2024年08月21日改定

 

素戔嗚尊一家の第1陣は、北九州上陸。(122年条

第1陣の人物式

➀【素戔嗚尊】:(84~122年・39歳~○○○年)

②【五十猛命】:(108~122年・15歳~○○○年)

➂【大屋津姫=豊宇迦大神】:(109~122年・14歳~○○○年)

➃【抓津姫】:(110~122年・13歳~○○○年)

 

素戔嗚尊一家が上陸した時、天照大御神の命で出迎えに来た使者は、

天照大御神の第5子・天葦根尊です。

 

素戔嗚尊は、大蛇退治で手に入れた「草薙の剣」を天照大御神に上奉

天照大御神は、お礼に前漢鏡・後漢鏡を下拝する。(後に、籠神社

「草薙の剣」は、天葦根尊から照大御神の手に渡る。(後に、熱田神宮

草薙の剣が次に登場するのは、瓊瓊杵尊の天孫降臨の時です。(143年条

 

葦根尊】:(99~113年・15歳~122年・24歳~○○○年)

天葦根尊の子は、神話物語で有名な海幸彦・山幸彦がいます。

名前からは、火神・龍神信仰が明白です。

葦根尊の系譜は、神武天皇に連結する男子の根幹の系譜です。

神武天皇】:(149~163年・15歳~196年)・48歳

葦根尊は、皇産霊神照大御神第5子末子相続人です。

 

穂穂出見命(葦根尊の子)は、未だ成人していません。

照理尊=海幸彦】:(114~122・9歳~○○○年)8

須世理尊】:(115~122・8歳~○○○年)

遠理尊=山幸彦=穂穂出見尊】:(116~122・7歳~○○○年)

 

:穂穂出見尊は、瓊瓊杵尊の子でない。瓊瓊杵尊は、誕生していない。

磐坂日子命(天忍穂耳尊)の筑紫国に降臨したのは、125年です。

磐坂日子命と刺國若比売は、筑紫国に降臨する前に出國國に上陸。

宇賀御魂(大国主神)と親子兄弟の対面をしています。

忍穂耳尊と万幡豊秋津師比賣と婚姻したのは、127年です。

【磐坂日子命=忍穂耳尊】:(113~127年・15歳~○○○年)

 

万幡豊秋津師比賣の子は、2子です。

穂日命】:(128142年・15~142年・15歳~○○○年)

【瓊瓊杵尊】:(129143年・15~143年・15歳~○○○年)

穂出見命の誕生は、116年です。瓊瓊杵尊の誕生は、129年です。

照大御神は、忍穂耳尊と瓊瓊杵尊を養子に入れている。(129年条

 

豊國に移動した時、大屋津姫は豊宇迦を名乗るが天照大御神から

豊宇氣大神(豊受大神)を名乗る事が許される。(122年条

異例の待遇です。神々の婚礼儀式を豊宇氣大神に任せている。

年齢差が示す様に天照大御神は、豊宇氣大神を可愛がった。

照大御神】:(82~122年・41歳~○○○年)

【大屋津姫=豊宇迦大神=豊宇氣大神】:(109~122年・14歳~○○○年)

 

抓津姫は、宇迦御魂を名乗る事が許される。(122年条

【抓津姫=宇迦御魂】:(109~122年・13~○○○年)

 

五十猛命は、抓津姫の婿養子に入る。大屋彦命を名乗る。(122年条

【五十猛命=大屋彦命】:(109~122年・15歳~○○○年)

大屋彦命と宇迦御魂は、子を産む事を許されませんでした。

 

素戔嗚尊一家の第2陣は、筑紫国に上陸。(125年条

第2陣の人物式

【大歳神】:(111~125年・15歳~○○○年)

【香用比売】:(113~125年・13歳~○○○年)

【大己貴神】:(112~126年・15歳~○○○年)

【神屋楯比売=宗像三女】:(114~126年・13歳~○○○年)

【磐坂日子命】:(113~127年・15歳~○○○年)

第1妃=万幡豊秋津師比賣】:(115~127年・13歳~○○○年)

【支佐加比売】:(115~128・13歳~○○○年)

