですよ。

 

昨日も述べている通り、あなたのこころの内側の「ふた」を常に開け、あなたのおぞましい暗闇と向きあわねば、あなたの意識の成長はありません。

 

その勇気の源泉は、神への祈りによって、あなたの「向き合うぞ」という強い意志を補強することになります。明日は、その直面したあなた自身のおぞましいエネルギーへの対処法です。