其の他に、、神産巣日神・刺國若比売が想像される。

注:磐坂日子命・刺國若比売は、筑紫国に降臨する前に出雲国に降臨。

宇賀御魂と親子の対面をしている。磐坂日子命は、諸国を巡回した様です。

この辺の経緯は、出雲國風土記に記載されている。

 

毎年、素戔嗚尊の子供達は、婚礼を次々にに行う。

大歳神と香用比売の婚姻。(125年条

【大歳神】:(111~125年・15歳~○○○年)

【香用比売】:(113~125年・13歳~○○○年)

大歳神と香用比売に2子が誕生。高倉下=大香山戸臣神

倉下】:(126~140年・15歳~○○○年)・・・(126年条

【御年神】:(127~141年・15歳~○○○年)・・・(127年条

 

大己貴神と神屋楯比売=宗像大社・中津宮の婚姻。(126年条

【大己貴神】:(112~126年・15歳~○○○年)

【神屋楯比売=宗像三女】:(114~126年・13歳~○○○年)

大己貴神と神屋楯比売=宗像三女に1子が誕生。(127年条

【八重事代主】:(127~141年・15歳~○○○年)

 大己貴神神社の祭神は、大己貴神。

 宗像大社・中津宮の祭神は、湍津姫=神屋楯比売=宗像三女

 

磐坂日子命と万幡豊秋津師比賣の婚姻。(127年条

【磐坂日子命】:(113~127年・15歳~○○○年)

第1妃=万幡豊秋津師比賣】:(115~127年・13歳~○○○年)

磐坂日子命と万幡豊秋津師比賣に2子が誕生。

【天穂日命】:(128~142年・15歳~○○○年)・・・(128年条

【瓊瓊杵尊】:(129~143年・15歳~○○○年)・・・(129年条

注:天穂日命は、天孫1です。瓊瓊杵尊は、天孫2です。

 

稜威雄走神=伊都之尾張神は、天照大御神に、

素戔嗚尊の護衛の任務を命じられる。(127年条

【稜威雄走神】:(100~114年・15歳~127・28歳~○○○年)

 

磐坂日子命の婚礼が終わり素戔嗚尊の一家は、豊國を後にして佐賀に

移動する時、出迎えに来たのは、稜威雄走神です。(127年条

稜威雄走は、は、名前から考察すると壹岐と関係がありそうです。

有名な武雷槌神は、伊都之尾張神の後裔です。

 

【稜威雄走神】:(100114・15歳~○○○年)

【熯速日神=樋速日神】:(115129・15歳~○○○年)

【甕速日神】:(130144・15歳~○○○年)

武雷槌神】:(145159・15歳~○○○年)

 

【1番目の使者=穂火命】:(146~148年・3年間

2番目の使者=若日子命】:(150~157年・8年間

3番目の使者=布津主】:(159~174年・16年間

【3番目の使者武雷槌神:(159~178年~188年・29年間

注:武雷槌神は、天若日子命の亡き後、軍事行動の統率。

注:天比良鳥を副統率とする。

注:武雷槌神は、布津御霊を高倉下に下す。(178年条

注:天香語山命は、神武より越國(古志國・高志国)に赴任の命。188年条

武雷槌】:(145159年・15歳188年・44歳~○○○年)

比良鳥神】:(143159年・17歳~○○○年)

 

稜威雄走神(伊都之尾張神は、以下の位置情報で祀られています、

 左肆(さし)布津神社 (長崎県壹岐市

祭神は、天照大御神・素戔嗚尊・伊都之尾張神布津主神

壱岐の左肆(さし)布津神社の祭神には、武雷槌神も祀られている。

有名な武雷槌神は、伊都之尾張神の後裔です。

 

宇賀御魂磐坂日子命の兄弟は、筑紫と豊國に残り治安維持に努める。

天照大御神は、大己貴神と磐坂日子命が天冬衣神の子と知らない。

 

➀香用比売は、高倉下・御年神が生まれ、たので豊國で育てる。

②神屋楯比売=湍津姫は、八重事代主が生まれ、たので豊國で育てる。

➂万幡豊秋津師比賣は、豊國で天穂日命と瓊瓊杵尊を産み育てる。

 

大歳神・支佐加比売・素戔嗚尊・豊受大神・宇迦御魂・大屋彦命等

は、佐賀から長崎に移動する。稜威雄走神は、護衛の任務。

 

壹岐・対馬・長崎・佐賀の神社伝承では、素戔嗚尊が朝鮮から五穀の種

草木の苗木を持ち帰り、大屋津姫・抓津姫・五十猛命が配り歩いたと

今でも彼方此方に伝承記録が残る。

 

稜威雄走神は、天道根尊・天日神・稚日女の元に素戔嗚尊一家

を護衛して行く。(127年条

 

天照大御神の命で、出迎えに来たのは、第4子・天道根尊です。

【天道根尊】:(98~112年・15歳127年・29歳~○○○年)

 

此の時、天日神と稚日女命の婚礼があり、参列する。

天日神は、天道根尊の子で事代主神

高皇産霊神と第2妃の子が第1子稚日女命です。

此の時、天照大御神(第1妃)は、子を産まなくなっている。

 

 

高皇産霊神が動く!

【稚日女尊】:(115~127年・13歳~128年)・14歳 

注:天日神の妃。天道日女命の母親。天道日女命の子は、天村雲命。

【津波波姫】:(116~28年・13歳~○○○年)

注:津波波姫の娘は八重事代主神の妃。

天美津照姫】:(117~29年・13歳~○○○年)

注:天児屋根の妃。子は、天雲根尊。天村雲命の第2妃を生む。

【𣑥幡千幡姫】:(118~130年・13歳~○○○年)

注:磐坂日子命は、𣑥幡千幡姫との婚姻で天忍穂耳尊を名乗る。

市杵島姫(宗像三女=宗像大社・辺津宮)を生む

 

 

 

 

天日神と稚日女命の婚姻。(127年条

【天日神】:(113~127年・15歳~○○○年)

【稚日女命】:(115~127・13歳~128年)・14歳

:稚日女命は、機織り小屋で死亡した天の織女です。

天日神と稚日女命​​の子は天道日女命です。(128年条

【天道日女命】:(128~140・13歳~○○○年)

 

古事記・日本書紀には、要略すると以下の記述があります。

の服織小屋で神衣を織っていた。

素戔嗚尊は、天の服織小屋の屋根から天の斑駒を逆剝ぎにして投げ入れる。

其の為、天の織女は、驚いて破壊された機織り機で陰を衝き死亡。

素戔嗚尊は、秋の穀物の収穫の時に天の宮殿を破壊し、天の田畑を荒らし、

畦道の溝を埋める。

注:稚日女命は、機織り小屋で死亡した天の織女です。

前後の経緯から天氏留も災害死している。(文献の記載にない)

 

道日女命が誕生して間もなく大洪水による山崩れで服織小屋が

倒壊する。(128年条

 

天照大御神が移動する時、天道根尊は、護衛の任務を果たします。

其の時、船で長崎から日向に移動を助けたのが五十猛命です。

勿論、文献にありませんが素戔嗚尊の一家は、此の時の葬儀に

参列している。悲しみを胸に刻んだ強い絆が此の時深く残る。

岩戸籠もり=避難生活=天氏留・稚日女命・その他多くの殯・葬儀

 

【地球規模の大気候変動】(119~128年~130年)・12年間

数値解析は、大洪水・群発地震噴火が128年と断定する。

 

天照大御神は、岩戸籠もりの前に多くの命を下す。(128年条

1)天日神と支佐加比売(乳母)の婚姻。

2)大歳神と天知迦流美豆比買の婚姻。

此の婚姻で、大歳神は、饒速日尊を名乗る事を許される。

3)素戔嗚尊・豊受大神」には、四国・「やまと」に神々を祀る巡幸。

4)天照大御神の移動を船で手助けをしたのが五十猛命です。

5)護衛の任務をしたのが天道根尊です。(128年条

天手力男尊・天児屋根尊・鈿女等も従う。

6)日向に着くと、石凝姥に日像鏡と日矛鏡の制作を命じる。

7)天の宮殿の造営を命じる。

 

天糠戸尊は、高皇産霊神と天照大御神の第1子

【高皇産霊神】:(80~94・15歳~○○○年)

【天照大御神】:(82~94・13歳~○○○年)

 

石凝姥は、興台産靈神と天氏留の第1子

【興台産靈神】:(82~96・15歳~○○○年)

【天氏留】:(84~96・13歳~○○○年)

 

天糠戸尊と石凝姥=伊斯許理度買の婚姻。(109年

【天糠戸尊】:(95~109・15歳~○○○年)

【石凝姥】:(97~109・13歳~128・32歳~○○○年)

天糠戸尊と石凝姥は、鏡作り連祖です。

 

天日神と支佐加比売(乳母)の婚姻128年条

【天日神】:(113~128年・16歳~○○○年)

【支佐加比売】:(115~128・13歳~○○○年)

 

注:支佐加比売は、神産巣日神(壹岐の海神・政商・大穴牟遲神の

フィクサー)の子で島根半島から連れて来ていた。

元々は、支佐加比売を大己貴神と婚姻させる予定でした。

支佐加比売は、織女として麻の植樹・生産・紡績・織機に秀でた才能を

持つ事を見抜いていた。天照大御神は、稚児を抱えた天日神の妃として

支佐加比売(乳母)に婚姻を命じた。

 

天日神と稚日女に道日女命が誕生。

➀【天道日女命】:(128~140年・13歳~○○○年)

天日神と支佐加比売に猿田日子神・道臣・天道造日女命が誕生。

②【猿田日子神】:(129~143年・15歳~○○○年)

➂【道臣】:(130~144年・15歳~○○○年) 

➃【天道造日女命】:(131~143年・13歳~○○○年)

 

 

天照大御神は、宇賀御魂天子1)と磐坂日子命天子2)が

高貴な人物の天孫である事を知らされていなかったと思える。

高貴な人物とは、天冬衣神の事です。

そして、此の正しい真実の情報が無かった事が大きな確執を産む。

兄の宇賀御魂は、既に出雲国に帰国。(128年条

恐らく、宇賀御魂と磐坂日子命は、素戔嗚尊の子と認識していた。

宇賀御魂は、既に國津神の大市姫の養子入り。

認識の違いが判るのは、岩戸が暮れ復帰の時、瓊瓊杵尊が誕生した後。

 

筑紫国に降臨した磐坂日子命は、天照大御神に語る。(129年条

子供が生まれ、豊國で育て成人したら天孫降臨させると約束。

磐坂日子命は、天照大御神の養子に入り、天忍穂耳尊を名乗る。

 

【磐坂日子命=天忍穂耳尊】:(113~127年・15歳~○○○年)

第1妃=万幡豊秋津師比賣】:(115~127年・13歳~○○○年)

 

磐坂日子命と万幡豊秋津師比賣に2子が誕生。

穂日命】:(128~142年・15歳~○○○年)・・・(128年条

【瓊瓊杵尊】:(129~143年・15歳~○○○年)・・・(129年条

 

天照大御神は、五十猛命木の國に行くことを命じる。(129年条

木の國では、種を蒔き麻の苗木を育てたり、朝鮮より持ち帰った

木々を植樹させる為です。天道根尊生産日神)も木の國に

行き、石凝姥に制作した日像鏡日矛鏡を祀る調査をさせる。

日像鏡は、日前宮に祀られる。日矛鏡は、國懸宮に祀られる。

数値解析の視点では、日像鏡は、天氏留。

数値解析の視点では、日矛鏡は、稚日女。

 

五十猛命は、多数の神社に足跡を残している。

 猛島神社(長崎県島原市:雲仙の麓)

 韓国宇豆神社(鹿児島県国分市)の祭神は、五十猛大神。

 伊多祈曾神社(和歌山市)

 伊賀多気神社(島根県仁多郡横田町)

 

天忍穂耳尊と𣑥幡千幡媛(高皇産霊神の娘)の婚姻。

天忍穂耳尊】:(113~130・18歳~○○○年)

第2妃𣑥幡千幡媛】:118~130・13歳~○○○年)

 

𣑥幡千幡媛に市杵島姫(天孫3)を生む。

【市杵島姫】:130・暮れ~142・13歳~○○○年)

 

次回は、天道根尊生産日神=伊久産靈神)の子供達。

【天道根尊】:(95~109・15歳~○○○年)

【許登麻知姫】:(97~109・13歳~○○○年)

 

By Iwao  Yamashita